節電…暗い道・動かぬエスカレーター 障害者「外出怖い」(産経新聞)
東日本大震災の影響で節電ムード一色になるなか、障害者に不安が広がっている。エスカレーターの停止で通い慣れた道がつかえなかったり、照明が消えた暗い道で転倒したりするためだ。大規模停電回避に必須の節電だが、外出を控えるようになった人もおり、バリアフリーへの配慮が求められている。(油原聡子)
◆階段に気づかず転倒
「目印にしていた案内板や自販機の照明が消えると方向感覚を失ってしまう。いつも使う階段がどこにあるかもわからなくなる」
こう訴えるのは、「網膜色素変性症」の患者らでつくる団体の会長を務める金沢真理さん。この病気の主な症状に、暗いところでものが見えなくなる夜盲症(とり目)がある。
普段は問題がなくても、暗くなって目印が失われると、エスカレーター停止のロープに気づかずひっかかったり、階段に気づかずに転倒したりするという。実際に骨折した人もいる。
地下鉄などでは案内板の照明も消されているため、乗り換えや改札がわからなくなることも。障害者や高齢者の使用が想定されるエレベーターの案内板の照明まで消されている駅もあり、視覚障害者からは「駅の改札や階段を使うのが怖い」という声が上がる。
◆「命にかかわること」
視覚障害者だけではない。身体障害者にとっても“いつもの経路”が使えないのは大きな不安だ。
筋ジストロフィーを患い、足に障害のある東京都世田谷区の女性(43)は「なるべく外に出ないようにしている。出かけるとしても1人では無理」と打ち明ける。転倒したら1人で起きあがることができないからだ。
エスカレーターの停止で混雑した階段は他人にぶつかる可能性を考えると怖くて下りられない。女性は「案内板にも停止場所を記してほしい」と、具体的な節電場所の情報を求める。
東京メトロは、具体的な節電対策は各駅の判断に任せており、一律の対応は難しいという。
ただ、案内板の点灯などバリアフリーの対応も順次進めるとしており、「できるだけ不便を取り除きたい」と話す。
バリアフリーに詳しい慶応大学の中野泰志教授(障害心理学)は「節電は仕方ないが、障害者にとっては我慢できるできないの話ではなく、生死にかかわること。不便を感じても言いだしにくい雰囲気になっている。公共機関では、照明のついた安心安全なルートを確保すべきだ」と話している。
この記事に関しては、特に私がツッコミを入れるべきところもないと思います。とかく節制ムードが高まりがちな昨今ですけれど、「障害者にとっては我慢できるできないの話ではなく、生死にかかわること」との指摘には真摯に耳を傾けるべきでしょう。にも関わらず「今までが便利すぎたのだ」とばかりの論調が幅を利かせ、「不便を感じても言いだしにくい雰囲気になっている」わけです。心身共に健康な人には便利さが過剰に見えるところもあるのかも知れませんが、その便利さで助けられている人もいることを忘れて欲しくはないものです。しかるに昨今は「大きな流れ」に飲み込まれる形で弱者への配慮が蔑ろにされているようにも見えます。引用元では冒頭に「節電ムード一色」とありますけれど、今のように世間が一色に染め上げられていくなかでは、規格外品(=少数派)は排除されがちなのでしょう。
放射線に対する恐怖の煽りを受けて差別される人々、節制ムードの中でつまはじきにされている人々、そういう大きな流れから外れた人々に目を向けているのが週刊ポストだったり今回の産経新聞だったり、普段は常軌を逸した記事が特徴のメディアばかりだとしたらあまりにも悲しいです。一方、日頃は右派から「サヨク」と見なされているメディアは毎日新聞を筆頭に、すっかり「ブルジョア新聞」たる本領を遺憾なく発揮、ゆとりある中産階級の目線から高説を垂れるばかりです。あらゆる紙面をくまなくチェックしているわけではないだけに私が見落としているだけの可能性もありますが、どうもメディアの立ち位置ならぬ左右の立ち位置もまた、原発事故を契機に揺れ動いているかのようです。
