橋本屋吉次郎電子日誌

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電撃 群馬侵攻

2020-10-29 | お城巡り(続日本100名城)
2017年から続日本100名城スタンプラリー始まり、わしも2回目の天下統一をめざし、参戦したのじゃ。
しかし、本年は新型コロナという外敵が現れ、往生させられた。

それでも、福知山城,黒井城,座喜味城,勝連城,大和郡山城,増山城,富山城,鳥越城,飯盛城,芥川山城と訪れることができ、訪問済みの続日本100名城は51/100となった。えへん!


オレンジの部分が訪問済みの続日本100名城じゃ

で、次の作戦だが、この流れから察するに敵(誰のこと?)は、西日本方面への進軍を警戒しているだろうから、裏をかいて群馬県の続日本100名城の攻略することに決めた。
いわゆる二正面作戦じゃな。

群馬県の続日本100名城は、岩櫃城,沼田城,名胡桃城の真田氏3城で、互いに近くに位置すること、沼田城と名胡桃城は公園程度で見て歩くのも容易であり、一気に片付けられるものと常々考えていたのじゃ。

とはいえ、愛知県から行くとなると日帰りは慌ただしく、一泊はしたいものじゃ。
そこで、いつものように楽天トラベルで宿を探していたのじゃが、
群馬県って温泉が多いのじゃな。
しかも、比較的リーズナブルな。知らんかった。

ここでわしはひらめいた。
女房殿をともなって温泉旅行も兼ねるという計略である。

わしは普段から好き勝手出かけているが、そのためには家族マイレージをしっかりためていくことが肝要なんじゃ。

そんなわけで、温泉旅行および群馬観光にカモフラージュした、続日本100名城スタンプラリーに出掛けたわけじゃ。

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芥川山城

2020-10-15 | お城巡り(続日本100名城)
芥川山城は飯盛山城と共に大阪府下では最も規模が大きな城跡で、遺構の残存状態も良好で戦国時代の典型的な山城です。


芥川山城は標高182.6mの三好山に築城されています。
1533(天文2)年、細川政元が入場し、細川政権、その後継と言える三好政権の本拠地となりました。


四条畷市立歴史民俗資料館から、昼食休憩を含めて約40分、高槻市立しろあと歴史館へやってきました。


高槻市立しろあと歴史館
所在地: 大阪府高槻市城内町1-7
電話: 072-673-3987
開館時間: 10:00~17:00
休館日: 毎週月曜

続日本100名城スタンプは、ロビーで押すことができます。
ここは、高槻城の三の丸跡にあたり、資料や映像、模型などで江戸時代の高槻を紹介しています。
芥川山城に関する展示はわずかでした。
なお、高槻城本丸跡は現在、城址公園となっていますが、この日は雨が降り出す前に芥川城登城を果たさなければならないため、見学を止め、後ろ髪を引かれる思いで摂津峡へ向かうのでありました。


芥川山城の登城口は住宅街にあり、近くに駐車場がありませんので、1km程離れた摂津峡公園下の口駐車場にバイクを駐めました。
自動車・大型バイクは1000円かかりますが、それ以外の二輪車は脇の臨時置場に駐めることができ、無料です。

まずは、摂津峡大通りを東に向かって、塚脇バス停まで歩きました。

ここは、芥川山城に関する掲示物がいくつもあり、さながらミニギャラリーとなっているので登城前に寄ることをお薦めします。






集落を特別養護老人ホームをめざして北上します。


なんじゃこりゃ?
後で調べてみたら、韓国の済州島にある石像でトルハルバン(石製の爺さん)とよばれるものらしいですが、なぜここにあるのでしょうか?


高槻黄金の里特別養護老人ホームが見えてきました。
この西側を道沿いにさらに北上します。


最初の分岐点は直進し、


二つめの分岐点で右に進みます。


このような表示があるので間違えることはないでしょう。


なだらかな登り坂が続きます。


芥川山城は私有地です。
訪問させていただいているという心がけが必要だと思います。


この表示を左に曲がります。


獣よけの柵を左手に登りますが、もうすでに右手には西端の曲輪があります。




墓でしょうか?


