橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

がんばれ至学館高校

2011-07-31 | 愛知県

昨日行われた、高校野球愛知大会決勝で愛工大名電を破り、至学館高校が初の
甲子園出場を決めました。
これが今、愛知県で話題となっています。

至学館高校という名は愛知県民でもなじみの薄いものですが、もと中京女子大
学付属高校、すなわちレスリングの吉田沙保里や伊調姉妹を輩出した中京女子
大学(現 至学館大学)の附属高校といえばわかりやすいと思います。

旧名でわかるように元々は女子校でしたが、6年前に男女共学になり校名変更
となりました。
したがって、創部6年目の快挙なのです。

ただ、このプロフィールから、
「私学だから金にものを言わせ、優秀な選手をかき集め、専用グランドで練習
しとるんじゃないの?」
なんて、勘ぐりたくなりますが、そうではないようです。

創部当時、たった6人の同好会で始まった野球部で、
未だに専用練習場を持たないどころか、グラウンドは中学との共用のため、練
習できるのは週1日だそうです。
休日に他校へ練習し会いに行き、その際、守備練習を行うように努めていたそ
うです。

これといったスター選手はいませんが、それぞれの持てる力を精一杯に出し尽
くしてプレイをしている姿は高校野球の原点を見ているようでした。

さらに、この高校の校歌が画期的です。

一番高い所に登って 一番光る星を掴んだ
一番辛い道を選んで 一番強い心をまとった

海を渡る風が吹いた カシオペアが近くに見えた

夢を追い続けた そしてここまで来た
でもどうしてかな 熱い涙が止まらない
うつむきかけた時 君の顔が見えた
差し出された白い腕が 翼に見えた

どうですか?まるでJ-POPのようでしょ?
本大会での活躍が楽しみです。

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甚目寺(じもくじ)

2011-07-28 | 愛知県

母とともに名古屋市博物館へ行き、


甚目寺観音展を見に行きました。


鳳凰山甚目寺(通称 甚目寺観音)は尾張四観音の一つで、名古屋市に隣接し
た「あま市」にあります。


甚目寺は何度か訪れたことはありますが、普段は目に触れることのできない仏像や資料
が見られると思い、足を運んだ次第です。

予想以上の多くの仏像・資料を見ることをでき大満足ですが、残念ながら写真
に撮ることはできませんでした。

せっかくですから、帰路、甚目寺に寄ってみました。


仁王門


当然ながら、仁王様は名古屋市博物館に出張中なのでお留守です。
なお、福島正則の寄進と伝えられていましたが、今回の修復でその旨の記述が
新たに発見されました。


秋葉堂
秋葉三尺大権現が本尊です。
本山の遠州大登山秋葉寺は神仏分離・廃仏毀釈によって、明治6年(1873年)
廃寺に追い込まれ、秋葉神社に強制的に改組されています。


三重塔
愛染明王が祀られていますが、その内部に球形の容器に収められて「胎内像」
が今年になり見つかりました。
名古屋市博物館で「最初で最後の展示」と銘打って公開されていましたが、作
られた鎌倉時代の色彩がそのまま残っている見事なものでした。


縁結びと耳に遠い人に御利益があるそうです。
柄杓を奉納するのが流儀のようです。


弘法堂


明王堂


本堂
伝承によれば、597年、伊勢国の漁師が網にかかった黄金の観音像を発見した
のが始まりだそうです。
この観音像は仏像の内部に安置されており、今回も拝見することはできませんでし
た。


釈迦堂


四国八十八カ所霊場巡り


六角堂


十王堂
十王とは死後の審判をおこなう地獄の十人の裁判官です。
閻魔王しか知りませんでした。
この十王も名古屋市博物館に展示されていました。


鐘楼


不動堂


東門
名古屋に向かう方角であり、門前町が連なっております。
昨年までこの地は、この寺の名を取って愛知県海部郡甚目寺町とよばれていまし
た。
しかし、周辺の2町と合併し、「あま市」と名乗るようになりました。

読みやすくなったのはいいですが、歴史ある名が消えるのは残念な気もしまし
た。

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海の日は

2011-07-18 | 思うに・・・

来年からは「なでしこの日」にすべきだと思う。

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桑名城

2011-07-17 | お城巡り(その他)

桑名城は、永正年間(1504年~1521年)、この地を支配した伊藤氏が設けたのが最初と伝えられています。
さらに、織田信長の家臣の滝川一益が治めた後、、一柳右近や氏家行広と城主をたびたび変えてきました。。

