Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

観光資源の無かった田舎の村

2009-07-18 | アウトドーア・環境
オバーヨッホの石灰岩の裏山から降りてきた。そこからケムプテンの方へと行く広い谷沿いに小さな村ヴァルタッハがある。その間の道すがらが帰郷をする作家ゼーバルトによって描かれていて、現在はゼーバルトヴェークとして観光対象ともなっている。

町のツーリストインフォーメーションで事情を聞いてちらしを貰った。元々それほどの観光対象となる町ではないので、この世界中で愛されている作家によってなんとか資源が出来たと言う趣である。

そして、その生家の近くにあるシュニッツェルを得意としているホテルレストランの親仁を呼び出すと、斜向いにあるにも拘らずそれほど道案内に慣れている様子はなかった。

年行った奥さんも出てきて、「ちゃんと説明してあげてよ」と言うのだが、親仁は「このちらしははじめて見るよ」とそこにかいてある説明を読み上げるだけである。

「息子はゼーバルトの本を買って来ていたけどね」と、あまりそのないようには関心のない様子を示すが、「世界中で読まれているからね、それでも英国へ移ったりしてちょっとややこしいよね」と振ってみた。

「そうなんだよ」と、実は良く知っている様子であったのだ。

喉も渇いているのでホテル駐車場となっている所で美味いビールで憩ってから腰を上げる。何の苦労も無く生家に貼ってあるプレートを見つける。

大家ゼーフェルダーはそのまま看板を掲げ続けている。なんともオーヴァーアルゴイの田舎を感じさせる佇まいで日本のそれにも共通するものがある。山は、ドロミテと同じとその岩石の質は異なっても、ドロミテのそれよりも遥かに日本アルプスの条件に近く、大きな滝が豊富な水を落としている。

風光は異なってもやはりこの辺りの田舎の感じはその気質と言いなんとも懐かしいものを感じるそれである。それは決して肯定的な判定を指す訳ではない事も確かである。

写真を写している時に擦れ違う親仁の表情にもちょっと不思議な雰囲気が漂うのである。ホテルに車を止めていたので、先払いしたビールグラスを片付けている親仁に、「見つけたよ」と言うと、「それは良かった」、「またくるよ」と言って別れた。

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