地名は星田と書いて「ほしだ」と読むが、寺名は星田寺と書いて「しょうでんじ」と読ませる・・・・。
星田の旧在所、古い町並みの中心辺り、星田神社と星田寺が並び建って居る。
多分昔は星田神社と同一境内の神仏混淆の神宮寺だったのだろう・・・
そんな星田寺に昭和50年代、明治の廃仏稀釈で隠し埋められていた石仏が境内地中から堀り起され、ここに安置されている。
星田型とでも呼ぼうか・・・、この地域独特の板状平石を背にした石仏が何体もある。
境内庫裏奥に新しく設えられた寺僧墓の背後に基壇を設け、行儀良く二列に並べ置かれている。
近く、薬師寺や慈光寺で見られる独特な平石に刻まれた石仏さんたちと、ここ星田寺の石仏もそれを彷彿とさせる様に同じ形式を持ち合わせている。
後列、向かって右端に置かれているのが此処では最大の二尊石仏、その左横にも同じ形態の阿弥陀石仏。
二尊石仏は高さ約1m、幅約65cm、厚さ約10cmの板状花崗岩の正面に、蓮台に立つ像高共に約75cm、二尊の如来立像を厚肉彫りで刻み出している。
うち向かって左側の一尊は廃仏稀釈で顔を削ぎ取られたのか??痛々しいが・・・・、共に同じ来迎印を結んでいる事から双体阿弥陀石仏だと考えられています。
前が詰まって、写真では分かりませんが体躯の特徴や蓮台の様子などから室町後期の造立。
傍らには同じく星田型の阿弥陀石仏、殆ど隣の二尊石仏と瓜二つ、因みに像高は約65cmと少し小さい。
顔容も星田型石仏の特徴で有るキツネ顔・・・、印相はやっぱり来迎印を結んでいる。
左端にも同じく星田型の如来石仏が、下半身は亡くしたのか??上半身だけで立って居る。
円頭光を背負い大きさ形態ともに慈光寺の「鍋賀地蔵」に瓜二つ・・・・・因みに造立は南北朝期~室町初期だと考えられている。
後段中央に置かれた阿弥陀石仏、星田型の平石ながら舟形光背を彫り沈めた中に細身の阿弥陀立像を中肉彫りで刻み出す。
総高約65cm、像高約40cm、頭部や体躯に僅かながら彩色痕が残っていて珍しい。
室町後期の造立か・・・・・。
この石仏たちを見ると、この北河内の村々にも廃仏稀釈の波は確実に押し寄せたのだと確認できて痛々しい。
撮影2012.6.13