Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

短くも長い時の流れ

2015-10-05 | 文化一般
歯医者からの計算書が届いた。予想どおりだったが、やはり予定外の出費なので痛い。今回の治療に関しては、自分自身も放って置いて悪くなった訳でもなく、十年前の詰め物が磨り減ったといって文句も言えない。これから十年先の治療などを考えれば、仕方ないかと思う。この間、親知らずの抜歯があったので、またかと思うのだが、件の炎症さえ治まれば、上手くいけば最低限の清掃だけで十年は凌げる筈だ。十年前が、約二十年ぶりぐらいだったことを考えれば、そのような按配だろう。

電話が掛かってきて、冬タイヤへの交換の日程も決まった。十一月中旬のことだからまだ先のことだ。それでもこの秋の冷え方からすると、初雪にも備えなければいけないかもしれない。南仏での洪水もそれを暗示する。

明日は、ミュンヘンからの生放送がある。キリル・ペトレンコ指揮座付き管弦楽団の演奏会であるからあまり期待はしないが、ユリア・フィッシャーとのエルガーの協奏曲は興味ある。

久しぶりに古いエアーチェックのカセットテープなどを流している。1979年、1980年のザルツブルク音楽祭の放送録音である。詳しくは改めてにするが、この三十年ほどで知らぬ間に多くのことが変ってしまっているのを感じた。その歴史的な流れはある程度把握していても、ヴィーンの座付き管弦楽団のアンサムブルの質などが、カセットテープのドルビーBの音響テクニック以上に、現在の水準との差があるのには驚愕した。当時はあれでも近代化していて、カール・ベーム博士などが振るときはまともな演奏をすると言われていたのだ。

一言で言えば、やはり西洋音楽の世界もインターナショナル化して、技術的に格段に上手になっている。二十世紀の後半でも、まだ欧州の管弦楽団は米国の交響楽団などに比べるとそのアンサムブルの差は顕著であったのだが、大分その差が縮まってきているのかもしれない。原因はインターナショナルな多様化であって、そうした傾向は変りようが無い。



参照:
抜糸省いて最後の抜歯 2013-04-16 | 生活
予定調和的表象への観照 2015-09-29 | 音
女手で披露する音楽文化 2013-05-18 | 女
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