11月5日(日)快晴
病理医だった姉は2009年に77歳で米ナッシュビルの介助付き高齢者アパートで死去。それまで30年くらい西バージニア州で暮らしていたが、進行性の肺癌が見つかると尊厳死を望んで、小児科医の息子の住む地に2000万円のアパートを購入。末期で意識がなくなりかけたころに僕もユミと駆け付けた。池や丘のある広い敷地で、畑や花壇作り、手芸、音楽会、夕食会、芸人の慰問など、楽しく充実した終末期を送った。1年間住んだアパートは、間もなく3000万円で売れたらしい。
11月5日(日)快晴
病理医だった姉は2009年に77歳で米ナッシュビルの介助付き高齢者アパートで死去。それまで30年くらい西バージニア州で暮らしていたが、進行性の肺癌が見つかると尊厳死を望んで、小児科医の息子の住む地に2000万円のアパートを購入。末期で意識がなくなりかけたころに僕もユミと駆け付けた。池や丘のある広い敷地で、畑や花壇作り、手芸、音楽会、夕食会、芸人の慰問など、楽しく充実した終末期を送った。1年間住んだアパートは、間もなく3000万円で売れたらしい。
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