橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

知多四国八十八箇所 その31

2013-08-30 | 知多四国八十八箇所巡礼

常滑は知多半島西岸の中央部に位置し、伊勢湾に面しています。
窯業が主要な伝統産業で、常滑焼は日本六古窯の一つとされています(他は瀬戸・越前・信楽・丹波・備前)。
近年、観光にも力を入れており、「やきもの散歩道」と称する観光コースが設けられています。

やきもの散歩道には1.6kmのAコースと4kmのBコースがあります。
知多四国八十八カ所64番~65番はこのコース上または近くにありますので、この日はAコース+Bコース+αを歩いて巡礼することにしました。


常滑市陶磁器開館に駐輪しました。
平日無料、休日普通自動車500円,二輪車300円です、


とこなめ招き猫通り
いろいろな陶芸作家による奇抜な招き猫が見られます。




でも、壁面だけに気を取られていてはいけません。

上の方から大きな目で覗いていますよ。

とこにゃんです。

常滑焼きの窯元があちらこちらで見られます。

知多半島では、蔦を多く見るような気がしますが、気のせいでしょうか。


                           廻船問屋 瀧田家
                    所在地:愛知県常滑市栄町4-75
                        TEL:0569-36-2031
                       開館時間:9:30〜16:30
                休館日:月曜日(祝日の場合翌日),年末年始
                      (4月,5月,9~11月は無休)
                   入場料:300円,中学生以下は無料

江戸時代から明治時代にかけて廻船業を営んでいた瀧田家の住宅を復元・整備して公開しています。
当時はこのあたりが、海岸線だったそうです。
現在は西に埋め立てが進んだばかりか、人工島まで作って中部国際空港になっています。



離れ

ふたたび、やきもの散歩道に戻ります。


昔は、美容室はパーマ屋と呼んでいましたね。


土管坂

左は土管

右は焼酎瓶が石垣の代わりに使われています。

足下は土管焼成時の廃材を敷き詰めて、滑り止めにしています。

私の子供の頃は、近所でもこのような風景はよく見かけたのですが・・・
懐かしい風景です。


登窯(陶栄窯)



両脇の煙突が高くなっています。

内部を覗くこともできます。

斜地を利用し燃焼ガスの対流によって、焼成時に一定に高温に保てるよう工夫された窯の形態になっているそうです。

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さらば九州、また来る日まで

2013-08-24 | ツーリング

小倉で昼食を取ろうとデパートのレストラン街へ行ってみました。

これは失敗でした。
お盆中の日曜と言うこともあり、どの店も行列ができています。
さらに「讃岐」うどん とか 「大阪」お好み焼き とか 「銀座」天麩羅とか・・・
全国の味が楽しめるというコンセプトのようでしたが、九州の味を楽しみたい私はパスです。

市街を少し歩いてみましたが、見あたるのは全国チェーンの飲食店ばかり・・・

しょうがないので、フェリー乗り場のある、新門司に向かいながら探すこととしました。

走ること数十分、国道3号線沿いにラーメン屋を見つけました。


ネギバカ
ラーメンはおいしかったです。
ただ、ネギバカということで通常のラーメンの200円増しでした。
でもね、このぐらい横綱らーめんならば無料トッピングですし・・・
来来亭のネギラーメンはこの4倍ぐらいは入っているもんね。

さて、フェリー乗り場へ行く前に寄るところがあります。


丸和 恒見店
スーパーで酒とおつまみ・夕食を買い込みます。

フェリーは乗る日によって著しく不平等です。
混んでいるときはぎゅうぎゅうに詰められます。
麻雀室やバーにまでカーペットを敷いて臨時客室にしたフェリーに乗ったことがあります。
逆にすいてて二等船室を4畳半一間の自分の部屋ように使わせてもらったこともあります。
帰省ラッシュが始まったこの日は、間違いなく混んでおり、レストランに入るのも並ぶこととなるに違いありません。
あらかじめ、用意して船内でのんびり過ごすことにしました。


