中学校では運動会・体育祭はない--。取材拠点にしている福島県郡山市でそう聞き、埼玉県出身の記者は驚いた。
その反応に「えっ! 全国ではあるのが普通なの?」と逆にびっくりされた。中学校に運動会がないのが当たり前と思っている福島県民は多いかも。中学校の運動会事情を調べてみた。
とりあえず、郡山市役所の職員に尋ねると、「小学校ではあったが、中学以降は記憶にない」という言葉ばかりが返ってきた。1968年から福島県の中学校教諭となった宮城県出身の木村孝雄教育長(63)も「教師になってからは、ないのが普通と思っていた。昨秋、県外から来た人に珍しいと言われ、自分の中学時代もあったと思い出した」。
郡山市の場合、28ある中学校のうち現在、運動会を行っているのは湖南中学校のみ。ここは5年前から小中一貫校になり、小中一緒の運動会開催になった経緯がある。
全国的な数字はどうなのか。文部科学省が全国の公立中学校の7割(7289校)を対象に実施した2008年度の「全国体力・運動能力・運動習慣等調査」によると、「体育大会」の実施率は94%。体育大会とは「学校の特別活動のなかの体育行事」(同省)と定義しており、いわゆる運動会・体育祭のことだ。
この調査に福島県からは94校が参加したが、このうち54校が非実施で、実施率は43%。福島県の非実施が全国の数字を下げていた。小学校は100%だったが、中学校になると、グンと低くなるのだ。
まぁ私も少しだけ驚きました。県によって色々と違いがあるものなんですね。ある人が「常識」と思っているものも、ところ変われば全く通用しない、そういうものなのでしょう。「社会人の常識」なんてのも同様、職場を転々としていると痛感させられることしきりです。ある会社では「当たり前」と言われていることが、別の会社では「非常識」と罵倒される、そういうものですから。
この理由について、福島大の中村民雄教授(人間発達文化学類)は、1947年の新制中学制への移行時の事情に注目する。「急な変更で中学数が増え、校庭の整備が進まなかったため、運動会を行事としてできず、その後も習慣がなくなったのでは」と推測する。
さて、日本全国どこでも行われているかに見える中学校の運動会/体育祭ですが、福島では事情が違うわけです。人間発達文化学の先生は新制中学制への移行過程でインフラが整わなかった云々と推測しています。しかし、その辺の事情は他県も同じですよね? 福島以外の県だって、新制中学への移行は同時期、急な整備の必要に迫られたのは変わらないはずですから。福島だけが例外的に、この運動会という因習から免れるようになった原因は、もうちょっと掘り下げる余地がありそうです。
ところで、運動会がないことで子供たちの体力に影響はないのか。
引用元の読売記者はこのように心配しています。長くなるので引用はこれだけ、冒頭のリンク先には続きが載っていますが、結論としては「影響なし」ということでした。そこでどうなんでしょう、この記者が感じた疑問、他県でも通用するものなのでしょうか?
たぶん、この読売記者は運動会を体力に関連するものと見なしています。運動会がなければ体力が落ちるのではないか、そう推測しているわけですから。この記者の出身地である埼玉県では、運動会とはそういう認識の対象なのでしょう。しかし私の通った小中学校では、運動会が体力向上に結びつく性質のものであるとは到底考えられないのですよね。だって、ひたすら整列とマスゲーム、応援合戦を繰り返すだけの代物でしたから。別に体力は必要ありません。体力を問われるような運動会の存在自体、むしろ私には驚きです。
この埼玉県出身の記者のように「運動会」=「体力を競う行事」という認識ですと、必然的に体力との関係が気になるのでしょう。逆に私は「運動会」=「整列とマスゲーム」という認識ですから、気になるものも変わってきます。
文部科学省の平成19年度調査によると、福島県は以下のような点で際立っています。
・不登校の生徒数が全国で5番目に少ない
・イジメの認知件数が全国で4番目に少ない
・暴力行為の発生件数が全国で最も少ない
(以上3つは、小中学生1000人あたりの人数/件数)
・高校生の中途退学率が、全国で最も低い
