□ Jan Švankmajer / "Alice"
>> http://www.imdb.com/title/tt0095715/
Release Date; 24/08/2011
Label; Columbia
Cat.No.: COXM-1030
Format: 1xBD
Note: HD Remaster / Czech / Japanese sub
Exclusive Materials: Original Storyboard.
Něco z Alenky (1988)
Starring: Kristýna Kohoutová
Written by Lewis Carroll
Director: Jan Švankmajer
Producer: Peter-Christian Fueter / Jaromír Kallista
Screenplay: Jan Švankmajer
Art Direction: Eva Svankmajerová
Animator: Bedrich Glaser
Sound: Ivo Spalj
86min / 4:3 / 1920x1080 / 23.98p Full HD / Mono (Linear PCM: 48KHz: 24bit) / Condor Features. Zurich/Switzerland.
Alice is a 1988 Czechoslovak film directed by Jan Švankmajer. Its original Czech title is Něco z Alenky, which means "Something from Alice". It is a free adaptation of Lewis Carroll's first Alice book, Alice's Adventures in Wonderland, about a girl who follows a white rabbit into a bizarre fantasy land. Alice is played by Kristýna Kohoutová. The film combines live action with stop motion animation, and is distinguished by its dark and uncompromising production design.
Amazon 作品紹介より抜粋
「アリス」Neco z Alenky
シュヴァンクマイエルが3年の歳月をかけて作り上げた初の長編作品。88年のベルリン映画祭後、89年には日本でも公開された。実写と人形アニメを組み合わせルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」を源泉に、シュヴァンクマイエルのいかがわしくも悪趣味な妄想が噴出する。
オリジナル新作、"Surviving Life"が公開されたばかりの、チェコのオブジェクト・アニメーションの巨匠、ヤン・シュヴァンクマイエル。彼の初の処女長編作である『アリス』のHDリマスター/チェコ語完全版が、遂に日本でもリリースされた。
当ブログでは、シュヴァンクマイエルの一連の作品について、過去に多くのログを費やし書き連ねて来た経緯があり、今回のリリースに際して紋切り型の批評や感想を述べるつもりはなく、非常に偏った内容となることを前置きしたい。
とりあえずは画質。『チェコに現存していたフィルムをHDでテレシネ化し、傷や汚れを修復。音声はオリジナルのチェコ語版をしゅうろくした』とあり、壁の染みやティーカップの茶渋にいたるまで、シュヴァンクマイエル独特の退廃感と、時代をかいくぐり少し寂れたチェコの空気感というものが、その埃に噎せ返るほどの臨場感で画面上に再現されている。
シュヴァンクマイエルは、人間誰しもが通過する幼年期に体験した身体・発話感覚や生理的欲求、さらには『夢』や『妄想』といった行為も含んだ記憶のアーカイブを、成長とともに「行き過ぎた」ものではなく、大人になって尚アクセスが可能な地層として位置づけ、『アリス』という普遍的な物語に、社会性を築く人間存在の根本的な行動原理と快楽原則のルーツである幼年時代にトレースすることで、その重要な価値に「慎ましやかに」気付きを促している。
日常とは何者かの主観において常に迷宮であり、複雑性のダイナミクスの中に粗視化された宇宙を、局在的なフレームで切り取った、自己完結の反復と、相転移への漸近の絶えざる繰り返しである。
子供は自身の認知する世界に不思議を抱きながらも、その仕組みについて「知っている要素」だけで構築せざるを得ない。だけどそれは、認知の対象となる事象が複雑化しただけの大人も同様なのだ。
『アリス』の冒頭のシークエンスでは、劇中に登場するオブジェクトやキャラクターの要素が、彼女の生活圏に既に「配置済み」であることを、その全体像にあからさまに描写し、彼女の宇宙における『ヘッダ』部分を暗に提示する。
これは『FAUST』などの他のシュヴァンクマイエル作品についても、空想世界における事象や舞台装置の、日常道具への置換や陳腐化といった手法に現れている。
開示されない扉、腐敗物や壊れた玩具、這い回る虫たち。こうした生への煩わしさの象徴は、人間にとって価値を生じるものがエントロピー増大に遡行する現象であることを示唆し、アリスは『物語』という結晶化した平衡世界に逃避する。そして我々には、彼女がアリス自身であるのかどうかさえ、知る術が与えられていないのだ。
『誰の首をはねる?』
シュヴァンクマイエルのフィルミングとストーリーテリング双方に通底する概念、対象となるテーマに『不正操作』というものがある。それは事象の一瞬一瞬を紡ぎだすアニメ技法であり、操り人形を縛り付けるアルゴリズムであり、システマティックに突き動かされる人間と社会の動的平衡と、そこに働く不条理な力学である。
日常を構成する時間連結や物象のスケール、その関係性とロジックの歪みに介入する無邪気なノイズ、あるいは悪意といったものに、記号の恣意性が符号して物語を紡ぎだす瞬間。幼年期の世界観におけるパースペクティブの二重性には、「大と小」、「実体と擬態」という認知科学的原理原則の他に、「自身と他者」、「生と死」、「罪と裁き」といった社会性の礎となる対比構造が刻まれていく。
故に成長は純然たる観測結果を齎さない。自身と外界の変化と揺らぎにおいて、客観は常にアップデートされ、個が知りうる情報の対称性は、恒常的に欠損を生じる。人は情報そのものを統合していく存在たりえない。情報を希求することで訪れる状態変化への欲求が、そのニ腕を憧れへと伸ばし、両の足を混沌の汚泥に立脚させているのだ。
アリスが戯れる、あるいは妄想において『犯されている』、死と腐敗臭の漂う異形の『行き過ぎた者たち』との交錯は、彼らの出自とは無関係に、彼女の深層心理と属する世界を記述し、説明しうる材料として不十分な根拠を提供する。彼女の振る舞いを見る我々もまた、彼女を取り巻く宇宙の迷宮性に取り込まれ、或はスクリーンの背後にある鏡が自らを投影していることに思い至るかもしれない。
そこは完全にアンコントローラブルな世界ではない。アリスが妄想の中で気まぐれに事象を書き換える迷宮は、脚本に沿って決定論的に進行するフィルムとの重ね合わせであり、その未知の変数たる予定調和の襞に蠢く不条理なカオスが、覗き込むごとに観測者を惑わし、また自らのテクストに干渉を強いることによって、相互に知られざる物への『変身(量子的デコヒーレンス)』を迫るのだ。
・注記
こういった私自身の極端な偏見に基づいた分析や感想は、もっぱら同時期に読んでいた自然科学分野の巨書『ゲーデル、エッシャー、バッハ - あるいは不思議の環(Gödel, Escher, Bach: an Eternal Golden Braid)』の影響に拠るところが大きいかもしれない。
同書でも『不思議の国のアリス』の登場人物が、白ウサギの手引きで『自己言及』という科学的・哲学的テーマについて認識を深めていくという内容で、裏を返せば、ルイス・キャロルの原作が文学・芸術のみならず、社会・科学思想において如何に大きな存在感を放っていて、シュルレアリストとしてのシュヴァンクマイエルの表現技法との共時性を持つかということの現れなのであろう。