土橋


堀切


竪土塁


右に進むと山頂すなわち主郭で、左に進むと大手です。


大手には石垣が残っています。


まだ頂上ではありませんが、


見事な眺望です。


頂上まであと少し。


頂上すなわち主郭です。


三好長慶を祀っている祠


ここまで1時間かかりました。


主郭からの眺め




5.36 km 所要時間1時間50分でした。
ポツリ、ポツリと雨粒が落ちてきましたが、雨具を使うほどではありませんでした。
もっとも、帰路、大津SAでカッパを着ることになるのですが・・・

コメント (2)
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飯盛城

2020-10-12 | お城巡り(続日本100名城)
飯盛城と芥川城は、大阪西部にある続日本100名城ですが、いずれも三好長慶の居城でした。
となれば、大河ドラマのブームに乗って、現在登城者も急増中?
さらに、どちらも手頃なハイキングコースにもなっていますので、陽気がよくなってきた昨今、週末はきっとにぎあうこととなりそうな予感がします。

ということで、たまたま平日休みが取れたので、少々天気は心配なれど、出掛けることにしました。


通常、歴史資料館などに先に訪れて、予習と資料収集を行いますが、今回は雨が降る前に任務を終えたいため、開館時間前に登城を開始することにしました。

飯盛山山頂に向かう道は細いですが、大東市立野外活動センター(キャンピィだいとう)までは舗装されており車でも行けます。
ただ、野外活動センターを越えると未舗装でさらに細くなります。
桜池の湖畔に車数台ぐらい駐められるスペースがあったので、ここにバイクを駐め、登城することにしました。


このあたりから山の中に入れば、大手道につきあたるはずですが、自信がないので、飯盛山山頂をめざして歩くことにしました。(この立て札では四條畷方面の方向)


山頂までは約15分でした。



楠公寺
かつては飯盛城の馬場でしたが、遺構は見当たりませんでした。


少し歩くとこのような道しるべがありました。


飯盛山頂に向かって歩くと3分で山頂です。


山頂すなわち本丸展望台郭です。


現地案内板
飯盛城山頂を中心にして、尾根沿いに郭がつくられています。

1560(永禄3)年、三好長慶は芥川山城から拠点をこの城に移しました。
彼はこの城を拠点に五畿内(大和、山城、河内、摂津、和泉)と四国の一帯を統治し、室町幕府の政治を動かしました。


本丸からの眺め
どの郭からも大阪が一望できます。

一段高くなっている本丸高櫓郭にある国旗掲揚塔


太平洋戦争時に本土空襲に備えた監視哨があったそうです。



楠木正行像
楠正成の長男で、南朝の後村上天王に仕え、1348(正平2)年この山の麓の四条畷で北朝方の高師直軍と戦い、敗れた。
この像は1937(昭和12年)年に建立されたが、太平洋戦争のさ中の1943(昭和18)年台座を残し、上の銅像の部分を供出。
戦後1972(昭和47)年に再建された。


傍らには、再建に尽力した田伐兼松氏の銅像があります。


本丸蔵屋敷郭


北条神社から登るとここにたどり着きます。
こちらのルートの方が急なようです。


本丸三本松郭


木々の向こうに石垣があるのがわかりますか。


二ノ丸御体塚郭


ここにある石碑は登山三百回記念であり、飯盛城には関係ありません。

郭と郭の間は堀切と


土橋によって仕切られています。



二ノ丸史跡碑郭


飯盛山史蹟碑


本丸高櫓郭と本丸千畳敷郭の間に自動車が停めてありました。
頑張ればここまで来られますが、すれ違いを考えるとやめた方がよいと思います。


本丸千畳敷郭に建つ、FM放送電波塔


本丸千畳敷郭


虎口
左手前に石垣が見られます。

虎口からしばらく降りていくと「←桜池・野外活動センター」の表示がありました。



桜池
水がよどんでいるので、名前から連想するほど綺麗ではありませんでした。


やっぱり、出発したところに戻ってきました。


距離2.54 km、所要時間1時間10分でした。



桜池湖畔よりバイクで約20分、四條畷市の歴史民俗資料館へやって来ました。


四条畷市立歴史民俗資料館
所在地: 大阪府四條畷市塚脇町3-7
電話: 072-878-4558 
開館時間: 9:30~17:00
休館日: 月曜日

続日本100名城スタンプは、入り口で押すことができます。

平日、資料館あるあるで学芸員さんがマンツーマンで詳しく解説して下さいました。
内容は面白かったのですが、飯盛城に関する展示・解説は少なかったです。



このあとは、芥川城に向かいました。

コメント (2)
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