Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

想像力を働かせろ!

2008-07-07 | 文学・思想
ジェームス・ジョイスを読み始めた。まだ日本から送った書籍などの陰干しが終わっていない。BLOG「壺中山紫庵」にて集中的に読書したと知って、またもやむずむずとして来たのである。音楽やワインなどでも人がなにかを書いているのを読んで、そうだったのかなとか思って同じ録音などを早速聞き返したり同じワインを開けることがある。それと変わらないが、書籍の場合は内容が未読だったり記憶にない事も多い。そうなると、居ても立ってもいられなくなるのである。

スライド式の本棚の右側の上から三段目に他の英語のペーパーバックと共に埃が被っていたのを箱に詰めたのであった。そのいくらか酸化して陽に赤く焼けたグラナダ出版のそれは、分厚い紙が埃りや塵を集めてさらにごわごわとしている。

短編オムニバス集「ダブりナー」であるから、十代の昔のように最初から読もうとは最早しない。見通しをつけて適当に斟酌してしまうのである。それを速読と呼んだが、知識や経験と呼んでも一向に構わないだろう。そこで分かるように、そうしたものは決して正しく深い理解にはなに一つ役に立たない悪しきものでもありえるのだ。

先ずは最も短い章である「エヴュリン」を読んだ。短い中に凝縮されていて、読者は終読後にもう一度その書き込まれている世界を思いっきり想像するのみならず、作者をも含めた世界をも想像しなければいけない。

そうした作業を経て、浮かび上がってくるものは、一体何なのか?

少なくとも一般的に経験や知識で捉えられるものが極限られるもしくは理解への障害となるような例は、日本旅行前にプレゼントされて今やっと読み始めた書籍「ホメーロスの故郷」の副主題にあるような気がしている。そこでは、ホメロースのイリアスを扱ってホメーロス問題を文学的なアプローチで探っていく、本年で最も話題のドイツ語の書籍である。

作者のラオウル・シュロットは、現役の作家では珍しく二冊以上もその書籍を保持する作家である。前回は出世作とも言える古今東西の詩のオムニバスで、古典言語のドイツ語訳が文学的な方法で試みられていて、その本の装丁などはとっても電子図書などでは意味をなさない凝ったものであった。そして今度は、それ以上の労作である事は、必ずしも考古学者達の協力や反論のみならず、その書き綴られた文学自体に元を探る創造力豊かな作業なのである。

前書きなどに詳しいが、ハインリッヒ・シュリーマンの成果などに詳しい者ならいざ知らずその考古学的な検討も文学的なそれもつかない者にとっては、五里夢中に虚心坦懐に話を辿って行くしかないのである。そうした手探りのあり方が、想像力を自由に羽ばたかせる秘訣で、そもそも学術文芸なるものの本質はそこにあるように思われる。

前述したように、作家の特性とか、小説の舞台の背景とか、登場人物の個人的な事情などと考えているのみでは、こうした想像力は一向に働かない。



参照:
ジョイス…架空のイメージとの遭遇(承前) (壺中山紫庵)
"Homers Geheimnis ist gelüftet", Raoul Schrott vom 22.12.07
"Schrotts Homer - ein kühner historischer Roman?", Barbara Patzek, FAZ
Raoul Schrott: Universitätsbibliothek der FU Berlin
古代戦争遺跡の山麓から [ ワイン ] / 2005-03-31
倹約家たちの意思の疎通 [ 生活 ] / 2008-03-05

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 茶室跡に立って物思う | トップ | 素晴らしい前菜の愉悦 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