橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

土佐神社

2017-02-11 | 一の宮巡り

高知城を後にして、坂本龍馬記念館にやってきました。


高知県立坂本龍馬記念館
所在地: 高知県高知市浦戸城山830番地
開館時間: 9:00~17:00
休館日: 年中無休
入館料: 大人(18才以上) 500円,高校生以下 無料

中学の時、図書室で偶然目にした「竜馬がゆく」
この不思議な本のタイトルに惹かれて読み出したのが、私の坂本龍馬ファンそして歴史好きの始まりです。
ただ、近年、ツウぶって龍馬ファンであることを公言していませんでしたが・・・


さて、いよいよ今回の旅行最後の目的地です。


土佐神社
所在地: 高知市しなね2丁目16-1


社号標に書かれた「土佐神社」の文字は、橋本龍太郎元首相が書かれたものです。


土佐神社の参道入り口に建つ楼門(神光門)


鳥居


鳥居の足元には松飾りが置かれていました。


社殿
1570(永禄13)年に長宗我部元親公によって再建されたものです。
拝殿、幣殿、御本殿が十字の形をつくる独特の形状で「入りとんぼ」と呼ばれています。


拝殿前にはレールがあり脇にこんなのが置かれていました。
おそらく、初詣などの時に増設賽銭箱として使われると思うのすが、はたして?


本殿


御祭神は、
味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)
一言主神(ひとことぬしのかみ)
です。



鼓楼
1649(慶安2)年、2代藩主山内忠義による造営。
内部には時を知らせるための太鼓を吊されています。国の重要文化財。


摂社 事代主神社


ご神木の大杉


つぶて石
古代祭祀場の跡地といわれています。

輪抜け祓い所
 
 


絵馬殿


土佐神社から高知自動車道高知インターは数分です。
南国SAで土佐南国ラーメンをいただいて帰路につきました。
 

コメント (2)
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高知城

2017-02-05 | お城巡り(日本100名城)

愛媛・高知の城廻りの旅3日目です。
高知市内のホテルを出発し、朝9時前に高知城のある高知公園駐車場に駐車しました。
駐車料金は、1時間まで360円、30分延長毎100円です。

あいにく、未明から降り出した雨は、本降りになってしまいました。
 

関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、1601(慶長6)年、高知城を築き始めました。

おりからの雨で一豊公も泣いています。
 

いきなり、高知城のベストショットです。
追手門ごしに天守が見えます。
 

板垣退助氏も泣いています。
 


高知城の石垣には多数の石樋(いしどい)が設けられています。
石樋は排水設備のひとつで、城内の水を外に流すためにつくられています。
また、その際に石垣に直接当たらないようにするため(直接石垣にそって流すと地盤がゆるんで崩壊を促進してしまうため)、少し突き出た形状になっています。
雨量の多い高知城ならではの特徴です。
活躍する姿が見えて良かった?

側溝も活躍しています。
 

石垣の様子
 


杖も用意されていますが、さほど上り下りはたいへんではありませんでした。

三の丸鉄門跡
 
 


詰門
階上は登城した武士の詰め所になっています。


三の丸


天守が身近に見えてきました。
しかし、ここからも紆余曲折しなければいけないのは他の城と同じです。


二の丸


二の丸から詰門を通って本丸へ


本丸から見た西多聞櫓


天守と懐徳館(本丸御殿)
現存天守であるだけでなく、御殿をはじめ本丸の建物がすべて残っているのは高知城だけです。
開館時間:9:00~17:00
休館日:12/26~1/1
利用料:18歳以上 420円,18歳未満 無料
入場券売り場で日本百名城スタンプを押印することができます。


本丸御殿正殿上段の間
お殿様が座る場所ですね。
左に見える襖は武者溜といって警護の者が詰めています。いざというときはここから飛び出してくるのです。

なんと、高知城では武者溜の裏側が見られるのです。
裏側まで見られるのは私の知る限りではここだけです。
 

天守最上階からの眺め
北側
 


日の丸が掲げてある広場が二の丸
本丸への通路でもある詰門と多聞櫓も見えます。
手前に見える高欄(手すり)は高知城独特のものです。

三の丸
 


東側
右手前に大手門が見えます。


南側


鉄砲狭間はGun Portsと訳されていますね。


本丸黒鉄門


鐘楼
時を告げるために太鼓櫓がおかれている城はよく見かけますが、鐘楼はめずらしいです。

ここにも石樋があります。

 

武者返しもあります。
 

帰路は山内一豊の妻がお見送りくださいました。
 


高知県立高知城歴史博物館
平成29年3月4日開館予定です。

開館後にまた訪れてみたいです。
ひろめ市場で飲みたいし・・・(昨夜は土曜ということもあり満席でした)