阪九フェリー泉大津行きターミナル
フェリーの形を模しているのでしょうね。


神戸行きターミナルは、平城京の大極殿をイメージしてかっこいいです。


往路と同じ、やまとに乗船です。
なんと、船室も同じでした。


今回の同士
このあと2台加わり計6台でした。

バイク・自転車は最初か最後に積むことが多いみたいです。
今回は前者でしたので、早々に乗船
自動車が入るのを見ながら入浴
風呂上がりにビールを1本
出航前にこれだけ済ませることができました。


わたしは、たいてい出港時にはデッキにいます。
港を出て行く様子を見ながら、感傷に浸るのが好きなのです。

今回、驚いたのはバイク乗り6人が皆、デッキにいたことです。
バイク乗りは他の乗り物も好きなんですね。


さらば九州、また来る日まで

船内ではゆっくり休むことができました。

翌朝


帰ってきたぞ、大阪

帰り道、西名阪道香芝SAで朝食を取りました。
「パリパリ肉そば」という不思議なメニューがありました。
皿うどんの日本そば版? 気になるから注文してみました。
出てきたのがコレ


「パリパリ肉そば」ではなく「ハリハリ肉そば」でした、つまり水菜入りと言うことです。

さて、九州の百名城13のうち、今回6城を訪問しました。

次回は別府か大分に上陸して、島原城・.熊本城・大分府内城・岡城を訪問し、その次は鹿児島に上陸して人吉城・飫肥城・鹿児島城を制覇したいと思っています。
気力も体力もまだまだありますが、いかんせん軍資金が底をついてしまいましたので、はたしていつ実行にうつせることやら。

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小倉城

2013-08-23 | お城巡り(続日本100名城)

筑前国一宮を参拝した後、高速道路を使って小倉へ移動しました。


まずは大きなデパートへ
今回、九州へ出かけるにあたり、(形の上だけ)家族を誘ってみました。
娘は受験生、息子は部活があるから、ヨメさんは仕事があるということで断られ、(これ幸いに)「しょうがないなぁ。じゃあひとりでいってくるかぁ」と出かけたわけです。
こう好き勝手やらしてもらうためには、おみやげでご機嫌を取って家族マイレージをためておくことが必須です。
ただ、暑い時期のバイク旅行なので持って歩くことは大変です。
最終日に選んで、宅配便で送ってもらうことにします。
そこで、九州の名産品が一堂に集まっているだろうデパートに出かけたわけです。

その後、小倉城に向かいましたが、時間があまりなかったので簡単に外観を見るだけしました。

現在の小倉城は、関ヶ原以降、入領した細川忠興(三斎)によって築城されました。


東側を流れる紫川

あ~、涼しそうだなぁ~


天守閣は層塔型四層の外観ですが、最上層の五階部分が同層の四階部分よりも突出してます。
南蛮造りと呼ばれるものでめずらしい様式です。


石垣は軟弱な地盤の関係でゆるやかな野面積の直線勾配となっています。
加工した切り石を使わずに自然石のみを集めて築いたというところに細川氏の自負があるといわれています。


土塀


大手門跡


槻門跡


天守から続く続櫓


本丸から見た天守閣
お城の建築物は、石垣と一緒の方が迫力がありますね。


野戦重砲
明治時代の野戦砲です。
明治以降には第十二師団司令部が置かれていました。

1866(慶応2)年の第二次長州征伐では小倉城に熊本、久留米、柳川などの九州諸藩の軍勢が集結、長州進攻の準備につきました。
ところが長州側は先手を打って高杉晋作率いる奇兵隊をはじめとする軍を小倉攻略に向けてきました。
戦闘は熊本藩兵の善戦で一進一退を繰り返しましたが、幕軍指揮官(老中)の脱出を境に諸藩の軍勢も小倉は去ってしまいました。
孤軍となってしまった小倉藩は、城に火を放って退去してしまいました。
 
幕府のご威光を借りながら、農民・町民混成部隊に負け、城を奪われるという失態は日本史の大きな転換点だと私は思います。

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住吉神社(福岡)