郡山市の校庭表土除去、見直しも 運搬先の住民猛反発(朝日新聞)
放射性物質を除去する目的で、福島県郡山市が小中学校や保育所のグラウンドの表土を削り取る作業を始めたことに、土を運び込む予定だった処分場の付近住民が猛反発している。処分への理解が得られないため、市は新たな対応を迫られている。
郡山市は市立の28施設で表土の除去をする予定で、27日は薫(かおる)小学校と鶴見坦(つるみだん)保育所で表土を削った。薫小学校では作業後、集めた表土を校庭に積み上げ、ブルーシートをかけた。削り取った土は同市逢瀬町河内の河内(こうず)埋立処分場に運び込むことを予定していた。
ところが、この日夜に学校教育部長や生活環境部長らが参加して処分場付近の住民向けの説明会を開いたところ、集まった約80人から批判が続出。「地域に事前の説明なしで、なぜ物事を進めるのか」「バカにするな」「国や東京電力がやるべき問題で、市がやることではない」と、市の姿勢に怒りの声が上がった。
市は安全性について「運ぶのは格別に高い汚染の土壌ではない」などと説明。だが、文部科学省が表土を削らなくても利用時間を限れば安全とするなかで市が独自に取り組んだことに、ある女性は「市の勇み足だ。国がノーと言っているのに、なぜ、市だけが急ぐのか」と詰め寄った。
さて、今度は元祖ブルジョワ新聞である朝日からの引用になります。何でも除去した校庭表土を処分場に運び込もうとしたところ、付近住民から猛反発を買ったとか。ふむ、埋立処分場と住宅の距離次第で情状酌量の余地も出てきそうですが、色々とツッコミどころはありそうですね。
学校周りの放射線量に関する「暫定」基準値が年間20mSvを設定されたことには「高すぎる」との反応も目立ちますが、あくまで夏休み終了までを目処とした暫定値であって、将来的な放射線量の低減を鑑みれば特に気にするほどでもないように思います。むしろ運動不足の方が健康には悪影響がある範囲ですね。放射線「以外」のリスクを存在しないかのごとく扱う風潮も強いですけれど、放射線以外の要因でも体を悪くする人は悪くするものですし、死ぬ人はいつだって死ぬものです。総合的なバランスを考えるなら、この辺の線引きは妥当な範囲なのではないでしょうか。
ただ、学校の校庭ともなれば派手に砂埃が舞い散るわけです。その砂埃の舞い上がる中で運動したり、地べたに座らされたりするのであれば、もうちょっと厳しめに考えた方がいいのかも知れません。その辺を鑑みてかどうかは知りませんが、自治体側で独自にグラウンドの表土を削り取るという処置を執るところが多いようです。まぁ、これくらいなら別にデメリットもないですし、念には念を入れるということで悪くない対応ではないかと思えるのですが――削り取った土砂を埋めるべき処分場の近隣住民から猛反対されていることが今回の記事で伝えられています。
普通のゴミとか、校庭に限らず生活圏にあると困るけれど、処分場に埋められている限りは困らない、そういうものも多いわけです。他所で邪魔になったものを隔離しておくのが処分場でもありますから。どのみち近隣の学校でそれなりの放射線量が観測されるのであれば、同じ市にある処分場周辺でも同等の放射線量は観測されているはず、そこで土を移送したところで特に処分場の放射線量が増減するわけでもないでしょう。ただ単に土砂が風で巻き上げられやすく、かつ人が密集する場所から、取りあえずその中に住んでいる人がいるわけではない場所に埋める、それだけのことです。
