-"Crystallization of the contexts" about a new kind of Accessibility.
web2.0(次世代ウェブ)として現在最も汎用されはじめているWeblog。私的利用から公用、ビジネスに至るまで、その使途と応用範囲を広げ続けている。ここまで人々に訴求する文化的特性については紋切り型の説明を避けたい。ここではそのうちの一つ、「誰もが同じことを書く」ことについて焦点をあてる。 ブログの基本的な生成過程はこうだ。 A「単数あるいは複数の事象・経験に基づいて、個人の定点観測からテクストとしておこす。」 B「そのテクストはアクセス可能である限り、外部環境に情報子として働きかける。」 こうして一般大衆が情報の発信源として自己組織化することで、集中型メディアとの関係性の崩壊が予測されているが、現実にはまだまだそうした未来までの見通しは疑わしい。多くの場合、テクストが扱うトピックのソースを共有していることがその根拠だ。トラックバックによって結びつくブログ間に働く差異は「意見の相違」レベルが大半。しかも“有用で権威ある”情報は主に専門家や限られたコミュニティによって齎されており、多くの大衆の思考も、そうした社会的なフィードバックに迎合して口並を揃えることが一般的である。 「誰もが同じことを言う」とはそのことであり、「サイレント・マジョリティ」の実体化とも言えよう。現実に人間の思考は帰属する文化環境から分解して読み解くことが可能だ。他人の日記においても同じ。生活経験の共有において、人々にとって最も関心があるのは共感できるかどうかである。
こうした振舞いから考え得る可能性として、某企業のCEOは「コンテクストの強化」として、マーケティングにおいては、方々からの多面的アプローチが齎す説得力の裏付けがあると肯定的に捉えていたが、私はあえてこれを「コンテクストの結晶化」としたい。それはある事柄を取り巻く反響が、その響きによって壁で囲いこんでしまう、つまり逆に未発達の接続可能性を排斥してしまう静止化モデルを形成するという諸刃の剣だ。こうしたことから、分散型メディアの自律性に依存する未来は、細分化の裏で提供される情報の画一化を伴う危険がある。 現在の集中型メディアへのアプローチは、個々がソースを明示する限りにおいて、容易に問題となってる事柄、セントラル・ドグマへの可塑性を持っている点で、まだラジカルな側面を保持している。ユーザは波の欠片からその源流を知ることが出来るだけでなく、テクストを形成する様々な語彙に関して、独自のアプローチを巡らすことが可能だ。つまり「ググれ」であるが、アクセシビリティの観点からは、そういった専門用語類に関しては文脈を断つことなく、即座に理解を促すシステムを導入することが理想とされる。次世代のアクセシビリティに必要とされるのは、事柄への一義的な説明を加えるだけでなく、そこに新たなテクストの発展性を求めることができる多義的な側面だ。テクストはテクストによって補完され、絶えることの無い自己生成を繰り返す。理想論だが、そこから先はアフォーダンスの新領域に踏み込むことになるのかもしれない。
ウェブログに限って情報社会を予見することは視野狭窄も甚だしいとは思うが、こうしたモデルに反映される情報子の特性や振舞いを読み解くことで、更に後世代のメディアへの橋渡しと出来るか否かが問題だ。
※私自身、こうしたテクストを書く上で核となる構想は瞬間的に浮かぶものの、最も手こずるのはどうやって説得力を持たせるかであって、その為のテクストを機械的に吐き出し、その中での配置によってセントラル・ドグマに形を与えることに時間とエネルギーを費やしている。 (これもある意味結晶化かも?) そうした過程の中に新たな分岐を見出すことも少なくはないし、そうでなくてはならないだろう。
□ Other Topics.
