Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

文明のシナ化への警告

2008-10-26 | 文学・思想
商業映画業界などTV界と同時に早く潰れてしまえと思っている。駐車料金を入れてあまりにもつまらない10ユーロの投資だったので、その腹癒せの勢いを借りて鬱陶しくて今まで目を通していない本を風呂桶に浸かりながら開いた。

「チベットの七年」で有名なダライラマの友人であった登山家ハインリッヒ・ハラーの「白い蜘蛛」と題するペーパーバックである。十年以上も昔スーパーの投売りの籠から掴んだものだ。子供の時に読んだ時以来の再会でそのなんともパトスに溢れる重苦しさのアイガー北壁の歴史に手が伸びなかった本である。しかし、つまらない映画化のお蔭でか、1938年に初登攀をした著者の読み物として随分と愉しめる。

その現地での聞き取りの事実関係から、先の映画の横着なドラマ化については触れるのは腹立たしいだけなので措いておくが、著者ハラーの謂わんとしようとする事は、あの映画の背後に潜んでいるのは間違いない。

そこで方々で話題となっているミュンヘンのミヒャエル・オットの小論文「死の領域」― 古の極限のアルピニズムにおける極限の思考領域に関してと副題が付けられているものをネットに見つけ読む。雑誌「思想史」2008年II / 3号に載った16頁の論文である。

これの特徴は、近代アルピニズムの歴史として社会史や文明論として捕らえられることが多かった分野を極限への志向として、もう一度有名なマロリーの答えである「そこに山があるから」の質問形として捕らえているところが面白い。

極限とする意味には、今日の競技化しているフリークライミングに通じる近代五輪の発祥時期の議論が加わっている。つまりその副題が示すように、要旨は極限への志向の分析にある。

それが、なんら報酬も観衆もないアルピニズムの歴史において、英国で始まったプチブルジョワによる植民地主義感覚によるマッチョ的征服感から受けた大陸での影響として纏められる。

19世紀後半の啓蒙主義的なアルプス観光の流れは、新大陸における西部開拓に相当する教養主義的フロンティアー精神の助長である。それは、丁度音楽芸術におけるそれと同じく、客観的価値が主観的でエゴイスティックな愉悦と取り違えられる(情操)教育的体験への価値でしかないというのである。

そしてこの取り違えが、そのもの生死を掛けた困難を強い精神と意志で乗り越えてという道徳的な価値観を、その理想像として生むことになる。そうなれば、英国人がやっていたようなガイドつきの登山から離れていく経過を辿るのは道理である。

近代オリンピックに見られたようなこうしたアマチュアリズムは、当然の事ながら谷の掟からの解放であり自己鍛錬とより困難な目標への向上心へと向かう。そうしたパイオニア的存在としてエミール・ツィグモンディが居たのだが、1885年に23歳にしてラ・メイジュで帰らぬ人となった時、ウインパーのマッターホルンでの破局をフィードバックさせるかのように、その危険性が正当性を疑問視させることになる。つまり、市民層の勃興として捉えられていたものが同時に退廃的な匂いを醸し出すようになる。

その歴史的発展が英国のアルパインクラブとは異なるドイツ山岳協会では、社会的な正当性がより以上求められ、アルピニズムの理想が希求されることが、現在においてもその組織がゲゼルシャフト的な社会性を強く帯びていることでも継承されているかもしれない。同時にこれは、現在も組織的にサミットクラブとして活動するヒマラヤにおける商業登山への道へと繋がっている事を見逃せない。そこに見出すのは先にあげた極限へのモラールでしかなく、それは教育として捉えられる。全く笑止千万であるがドイツ山岳協会のリーダーには教育指導者検定が科せられていることでもそれが示されている。

ヴィーンの高校教授オイゲン・グイド・ラムマーなどが1896年に記すのは、「ガイド無しの登山行為を批判するが、そもそもルソーが140年前に総ての吐き気を催すようなものから逃れる美をアルプスに見い出し、ここに来てはじめて文化的な疲労や洗練や過度の神経質や複雑な機械の歯車から、騒音から逃れ、我々の苛まれた神経を最も早く容易に取り戻せるのは高山にしかないのではなかろうか」との問いかけである。

アルピニズムというものがようやく近代社会においてその機能を果し始めると同時に都市と自然、騒音と静寂、洗練と質素が二項対立化するなかで、発展する観光資本に対してあらゆる文明的な手段を拒絶して、原始的な人間性をさすらい人的なそして剥き出しの素手でピッケルという男根に力漲らせることは、徹底的にゲセルシャフトの歯車から離れ、全身全霊をかけた自己克服への道へと向わせる。単独登攀を繰り広げ危険に立ち向かうこのランマーをアルピニズムにおけるニッチェと呼ぶのは、だから十二分に承知できる。

それのみならず世紀の変わり目においてラムマーは、社会におけるゲゼルシャフト的役割分担である役人や教師や会社員のそれをして拘束されその雛型を打ち破るのを益々困難にしている状況を喩え「救いようのないとんでもないシナ化へと舵を切っている」と警告している。

それをして、マックス・ヴェーバーやエルンスト・ユンガーの十年も早く近代の予想としているとする。そして、第一次世界大戦へと文明は突き進んで行く。(続く



参照:
Michael Ott: Todeszonen (Zeitschrift für Ideengeschichte: ZIG (2008) Heft 3: Extremes Denken)
名文引用選集の引用評 [ 文学・思想 ] / 2006-04-02
世界を雪崩で洗い落とす [ マスメディア批評 ] / 2008-10-25
自殺志願の名誉死選択 [ 歴史・時事 ] / 2008-07-20
素朴に宿る内面の浄化 [ 文学・思想 ] / 2007-08-11
近代科学の限界に向合う [ アウトドーア・環境 ] / 2006-05-04
右の耳が痒いから [ 歴史・時事 ] / 2005-04-23
ゲゼルシャフトの刻む時 [ 雑感 ] / 2008-09-27
ゲマインシャフトの人種 [ 生活 ] / 2008-09-25

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 世界を雪崩で洗い落とす | トップ | 情報巡廻で歴史化不覚 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