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Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

Dead Can Dance / "Anastasis"

2012-08-24 21:43:39 | music12
Anastasis



□ Dead Can Dance / "Anastasis"

♪ <script type="text/javascript" src="http://mediaplayer.yahoo.com/js"></script>Anabasis
Agape
Opium

Release Date; 13/08/2012
Label; PIAS
Cat.No.; PIASR311CDX
Format: 1xCD

>> http://www.deadcandance.com


>> tracklisting.

01. Children Of The Sun
02. Anabasis
03. Agape
04. Amnesia
05. Kiko
06. Opium
07. Return Of The She-King
08. All In Good Time




ニューエイジ黎明期の80-90年代にかけ、オルタナティブ・ロックにWorld/Fusionの新風を吹き込み、『4AD』レーベルを代表するアーティストとして一時代を築き上げた、Lisa GerrardとBrendan Perryからなるデュオ、Dead Can Danceの16年ぶりとなるアルバム。



"Anastasis"...『再起・復活』

2005年の再結成ツアー以来、4ADと決別してからは初のスタジオ・アルバムとなる"Anastasis"は、過去30年間の彼・彼女の築き上げて来た世界と、その音楽要素のオリジネイターとしての仕事に再びコミットする、途方もない創作でもあった。


Lisa Gerrardは既にハリウッド・スコアなどをはじめ、映像分野におけるパフォーマンスにおいて地球の隅々まで名が知れ渡っている。元を辿れば、彼女をそちら側へ引き込んだHans Zimmerなどの動機も、もともとはニューエイジ音楽シーンでのカリスマや求心力が働いていたからに違いない。


アイルランドにおいて創作活動に打ち込んでいたBrendan Perryもまた、寡作ではあるが、フィルム・ミュージックの制作やコラボレーターとして、自身の音楽性に研鑽を重ねていた。




このDead Can Danceとしての『リブート』に、マネー的な動機は絡んでいないという。純然たる創作への興味からニューアルバムを立ち上げたとのこと。


『死者を踊らせる』を意味するグループ名にあるとおり、Dead Can Danceは、民族音楽や忘れ去られていく楽器、そこに込められた謡人の魂、といったものに再び命を吹き込むというモチベーションを象徴したもの。

それは世界中の様々な土着音楽の要素に触れ、そのどれにも似ていて、そのどれでもない。

詩は『異言』と呼ばれる半造語的なスキャットによって歌われるが、意味を為さない故に、言語の向こうにある魂の琴線を震わせる。共鳴させる。それは現世に身を窶す死者のごとき想念であり、消え去りたくないとしがみつく魂からの希求である。



16年前の作品"Spiritchaser"を最後に、自らが『過ぎし者』になったDead Can Danceが、再び己に息吹を宿す頃には、この時代は些か喧噪に溢れ過ぎていたようだ。

インターネットやマーケットの拡大により、世界各地への民族芸能への理解、アクセスの容易性は、DCDの活動期とは比ぶべくもなく、地球上のあらゆる音楽が、「忘れ去られる」どころか、眠ることも許されずに「アーカイブ」されていく。


その中にあってDead Can Danceが蘇生させたかったものとは何なのか。ニューエイジ音楽家たちが夢見た『異界幻想』。自らの原始的なルーツへの憧憬。それらはもしかしたら存在しなかったのかもしれない。彼らの多くは「フェイク・エスノ」とも言うべき、土着音楽らしい要素という要素を散りばめて、己の内面世界を表現してきた。



"Anastasis"は言うなれば、この30年来、誰もが見知っていて、しかし踏み入れることをしなかった「何処かに佇む街」の遠視にも似た作品だ。それはお伽噺に登場するキャラバンが奏で、ジプシーが夢に見た訪れぬ国の祭祀である。


楽曲の多くは、中東音楽~アラビック・ケルト等の土着的なリズムや伝統楽器を取り入れながら、気宇壮大なシンセサイザーによって、まるで明晰夢のごときファンタジーを練り上げる。Brendan Perryのメロディメーカーとしてのセンスが、30年前から一本の芯を貫き通していることが窺える。



彼らはずっと見据えていたのだ。豊穣の時代であるが故に失われて行く、あの蜃気楼の彼方に揺らぐ街の光景を。Dead Can Danceが息を吹き返したかったもの、それは触れないままでこそ美しい、『麗しき妄想』だったのかもしれない。