Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

市中で鬩ぐ美術品

2006-08-29 | 文化一般
ここ一月程、創作グループ「ブリュッケ」の一枚の絵が話題となっている。キルヒナーの1913年に描かれた「ベルリンの街頭」である。現在、ベルリンのブリュッケ美術館の代表的な常設展示物として飾られているこの絵は、この11月にクリスティーズの手で競り落とされる予定である。

美術館は1980年に、千九百万マルクで戦時中フランクフルトの美術館館長をしていたエルンスト・ホルツィンガーの未亡人の遺品として購入した。この館長は、ナチによる退廃芸術を大事に隠して護ったとされているが、この絵は知合いの美術収集家カール・ハゲマンからプレゼントされたとされる。

問題は、このカール・ハゲマンの取得経過である。売り手に3000ライヒスマルクを支払ったとされる彼の購入の知らせを受けた画家キルヒナーは礼状を送る。キルヒナーは、1932年2月にハゲマンに宛てた手紙で、「ケルンから買い取ってくれて有り難い」と、さらに他の三つの絵に触れてその手紙に次のように下記する。「緑でなくて青と赤の街頭図は、多分チューリッヒで展示されたものであり、退去したユダヤ人たちの物に違いありません。」。その金額を支払らわれたとされる売り手が、今回ベルリンに返還を求めた、ナチによって追われたユダヤ人実業家アルフレート・ヘスの子孫である。

ペッヒシュタイン、シュミット-ロットローフ、ヘッケル、キルヒナーなどのドイツ表現主義絵画コレクターのヘス本人は、エアフルトの靴生産者で、1930年に世を去っているが、時節柄事業は倒産しているとあり、ナチスの勃興に平行して1933年にそのコレクションと共に遺族はスイスへと移住した。その時期キルヒナーのこの絵もバーゼルのクンストハーレで、引き続きチューリッヒのクンストハウスで「新ドイツ絵画」として公開されている。しかしその後、なぜか1936年には家族の意向もあり、これらの七つのコレクションはケルンの美術協会へと送られている。

その後、そこからキルヒナーの問題の絵がフランクフルト在住のハゲマンの手に渡っている。その支払いの事実と入金が証明されていないことから、ナチスによるユダヤ人からの略奪品として、所有者の子孫であるニューヨークのアニタ・ハルピンがこの絵画の権利を主張することとなった。疑わしきは罰せられる。

今回の問題は、上の美術館の目玉であるこの作品を簡単に手放せないと言うことで、その購入時に支払った損害も含めてベルリンの地元では返還反対要求も上がっている。ベルリン市は、元ダヴォースのキルヒナー館長にこの絵の鑑定を依頼したところ、七百万から最高千万ユーロを見積もって、それ以上は投機バブル価格とする。特に競り売りとなると、競り売り師の査定では一千九百万ユーロの値でのオファーが、ロシアの物好きからあり得ると言う。所謂ネオリベラリズムの餌食となる可能性がある。そうなれば、ベルリン市民は諦めるほかにない。現在、購入額と 適 価 の差額の支払いでの譲歩を売り手に申し出ているらしいが、交渉は困難を極めているようである。

ロシアにある赤軍の戦利品であるドイツの美術品は今でもドイツに返還されていないが、こうした奪略美術品の問題はまだ今後とも繰り返される可能性がある。そこで課題となるのが骨董品の競り市によるネオリベラリズムの市場原理主義の克服である。美術・骨董品の個人による購入価格の上限を設けるなどして、投機的な市場価格を抑える必要がありそうだ。さもなければ、いずれは価値のある美術品は、公共の場では展示されなくなって、紛失して行く名画も増えるに違いない。何よりも税金で賄っている公共の美術館などの存在が脅かされていくだろう。



参照:
山間の間道の道端で [ 生活 ] / 2006-03-24
即物的な解釈の表現 [ 文化一般 ] / 2006-03-23
谷間の町の閉塞感 [ 歴史・時事 ] / 2006-03-22
コメント (3)
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