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Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

lens,align.Mix-"Slide Lone Man Footage" - Michael Cretu Essential.

2008-10-22 07:43:57 | Enigma
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□ lens, align. Mix - Michael Cretu Essential.

Slide Lone Man Footage - part 1 (28mb)
Slide Lone Man Footage - part 2 (27mb)


>> tracklisting.

Part - 1.

1. "Samurai" / Michael Cretu (1985)
2. "I Need Love" / Sandra (1992)
3. "Dancing Into Danger" / Inker & Hamilton (1987)
4. "The Captain of Her Heart (Micahel Cretu Edit)" / Kurt Maloo (1996)
5. "Seven Tears" / Goombay Dance Band (1980)
6. "The Time Has Come" / Mike Oldfield (1987)
7. "Wild River" / Michael Cretu (1978)
8. "In The Summer Sun Of Greece" / A La Carte (1982)
9. "Snowin' Under My Skin" / Cretu And Thiers (1988)



Part - 2.

1. "Nightflight To Venus" / Boney M (1978)
2. "Dance With The Devil" / Trance Atlantic Air Waves (1997)
3. "Cold Days,Hot Nights (Steve Murano Edit)" / Arnold Palmer vs Moti Special (1985/2006)
4. "Angel 07" / Hubert Kah (1984)
5. "Data-Alpfa-4" / Michael Cretu (1983)
6. "Schiffe Versenken" / Cornelius and Cretu (1992)
7. "Simple Obsession" / Andru Donalds (1999)




Michael Cretuのソロやプロデュース曲の中から私的厳選したコンピレーションを作りました。Enigmaの"Seven Lives Many Faces"に息衝くレトロスペクティブを読み解く一つの手掛かりになれば・・・と思います。


駆け足になりますが、紹介していきましょう。


[Part -1]

"Samurai"はCretuソロ名義では最大のヒットとなった「サムラァイ!」な一曲。オーストラリアのダンス・ポップデュオ、Inker & Hamiltonに書き下ろした"Dancing into Danger"も同グループで一番売れた曲です。スイスのKurt Maloo(元Double)の4曲目は、1996年にCafeSwizzよりリリースされたCretuのレア・リミックス。今年2008年にリイシュー盤が発売されています。


track5は、ジャマイカ出身のダンス・グループ、Goombay Dance Bandへの提供曲。同アルバムに収録された"Sun of Jamaica"がスマッシュ・ヒットを記録。1998年には、Cretuが再び"Marrakesh"という曲をプロデュースしています。



Mike Oldfieldのアルバム"Islands"に収録された"The Time Has Come"は、Cretuが作曲を担当。長編曲"The Wind Chimes"に対応する、ベル音の鳴り響く壮大な展開が流石。続く"Wild River"は、記念すべきMichael Cretuのソロ名義でのファースト・シングル。この時既にEnigmaにも通じる厭世的な寂寥感が現れていますね。1990年にRichard Sandersonによってカヴァーされ、ヒットしています。

1982年に人気を博したガールポップ・グループ、A La Carteに提供した"In The Summer Sun Of Greece"は、ヨーロッパ中のヒットチャートを席巻、初期の間にクレトゥの手腕と評価を決定づけた曲の一つと言えるでしょう。



そして9曲目、"Snowin' Under My Skin"は、Cretuが在籍していたMoti SpecialのManfred "Thissy" Thiersとの2回目の共作アルバム、"Belle Epoque"のラスト・トラック。アルバム全体がニヒルな侘び寂びが効いた刺々しいサウンドで、今後のCretuの趣向に大きな影響を齎していると思われます。1999年、Andru Donaldsの歌声でクレトゥがセルフカヴァー。



[Part - 2]

敏腕ユーロダンス・プロデューサー、Frank Farianがプロデュースしていた黒人ダンスユニット、Boney Mの作曲に参加を始めたのが、この"Nightflight to Venus"から。共同制作者のMats BjorklundはAlabesqueにも関わっており、後にアラベスクのツアー演奏者として同行したMichaelとSandraとの出会いのきっかけともなっています。


Boney Mはまた、"Rivers of Babyron"や"Still I'm Sad"(The Yardbirdsの1965年の曲、Frank PetersonがGregorianでカヴァーしている)といった曲において、当時からダンストラックに宗教的なコーラスを取り入れていたグループでもあり、CretuがそこでEnigmaの方法論と閃きを得ていたとしても不思議では無いでしょう。

