愛しきものたち

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大阪市天王寺区 四天王寺の石仏

2012年06月30日 | 石仏:大阪

言わずと知れた四天王寺の巨大境内地に有る地蔵堂内に祀られた石仏さん。

撮影中にも絶え間なく参拝者は訪れ、その薫香でむせ返るほど、重い程にに掛けられた真っ赤な涎掛けを剥がす事などとても出来ません。

小学校や中学生の頃にも習う「聖徳太子」が創建した我が国最古の寺院ですが、度重なる戦火や天災に見舞われ、境内地の殆どはつい最近建築物となっている。

所謂四天王寺式の中心伽藍も昭和20年(1945)の大阪大空襲で焼失、昭和38年(1963)再建された鉄筋コンクリート製でイマイチ感は拭えない。

そんな中、境内西入り口に建つ石鳥居は鎌倉時代の永仁2年(1294)の造立、傍らには「大日本佛法最初四天王寺」の石柱が誇らしげに立つ。

この石鳥居は重要文化財に指定され、扁額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と有り、此処が極楽の入口である事を示し、往古これより外は大阪湾の波が打ち寄せていたとか・・・。

この石鳥居脇に建つ四天王寺学園の校舎を挟んで中の門参道脇には目的の地蔵堂。

明治時代頃より境内や近辺から集められた石仏数十体を合祀、地蔵堂と呼び慣わしている。

絵図では右端下に有る地蔵堂内に今回目的の二体の石仏が安置されている。

向かって左側には重量感の有る阿弥陀坐像石仏、右手にはしたり顔で笑顔の地蔵立像。

何処から来たものなのか?何故か勝軍地蔵の名で呼ばれる阿弥陀石仏は、二重円光背を背負う総高130cm、像高91cm、端正な尊顔、頭上の肉髻(にくけい)が大きく盛りあがっている。

一寸失礼、お許しを・・・涎掛けを首まで巻き上げると・・・、堂々とした体躯で結跏趺坐、膝上で定印を結び、厚肉彫りで刻み出された阿弥陀坐像です。

しかし尊顔は目鼻立ちも覚束無い程ですが、その像容から鎌倉時代中期の造立だと考えられています。

片や右手に居られる地蔵石仏は元、近くの安居神脇に在った逢坂清水と呼ばれる井戸と共に、この地に移されたその名も「融通地蔵尊」。

総高約170cm幅75cm、砂岩の自然石を舟形上状に整え、浅く彫り出した円頭光を持つ、右手錫杖・左手宝珠の定型地蔵立像です。

厚肉彫りで深く刻み出した像高は135cm、蓮台は欠損したのか真新しく後補されそぐわない。

鎌倉時代後期 、正和六年(1317) の銘が有り府の文化財にしてされている。

名の通り、何事にも融通をつけて呉れると言うこの地蔵さん、参拝の絶える事無く、涎掛けも半端ではなく捲り上げる事すら出来なかった。

鎌倉期の石仏にしては磨耗風化が少なく、口を歪めての笑顔が印象的な地蔵さん。

撮影2012.6.23