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Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

カオスの縁で [at the Edge of Chaos] - 2.0.1

2007-04-22 20:06:47 | music4
Class4_1Shell
(左:一次元セル・オートマトン ルール30 Class4. - Wikipediaより引用)

中学生の頃、初めてフラクタル幾何学に関する書籍を読んで、ある種の啓示を受けました。それからしばらくの間、その本で紹介されていた自己相似図形のフラクタル次元の計算方法で、色んな物の次元を計って遊んでいた時期があります。今思えば、あの頃の経験が現在の自分の物事の考え方を大きく規定してしまったような気がします。。

計算の仕方は至って簡単。

ある図形が自分と同じ形状の図形を最小単位として、M個の組み合わせで再現可能であり、かつその最小単位が元の図形の1/Nの縮小ならば、相似次元は[logM/logN]で計算されます。

例えば正三角形や正四角形は、その2分の1(1/2)の大きさの正三角形と正四角形を四つ組み合わせて再現できるので、[log4/log2=2]で2次元。立方体は縮尺2分の1の立方体8個で再現できるので、[log8/log2=3]で3次元となります。

このような自己相似形のうち、(追記:自己相似でないフラクタルもあり、その定義は曖昧。一般にハウスドルフ次元>位相次元の場合であり、完全な自己相似形はミンコフスキー次元と等しくなる。)相似次元が整数にならないものが一般的にフラクタル図形と呼ばれます。自然界に見られる形状(*木の枝の分かれ方、氷の結晶、貝殻の模様など。星や惑星が、現時点にあって概して球形(私たちにとって)を取るのもそう)の多くはこのパターンをとります。目に見える形だけでなく、動的なパターンも同様に記述可能です。(ex.最も有名なマンデルブロ集合は、f(z)=Z^2+C {* z=x+yi,C=a+bi,これを展開して実数部と虚数部をそれぞれZx、Zy軸にとる。Cは複素数パラメータ}という式の、複素数平面上での反復写像の描画プロセスとして顕現します。色分けされた領域は計算回数、無限大への発散速度を各境界毎に表現したもの。)

自然界におけるフラクタル構造の現出は、効率性という観点から、その出自とする見方が強いですが、私はその立場をとりません。効率的かどうかの評価は、実現された世界におけるパースペクティブが後付けで行っているに過ぎず、自然がその形を「選択」するのではありえない。環境に適合するというプロセスではなく、環境との共変位の中で必然的にそうなったはずです。(*これは捉え方の問題で、形が「効率性を求めた結果」なのではなく、効率性のある形状が確率的に分布する{効率的な形が、ある割合で系統的に現出するプロセスが繋がる[ex.環境に適応しやすい遺伝情報の繰り込み等]}とまで断らないと、認識に紛れが生じる為。)

これはフラクタル幾何学のほんの触りでしかないのですが、ここで踏み込んで考えてみると、宇宙になぜ「形」があるのが不思議に思えてきませんか?「形」は静的に「そこにある」のではなく、ある種のアルゴリズムに基づいて絶えず「そこに」生成されているのではないかという、極めて量子力学に近い考えに繋がることを、子供ながらに感じたことがあります。(*認識的に分類可能な規則性が混在するとしても、自然がある動的アルゴリズムを内包するなら、いくつかの数学的挙動をトレースするのは必然とも取れる。)そして現在においても、最先端の複雑系研究が向かい合っているのは正にそういうことで、わたしたちは未だ答えとは遠いところに居るんですよね。


もう一つ。
ある島の王様が、巨人と小人、そして普通の身長の人間の三人それぞれに海岸線の長さを測量させたら、小人の測った海岸線が最も長くなるという結果が得られたと言う例え話があります。フラクタルな図形は、その外縁に襞を持つため、測量者の歩幅が狭ければ狭い程、海岸線は長くなるのです(有限の境界に無限を織り込んでいる)。これは、測る人にとって意味を持つ「有効な長さ(襞を飛び越えてしまう)」が、社会的ネットワークで共有されている「自然界の認識」だということを思いださせてくれます。(*言語や図、音声といった、人間が人間との認識を共有するために外界に刻む記号は、信号の振る舞いをグリッドに沿って制御するための『マーカー』のようなものです。)

私が「パラダイム」より「パースペクティブ」という表現を好む理由もここにあります。つまり、人間の感覚が捉える宇宙は、離在する要素を繋ぐ連続面にあり、その外にあるのが「リアプノフ時間系」だと定義できる可能性もあるかもしれません。「誰にとってのカオスなのか?誰にとってのオーダーなのか?」ここが重要なのです。

生命現象は、秩序とカオスが混ざり合った状態の中で、その境界に挟まれた「カオスの縁」で顕現されているものだという認識があります。この状態は、計算理論的にはセル・オートマトンのクラス4(Stephen Wolframによる分類)で観測されます。(ごく単純な原理の差異が、特定の条件下での振る舞いと相を決定する。)人工生命研究において、カオスの縁にある領域は、相の中において計算密度が非常に高くなっていると帰納的に立証できることから、わたしたちの意識を生む「脳」も、秩序からカオスへと向かうポテンシャルの中で相転移的に「個体」を媒介している機関ではないかなーと考えられます。