Frank Farianとは後に、Boney Mに起用されたPrecious WilsonをフィーチャーしたEruptionというユニットを共同プロデュースしています。



Cozy Powell (writer Hayes Dennys)のヒットソング、" Dance With The Devil"をカヴァーした「TAAW」は、Michael CretuとJens Gadのデュオ。アルバム"The Energy of Sound"では、Giorgio MoroderやHarold Faltermeyer、Jan Hammer、Vangelisなどのカヴァーで構成され、ユーロ・ディスコ、シンセミュージックへのクレトゥ自身のリスペクトを表しています。

"Axel F."のテーマは、実はあのHans ZimmerがHaroldに提供したものだというエピソードは余りにも有名ですね。



German New Wave Band、Motispecialのシンセ奏者としてCretuが在籍していた1981-1985年の4年間、今イチパッとしなかった彼らをヨーロッパ中でブレイクさせたのが、この"Cold Days, Hot Nights"。ドイツのチャートで#3という最高位まで食らいつきましたが、クレトゥは間もなくしてソロとプロデュース業に専念するために脱退。

一方、"Cold Days,Hot Nights"はユーロディスコ・シーンに一時代を築いたダンス・クラシックとして、現在も様々なリミックスが施され、夜の目も寝ないクラブシーンの至る場面で聴かれる名曲となりました。



ProducerとしてのMichael Cretuの手腕を世間に圧倒的に知らしめたマイルストーンとして、Hubert Kahの"Angel 07"は何よりも外せない曲。Hubert KahはHubert Kemmler、Markus Löhr、Klaus Hirschburgerのトリオによるポップ・ダンスユニット。


予てよりの人脈で彼らを手がけていたCretuですが、当初"Engel 07"としてドイツ語でリリースされた当曲は快進撃を続け、英語版"Angel 07"として、ここ日本はもとより世界中で大ヒットを成し遂げました。ただ、そのムーヴメントに後発曲が霞んでしまい、世間的には「Hubert Kahといえば"Angel 07"」という代名詞めいたものになってしまった感もありますね。

独特の散らしたようなドラムワークは、今にちのEnigmaのビートに共通する下敷きとなっているとも言えるでしょう。



"Data-Alpfa-4"は、再びMichael Cretu名義でのソロアルバム"Legionaire"から。Kraftwerkを彷彿とさせるElectronic Symphonyを展開するアルバム・コンセプトで、Enigmaでは"Voyageur"あたりから、この頃の作風への回帰が所々に目立つようになります。


"Schiffe Versenken"は、かつてEnigmaにも参加していたギタリスト、Peter Corneliusとのコラボレーション・アルバムから。"Sadeness"のグロケンシュピールを大胆に引用したアンビエント・バラード。Peter Corneliusのソロ・アルバム"Fata Morgana"でもクレトゥが共同製作を担っています。




以上、まだまだ拾いきれないプロジェクトが沢山残ったままですが、また機会があれば、第二弾、三弾として紹介してみたいと思います。

個人的にはマスターピースと思われるSylvie Vartanとのポップ史に残る仕事はもちろん、レアな所では、Peter Kent(Achillea a.k.a Jens GadがプロデュースしているLuisa Fernandesと多数デュエット有)や、Topaz、Mireille Mathieuや Mary and Gordy、George Kranz、MarlboroのCMソングなど、その取り零しの数々は枚挙に遑がない程。



今でこそ孤高のワンマン・プロジェクトとして存在するENIGMAことMichael Cretu、ここ20年の活動は割と閉鎖的でシンプルと言えますが、"MCMXC a.D."以前の10年間は、アーティスト兼プロデューサーとしての精力的な活動に伴った膨大な人脈とサウンドの関連性を見出すことができ、とてもここで全てを取り上げられるものではありません。

1990年、これまでのキャリアと素性を隠した謎のプロジェクトとして発足したENIGMA、果たしてそれはCretuという男が纏った仮面だったのか、或はそれこそが彼の仮面の下の真相であったのか。


ルーマニアの音楽家の孫として生まれ、かつてドイツ・ポップ界に偉大な足跡を残し、今は一人イビサの地で世界に歌う孤独な男のフッテージ。彼の音楽が辿った変遷は"Seven Lives"より遥かに遠く、未だ着地点を見ない"Many Faces"の過程にあるのかもしれません。