□ 生命体の意識に根ざす「主観」は、自らの晒されている複雑性事象を認識する過程で、その情報負荷をコンパイルする圧縮過程で生じるのではないかというコルモゴロフ的思索を検証したい。時系列事象はタグ様に分別されて折り畳まれていく。断続的に反復される同一の刺激に無限の反応パターンを保存出来る。
たとえば人生において、同じ音楽を聴いた印象が、状況や経験によって変わるということ。ここに信号と応答差異の定量的分析の余地を見出す。
「音楽」のコルモゴロフ複雑性を圧縮率で計量するという仮説を紹介したことがあるけれど、その後の展開に期待したい | 音楽の美しさと複雑性: 情報圧縮率仮説 Complex simplicity is the best for music.
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□ ペンギンは、一度つがったパートナーを変えることはないという。
□ 豊かさは豊かさで買えるし、金は豊かさで買える。そして愛は豊かさで育つというのなら、愛は金で買える市場に並んでいる。
実際に、愛は金で買えるとは言わない。だけど、寵愛の選択基準に豊かさがあることの意味を忘れてはならないし、その努力を怠っては生存競争に負けて死ぬ。愛の味を知らなければ生きながら生き存えることは出来るかもしれない。でもそれを一度でも味わったなら、敗残したときに魂は死ぬ。
貧しさや逆境の中で育つ愛もあることは真理だけれど、人は未定義な豊かさを指向する生物であるが故に、例えどんなに愛し合っていたとしても、あなたの愛する人も、あなた自身も、常に競争に晒されている。人は豊かさの中に愛を評価せずにいられない。その誘惑を断ち切れない。「本当の愛」に値札はある
だけど、自分の何を犠牲にしても良いという愛は、それを実際に成し遂げた後においてのみ、たとえ愛で愛が返らなくとも、他の何にも代えられない価値を得る。私にとって、殉教者のみが勝利者なのだ。
□ 人間は性淘汰されても代替価値を選択可能な社会システムであるということ。実はそこにこそ、苦しみの根源がある。
□ 人間の命に値札はないよ。残酷なくらいに平等。だから皆こぞって持てる価値を差し出して、生存確率の高いパラメータを有する母集団に入ろうとするけど、だからといって自分という一個体のセーフティが保障されるわけじゃない。リスクは平等にふりかかり、そして生産の為の対価を担保するものはない