2013-08-22 | 一の宮巡り

筥崎宮を後にして、もうひとつの筑前国一宮である住吉神社に参拝しました。

日本全国にある住吉神社の中で最も古いそうで、古書には「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されています。
ただし、現在の全国の住吉神社の総本社は大阪の住吉大社になっています。
また、大阪の住吉大社・下関の住吉神社とともに日本三大住吉とされています。


西門・鳥居それに続く表参道


福岡の地酒
今回の旅行はビールばかりで、全然日本酒を飲んでいません。残念。


随身門


拝殿
本殿は黒田長政が再建したものだそうですが、瑞垣に囲まれて見ることはできませんでした。


底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神が祭神です。
さらに、天照皇大神と神功皇后が配祀されています。


「相撲モニュメント」ができるようです。


境内に作られた土俵


末社 三日恵比須神社
昭和21年のこと近くに住む人が河原で恵比須像の入った木箱を拾いました。
その後はとんとん拍子に何事もうまくいきお金持ちになられたそうです。
そこで、個人で独占するのはもったいないと、昭和24年1月3日にこの地に祀ることとなったそうです。


唐門
神社東側に無料駐車場があります。

                              住吉神社
                      福岡県福岡市博多区住吉3-1-51

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筥崎宮(はこざきぐう)

2013-08-21 | 一の宮巡り

筑前国一宮は、筥崎宮と住吉神社です。
福岡城訪問の後、この2つの神社に参拝しました。

まずは筥崎宮です。


二の鳥居


一の鳥居
この神社では社殿に近い順に鳥居の番号がつけられています。
黒田長政が建立しました。


立派な手水舎



楼門
小早川隆景により1594(文禄3)年に建立されました
通常の参拝はここからします。


敵国降伏の扁額
亀山上皇の御宸筆を謹写拡大したものだそうです。


拝殿と本殿
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。
八幡宮は八幡大神すなわち応神天皇が祀られています。
筥崎宮ではともに神功皇后(応神天皇の母)と玉依姫命(神武天皇の母)も祀られています。


亀山上皇尊像奉安殿
亀山上皇は元寇に際し、「我が身を以て国難にかわらん」と敵国降伏、博多の街の安寧を祈願されました。
福岡市博多区の東公園には銅像が建てられていますが、その銅像の原型となる木彫像が安置されています。


高さ約6mの大迫力です。
拝観時間;9:30~16:30(予定)


御朱印を書いていただくのに、時間がかかりましが、
待合室として冷房の効く部屋を案内していただきました。
さらにそこには


敵国降伏のいわれがあったり、


博多祇園山笠に使われた人形が展示されていました。
元寇の際に博多を守った武士の姿ですね。



もちろん触らせてもらいましたよ。


唐船塔
中国人祖慶官は船争いで捕虜になり、この地に連れてこられました。
十三年の歳月が流れ、祖慶は日本人妻との間に二人の子もできました。
ある日、中国に残した二人の息子が、身代賠償のための宝を持って、はるばる父を引き取りにやってきました。
箱崎殿は、身代金をもらったことで、快く祖慶を引き渡したが、日本子はいっしょに行くことが許されません。
日本子は引き留めようとし、唐子は連れて帰ろうとする。板挟みになった父は進退窮まり、ついに海に身を投げて死のうとします。
これを見た箱崎殿は、「当社八幡も御知見あれ、偽り更にあるべがらず」と言って、五人そろっての帰国を許します。
祖慶は喜んで、船の上で楽を奏して舞をまいながら、唐土めざして帰って行ったそうです。


                             筥崎宮
                      福岡市東区箱崎1丁目22-1

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福岡城

2013-08-20 | お城巡り(日本100名城)

