要害山城の登り口は、「積翠温泉要害」の脇にあります。
この温泉を目的地にしてナビで検索すれば簡単に見つけることができます。
この温泉を目的地にしてナビで検索すれば簡単に見つけることができます。
武田神社(躑躅ヶ崎館跡)から車3km(7 分)で到着。
道路脇に駐車スペースがあります。
橋を渡ってすぐ右手に登り口があります。
信玄の隠し湯の一つといわれるこの温泉ですが、現在は営業を中止しているようです。
登り口脇にある案内板と碑
道路脇に駐車スペースがあります。
橋を渡ってすぐ右手に登り口があります。
信玄の隠し湯の一つといわれるこの温泉ですが、現在は営業を中止しているようです。
登り口脇にある案内板と碑
いきなり山道が出迎えます。
かなりの急勾配が続き、かなりキツイです。
きちんとした装備で臨みましょう。
竪堀
草が生い茂っていてわかりにくいです。写真にするともっとわかりにくい。
土塁
こちらはまだわかりやすいかな。
門跡
このあと頂上まで、いくつかの門跡を通過することになります。
「不動曲輪」と書かれた立て札あるY字路
右に進むとすぐ不動曲輪です。
不動曲輪
不動明王
Y字路を戻って、少し登ると
井戸跡に向かう道があります。
といっても、表示板はなく、
こちらが主郭に向かう道。
その左にこのような道があるだけです。
しばらくすると曲輪があり、井戸と祠が置かれていました。
井戸は諏訪の水とよばれています。
さらに進むと広場があり行き止まりでした。
再び、主郭に向かって登り始めました。
門跡に石垣が見られます。
笹の中を進みます。
前半に比べるといくらか勾配は緩くなります。
いくつかの門跡と
郭を通り抜け
ついに主郭に到着です。
武田信玄公誕生之地
要害山城の築城は1520(永正17)年です。
この年には駿河の今川氏勢の武将福島正成が甲斐へ侵攻し甲府へ迫っており、信虎は正室の大井夫人を避難させ福島勢を駆逐しているが、夫人はその最中に城中で嫡男(後の武田晴信すなわち信玄)を出産したといわれています。
ここは要害山の頂上でもあります。
比高は260mです。
搦手側の門跡
搦手側の門を出てすぐのところに竪堀があります。
大手側のものにくらべわかりやすいです。
所要時間約80分でした。
かなりの急勾配が続き、かなりキツイです。
きちんとした装備で臨みましょう。
竪堀
草が生い茂っていてわかりにくいです。写真にするともっとわかりにくい。
土塁
こちらはまだわかりやすいかな。
門跡
このあと頂上まで、いくつかの門跡を通過することになります。
「不動曲輪」と書かれた立て札あるY字路
右に進むとすぐ不動曲輪です。
不動曲輪
不動明王
Y字路を戻って、少し登ると
井戸跡に向かう道があります。
といっても、表示板はなく、
こちらが主郭に向かう道。
その左にこのような道があるだけです。
しばらくすると曲輪があり、井戸と祠が置かれていました。
井戸は諏訪の水とよばれています。
さらに進むと広場があり行き止まりでした。
再び、主郭に向かって登り始めました。
門跡に石垣が見られます。
笹の中を進みます。
前半に比べるといくらか勾配は緩くなります。
いくつかの門跡と
郭を通り抜け
ついに主郭に到着です。
武田信玄公誕生之地
要害山城の築城は1520(永正17)年です。
この年には駿河の今川氏勢の武将福島正成が甲斐へ侵攻し甲府へ迫っており、信虎は正室の大井夫人を避難させ福島勢を駆逐しているが、夫人はその最中に城中で嫡男(後の武田晴信すなわち信玄)を出産したといわれています。
ここは要害山の頂上でもあります。
比高は260mです。
搦手側の門跡
搦手側の門を出てすぐのところに竪堀があります。
大手側のものにくらべわかりやすいです。
所要時間約80分でした。