Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

裸の王様を斜に見ながら

2013-05-05 | 試飲百景
ラインの支流であるナーヘに試飲に行った。昨年の秋以来の訪問である。勿論2012年産の新酒の試飲会である。その間に25人のグループの日本人が訪れたと聞くと、なるほど日本では甘口リースリングで人気がある醸造所だと耳にしたことがある。

そのシェーンレバー醸造所の2012年産は辛口で大きく飛躍する年度に違いない。他の醸造所も比べてみないと分からないが、その香りや繊細さで特筆すべきリースリングとなっている。特に赤スレート系のフリューリングスプレッツヘンが素晴らしい。ジュニア―シェフにも言ったが、2008年産以降馴染みであるが、今年のは抜きに出ている。それは、報告にもあったようにここ二十年ほどなかったように貴腐が発達せずに十一月中旬まで健康なブドウが収穫できたことに尽きる。それに関わらず糖比重も97までぐらいに抑えられているので、高品質の12.5%ほどの辛口となっている。

それは、グーツリースリングの類からも品質として表れていて、毎年のように上手に醸造できているだけでなく香りが高い。価格は徐々に上昇してきているがまだまだ日常消費として受け入れられる価格帯である。

次の「レンツ」は若干炭酸の気泡も多くてコンセプト商品のようで半辛口仕上げなので品質に関しては語れない。それでも甘味や酸のバランスも例年よりも良い。何よりも新鮮さがある。

それに反してミネラ-ルの方は開くのが遅そうで、同じように青スレート土壌の「ハーレンベルク」系統は、改めて試してみる必要がありそうだ。これも昨年の秋にも「フリュ―リングㇲプレッツヘン」を買えなかったのと、ちょうど逆の関係となっている。

若旦那に言ったように。どうしても赤い方は味筋が鈍くて、綺麗なリースリングとなり難いのは土壌だけでなくて陽当たりなどで、貴腐が生えやすい環境にあるからだろうか?これに関しては秋にでも遠足に参加してみなければ確証はもてない。

それにしても、なんという出来であろうか?樽試飲に拘わらず既に香りも広がってきていて、少なくともミラベルシュナップス並みの濃くになっている。その陰に隠れて、地元産のドッペルシュトック樽で寝かした2010年産の「ハーレンベルクR」は、2008年産のような特殊な酸のクリーミーさは無いが、酸が効いている年度だけに重くなっていないので素晴らしい。瓶詰は済んでいるようだが解禁の秋まで寝かせると更にミネラル風味が強くなるのではなかろうか。

先代も満足しているようだが、私も大満足しながら、何時も試飲会には参加しているアールの赤ワインのアデネウヤーの手持無沙汰の親仁さんといろいろ話していた。初めは誰だったか気が付かなかったのだが後でわかったので、2011年産の赤ワインを試した。「もう少し良いものを持ってこい」と親仁に率直に言ったように、正直ベーシックなピノノワール程度ではドイツのシュペートレーゼとしてももはや通じない。それはドッペルシュトックの大樽で醸造しているらしいが、その上のものは古いバリックを使っている。ゲルカッムマーと言う地所のものはこれまた大樽製であるが典型的なスレートの重くくせのあるピノであり、もう一つ上のNo.1と言うのは百パーセントバリックを使っているキュヴェーでミネラルが涼しくて良かった。上手に12か月寝かしている。それでも価格22ユーロとしては物足りない。スレートのピノノワールには限界があると思うが、造り方次第では比較対象となるものもできるだろう。しかし、30ユーロを超えてしまうともはやブルゴーニュと勝負にならない。また低価格のピノノワールはアール以外に幾らでもフランス以上のシュペートブルグンダーがある。私はそれを示唆しておいた。今後毎回顔を合わせることでもあり、正直に接したいのだ。ドイツで最も評価されているとされていたクニプサーの親仁をつかまえて、「あんたのワインは皆樽のバニラ味」と一刀両断にして見せたが、今回も私などよりご本人が最も自分のワインについて知っているのである。

帰路のラジオは、シュヴェツィンゲンのロココ劇場で指揮をした鈴木氏がドイツ語でインタヴューを受けていて、中継録音が放送されていた。「合唱団の訓練でも日本人は教科書通りにしかやらないので個性を出せ」と指導しているとか、モーツァルトのリンツ交響曲について語っておいたが、そのあとの演奏を聴くと如何にもこの演奏家は「口三味線の音楽家」の様にしか思われない ― 話の内容が芸術家としてはあまりにも稚拙すぎる。バッハの演奏でも同じであるが、指揮者ノーリントンの訓練したシュツッツガルトの放送交響楽団を指揮して、音響の悪さは勘定に入れるとしても、こんな音楽をしていて幸せなのかなと思わざるを得ないのである。本当に気の毒にも歌心の無い演奏家である。日本の演奏家の杓子定規な等分の律動感などの悪いところばかりが表に出ている。てっきりオランダで勉強していたように思っていたがドイツ語をしゃべり慣れているのでドイツでも修行していたのだろう。しかし、これだけ大口をたたけるので、まさしく日本の権威者になるべき典型的な留学大先生の一人なのだろう。それにしてもちょっと気の毒である。

なにも寓話の世界に生きている訳ではないが、商業メディアやその手の名だけのジャーナリズムと称する業界のようなものが割拠する世界において、普通にものが言えるということそれだけで寓話の世界が開かれるのである。



参照:
歌心のないドグマの響き 2012-05-29 | 音
聖土曜日から復活祭にかけて 2013-04-01 | 暦
ヤッケを着て出かけた 2013-04-21 | 生活

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