そのうち、人間の認識の飛躍によって、「複雑系」を「複雑系」として捉えられなくなるパースペクティブが生まれてくるかもしれません。私たちが探っているのは、全て私たち自身の振る舞いに関係のあること。人は人になりかわる存在でしかないように、そのとき人は、人ではなくなっているのかもしれません。


*・・・追記事項、加筆部位。

このエントリは、
段階的に加筆していくことを前提に書いたものです。


2007-04-22 15:46:08 | 日記・エッセイ・コラム
Myst
(IXY DIGITAL L2; Shutter Speed.4"; ISO 50; AWB; Evaluative.)



霧!
濃霧!!

昨日は一人バスケット(涙)で汗を流した後、
レイトショーで映画を見て来たのですが、その帰り、
あまりに深い霧で運転のリスクが高いと判断したので、
海岸に車を止めてウトウト。

辺りはみるみる黒い靄に覆われて、
波の音で辛うじて先が海だとわかるくらいに。
気付いたら2、3台の車がいつの間にか隣に並んでいました。
光の散乱でUFOみたいになった街灯の下を走り抜け、
午前4時に帰宅。チュンチュン。


『ブラッド・ダイヤモンド』を見てきました。
感想は.....映画として見る限りでは凄く「良かった」です。それ以外の部分については、にわかな覚悟では触れてはいけない感じがするので、そのメッセージ性だけを受け止めるだけで、ここでの言及は控えておきましょう。本筋はリベリア-シエラレオネ間で実際にあった『コンフリクト(紛争)・ダイアモンド(兵器を買う資金源になるダイヤ)』をめぐる事実をフィクションの人間模様に絡めて問題提起するというもの。


詳細な感想・レビューについては、↓の方のブログを
さくらの映画スイッチさん
かなり良くリサーチされてます。
映画のパンフレットより分かりやすいかもしれません。


ディカプリオ、演技が力み過ぎていて、感情移入がし難かった。。逆に最後まで客観的に観られたということを考えれば、それによって得られたものも大きいのかも。

彼は冒頭でRUFに政府軍の武器を売るのですが、物語中、最大の障害となり自分を苦しめるのが、自分で敵側に売ったその武器(手榴弾ランチャー?)だというところが象徴的な皮肉となっています。アクションシーンは非常にテンポが良くて、戦場の窮屈さを演出することで臨場感を高めています。RUFの襲撃シーン、車をバックさせてミサイルを避けたり、銃撃の雨を潜り抜けるシークエンスは、良くも悪くもエンターテイメント出来ているなぁという印象。

ジェニファー・コネリーを見たのは「フェノミナ」以来でしょうか。すっかりいい大人になったなぁ。。。大佐はアメンホテプに見えてしょうがなかったです。





「赤土はアフリカで流れた血なのだ。」というセリフ。これが『ブラッド・ダイヤモンド』と対になるモチーフとなります。人間の命を対価にした宝石。砂とダイヤ。

紛争ダイヤモンドに限らず、第三世界に関わる問題の多くは、『価値の非対称性』が招く悲劇だということ。紛争がダイヤの希少価値を高める為、その利害の一致からあえて内戦を長引かせてダイヤを高く売りつける人々。違法性があると知りつつ、ダイヤの流出によって価値が低下することを恐れて買い受けるバイヤー。その構造を堅固に保持しているのが、他ならぬ消費者の需要。

ジャーナリストがアフリカの惨状について、いくら写真と美文で飾っても、それは「上辺だけの情報」でしかなくて、「決定的な事実」を突きつけなければ世界は変わらない。これはジェニファー・コネリー演じる女性記者の言葉ですが、『ブラッド・ダイヤモンド』という映画への自己言及でもあります。あくまでフィクションと観るか、寓話と知りつつ内省するか、しかし監督が観客に投げかける最後の一文、

「ブラッド・ダイヤモンドをなくすのは消費者です。」

これが、この問題の普遍性を何よりも物語っているのです。

私たちが日常生活の中で、何かの節にちょっとでも罪悪感や痛みでも感じられるようになっていたら、少しずつ世界は変わっているのかもしれません。

車を使用するのはなるべく控えよう。。。




さておき、
『パイレーツ・オブ・カリビアン - ワールド・エンド』の予告、
凄く面白そうだった!(゜∀゜)=3
怒濤の展開になりそうですね。
海賊vs幽霊船vs英国艦隊の三つ巴?
血沸き肉踊る予告編(笑)は何年ぶりだろう。。。
でも大ダコは出てこないのかな(´・ω・`)?






□ Tunes of the Day

□ Lene Marlin

Unforgivable Sinner

ノルウェーのトップシンガー、Lene Marlinの鮮烈なデビュー曲。
直訳すると『許しがたき咎人』でしょうか。
(「天使のように・・・」という邦題があるそうです。)