・英Centricaがガス価格を凍結。
Ananova
・カーディフ大学の研究チームが星のない領域を発見。
BBC News
無線波でのみ『見る』ことが出来る空間。大量のダークマター?宇宙の質量問題を解く重要な鍵になりそう。
□ 独り言…英文での投稿を試験的に見当ちう。。
web2.0(次世代ウェブ)として現在最も汎用されはじめているWeblog。私的利用から公用、ビジネスに至るまで、その使途と応用範囲を広げ続けている。ここまで人々に訴求する文化的特性については紋切り型の説明を避けたい。ここではそのうちの一つ、「誰もが同じことを書く」ことについて焦点をあてる。 ブログの基本的な生成過程はこうだ。 A「単数あるいは複数の事象・経験に基づいて、個人の定点観測からテクストとしておこす。」 B「そのテクストはアクセス可能である限り、外部環境に情報子として働きかける。」 こうして一般大衆が情報の発信源として自己組織化することで、集中型メディアとの関係性の崩壊が予測されているが、現実にはまだまだそうした未来までの見通しは疑わしい。多くの場合、テクストが扱うトピックのソースを共有していることがその根拠だ。トラックバックによって結びつくブログ間に働く差異は「意見の相違」レベルが大半。しかも“有用で権威ある”情報は主に専門家や限られたコミュニティによって齎されており、多くの大衆の思考も、そうした社会的なフィードバックに迎合して口並を揃えることが一般的である。 「誰もが同じことを言う」とはそのことであり、「サイレント・マジョリティ」の実体化とも言えよう。現実に人間の思考は帰属する文化環境から分解して読み解くことが可能だ。他人の日記においても同じ。生活経験の共有において、人々にとって最も関心があるのは共感できるかどうかである。
こうした振舞いから考え得る可能性として、某企業のCEOは「コンテクストの強化」として、マーケティングにおいては、方々からの多面的アプローチが齎す説得力の裏付けがあると肯定的に捉えていたが、私はあえてこれを「コンテクストの結晶化」としたい。それはある事柄を取り巻く反響が、その響きによって壁で囲いこんでしまう、つまり逆に未発達の接続可能性を排斥してしまう静止化モデルを形成するという諸刃の剣だ。こうしたことから、分散型メディアの自律性に依存する未来は、細分化の裏で提供される情報の画一化を伴う危険がある。 現在の集中型メディアへのアプローチは、個々がソースを明示する限りにおいて、容易に問題となってる事柄、セントラル・ドグマへの可塑性を持っている点で、まだラジカルな側面を保持している。ユーザは波の欠片からその源流を知ることが出来るだけでなく、テクストを形成する様々な語彙に関して、独自のアプローチを巡らすことが可能だ。つまり「ググれ」であるが、アクセシビリティの観点からは、そういった専門用語類に関しては文脈を断つことなく、即座に理解を促すシステムを導入することが理想とされる。次世代のアクセシビリティに必要とされるのは、事柄への一義的な説明を加えるだけでなく、そこに新たなテクストの発展性を求めることができる多義的な側面だ。テクストはテクストによって補完され、絶えることの無い自己生成を繰り返す。理想論だが、そこから先はアフォーダンスの新領域に踏み込むことになるのかもしれない。
ウェブログに限って情報社会を予見することは視野狭窄も甚だしいとは思うが、こうしたモデルに反映される情報子の特性や振舞いを読み解くことで、更に後世代のメディアへの橋渡しと出来るか否かが問題だ。
※私自身、こうしたテクストを書く上で核となる構想は瞬間的に浮かぶものの、最も手こずるのはどうやって説得力を持たせるかであって、その為のテクストを機械的に吐き出し、その中での配置によってセントラル・ドグマに形を与えることに時間とエネルギーを費やしている。 (これもある意味結晶化かも?) そうした過程の中に新たな分岐を見出すことも少なくはないし、そうでなくてはならないだろう。
□ Other Topics.
・英Centricaがガス価格を凍結。
Ananova
・カーディフ大学の研究チームが星のない領域を発見。
BBC News
無線波でのみ『見る』ことが出来る空間。大量のダークマター?宇宙の質量問題を解く重要な鍵になりそう。
□ 独り言…英文での投稿を試験的に見当ちう。。
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