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Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

AMEDEO MODIGLIANI.

2008-04-03 08:20:13 | アート・文化
Amedeo


□ モディリアーニ展 -Modigliani et le Primitivisme

>> http://modi2008.jp/

国立新美術館
2008. 3/26~6/9

構成

I. プリミティヴィスムの発見:
パリ到着、ポール・アレクサンドルとの出会い
II. 実験的段階への移行:
カリアティッドの人物像ー前衛画家への道
III. 過渡期の時代:
カリアティッドからの変遷ー不特定の人物像から実際の人物の肖像画へ
IV. 仮面からトーテム風の肖像画へ:
プリミティヴな人物像と古典的肖像画との統合



先日の上京の折、国立新美術館で行われているモディリアーニ展に行って来ました。紋切り型の解説は省きますので、公式サイトをご覧下さい。

アフリカ/エジプトの原始美術(プリミティヴィスム)、シエナ派といったイタリアの古典美術に強く感化された彫刻、絵画を遺したモディリアーニ。今回展示された大量の素描には、彼が引くラインの生成プロセスや機微が読み取れるようで興味深いものがありました。絵画においても、まるでキャンバスの平面に観念を彫り出すかのような硬質かつ、しなやかなラインの源泉が息衝いています。


後期の婦人画の横顔の造形が、中期に描いたカリアティッド(ギリシア彫刻にある女人)の構図をトレースしたものだったりと、様々な新しい知見が得られて刺激的でした。最初期に描かれた『悲しむ裸婦』をはじめ、印象派の影響を受けたシュールで紙一重の狂気(その言葉さえ、あまりにも平易で表現しきれないもの)は、後期の人物画へ移るに連れて徐々に見えざる形へと内包されていったように思えます。

描写だけを捉えれば、「不安定な異形の肖像」にしか見えない無機的な表情を覗かせる人物画ですが、そのラインは実はルネサンス期から巧緻を尽くして受け継がれて来た、確固たる美意識の集約でした。アーモンド様に崩れた瞳のない眼も、絵画として顕現される情報としての「人の感情」を排除し、あえて造形のみを切り出すことで、逆に「人の存在」が映し出す本質に迫ろうとしたのだといいます。


原始美術が美術たる由縁。人が「観念」を表現手段として切り出すことを始めた太古の時、彼らの持つ最も原初的で純粋な主眼から抽出された「美」の本質と真性は、いつの時代においても、彼らと同じ「人」の本能や記憶に呼応するファンダメンタルを兼ね備えているのかもしれません。当時ヨーロッパにおいて既に流行していたプリミティヴィスムを「先端芸術」としての絵画に吹き込んだモディリアーニが、その「気付き」を人々に促したのは間違いありません。



50年ぶりに公開されたというカリアティードの一枚(女人柱:愛知県美術館所蔵のものと同主題による)に魅了されて30分以上も眺めてましたが、それよりも末期における「身近な人たち」の肖像画の方が、表現手法がちぐはぐしているようで、しかし何か言い知れぬものに心が打ちのめされたような負荷を感じました。

出口ではモディリアーニ展に因んだ関連商品のショップが。アフリカ繋がりなのでしょうが、様々な部族の装飾品も販売されていました。ベレー帽らしきものを被った黒人店員の「イラシャイマセ~」に誘われて、正体不明(?)の動物を象った異形の置物を買ってしまいました。。意外とお気に入り。後日、宿泊日記に写真掲載します(笑)


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