……なかなか福島の教育は優秀みたいですね。認知件数と実数は必ずしも一致しませんが一応の目安にはなるでしょうし、必ずしも経済的に豊かでないはずの東北圏でありながら高校に入ってからの中途退学が少ないのは、中学時代の教育の賜物でもあるでしょう。運動会をやらない福島県の公教育は体力や学力面では平凡ですが、成熟した人間性を養う上では満足できる成果を挙げているようです。
埼玉出身の記者が想定する「体力を競う行事」としての運動会と、私が経験してきた「整列とマスゲーム」の運動会、どっちが多数派なのかはわかりません。これも地域差があるのでしょう。ただ、運動会をやらなくても体力が目立って落ちるようなことはないけれど、運動会をやらない結果として生徒の問題行動が低く抑えられている、そう考えてみると「運動会」像が浮かび上がってくるような気がします。授業を片っ端から中止にして号令一下、個々の判断ではなく組織としての判断で整列とマスゲームを繰り返す、自分で決めた陣営ではなく割り当てられた陣営のために応援の声を張り上げる、こうした行為の繰り返しを「しない」ことが、福島の生徒を形作っているのかもしれません。
社会人になり関東方面に住んでいた所
中学で運動会をやっていると知人から知り
そういえば、自分の記憶には中学で運動会をやった記憶がないなと思いネットで調べてみると・・・
こちらの記事へたどり着きました。
そして、郡山が行っていないことを知りました。
まさか、中学の運動会が通常行事なんて思ってもいませんでした。
私の学校では陸上などには力を入れていた記憶があります。
とりあえず、驚きでした笑
運動会など、団体行動を通じて「規律」とやらを植え付ければ、できあがるのは産業兵卒ですよね。学校教育の「型にはめる」部分が最も色濃く出てくる行事ですから。
毎年マスゲームと集団行動の披露と体力比べをやってました(歌・旗付きで)。
そのせいなのか私も含めて生徒は指示待ち族の集まりと化し、朝礼でも友達とおしゃべりし放題、同調圧力からの対人トラブルあり、内申書をキレイに保つ為に漫画片手に辛うじて登校する事なかれ主義に育ちました。
所詮、ワーキングプアになっても文句を言わない産業兵卒を作る事しか考えていなかったようです。
型にはまっていればいいだけなので、そこに成熟した人間性は必要ないのでしょう。
日本の学校って本当に北●鮮みたいですよね。
いやな思い出です。
運動会は、教育を施す側にとっては、学校教育の成果、その発露の場という位置づけになっているのでしょう。でなければあのように誇らしげにやれるものではありません。
時に子供が主役と言うより、号令をかける教員ばかりが張り切っていたり、仰るように親たちも撮影に夢中だったり、色々といびつなところも多いですよね。運動会とは名ばかり、実は子供の「品評会」みたいなフシもあるのかも知れません。
運動会は、不必要だと思ってます。というか、見ていてひじょうに不愉快です。寸分違わぬ段取りとまさにマスゲーム的な統制された集団行動の見世物、という認識です。
じぶんが子供の頃の運動会はもっと緩やかなものでしたが、我が子の運動会をみて、面白くないどころか、ひじょうに不愉快になりました。
親たちも、じぶんについてる目で観戦してるわけじゃなく、ひたすらデジカメ、ビデオ機器の操作にうつつ抜かしています。とっても怖い光景にしか見えません。
日教組と運動会の関係はどうなんでしょうね。順位を付けない云々は都市伝説に近いようですし、むしろ教育熱心な日教組の先生の方が体罰容認の人が多いなど体育会系的なところも強いとも聞きますから。まぁ日教組を批判している人にとっては、気に入らないことは何でも日教組のせいであって事実関係などどうでも良いことなのでしょうけれど。
中学は地元の公立でした。
そのときは、徒競走でも、応援合戦でも何でも強制的でした。徒競走の類(100メートル走や二人三脚など)は遅いのでよくいじめられていました。
とにかく面倒くさいの一点でした。
高校は私立に通っていました。
退屈さや達成感などがない交ぜの3年間でした。
退屈になるのは自分が競技や体育祭の運営に関わっていないということにあると思っています。学年別に行う組体操以外は、ほぼお役ご免という感じでした。また、体育委員会に一度も入らなかったので、体育祭の運営に関わっていないことも退屈さの原因だと思います。
達成感は、体育会系の部活に所属しているから、ということで参加をしたマラソンで時間内に走り終えたことです。