九州ツーリング3日目は福岡城訪問から始めます。

現在、城跡の大半は舞鶴公園となっており、テニス,ラグビー,陸上競技場などのいろいろなスポーツ施設が設けられています。


平和台陸上競技場横の駐輪場にバイクを停めました。

平和台と聞いて懐かしく感じた人も見えることだと思います。
かつて、西鉄ライオンズ・ダイエーホークスの本拠地であった平和台球場はこの隣にあったのですが、


現在はこの敷地跡から、鴻臚館(こうろかん)の遺跡を発掘中です。

鴻臚館とは、奈良時代・平安時代古代における外国使節の宿泊・接待などのための施設です。


                          鴻臚館跡展示館
                         福岡市中央区城内1
                       開館時間;9:00~17:00
                        休館日;12/29~1/3
                           入館料;無料
日本百名城のスタンプは受付で押印できます。

福岡城に関しては平和台球場跡を挟んで反対側のこちらで学べます。


                         福岡城むかし探訪館
                        福岡市中央区城内1-4
             開館時間;9:00〜17:00〈夏期(7〜9月)は19:00まで〉
                        休館日;12/29~1/3
                           入館料;無料
とりわけ、今と昔を交差しながら、城内の散策コースを紹介したVTRは大変参考になりました。


復元模型


福岡城は黒田官兵衛(孝高・如水)が築いた城です。
1600(慶長5)年 、関ヶ原の戦いの功績により豊前国中津16万石から、一躍筑前一国52万3千石を拝領し築城(このころ家督は長男の長政に譲られていた)、以後、明治維新まで黒田家が治めました。


上之橋御門
三の丸の入り口です。


東御門
この石段を登ると二の丸です。



扇坂門


かつては左右の石段がつながり扇形であったのでこの名が付いています。


石段を上がって、一段高くなったところが本丸です。


祈念櫓
本丸の北東隅あり、鬼門封じを祈念して建立された櫓です。
大正時代にお寺払下げられました。
その後に元の位置に再移築されましたが、改築されて元来の形とはちがうそうです。


井戸
本丸だけでも3カ所大きな井戸が掘られています。


天守台
天守閣の存在については意見が分かれています。
建てられていたとしてもわずかな期間だったようです。


鉄(くろがね)門
ここには鉄製の扉がありました。


埋門
上部には建物がありました。

天守台からの眺め


裏御門


桐木坂御門


多聞櫓
内部では「軍師 管兵衛と福岡」という企画展が開かれていました。


本丸南側石垣


松木坂御門
ここを降りて再び三の丸に移動しました。


この長屋門は母里太兵衛の旧邸に建てられていたものを移築したそうです。
「酒は飲め飲め 飲むならば」の黒田節の歌詞は、この母里太兵衛が、福島正則から酒を勧められた逸話を基にしているそうです。


名島門
1587(天正15)年に小早川隆景が築いた名島城の脇門を、黒田長政が家臣の林掃部に下げ渡し、これを明治の中頃にこの位置に移築したものだそうです。


御高屋敷跡
黒田官兵衛の隠居地だったところだそうです。


潮見櫓


下之橋御門


これでほぼ一周したことになりますが、これだけまわるのに2時間30分かかりました。
都会の中にひっそりと埋もれている名城でした。

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大野城 (筑前国)

2013-08-19 | お城巡り(日本100名城)

次の目的地は福岡県にある大野城です。

吉野ヶ里より高速を使って約30分、太宰府に到着しました。


太宰府政庁跡
大宰府は7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関です。
中国や朝鮮半島に対する外交と防衛を主任務とすると共に、西国諸国を管轄する役目を持っていました。


この太宰府を防衛するために後方の山に築かれたのが大野城です。


                                                太宰府展示館
                                 福岡県太宰府市観世音寺四丁目6番1号
                                      開館時間;9:00~16:30
              休館日;月曜(祝日の場合は翌日),12/28~1/4

佐賀城に続いて、ここでも学芸員の方から詳しい説明をしていただきました。
百名城スタンプはここで押すことができます。

なお、太宰府政庁跡すぐ西に無料駐車場があります。

バイクで十数分、水城(みずき)跡に移動します。

663年、日本は百済に味方して朝鮮半島で唐・新羅連合軍と戦った(白村江の戦い)が大敗してしまいます。
中大兄皇子は、唐・新羅が博多湾から大宰府に攻め込むことを想定し、万一の場合に備えて翌664年に水城を築かせました。


