12月27日(土)曇時々雨
レンタカーで高速を飛ばして、KLの北150kmの高原リゾートへ。ここは標高が1500mを超えるため年間を通じて気温が20℃前後と涼しい。英国植民地時代から丘陵を利用した茶葉生産が盛んだ。近年は高原野菜などの生産も活発に行われ、海外移住者や年金生活者の長期滞在も増加。ホテルやコンドミニアムが次々と建てられている。
12月27日(土)曇時々雨
レンタカーで高速を飛ばして、KLの北150kmの高原リゾートへ。ここは標高が1500mを超えるため年間を通じて気温が20℃前後と涼しい。英国植民地時代から丘陵を利用した茶葉生産が盛んだ。近年は高原野菜などの生産も活発に行われ、海外移住者や年金生活者の長期滞在も増加。ホテルやコンドミニアムが次々と建てられている。
12月26日(金)
産油国マレーシアは隣国のシンガポールと競い合って経済発展を遂げて来た。発展の象徴が、かつては世界一の高さを誇ったペトロナス・ツインタワーとKLタワーだ。人口増も経済発展のもう1つの要因。KLの街には若者と子供が目立つ。現在3500万人の人口を2020年までに6000万人に引き上げるのが目標。2020年には100階建てのビル建設の予定もある。石油価格の急落により、どちらも実現しそうにない。
12月25日(木)曇時々雨
電車に乗るためには改札口前の券売機で電磁式のトークンを購入。プラスチック製でおもちゃみたいだ。向かい側に座ったブルカ姿の女性3人はスマホに興じている。公務員のモスリム女性は黒づくめで忍者のようだが、私服の女性たちはカラフルなおしゃれを楽しんでいるようだ。電車は数路線あるが接続が悪いので利用し難い。産油国でタクシー代が安いので、複数人の移動だと電車よりタクシーが便利だ。
12月24日(水)曇り時々雨
肌にまとわりつくような湿った空気と魚醤の香り。3日で慣れるだろう。街に溢れる騒音、看板、地から湧いて出たような人の群れ。これに慣れるのは難しい。食べ物屋がやたらに多い。マレーシアの60%は回教徒のマレー人。30%が中華系で、10%がインド系。だけど繁華街やショッピングモールには派手な電飾が並び、クリスマス・ソングが流れる。
12月23日(火)曇り時々雨
マレーシアは遠い。ケアンズから3時間でダーウィン。ここで待ち時間が8時間。キンドルでマレーシア関係の本を4冊読んだ。ピースボートに乗って100日間毎日3冊の本を読んでいた頃を思い出す。ダーウィン空港には不思議な雰囲気がある。日中より深夜のほうが活気がある。ここからクアラルンプールまでさらに5時間。ユミがサンタの形のチョコレートを買ってきた。
1月4日(土)晴
22年振りのマカオ。1999年にポルトガルから返還されたマカオには現在48か所のカジノがあり、収益はラスベガスを上回る。市の歳入の95%はカジノから。街は驚くほど近代化したが、旧市街地には昔の面影が残る。マカオの8つの広場と22の歴史的建造物がユネスコの文化遺産に登録されている。
1月3日(金)晴
広州にも香港にも探せばカフェはある。カプチーノ(伊太利泡茶)は薄味で不味いので、中国茶店で鉄観音かほうじ茶かジャスミン茶を注文する。良い茶葉を使用して、正式の作法で淹れた中国茶はとても美味。新年なので年代物のプーアール茶も点ててくれたが、抹茶と発酵茶は何度挑戦しても好きになれない。
1月2日(木)快晴
香港にはコインランドリーは皆無。ホテルでクリーニングを頼むとGパン1本が1300円。男人街の露店では900円で買えるのに。ホテルから徒歩5分の距離に洗濯屋を発見。店頭には重量計が置いてあり、クリーニング代金は重量制。6㎏で680円だった。仕上がりは12時間後。きちんとたたんで返って来た。
12月31日(火)晴
医薬同源、「中華料理を毎日食べていると胃腸の調子が良い」と中国在留邦人は言う。「中華料理は油っこくて体調を崩した」と言うのは怪しげなツアー参加者たち?中華料理は欧米料理ほど油や砂糖は使用しない。中国人の舌は他の民族よりも圧倒的に優れているのでスープもデザートも味は抜群。お喋りも世界一だ。
12月29日(日)晴
広州は紀元前の秦の始皇帝の時代に築かれた歴史の古い都市だが、近代化・開発のために遺跡や歴史的建造物はほとんど残っていない。600mの広州タワーは2010年完成。601mのスカイツリーが完成するまで世界一だった。入場料は1000円足らずだが、待たずに昇れる。夜は珠江ボート・クルーズで夜景を眺めた。
12月28日(土)晴
1921年孫文は中華民国の大総統に就任し、日本の侵略に対抗するために国共合作を行い、軍官学校を設立。蒋介石が校長となり、周恩来が政治部主任を務めた。この時期には毛沢東も農民運動講習会をこの地で開催している。広州は珠江の三角州に広がる近代的な街だ。