「国や東京電力がやるべき問題で、市がやることではない」という「怒りの声」も、何だかなぁと思います。まぁ、こうなった責任を問われるべきは国であったり東京電力であったりするのかも知れません。ただ「悪いのは東電だ」と息巻いて東京電力が出てくるまで手を拱いているとしたら、結局は問題解決が遅れるばかりです。かつて「こじれている理由はひとえに中国サイドにある」から「こちらが関係修復のために何かすべきだとは思わない」と言い切ったアホ(参考)が、あろう事か官房長官の座に居座っているわけですけれど、「悪いのはアイツなんだから」と言って何もアクションを起こさないのであれば、ただただ虚しく時間を浪費するだけです。問題が深刻だと思うのであれば、取りあえず「誰が善い、悪い」の犯人捜しは棚上げして、自分たちで出来ることは自分たちでやった方が良いのではないでしょうか。学校周りの放射線量が深刻だと考えるのであれば国や東京電力が責任を取ってくれるのを悠長に待つべきではないですし、逆に現行レベルの放射線量なら大騒ぎするには当たらないと考えるのなら、処分場に埋め立てしたところで何の問題もありません。どっちにせよ市独自の取り組みは妥当なのではないでしょうかね。
それと、除去した土は鉢植えにでも入れてアホへの贈り物にすればいい。「直ちに影響は無い」のだから、きっと喜んでもらえることでしょう。
まぁニッチな話題で勝負するのも、弱小誌の戦略の一つではあるのでしょう。むしろ問題視されるべきは、大きいメディアほどこうした問題を蔑ろにしている方でしょうね。
>aAaさん
「政府は信用できない!本当はもっと危険なんだ!」とわめいている人の考えることは周囲に迷惑をかけることばかりですが、その方法は悪くないのではないでしょうか。送った側は「やってやったぜ」と自己満足に浸る一方で、送られた側は何ら影響を受けるわけでもないですから。虚しい自家発電にしか見えませんがね。
>付近住民が猛反発
表土ということは、反対している住民の家の土も同じはずですよね、ホントにバカですよね。なんで、たった20mSvで騒いでるんですかね。夏の強い日差しで、日焼けするほうがはるかに危険だと思うんですが。子供を無菌状態で育てたいんですかね。
このところさわがせている「焼肉屋の生肉騒ぎ」でも同じようなことがおこりそうです。会社を罰して、亡くなった人の補償して、はい終わりじゃあダメですよ。そこから引き出すものがあるはず。
前の記事でもそうですが、「あいつが悪い」では何も生み出さないと思います。
ある意味、不幸な形で左右が手を結んでしまっているように見えるところもあるんですよね。原発に否定的でさえあれば、もう何でもありみたいになっている人も目立ちますから。
一方で校庭の表土にしても、放射線にばかり過敏になる一方で、放射線「以外」に存在する要因(紫外線や生活習慣など)が完全に忘れ去られているわけで、もうちょっとトータルで考えたらどうなんだと常々思います。
>24さん
結局のところ刑事裁判でも社会問題でも加害者なり犯人なりの「悪い奴」を罰することにばかり世間は熱心で、原因究明や今後に向けての対策は疎かにされがちなのですよね。どうにも勧善懲悪の世界から抜け出せていないと言いますか、いつも「あいつが悪い」で終わってしまうようでは……
私も拉致問題でいつもこれを言っているわけです。いまさら拉致被害者が北朝鮮から帰ってくるとも思いませんが、それなら孫に会いにいくなり現地での軌跡を追うとか日本側からいくらでもアプローチすることはあるはず。ところが増元照明氏などは、横田夫妻は娘さんとお孫さんと日本で会えとか、てめえ人間のクズだとでも言いたくなるようなことを言うばかりです。増元氏の本音は、拉致問題を長引かせて遊んでいられる今の身分を維持することなのかもしれませんが、やれることがあるのなら自分で動くってのは社会の基本だと思うんですけどね。
拉致問題も例に漏れず、「あいつが悪い」と断罪優先で、実際に問題を解決しようという姿勢が全く見えない世界ですよね。日本側、被害者側から起こせるアクションはもっと他にもあるはずですが――目指しているものが違うのでしょう。