水城は、博多湾方面からの攻撃から大宰府を守るための堀と土塁です。
土塁は、高さ10m、幅80m、長さ1.2kmあり、堀には水が貯えられていました。


土塁には2箇所に開口部があり、そこに門がありました。


東門の礎石


展望所から眺めてみました。

角度を変えて見た様子です。

665年、さらなる防衛拠点としてとして大野城を築きました。
四王寺山の尾根に延々8200m以上に及ぶ土塁めぐらし、土塁が谷にかかるところでは、石垣を築くという壮大なものでした。
当時の日本にはこれほどの築城技術はなかったので亡命百済人の指揮のもと作られた古来朝鮮式の山城です。

しっかり見学するためには、本格的な登山となります。今回は要所のみバイクで移動して見学しました。



百間石垣
日本書紀の時代にこれだけ立派な石垣が築かれたこと、それが1300年以上たっても残っています。まったくもって驚きです。


土塁


太宰府口楼門跡
大野城の正門でこの上に楼門があったとされています。
礎石の間隔からみてかなり大きなものであったことが予想されます。


門のまわりの石垣


戦国時代には大野城とは別に岩屋城という城が設けられました。
大友氏の家臣・高橋紹運はここに籠もり、九州制覇を目指す薩摩の島津氏と激戦を交えました。
最終的には、紹運以下763名全員が討死または自害して戦いは終わりましたが、島津軍も撃退され続け、おびただしい数の兵を消耗してしまいます。
島津氏は態勢の立て直しに時間を要し、九州制覇という島津氏の夢が叶わなかったばかりか、その後、九州に上陸した豊臣軍20万によって薩摩本国への撤退を余儀なくされました。


本丸跡

大野城市・太宰府市が一望できます。

高いところから水城を見たかったのですが、あいにくガスが出てよくわかりませんでした。

太宰府政庁跡はかろうじて確認できました。

遠くで雷が鳴っています。
このあたりで、切り上げてホテルへ向かうことにしました。


本日の宿泊先のホテルグランティア太宰府
この日は炎天下に3つの城を歩き回る予定でしたので、最終目的地の大野城の近くに宿を取っておきました。
しかも、天然温泉です。

繁華街からは離れているので、夕食もホテルの中のレストランで済ませることにしました。

ちょっと豪華でしたね。

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吉野ヶ里

2013-08-18 | お城巡り(日本100名城)

吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の環濠集落の史跡ですが、同時に城郭の要素をいろいろもっております。
このため、日本百名城のひとつに指定されています。

佐賀城から、一般道を使って30分ほどで到着
駐車料金はバイク100円(普通車300円 ,自転車 無料)です。


西口ゲート
日本百名城スタンプは受付で押すことができます。


ゲート脇に置かれた陣笠
6年ぶりに国内で40度を超えました暑い日でしたので、大変助かりました。


とにかく場内は広いです。


場内は無料循環バスが走っていますので、行けるところまで行って、バスで帰ってくる作戦でいきました。


いくつかの集落がありその廻りは柵で囲まれています。

まずは「南のムラ」とよばれるエリアに行ってみました。
ここは下戸(げこ)とよばれた一般の人々が住んでいた区域です。


土塁が築かれその上に柵が作られています。


その内側には堀が巡らされています。


さらに、逆茂木(さかもぎ)とよばれる恐ろしいバリケードがあります。
稲作が伝わってからは、水や土地を奪い合う争うが発生し、集落の入り口や重要な部分はこうして守ったそうです。