もっとも、言い訳ばかりを繰り返して部活も辞めることになったので、高1のときだけしか出場しませんでしたが。
棒倒しも出ましたが、なぜか裸足でやらされましたので疲れるだけでした。
回想ばかりでは失礼ですので、本題から思うことをいくつか。
この記事を読んで「日教組の陰謀だ」という人々がいそうです。
徒競走などで順位をつけない、組体操とか棒倒しをしないということ(実際に見た方がいればご教授のほどお願いします)も日教組のせいになっているようです。
そういう行為の追認は教育委員会とか文科省(旧文部省も含めます)だと思うのですが。
おぉ、福島県人でいらっしゃいましたか! まぁ3つもスポーツ系の大会があれば十分……と普通であれば思うところなのでしょうけれど、ガチガチの体育会系人間なら冬にマラソン大会を回してアキは運動会を、とか考えるのかも知れません。必要不要という以前に、それ系の行事を増やしたい、という思惑があるでしょうから。
>northeastさん
実施率43%と言うことですから、「やらない県」と言いつつもほぼ半分は他の県と一緒と言うことですよね。本文では「福島」と一括りになっていますが、運動会ナシの学校が郡山周辺など特定の地域に固まっているとしたら、その辺に謎を解く鍵がありそうです。
>特命希望さん
上のnortheastさんにコメントからの推測なんですが、もしかしたら地域差があるのでは、という気がします。会津周辺が体育会系ノリで、逆に会津に対抗心を燃やしている地域が反対の立場だったりとか。
>GXさん
確かにこの記事を見て、余計な考えを起こす人はいるかも知れませんね。国旗、国家と並んで運動会まで強要の対象になったり。これがまた、美辞麗句で色々と「生徒のため」と表面を取り繕いつつ、その実態は支配に服従する子供を育てるために使われるのでしょう。
あと、本記事とは関係ないですが、北朝鮮のマスゲームは非難する一方で、日本のマスゲームは教育にいいと絶賛されるんですよね…。それほど北朝鮮がお嫌いなら、日本はそうならないようにしてほしいんですがね。これこそ「北朝鮮の脅威」ではないでしょうか。
郡山市は県の人口最大都市で経済の中心なのに対し、福島市は県庁所在地で政治の中心です。そんなわけで、両市には対照的なところがあって、運動会のない中学というのは郡山市周辺の習慣なのではないでしょうか。
また当時の投稿者は、校則や教育方針にも不満が爆発してました。中学校は校則で男子は坊主頭強制。人生の中でも最大級の屈辱感を味わされました。休日のプライベートの外出時でも制服着用が義務。さらに部活は全生徒強制。定期テストの結果は全員を成績順に科目別の点数まで付けて公表(さすがに名前まで公表されるのは上位3分の1位までですが)。実は、福島県は高校の序列が明確で、一部の進学校に入るため「中学浪人」が珍しくありません。中には二浪三浪なんて人もいました。
という訳で、私の個人的な福島県教育体験は、超保守的な教育方針と受験優先の学習指導という最悪のものでした。
中2の途中から横浜へ転校し、その開放感たるや言葉に表せないものがありました(尤もその頃、横浜市の一部の中学では校内暴力が大きな問題となっていましたが)。
この手の個人的体験の普遍化は非常に危険なので、こういう面もあったと認識していただければと思います(実はイジメでも壮絶残酷なものを見ましたけど、これこそ普遍化できない問題なのでやめておきます)。
まあ、この反動で、長髪にTシャツジーンズで高校に通い、授業をサボって三一新書や新左翼の機関誌を読み耽っている(高校の図書室には新左翼諸派の機関誌が揃っていた)プチブル急進主義者が出来上がったとも考えられます。
私の出た中学は『陸上記録会(春)』『水泳大会(夏)』『マラソン大会(秋)』がありました。
県内広しといえど似たりよったりではないかと。
つまり細分化してるのでわざわざ運動会をやる必然がないと。
ちなみに読売系列で『福島民友』という地方紙がありますが、
そんな記事にお目にかかったことはありません。
また読売支局は民友新聞本社ビルに同居して、先月から記事を互いに融通するようになったので、
その辺の絡みもあるのかなーと。
読売ついでに。同社主催の箱根駅伝で今年爆走した柏原君は福島人です。