このあと、桂浜の坂本龍馬記念館に向かいました。

コメント (2)
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宇和島城

2017-02-01 | お城巡り(日本100名城)

大洲から車で1時間ほど、宇和島にやってきました。

宇和島は宇和島城の城下町であり、江戸時代には宇和島藩の藩庁もおかれていました。
市街地に入ると、丘の上の城を簡単に見つけることができます。


桑折長屋門
開門:6:00~17:00(10月~3月),6:00~18:30(4月~9月)
藩政時代宇和島藩の家老桑折(こうり)氏の長屋門として使用されていたもので、現在は城山の北登山口に移築されています。
桑折長屋門前には市営城山下駐車場があり、そこに駐車しました。

駐車場向いにある、日本料理店。
まずは、ここで昼食をいただきました。


一心
所在地:愛媛県宇和島市丸之内1-3-2
電話:0895-24-6698
営業時間:11:30~14:00,17:00~22:00


鯛めし定食
宇和島名物の鯛めしは炊き込みご飯ではありません。


鯛の刺身を出汁につけ「ヅケ」の状態にしたものに、生玉子をかき混ぜていただくという、超リッチな玉子かけご飯です。
どういう処理がしてあるのかわかりませんが、柔らかく味のしみた鯛は玉子ご飯とよく合います。

なお、市営駐車場1時間分100円のサービス券をいただきました。

さて、桑折長屋門から登城します。



現地案内板
もっとも、2つとも反対側の登城口に建てられていたものです。


門脇には杖が用意されています。
利用されると良いでしょう。


すぐに道は二手に分かれます。
短いが急な坂道と長く緩やかな坂道です。

私は急な坂道を選びました。
緩やかな坂はおそらく工事車両が通行できるように新しく作られたものであり、本来の登城路は急な坂道の方だと思うのです。

急坂と行っても、かつては鎧兜を着用し、刀や槍を持って登城したわけですから、丸腰・軽装のくせに避けてはいけないのです。
 


井戸丸跡
大きな井戸が残っていました。


城山郷土館
所在地:宇和島市丸之内1
開館時間:9:00~16:00
休館日:月曜日
入場料:無料

三の丸に建てられていた山里倉庫(武器庫)を移築したものです。
民俗資料や古写真などを展示している他、宇和島出身の偉人やゆかりの人物にスポットを当て、映像、パネル、関係資料などで紹介しています。


穂積陳重・八束の生家長屋門
穂積陳重は、明治から大正期の日本の法学者で日本初の法学博士です。
また、弟の八束は憲法学者です。
建物の入り口には「城守屯所」との看板が掲げられており、管理事務所として使われているようでした。


天守が見えてきました。


三の門跡


二の丸に到着しました。


石段を登って本丸へ


本丸


天守
開館時間:9:00~16:00(10月~3月),9:00~17:00(4月~9月)
休館日:無休
入場料:大人200円,小・中学生100円


三重三階の現存天守です。
日本百名城スタンプは天守1Fのテーブル上にあります。入口から入って右手です。


宇和島城は、藤堂高虎によって築かれた近世城郭です。
西側半分が海に接し、東側は海水を引き込んだ水堀に囲まれた海城でした。
現在見られる、天守などの建築は藤堂氏の後に入った伊達氏によるものでですが、縄張そのものは藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られています。
最大の特徴は、五角形平面の縄張りです。
城を攻める側は当然方形の縄張を予想して攻めてきます。しかし実際は五角形だから、一辺が空角になります。つまり、城を攻める側にとって、完全に死角になってしまい、攻撃は手薄になります。
この一辺の空角は、敵の攻撃を避けられるとともに、敵を攻撃する出撃口ともなり、さらに、物資搬入口、城から落ちのびる場合の抜け道ともなります。
現に幕府の隠密が江戸に送った密書(『讃岐伊予土佐阿波探索書』)には「四方の間、合わせて十四町」と、誤って報告されています。

天守からの眺め
北西方向
宇和島湾が見えます。
 

北東方向
 

南東方向
 

南西方向
埋め立てによって増えた市街地に囲まれており、海城の様相はもはや見られません。
 




雷門跡


帰りは南登山口に向けて降りていきました。


式部丸跡の石垣


上り立ち門
現在は、城山南側の登城口として機能していますが、江戸時代の絵図によれば、天守へ登城していく搦手筋に位置していました。


児島惟謙像
大津事件で司法の独立を守った事で有名な、宇和島出身の司法官です。

この日は、高知市へ移動し、宿泊しました。

コメント
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