一般人の家




展示室



王が居住し政治を行っていた、南内郭とよばれるエリア


正門


郭内には4つの物見櫓があります。
「あー登ってみたいなぁ」と思っていたら。


登ることができるのもありました。


櫓からの景色です。
柵と堀が幾重にもなっていることがわかります。


大人の家
大人(たいじん)とは支配層の人たちの呼び名です。


集会の館
王や大人が集まり、会議をする施設です。


北内郭
吉野ヶ里集落の中でもっとも重要で神聖な場所とされており、まつりごとが行われたと考えられています。


入り口は鍵形になっています。


ここにも物見櫓があります。


主祭殿
指導者達がまつりごとを話し合ったり、先祖の霊を祈りを捧げる儀式をした最重要施設。


斎堂
まつりのときに身を清めたり、儀式の道具が置かれた施設と考えられています。


東祭殿
夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上にある建物
季節ごとのまつりの儀式に使われたと考えられています。



死者を埋葬する甕棺


祖霊の宿る柱


こうしてみると、土塁や柵・堀で周囲を巡らし、入り口を鍵形にし、櫓を建てているのでたしかにここに城郭の要素は取り込まれていますね。


急ぎ足でひととおりは見て歩きましたが、じっくり見るためには1日かかるつもりで行くのがよろしいかと思います。

帰り道は当初考えていたように、巡回バスに乗ろうと考えていましたが、夏休み中の猛暑日ゆえ、満員です。
しかたなく、歩き始めましたが、南に進んでいたつもりがいつのまにか西端に行ってしまいました。
気付いたときは大きなショックでした。
よくよく考えたら、スマホを持っているのでGPSで位置確認しながら歩けばよいのですね。
こうして、なんとか戻りましたが、もうヘロヘロです。

                           吉野ヶ里歴史公園
         利用料金;大人 400円(小中生 80円,65才以上のシルバー 200円)
                 開園時間:9:00~17:00(夏場9:00~18:00)
                 休園日;12/31,1月の第3月曜日とその翌日

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佐賀城

2013-08-17 | お城巡り(日本100名城)

九州ツーリング2日目、唐津のホテルを出発して、佐賀市へ向かいました。

佐賀は佐賀藩の藩都であり、佐賀城はあったところは、いまでも市の中心部になっております。
にもかかわらず、無料駐車場完備!


鯱の門および続櫓
本丸の門として1838(天保9)年に完成、佐賀の役も耐え抜いた現存建築物です。

佐賀城は龍造寺氏の居城でした。
龍造寺隆信が島津・有馬連合軍に敗れて戦死したのち、家臣の鍋島氏が実権を握りこととなりました。

本丸御殿は復元され、佐賀城本丸歴史館として使用されています。


御玄関


御式台
応接間またはいろいろな行事に使われた場所です。
日本百名城は受付で押すことができます。


入場料は無料ですが、中身は大変充実していました。
名護屋城もそうですが佐賀県の歴史資料館に対する姿勢はすばらしいものがあります。

ボランティアガイドの方に声をかけられました。
齢八十の老紳士でしたが、わかりやすくかつ熱心に、1時間ほどもマンツーマンで解説いただきました。ありがとうございました。


御座間(ござのま)
藩主の居室があった建物です。
明治以降、小学校の校舎と使われた後、公民館として使用されていました。
したがって、この部分だけは現存する天保期の建物です。


外御書院
四つの広間があります。
この四つの広間および廊下の襖を取り払えば、320畳もの大広間となります。
まるで体育館のような広さです。すばらしい建築技術です。


本丸西門
疑問その1 お城の門としては単純だとおもいませんか。
通常、鍵形と言ってわざとL字に曲げて、突撃を阻むとともに周囲から攻撃できる形にしているものです。


天守台

外側からの登り口


御殿側から見た天守台
疑問その2 本丸内側からの登り口がありません。
これらより、天守台内側に登り口を兼ねた建物があったとされています。


天守台に登ってみました。
小倉城天守の図面を参考に4層5階の天守が建造されていたとされています。


天守台からの眺め
現在、佐賀城公園として残されているのは本丸部分だけです。
かつての二の丸・三の丸部分には、県庁、合同庁舎、放送局、美術館、博物館、学校など建ち並んだ官庁街になっています。


