詩人の宮沢賢治に「雨ニモ負ケズ」という有名な詩がある。東北地方で貧しい農民たちと生活をともにした賢治が、こういう人になりたい、と自分にいいきかせた素朴で力強い詩だ。
そのパロディーに「雨ニモアテズ」というのがある。賢治のふるさと・岩手県盛岡市の小児科の医師が学会で発表したものだそうである。職業上多くの子供たちに接していて、まさにぴったりだと思ったという。作者はどこかの校長先生らしい。
雨ニモアテズ 風ニモアテズ
雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ
ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ
意欲モナク 体力モナク
イツモブツブツ 不満ヲイッテイル
毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ
朝カラ アクビヲシ 集会ガアレバ 貧血ヲオコシ
アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ
作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ
リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ
東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ
西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ
南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ
北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ
日照リノトキハ 冷房ヲツケ
ミンナニ 勉強勉強トイワレ
叱ラレモセズ コワイモノモシラズ
コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ
賢治が生まれて100年あまり。そのころ日本中はどこも貧しかった。
いつもながらにツッコミどころが盛りだくさんの産経新聞ですが、この記事は見ていて目が回りそうになると言いますか、こんな記事を大真面目に書いている記者が少し不憫にすら思われてきます。ソンナ新聞記者ニ ダレガシタ
割と産経は(親のモラルを断罪するために)児童虐待を取り上げることも多いような気がするのですが、この辺はいかがでしょう。親は虐待しているのに子供は甘やかされているのでしょうか。まぁ、何かにつれ二極化しているのも事実かも知れません。太った「ブヨブヨノ体」の子もいる一方で、幼少時よりダイエットブームに忠実なガリガリの子もいるわけですし。
ちなみに、これを作ったのがどこかの校長先生で(この事実関係の曖昧さがまた産経らしいといいますか・・・)、それを発表したのが小児科医だとか。子供とかかわる職業の人間がここまで子供を悪し様に罵るのもどうかと思わないでもありません。まぁ私は子供の頃から子供が嫌いで嫌いで嫌いでしたので、気持ちはわからないでもないですが。
ただ私の場合、いつの時代の子供だって嫌いですが、ここに出てくる校長や小児科医や産経新聞記者が嫌っているのは「現代っ子」であって、彼らの脳内にいる理想化された子供とはまた違うようです。そして自分の目の前にいる子供よりも、自分の頭の中の子供が可愛い、自分の頭の中の子供像と、自分の目の前にいる子供の間の違いに怒りを覚える、こういう考え方は児童虐待に走る親の考え方と同じではないでしょうか。(ただ、上のパロディが現代っ子を適切に描いているかというと甚だ疑問で、むしろ彼らの脳内で作り出された理想的な「仮想敵」を描いたものに見えます)
いずれにせよ、上に引用した詩を作った校長、小児科医、産経新聞記者が子供に対してどういう欲望を抱いているか、どういう子供達、どういう社会を望んでいるかははっきりと見えていると思います。
雨に曝され、風に晒され、雪や夏の暑さに晒され
痩せ衰えた体にボロボロの服、忠誠心と肉体だけが資本
決して不満は言わず、勉強しない、テレビは見ない、路上で遊ぶ
朝から直立不動で敬礼し、あらゆることを組織のためだけに考えて顧みず
自我を忘れて作業に没頭し、粗末なタコ部屋で集団生活
小児科医には絶対服従、親の介護は自分で
裁判があれば、こぞって被告人をリンチに
日照りの時も精神論で乗り切り
勉強して偉くなろうなどとはせず
身分が上の人への畏敬の念を抱く
そんな風に、子供達を育て上げたいと願っている人がいるのでしょう。まぁ、校長と会社とかマスメディアとか、それなりに地位のある人がそう願うのは仕方がないかもしれません。偉い人にとっては、野心を持たず権威にひれ伏す子供、余計な知恵を持たず忠実に従うばかりの子供、そういう子供の方が己の地位を保つには好都合ですから。逆に人の上に立つわけでもない「普通の」人が上のパロディに賛同してしまうようだったら、そいつはクレイジーとしか言いようがありませんね。
雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち
慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず
野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい
宮沢 賢治「雨にも負けず」
子供が嫌い、という気持ちでは私も人に遅れはとらないつもりですが、それでもこんなパロディを作るような校長や小児科医に預けられた子供を思うと不憫な気すらしてしまいます。本当にもう、宮沢賢治が草葉の陰で泣くようなことをしているわけですが、当人達には自覚がないのでしょうねぇ・・・
>y-burnさん
御紹介いただいた伊武雅刀氏の詩からは、子供に対する憬れを感じますね。嫌いだといいつつも、そんな子供達を断罪せず、あるがままに受け容れる、羨望の眼差しすらあるような気がします。産経のアレは悪意というか支配欲というか、子供に対する一方的な全否定ですからね・・・
>焚火派GALゲー戦線さん
そうですね、お偉いさんに従順に従う人ばかりの世の中よりも、中にはお偉いさんに対して自分の子の利益を主張する人がいた方が、まだ健全なのかもしれません。
>青の雑記長さん
コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ そう言っているのが学校の校長だとしたら、まさに責任転嫁、無責任の極みですよね。生徒の非はすべて自分の不徳の致すところ、そういう発想など思いもよらなかったのでしょう。産経のパロディから漂ってくるのは「俺は悪くない、悪いのはあいつら」そんな主張であり、宮沢賢治とは正反対ですね。
>flagburnerさん
自称全国紙がこんな電波を垂れ流すとは、まともな神経なら恥ずかしく感じると思うのですが、何とも不思議な新聞です・・・
こういう連中は教育や医療に関わるな。自分より下の立場の人間が欲しいならロボットでも買ってプログラミングしてしまえ。人間は自分の思い通りに動く代物ではないのに、そうだという勘違いするから、こういう文章が出来る。
ちなみにが伊武雅刀の「子供達を責めないで」今回の元ネタではないか、と。でも、こっちは雨ニモアテズより酷くない、遠いらは思いますが(妄想の暴走、と言う奴?)
「子供達を責めないで」
私は子供が嫌いです
子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で
前向きな姿勢と 無いものねだり 心変わりと 出来心で生きている
甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする
オジンだ 入れ歯だ カツラだと はっきり□に出して人をはやしたてる無神経さ
私ははっきりいっで絶壁です 絶壁です 絶壁です
努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない
人生の深みも 渋みも 何にも持っていない
そのくせ 下から見上げるようなあの態度
火事の時は足でまとい 離婚の時は悩みの種 いつも一家の問題児
そんなお荷物みたいな そんな宅急便みたいな そんな子供達が嫌いだ
私は思うのです この世の中から子供がひとりもいなくなってくれたらと
大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう
私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています
私は子供が嫌いだ ウン!
子供が世の中のために何かしてくれたことがあるでしょうか
いいえ 子供は常に私達おとなの足を引っぱるだけです
身勝手で 足が臭い
ハンバーグ エビフライ カニしゅまい
コーラ 赤いウインナー カレーライス スパゲティナポリタン
好きなものしか食べたがらない 嫌いな物にはフタをする
泣けばすむと思っている所がズルイ 何でも食う子供も嫌いだ
スクスクと背ばかり高くなり 定職もなくブラブラしやがって
逃げ足が速く いつも強いものにつく
あの世間体を気にする目がいやだ
あの計算高い物欲しそうな目がいやだ 目が不愉快だ
何が天真爛漫だ 何が無邪気だ 何が星目がちな つぶらな瞳だ
そんな子供のために 私達おとなは 何もする必要はありませんよ
第一私達おとながそうやったところで ひとりでもお礼を言う子供がいますか
これだけ子供がいながらひとりとして 感謝する子供なんていないでしょう
だったらいいじゃないですか それならそれで けっこうだ
ありがとう ネ 私達おとなだけで 刹那的に生きましょう ネ
子供はきらいだ 子供は大嫌いだ 離せ 俺は大人だぞ
誰が何といおうと私は子供が嫌いだ 私は本当に子供が嫌いだ〜〜〜
再度読んでみると、こっちの方が子供に対するツンデレ的な愛があるな。雨ニモアテズには悪意しか感じられない。
こんなくだらないヨタを社会的地位のある人が飛ばすというのも何をか言わんやですが、むしろ宮沢賢治が草葉の陰で泣くようなことをして悦に入っているのがギャグみたい、というかギャグそのもの。
ついでに産経新聞もう\(^o^)/オワタ