関が原の合戦の翌年である慶長6年(1601年)、徳川家康は四天王の一人、本多忠勝を10万石で桑名に配置しました。


忠勝は近世城郭を完成させ、城下の町割りを行って桑名藩を成立させました。
後に城主は久松松平家、久松松平家、そして再び久松松平家と幾度か代わりましたがいずれも、徳川家の血縁で固めているのは、この土地がきわめて重要であったためだと思われます。

現在は九華公園となり広く市民に開放されています。

これが九華公園の案内図(現地案内板)

そして、かつての桑名城の絵図(現地案内板)

本丸跡には鎮国守国神社が置かれています。

辰巳櫓跡



天守閣は元禄14年(1701年)に消失してしまい、以後辰巳櫓がかの代わりを担ってきました。
明治維新の際、桑名城主は会津藩主の弟であったため、新政府軍によって焼き払われてしまいました。

なぜか、大砲が置かれていました。

朝日丸跡は野球場になっていました。

橋を渡ると二の丸跡

少し離れたところにある三の丸跡です。

復元された蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)



1階は付近にある3つの水門の管理事務所になっています。
2階は展望室に開放されています。
展望室からのぞいてみると、長良川河口堰が・・・

地名に名残がありますね。

九華公園内に見られる石垣は新しいのもので、桑名城の遺構ではありません。


しかし、公園の外側には当時の石垣が残っていました。

 

九華公園
三重県桑名市吉之丸5-1

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七里の渡しを行く(後編)

2011-07-13 | ツーリング

【宮の渡し場跡】


熱田神宮を少し南へ行ったところに渡し場の跡があります。


現在は公園になっています。


常夜灯


時の鐘
後から知ったのですが午前8時、正午、午後6時に鐘が鳴るということです。


船着き場は今での使えそうです。


今の名古屋港はここより7kmほど南になっています。


さて、ここから桑名宿の渡しまでクルーズをするのですが、


しかし、私のクルーザーは水上を行けませんので、国道1号線を使って桑名へ向かいました。


【桑名の渡し跡】

桑名の渡し跡は九華公園に隣接してあります。
この公園は桑名城の跡ですが、市民球場やプールなども作られて利用されています。
立派な市営駐車場がありました。


バイク、1日100円ですから良心的です。
ところが、受付のおじさんが「外の駐輪場は無料だよ。Uターンしてとめて。」と教えてもらい、さらにウォーキングマップまでいただきました。
地方へ行くとわざわざ無料の駐輪場を教えてくれる親切なおじさんが多くうれしい限りです。
それに比べて、K都の寺院のえげつないこと・・


宮の渡しから45分、24.7kmでした。
国1コースは七里(27.5km)より若干短かったですね。
 


桑名の船着き場の跡です。

1959年(昭和34年)の伊勢湾台風により被害を受けたため、立派な堤防に囲われています。

近くの寺町商店街を散策してみました。


商店街の隣にはいくつかの寺院があるのでこの名がついています。
明るい店並みと対照的に人がいません。土曜の昼なのに?
おそらく、寺の縁日にはにぎわうのでしょう。

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七里の渡しを行く(前編)

2011-07-11 | ツーリング

七里の渡しは東海道唯一の海上路で、宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)の間を指します。
この遺構を訪ねてみました。

宮宿は尾張藩の公文書では熱田宿となっているらしいですが、一般的にこうよばれているのは、他ならぬ熱田神宮の門前にあったからです。

まずは、その熱田神宮に参拝しました。


いつものように、枠のど真ん中にとめようとしたら、警備員に「端にお願いします」と言われてしまいました。
もちろん、素直に指示に従います。
だって無料なんだもん。


一の鳥居をくぐると、


名古屋市内とは思えないほど大きな杜が広がっています。


境内の「宮きしめん」からいい匂いが漂ってきました。

「冷製きしめん」をチョイスしました。


名古屋には「ころ(香露)うどん」という文化があります。
冷水でしめたうどんを、かつおだしの冷たい汁でいただきます。
この日も「冷製きしめん1つちょうだい」と注文すると、店員が「ころ1つ~」と元気よく復唱しておりました。


二の鳥居


樹齢千年以上の大楠。弘法大師お手植えと伝えられています。


拝殿と結婚式に向かう人々。何を隠そう橋吉もここで式を挙げたのでした。
三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を神体としています。


西楽所
ここで舞楽神事をおこなうのだそうですが、五代将軍綱吉が寄贈した建物が目立たぬところにひっそり置かれているのがすごい。


信長塀
織田信長は桶狭間出陣前にここで祈願し大勝したので、御礼として奉納しました。土と石灰を油で練り固め瓦を多数積み重ねた構造です。
三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀とならび日本三大土塀と言われています。


宝物殿
奉納刀展がおこなわれていました。けっこうおもしろかったです。

参拝を終えて、いよいよ熱田の湊へ向かいます。


(続く)

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千早城

2011-07-09 | お城巡り(日本100名城)

下赤坂城・上赤坂城に続き、千早城へ向かいました。

千早城への道はわかりやすかったです。
府道705号線を金剛山に向かって走ります。
途中、「まつまさ」の看板を見つけたら左折します。

「まつまさ」は金剛山麓にあるお食事処兼おみやげ店で、日本百名城スタンプはここで押すことができます。


駐車場は600円ですが、「まつまさ」で500円以上の買い物をすると1時間無料となります。


ちなみに、この近くに無料駐車場はありません。
どんなに小さな空き地でも、有料駐車場と書かれています。

ちょうど、お昼時でしたから、しいたけうどん600円をいただきました。


肉厚しいたけの裏側だけに天麩羅の衣を着けて揚げてあります。
つゆは大阪の標準といったとこでしょうか。でも、大阪のうどんはレベル高いですから十分おいしいかったです。

「まつまさ」で千早城の地図をもらいました。
しかし、地図を見ても登り口がわからず、おばちゃんに教えてもらいました。
食事か土産物購入で駐車料金が無料になること。地図がもらえること。登り口を教えてもらえること。「まつまさ」が少し登ったところにあること(その分登らずにすむ)から、百名城スタンプを集めてない方でも「まつまさ」に寄られることをお勧めします。

教えられたとおり山道を行きます。


現地案内図


アクセス路は3通り。
(右側)府道705号線から石段を登るのが表参道。しかし石段を五百数十段登らねばなりません。
(中央)現在地より最短距離で行くのが裏参道。ただ、最短と言うことはもっとも勾配がきついと言うことです。
(左側)大きく迂回し本丸から行く道。これが一番楽そうですし、帰路に表参道か裏参道を選べば無駄もありませんので、これに決定です。

一番楽な道を選んだのですが、階段状の登りが続いております。


息を切らして登っているうちに、金剛山2合目まで来てしまいました。


どうりで、きついわけです。
そういえば、登り口の売店に「アイゼン レンタル」と書いてありましたが、アレは何だったんのでしょうか。
素人はアイゼンが必要な季節に登っていけないだろうし、冬山に登るのにアイゼンもないような不十分な装備で向かってはいけないと思うのですが?

この2合目を、右へ行くと大阪府最高地である金剛山頂上、左へ行くと千早城です。

さらに杉木立の中を登っていきました。

本丸跡です。

二の丸へ向かうと堀切のような構造を見かけましたが、おそらく自然の造形を活かしているものではないでしょうか。

二の丸へ向かう石段。

二の丸。神社になっていました。

変わった拝殿

少し降りたところにある三の丸

さらに石段を下りると

四の丸

案内板には売店と書いてあったが営業している気配もなく

看板もこの通り

下界を見下ろします。下赤坂城や上赤坂城に比べ、見晴らしはよくありません。

表参道。こんな石段を登らなくて正解だったと思います。

1333年(元弘3年)楠木正成は迫り来る幕府軍をこの城で迎え撃ちます。
数で劣るもの、上から油をかけ火を放ったり、ダミーのわら人形を立てて射た矢を大量に得たりと得意のゲリラ戦法で応戦しました。
その間に、有力御家人だった足利尊氏や新田義貞が離反し、鎌倉幕府は滅亡したのでした。


まつまさ
大阪府南河内郡千早赤阪村千早950
営業時間   9:00~17:00
定休日: 金曜日
http://www.matsumasa.org/

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上赤坂城(楠木城)

2011-07-07 | お城巡り(その他)

上赤坂城(楠木城)はわかりにくいところにあります。

私のナビでは「赤坂城」と設定できるだけで、それは下赤坂城を示しておりました。
住所を調べても「大阪府南河内郡千早赤阪村桐山」とあるだけで、番地がわかりません。

このあたりだとおもわれる広域農道を走って、ようやく表示を見つけることができました。


ここから、しばらく農道を走ると行き止まりになります。


車を3台ほど駐車できるスペースがあり、ここに駐車して


山道を20分ほど歩きました。


石仏がお出迎えです。

一の木戸跡

二の木戸跡

このような現地説明板がなければわかりません。


三の木戸跡。

そろばん橋。堀切をいくつか渡り、でこぼこになっているのでこのような名前がついたのでしょうか。よくわかりません。

四の木戸跡

茶碗原。右に進むと本丸、左へ進むと二の丸です。

本丸につきました。

下赤坂城にもまして、見晴らしがいいです。

もちろん、例の塔もバッチリ見えます。

二の丸。杉林になっていました。

それほど大きな城ではないが、下赤坂城を出丸、上赤坂城を本丸、千早城を詰めの城とするならば強力な砦となり、土地勘のある正成軍が鎌倉幕府軍に対し、十分持ちこたえたのもうなずけるような気がします。

いよいよ、最後の目的地の千早城へ向かうことにします。

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下赤坂城

2011-07-06 | お城巡り(その他)

楠木正成ゆかりの上赤坂城・下赤坂城・千早城を訪問してきました。

正成は河内国石川郡赤坂村(現大阪府南河内郡千早赤阪村)の出生と言われています。
出生の地とされる場所


隣接して村立郷土資料館が置かれています。


なお、日本一小さな道の駅と自称している「ちはやあかさか」も隣にあります。

少し離れた、村立中学校の裏手に

下赤坂城跡があります。


といっても、碑が建っているだけで遺構は残っていません。

このあたりは「下赤坂の棚田」とよばれており、日本の棚田百選にも選ばれております。

富田林市街が一望できました。

スカイツリーではありません。

下赤坂城の縄張りはよくわかっていません。
一説によると村役場あたりに本丸があったとされています。

役場には説明板が設置してあっただけでした。

鎌倉時代末期の1332年、楠木正成は後醍醐天皇の挙兵を聞くと下赤坂城にて挙兵し、幕府軍と戦いました(赤坂城の戦い)。
寡兵ながらも約1ヵ月間よく守りましたが、結局陥落、正成は自害・・・したことにされました。
その後、再び姿を現し、下赤坂城を取り戻したのち、舞台を上赤坂城・千早城に変え、倒幕につながる戦いを繰り返したのでした。

ということで、上赤坂城へと向かいました。


千早赤阪村立郷土資料館
大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分266番地

千早赤阪村立中学校(この裏に下赤坂城の碑がある)
大阪府南河内郡千早赤阪村東阪25

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100円LEDライト

2011-07-02 | バイク

FSOCの掲示板で紹介された百均LEDライトを購入しました。

百円均一といっても近所の「ダイソー」には置いてないようで、情報によると「キャンドゥ」「FLET'S」「Seria」といった店舗にあるようです。
このうち、聞き覚えのある「Seria」をネットで店舗検索したところ、かつてキー用チェーンを購入した店がヒットしました。

常日頃、ダイソーを利用している私にとって、新鮮な品揃えでついつい余分なものも買ってしまいました。
キーホルダー型のLEDライトです。


暗いところで鍵穴を捜すのに便利です。
なお、青い方はライトの色も青いので、白の方がおすすめです。

今回の目的のマグネットLEDライトです。


右のマグネット部分がくっついていると消灯し、


離れると点灯します。


裏には両面テープがついています。

まずは、シルバーウイングのシート下トランクに取り付けます。
もともと、シート下奥にライトが装備されています。


しかし、荷物を入れると隠れてしまいます。


さらに困ったことに、ヘルメットを押し込むとスイッチが押されてしまいます。
現在は接触不良になっていますが、これ幸いとばかりに放置しております。

側面に取り付けようとしましたが、一つ問題が発生しました。
シートの下の部分が蓋になっていますが、防水・防塵のため(だと思う)に、二重構造になっています(下図参照)。

したがって、LEDライトのA部とB部がずれてしまい、接触できないのです。

試行錯誤の結果、ここに取り付けました。

はたして、閉じたときにライトが消えているかどうか、不安です。
このため、デジカメを動画モードにして撮影しました。


バッチリです。
なお、LEDライトの存在も販売店も動画撮影による確認方法もFSOCメンバーによる情報で知りました。今回の記事はすべてパクリなのであります。

GIVIトップボックスにも取り付けました。


こちらも、OKです(仮止めのためにビニルテープで取り付けています)。

カブのボックスにも取り付けました。


計3カ所に取り付けても費用315円なのです。

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