橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

郡山城(安芸国) 前編

2015-04-18 | お城巡り(日本100名城)

広島市内のビジネスホテルで朝食を取り、国道54号線を北東に進み安芸高田を目指します。

まずは史料館を見学しました。


 安芸高田歴史民俗博物館
所在地: 広島県安芸高田市吉田町吉田278-1
開館時間: 9:00〜17:00
休館日: 毎週月曜日(祝日の場合、翌日),祝休日の翌日,12/29〜1/3
入館料: 一般 300円,小学・中学生 150円

ここで日本百名城のスタンプを押し、地図および案内図をもらいました。
その時の会話
係員「城跡を見て回りますか?」
橋吉「見て回ります。どれくらいかかりますか」
係員「あなたは健康そうだから1時間ぐらいでしょうか。旧本丸も行かれますか?」
橋吉「行きます!」
係員「攻めますか?」
橋吉「攻めます!」

「攻めますか?」と聞かれて俄然モチベーションがわいてきたのでありました。

歴史民俗博物館に車を置いて歩き始めました。
いざ、毛利氏の本拠地、郡山城に向けて出発です。


私は登山用ステッキを用意していましたが、そうでない人はここで借りて下さい。
郡山城登城は登山です。

【毛利元就公像】

安芸高田少年の家に置かれていました。


【毛利元就火葬場跡】

1571(元亀2)年、元就は75歳で逝去し、ここで荼毘に付されました。

【薬研堀】

薬研堀とは広島の歓楽街の固有名詞と思っていましたが、するどくV字型に掘られた堀をさす一般名詞だそうです。知りませんでした。
薬研(やげん)とは漢方薬を作る際に材料をすりつぶす道具です。



1540(天文9)年、尼子晴久はこの山の麓に陣を置き、5か月にわたって毛利と対峙しました(郡山合戦)。


【毛利元就墓所】

この鳥居から長く緩やかな坂道が続きます。
しばらくすると荘厳な光景が眼前に飛び込んできます。




元就の墓所


毛利一族の墓所


百万一心碑
郡山城の改築の際、人柱に代えて、元就がこの石を埋めたところ、普請は無事に終えられたと伝えられています。
百万一心とは、「百」の字の一画を省いて「一日」、
「万」の字を書き崩して「一力」とすることで、
縦書きで「一日一力一心」と読めるように書かれています。
「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」ということから、皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味です。
三矢の教えと共通していますね。


いよいよ本丸に向かいます。
「登山」と言う文字が見えますか。
ここから先はまさに登山でした。


こんな道や


こんな道

足を滑らせたら谷に落ちてしまうような道を進まなければ行けません。
 


【嘯岳(しょうがく)禅師墓】

禅師は2度も明に渡り、帰朝後、丹波高源寺、京都の建仁寺、南禅寺を歴任していましたが、元就の要請により三原妙法寺の住職となりました。
元就逝去の際には禅師を葬儀の導師とし、また三回忌には禅師を開山として、菩提寺洞春寺を建立しました。


【御蔵屋敷跡】
 

土塁
 

郡山城はもともと旧本城とよばれる麓の部分だけであったが、元就の時代に山全体占める強大な砦に変身しました。
 


【三の丸跡】

三の丸
一段高いところに二の丸、さらに奥は高くなり本丸と階段状になっています。

三の丸と二の丸の間の石垣
 


【二の丸跡】
 
 

春先の登城は正解だったかもしれません。
 


【本丸跡】
 

ここまではハイキング以上登山未満といった感じでしたが、こんなところを降りてこざるをえず、きちんとした登山装備で出かけるのが正解でしょうね。
 


【厩の壇跡】

吉田城では、本丸・二の丸・三の丸を中心に放射状に壇とよばれるいくつもの郭が形成されています。
厩舎が近くにあったのが、ここの名の由来です。


【釜屋の壇跡】

炊事場があったので、この名で呼ばれています。


【姫の丸壇跡】

名称からも姫・または奥向きの人々が生活していたと考えられるます。


【釣井の壇跡】

ここには井戸がありました。


多くの城マニアがそうであるように、私も見学しながらどこから攻めるか考えるのが好きです。
郡山城の攻め方はすぐに思いつきました。
この城は「攻めぬが吉」です。
この広大な自然の要害は来る者を拒みます。
ですから、この城を攻め落とすには、ずばり包囲戦だと思います。
もちろん、これだけ広大な城を完全に包囲することは難しく警備の隙を見て食量や物資の補給はおこなわれるでしょうが、城を守るたくさんの兵に対応する量を満たすことはできず、自滅に誘うことが可能と考えます。

ただし、そのためには敵を城に押し込めるだけの兵力が必要であり、毛利相手にそれはたやすいことではなく、この城を攻め落とすのはかなり難しいと推察されます。

広大な郡山城はまだまだ紹介しきれません。
後編に続きます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする