橋本屋吉次郎電子日誌

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大和郡山 城下町を歩く

2015-04-06 | お城巡り(日本100名城)

大和郡山の城下町を散策してみました。

【キリシタン殉難の碑】

大和郡山カトリック教会内にあります。
1869(明治2)年、異教徒として捕らえられた長崎浦上の信者のうち、86人がこの地に強制送致されてきて、吉野の銀鉱等での重労働をさせられました。
その後1873(明治6)年、政府は「キリシタン放還令」を発表、帰郷することができました。

 

【大納言塚】

名君の誉れ高い郡山城主 豊臣秀長の墓所です。
秀長は秀吉の弟でしたが、52歳で病死してしました。
秀長が長命を保っていたならば家康に豊臣家を滅ぼされる事は無かったと言われています。


お願いの砂
秀長は「学問の智将」ともよばれていました。
蓋を開け、願い事を言いながら3回箱の中に砂を通します。


【郡山八幡神社】

郡山城鎮護の八幡宮として代々の城主の保護を受けていました。

神社っぽくない山門
 


渋い旅館
 


【洞泉町の街並み】
花街の面影が残る、細い格子の建物が残されています。
 
 


【源九郎稲荷神社】

日本三大稲荷のひとつに数えられるそうですが、
ここよりも大きな稲荷社をいくつも見たことがあります。 

 


レプリカのように街並みを残すのではなく、このように普通に残っている街並みが好きです。

 
 


【薬園八幡神社】

何か良い雰囲気の神社だと思いませんか。

 

 


【外堀緑地】

なかなかおしゃれに整備されています。


【高田町大門跡】
何も遺構はありませんが、街並みは趣があります。
 

何屋かわからない店や
 

誰が見てもわかる店が共存しているのがおもしろいです。
 


【羅城門跡】
羅城門とは、平城京や平安京といった条坊都市の中央を南北に貫いた朱雀大路の南端に構えられた大門のことです。
平城京の羅城門が復元されているとの情報を元にてきてき歩いて行きました。

ところが、
 

羅城門を模した水門の管理小屋でした。
誰だ?いい加減な情報をネットに書いた奴はもう!

ただし、この近くに羅城門があったことは事実のようです。
 


これ何かわかりますか?
 

金魚池です。
大和郡山は金魚の生産で有名なのです。

実は、私の家の近くにも金魚池はあります。
これは大和郡山の商人が名古屋の熱田まで、販売に出かけたとき、金魚を休める池を作ったのが始まりとされています。
台風の後などは、逃げ出した金魚を捕まえたものです。

ただの用水にしか見えませんが、これも大和郡山城の外堀の跡です。
 


【春岳院】
秀長の菩提寺です。

 

大和郡山にはこのほかにも多くの寺社がありました。


【大和郡山城頬当門】
 


この日、私は昼食難民になりました。
町歩きしながら、美味しそうな店を見つけて寄ろうと思っていたのですが、見つかりません。
前日、ネットで下調べしたのですが、そのときもろくにヒットしませんでした。
気づいたのはこの町は外食店舗が少ない割に、弁当屋が多く、いずれの店もけっこう人が集まっていました。
外食よりも、弁当という土地柄なんでしょうか。

やっとみつけたのが西友 大和郡山店にあるレストラン街
そのなかにある麺店 数寄文(すきぶん)で昼食をとりました。


日替定食 750円
蕎麦に関してはそこそこでしたが、天丼が美味しかったです。
注文を受けてから上げるのでかりっとしています。
何よりも、この価格で提供できることが驚きです。

ただ、西友 大和郡山店は4月30日閉店となります。
その後、数寄文さんはどうなるのでしょうか。

コメント (4)
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