□ ナルニア国物語 第二章『カスピアン王子の角笛』
>> http://www.disney.co.jp/narnia/
ナルニャー...ナル....ニァ.....ナル、ニヤ、ナルニア国物語、観てきました!
(↑2年前と同じネタですw)
「アスランのために」(膝まつく)
今作、アスラン一筋の私の心を奪ったのは、上の写真にもある今作のアイドル、「ねずみ剣士」のリーピチープくん。
<=`Å´=> チュ~
初登場から鼻血を押さえるのに必死でした。。なんなんですか。。萌え殺す気ですか。。。キーホルダーは劇場内で売ってます。でもアスランのがないのはオカシイだろ。。。
(↓※以降、ネタバレ含みます)
さて、1973年にアメリカで制作された『暴走列車 (原題:"RUNAWAY!")』というB級TV映画があります。 スキー客を乗せた列車がブレーキ故障に気づかずスピードアップ、終点での衝突必至となった列車内の、絶望的な極限状況における人間模様を描くのですが、ラストでは列車を救うため、後ろから機関車を連結して止めようという手段が試みられます。当時は携帯などない時代(あれ?無線は??)乗客は当然、周囲がどんな策を講じてくれているのか知る由がありません。
あきらめ、打ちひしがれた乗客たち。しかし車掌が何気なく窓から後方を見遣ると、機関車がけたたましく汽笛を鳴らしながら猛然と列車を追いかけてくるじゃありませんか!ここがもう最高に....
燃える!!
後ろに迫る機関車、ここから連結~間一髪の停車までの流れは手に汗握る展開。
車掌さんが嬉しさのあまりに口をパクパク。
詰め寄った乗客に押されて落ちそうになってます!危ない!!
この映画は母親の趣味で、小さい頃から数えきれないくらい見せられてましたが、機関車が追ってくるシーンでは何度観ても決まって頬を綻ばせてニヤニヤしてしまいました。
・ 一連のシーン
>> http://au.youtube.com/watch?v=iXsqcjrTOZA
・・・そう、ナルニアだったね(笑)
今回アスランは、あの機関車的な役回りなのです。
CMではラスト10分のシーンをバンバン打ってますが、実は今作、ほとんど「魔法」が登場しません。敵は同じ人間。むしろ典型的な騎士道ファンタジー(?)のテンプレートに沿っていて、最後の最後までストイックなまでに「現実の厳しさ」とも言える状況に、主役たちは追いつめられて行きます。
王位継承や臣下の背信、渦巻く陰謀。動かない木々に喋らない獰猛な動物。そして空想上のモンスターたちでさえ、悪しき人間たちに虐げられている。このあまりにも心細い展開の中では、あの「白い魔女」の復活シーンにさえ、救いを感じてしまう程(実際、その力を借りようと迷う描写があります)
とりあえず今回、心の琴線に響く「グッ」とくるシーンが3つぐらいありました。それはここ数年、映画では全く感じられなかった懐かしい感情で、むしろ私が本当に幼い頃、「暴走列車」に感じたものと限りなく近い何かでした。森を追われているルーシーに並走するあの「金色の体躯」がチラッと見える瞬間、きっと私は前のめりになって嗚咽していたに違いありません。。ア゛ズラ゛~ン゛(TAT)
例によって、話の運び方に合理性を求めてはいけません(笑)
ただ、私は原作についての知識は無いのですが、今回、アスランや「御伽の国」ナルニア世界を巡る不条理な法則には、同時にナルニアが何たるかについてのヒントめいたものが呈示されている節が見受けられました。(成長すると戻ってこれない、現実には時間がほとんど経っていないことなど。。)
「信ずれば手を差し出す」アスランが最後まで登場しない理由(※1)。人と自然との関わり。この映画は実に多くの寓意を含んで、子供や大人の原体験に訴えかけます。エンディングの挿入歌が流れる中、元いた時と変わらない現実の生活に戻って行く子供たちの姿に切なさを覚えるのと同時に、私たちは再び帰りたいと願う。いつか夢見た、あの物語を紐解く日を待ち望んで....
原作ネタバレ(白文字反転)↓
主人公たち兄弟は、「さいごの戦い」で現実世界における鉄道事故で死んでしまうそうですね。。だから余計、今回の地下鉄の描写が暗示めいて感慨深いというのもあるかもしれません。
□ Switchfoot
♪ This Is Home
映画のエンドロールで最後に流れる曲。
サンディエゴ出身のロックバンドSwitchfootの新曲。
切ないピアノリフと流麗なストリングスが映画にピッタリ。
これが流れた瞬間、後ろの観客がグスグス。。
<= ̄ω ̄=> ←アスラン
※1.アスランがナルニアに手を差し伸べない理由は、「滅ぶならそれもナルニアの運命」として傍観してるから?創造主ではあるが、基本的に干渉せずに行く末を見守っている。
なぜルーシーの呼びかけに答えたのかというと、ルーシーもまた外世界の者だから。彼らが命を賭して、自分の作った世界を愛し、守ろうとしているという「信念」が伝われば、助ける理由に足るのかもしれません。