愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

大日寺の石棺仏とキリシタン地蔵。

2011年01月21日 | 石仏:兵庫

がらんと開けた田舎寺という雰囲気の境内、その片隅に横一列に並べられている数体の石仏さんたち。

元々こうではなかっただろう、加西市の文化財に指定されたのでこのように横一列に並べられ、大日寺石仏群と呼ばれてるのでは・・・。

まあそんな事は同でも良いけど、やっぱり目に付くのが大きな石棺の蓋石に刻まれた阿弥陀さん・・・

像容も顔容もおぼつか無く、如来とだけは何とか判る・・・その上あかい涎掛け、坐像だと思うけど確信はない。

涎掛けも良いけどちょっとその裏に隠れている姿も見てみたいとおもう、それでも光背に化仏が三体は見える。

実は七体あるらしい。

実は有名なのが後に立ってる大きな丸彫りの何でもなく見える地蔵さん。

表は何でもないけど・・・・後に廻ればこの通り、しっかりクルスを背負っています。

加西とキリスト教の結びつきが余り良く判らないけど、近くには何体かこういう石仏が有るようです。

撮影2007.12.8


地蔵寺の石棺仏

2011年01月21日 | 石仏:兵庫

地蔵寺は石棺銀座の平荘町の一画、県道65号線と県道79号線が交わる西山交差点から南へ2km弱、加古川に架かる池尻橋近、本村集落の東脇、丘陵裾の斜面にこの地に在って珍しく石造仁王の立つ地蔵寺が有る。

石段を上り山門を潜ると境内のすぐ左側に二基の石棺仏が迎えてくれる。

向かって右側に建つのは石棺の側石を利用した二重光背の中に立つ地蔵菩薩を刻んでいる。

これだけなら珍しくも無いが裏に廻れば胎蔵界大日如来の種子である「ア」の種字が薬研彫りされている。

下部には弘安四年(1281)四月廿日と刻まれており鎌倉初期の造立。

現在表に成ってる地蔵立像はそれより何年かあとに刻まれたようで本来奈良こちらは裏側になるのかな??

一方向かって左手には家形石棺蓋石の内側を利用して、上方二段には三体づつの六地蔵、下段の二体は被供養者の男女であろうといわれて居て加古川市の文化財に指定されている。

地蔵立像の石棺仏とよく似た彫りや同様の二重光背から同じ頃の造立と考えられて居るようです。

撮影2008.9.13