Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

不公平に扱われる英霊

2006-08-23 | 歴史・時事
ギュンター・グラスの新著第一刷の付録に相当する文章を読む。子供時代から捕虜になる瞬間までと収容所の生活までを流し読んだ。思いのほか迫真に満ちた厳しい内容である。引き続き読み進める。

その前にヘルムート・コール首相が、ナチ親衛隊の英霊をも祀るビットブルガー慰霊碑に、レーガン大統領を伴った際の見解と、そのときのそれに対するギュンター・グラスの糾弾演説内容を併記したものを紹介する。時は1985年5月のことであった。

相当するコール元首相の手記は、昨年の秋に出版された自著追憶集からである。そこから掻い摘むと概ね次のように語っている。「私のそしてレーガン大統領の反対派からの攻撃には大変うろたえた。私の努力は、両国民間の和解を意図したものであった。」と初期の目的を弁明する。

「そもそもこの地域で戦死して町の墓場に埋葬された兵隊達を、第一次世界大戦のものと含めて、新たに1959年に纏めて葬ったものである。どこの記念碑とも同じく、ドイツ戦没者慰霊碑協会の仕事であって、親衛隊所属の兵士が含まれているが普通なのである。」

「アメリカ大統領が親衛隊の英霊に贖罪の姿勢を示す?あまりにも大きな批判が集まった。親衛隊を知っているものならば、入隊の指示を受けたなら逃れようが無かった事は周知なのだ。」

「私は、当時祈念パネルの名簿から逐一名前を書きとらせた。そしてそれをみると49人の英霊の内の32人が二十五歳に満たなかった。十七歳、十八歳、十九歳の若者たち、あまりに短い命であった。彼らは、野蛮な戦争に散ったのである。」

「国家社会主義の偏在する暴力を逃れる事を出来なかった者たちは、色々と不公平な扱いをいつも受けている。ヒットラーユーゲントの少年たち、戦士達、しばしば役人たちがそうである。」

「そうした不公平の程度は、しばしば偶々の年齢であったり、生活環境であったり、為政者の横暴に準拠しているだけなのである。」

ギュンター・グラスの批判(知っていたに違いない [ 歴史・時事 ] / 2006-08-24)に続く。
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