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Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

rubbish talk_4. (意思決定の因果律)

2010-05-30 17:13:19 | Science
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大脳生理学上では、理性や情動を制御する前頭前野の働きによって、論理的・社会的な人間の「振る舞い」が決定されているらしいことが明らかにされて来ている。

事象や言語といった外部刺激に応じて、前頭葉の一部が脳内の信号を処理することで受動的に感情を生じ、次いで能動的な反応を身体行動で顕現する。


しかし問題となるのは、一般に周知されているこのモデルでは、自身に一定の反応を引き起こす「処理の仕方」が如何様に決定されているか、ということに関しては、その因果関係の理解にまでは及ばないというところにある。このままではエッシャーの『書く手』のような騙し絵のイメージでしかない。


人が何を歓び、怒り、哀しみ、楽しく感じるのか、その原理や指向性は一体何処から生じるのか。もっと単純な生命の場合との相似性は保たれているのか、など疑問は尽きない。とりわけ社会科学における脳機能概念の引用については、人間の抱く情動と振る舞いの因果性を語る上で、目も覆いたくなる程の「自明の公理」が安易に散りばめられている。



一つ言えるのは、人間の脳自身が、外部刺激の一次処理段階において、「それぞれの感情」を区別して処理しているわけではないだろうということだ。では、人間や生命を任意の適応度地形において相互作用する「群(Cluster)」として見なした場合の「感情」の立ち位置とは何かというと、それは個体の挙動を決定する要素をn次元媒介として収納した「チップ」のようなものだと置き換えることが出来る。(意識の本質は『時差』にある。)


この「チップ」は、進化の過程における群内構造中の個体行動の位置づけが力学的にプログラムされたものだ。それらは「過去に規定された (a priori)」ものでありながら、同時に「後験的 (a posteriori)」にフィードバックを繰り返して、このプログラムを書き換え続けている。一様な刺激に対する感情の「個体差」はそうして生まれる。


チップ内の信号は、群内における他の個体や外部環境刺激との相互作用で絶えずカリキュレーションを行っている。この計算処理工程が働くダイナミクスは、もっと単純な物理原理によるもの。即ち電位差によって生じるエネルギー交換だが、この現象を「情報差異」という概念にトランスすると、「情報」が電気信号の「相」の観察によって規定されるものであることが良くわかる。



「自己の境界」とは、(身体的な意味も含めて)その発生段階から外部環境から抽出されているものであり、その振る舞いもまた、決定論的な化学反応によって連鎖的に引き起こされているのであって、意思決定には、そもそも分岐や選択肢の存在が用意されているわけではない。


しかし、「現在」に立ちながら自己の振る舞いを時間推移に沿ってスライスしてみた場合、それは過去に向かってはケース毎の「処理結果」であり、未来に向かっては「拮抗する力学」となる。

人間として生を享受するにあたり、自らの感情と向き合うことに一定の負荷があるということは、少なくとも自身の脳がそのように仕向けているという限りにおいて、他者との対話と同等か、それ以上の価値があるのかもしれない。




□ 補論

□ ネット代議制の何が問題か?

「gov 2.0」などとして数カ国で動きを見せている、ネット投票による政治意志決定の可能性。現状のシステムでは、それを使役する層の「偏在性」と、現実として得うる政党議席数とのアンバランスにより、構造論から言っても『直接民主主義』の実現性は未だ遠いところにあると言わざるを得ない。(システムの公平性、不正操作のマイニング・セキュリティといった、技術・運用面での問題をクリアしていると前提しても)


そもそも大衆の意志を総括するシステムの評価・設計や、政策の立案自体に人為的な恣意が介入することがバランスを欠いている。議員を「社会活動を行う人間の一員が務めること」には、それなりの必然性が反映されて働いているし、現状実施されているgov 2.0の方法論では「マイノリティ」の意見が力学的に圧殺されてしまう懸念もある。


また、政治のメカニズム自体が人為上の概念的創造物であるのに対して、その内部に「大衆」の意思反映機関を繰り込んでしまうことに大きな矛盾を孕んでいる。今のところ数議席にそういう政党があってもいいとは思うが、どうせやるなら全議席(もしくは政党)が、それぞれの目的を抱える意思代替システムであるか、ネットを介した集合知そのものが全体に影響を波及するシステムを構築しないと、この理念の行く末はない。


いつしか、ネットやロボットによる「意思決定」が実用に足るレベルに達した時、過ちを行いがちな人間の政治に対して大きな抑止力として働くような権限を持つシステムを導入する時代は来るかもしれない。だが、政策の実行や、権利の執行機関となると、純然たる理念に基づいた機械論的政治システムでは、恐らく直接民主主義の掲げる「民主制」は、その人間性やモラリティを力学的に埋没させてしまうだろう。