南西隅櫓台


亀甲乱積み
城内でもここでしか見ることができません。


本丸南側の堀
幅40間(約70m)あります。


立派な土塁
草の生えた45°の坂は滑って登りにくく、堀を泳いできた兵に対して有効であると考えられます。
佐賀城は平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられています。
城が樹木の中に沈み込んで見えることや、攻撃にあった際は主要部以外を水没させる仕組みになっていたので別名「沈み城」とも呼ばれていました。


本丸西側の堀
埋められて浅くなっています。

                       佐賀県立佐賀城本丸歴史館
                       佐賀県佐賀市城内2-81-1
                        開館時間;9:30~18:00
                        休館日;12/29~12/31

 


佐賀城公園から1km離れたところにある築地反射炉
幕末、十代藩主、鍋島直正がつくらせた日本初の実用反射炉です。
この完成により、日本でも鉄製大砲の鋳造が可能となりました。
それまでは青銅製しかつくることができず、列強のそれに対して劣っていました。
江戸のお台場の大砲もここで作られたそうです。


現在は佐賀市立日新小学校の校地になっています。


グラウンドでは、盆踊りの準備がされていました。
あれれ?カノン砲が置かれていますね。

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唐津城

2013-08-16 | お城巡り(続日本100名城)

唐津城は、豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩守広高が、名護屋城の解体資材を用いて築城といわれています。
日本百名城には含まれていませんが、訪問してみました。

本丸跡地が舞鶴公園として整備されています。


公園前には立派な駐車場がありますが、なぜか「二輪車禁止」とのこと。
にもかかわらず、どこにも駐輪場が見あたりません。


路駐して切符きられるのも嫌ですから、裏口脇にとめました。
文句言われたら「観光地なら駐輪場をちゃんと用意するべき」と言うつもりでしたが、特におとがめはありませんでした。

石段が多いので、エレベーター(有料)が用意されています。

「え?エレベーター?」
そうです。リフトでもなければ、ロープーウェイでもありません。
ただ、このエレベーター斜めに移動するのです。はじめて経験しました。


鉄筋コンクリートによる復興天守
なお、唐津城に天守台はありましたが、天守閣が存在したという記録も絵図も存在しません。


ハウルの動く城ではありません。
石垣工事中です。


旗竿石
名護屋城周辺の陣屋に軍旗や馬印を建てるために用意されたものです。


天守閣からの眺め
奥に見えるが日本三松原のひとつである虹ノ松原です。
ちなみに、残り2つは三保の松原(静岡県静岡市)と気比の松原(福井県敦賀市)だそうです。

天守閣を鶴の頭に見立て、左右に広がる松原が鶴が翼を広げた姿に似ていることから、別名舞鶴城と呼ばれています。


玄界灘を臨みます。



櫓門


枡形門


石垣


登りにエレベーターを使って良かった。

                           唐津城天守閣
                      佐賀県唐津市東城内8番1号
               開館時間;9:00~17:00(入館は16:40分まで)
               入場料;大人400円(4才以上15才未満200円)
                       休館日;12/29~12/31

                        舞鶴公園エレベーター
            利用料(片道);大人100円(4才以上15才未満50円)


この日は唐津第一ホテルリベールに宿泊しました。
私はホテルを選ぶ際、無料駐車場があるところを選びます。
バイクですから、なんとか場所を見つけてとめさせてもらえるのですが、通り沿いに置いておくといたずらが心配です。


ここは駐輪スペースもたっぷりあるとはいえ、自転車乗り諸君お行儀が悪いですぞ。

また、なるべく、大浴場のあるホテルを選びますが、ここは大当たりでした。
広さこそそこそこですが、新しいし、照明も工夫されきれいでした。


朝食バイキング
一品一品工夫されています。
なかでも、一番左の「朝からつ茶漬け」、味付けられた鯛の切り身をご飯にのせ、出汁をかけていただきます。
朝からとっても贅沢な気分になりました。

コメント (2)
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