橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

カテゴリーの変更

2021-12-30 | お城巡り(その他)
このブログのカテゴリー「お城巡り」が増えすぎて、ごちゃごちゃしていたので、

お城巡り(日本100名城)
お城巡り(続日本100名城)
お城巡り(その他)

に分けて整理しました。

自宅の大掃除は進んでないのに・・・・
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「青天を衝け」に想う

2021-12-28 | 思うに・・・
今年の大河ドラマ「青天をを衝け」には、大いに楽しませていただきました。

とくに、破天荒なストーリーに胸踊らされましたが、これが史実だと思うとさらに驚きです。

いっかいの農民が高崎城に火を付け、横浜の異人を切ろうと画策する。
それに失敗しと京に逃げが、追っ手が迫ると、何と一橋家に仕官します。
さらに、一橋慶喜が将軍就任することとなり、旗本に取り立てられます。

こんな話をフィクションで作って、発表しても、「ある得ない」と一蹴されるが落ちだと思います。
それが事実なのです。

しかも、物語の前半に過ぎません。
明治以降の活躍がまた凄い。

だから、正しくは大河ドラマのストーリーというよりは、渋沢栄一の生き様自体がスケールが大きく、痛快であったわけです。

以前から、渋沢栄一と言う人物については知っていました。
といっても、教書に載っている程度でした。
したがって、新一万円札の顔になると聞いたときも、「また、地味な人を・・・」なんて思ってしまいました。
まったく、自分の無知ぶりを恥じるばかりです。

大河ドラマの主人公として、明治以降の人物や経済人も扱える可能性を示した作品だったと思います。

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おじいちゃん

2021-12-19 | 家族
龍野散策を終え、帰宅することにしました。
翌日は日曜で休みだったので、慌てる必要もなかったのですが、なぜか早く帰りたくなったのです。

疲れていたせいかもしれません。
前日の有子山登山で脚は筋肉痛。
そして、昨晩はベッドに入っていた時間は長かったのですが、ぐっすり眠った気がしませんでした。
わたしゃ枕が変わると眠れなくなるなんて、柔なタマじゃないですけどね。

帰路、土曜日でしたが神戸も大阪も、たいした渋滞はなくスムーズに帰ってくることができました。

この日の橋吉家の食卓は賑やかでした。
普段は別居している弟と長女もいたからです。

弟は母の顔を見に来ただけですが、長女は切迫流産のおそれがあるということで少し前から帰省していました。

切迫流産は、文字通り流産が迫っているというものですが、安静を保つことで約70%は無事出産できているそうです。

夕食後、なんとなくお腹が痛いということで長女は早めに床に着きました。
私も、疲れていたのと、たこせんを肴に飲み酔っていたので、寝てしまいました。

朝1時ぐらいだったでしょうか、どうも娘の腹痛は陣痛だったみたいで、家内がクルマに乗せて病院に行きました。

こういうときに男は何の役にも立ちません。
自分の子供の時にしっかり学習したのでここは悠然と構え、見送った後、また寝てしまいました。

うとうとしかかったと思ったら、家内が帰ってきました。
どうせ、「まだまだ時間がかかりますから、ひとまずお母さんは帰ってください。」なんていわれたのだろう、と思っていたのですが・・・。
意外にも「生まれたよ」なんて言っています。

切迫流産ですから早産なのは仕方ないですが、できるだけ安産であってほしいとおもっていました。
結局のところ、超安産でした。

低体重児だったため、母親よりも一週間余分に病院にいました。
早く生まれたのだからしょうがないですね。
それよりも、かわいそうなのは父親で、コロナ対策のため一切面会できず、退院して初めて我が子を見ることができたのです。

現在は、我が家に帰ってきて、元気よく泣いています。

こうして、私は名実ともに「おじいちゃん」になりました。


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龍野城下町

2021-12-17 | ドライブ・旅行
江戸時代、龍野藩が立藩すると、龍野城を中心に城下町が形成されました。
現在の市街地にも城下町の町割りが残されています。

見所はいろいろあると思うのですが、事前の計画では城だけ見て帰るつもりでしたから、予備知識がありません。
どうしたものかと思っていたところ、歴史文化資料館の受付で、三館共通券なるものがあることを知りました。

龍野歴史文化資料館に加えて、霞城館,うすくち龍野醤油資料館の見学ができ、通常410円のところ300円(小学生~大学生は140円)になるというものです。
これを購入して、3つの施設を見て歩くことにしました。


検察庁の門・建物も町の風景に合わせてあります。


町並み


・・・であるか。


うすくち龍野醤油資料館にやってきました。
入り口はどこかなぁ?

と思ったら隣にこんな素敵な建物が・・・!


うすくち龍野醤油資料館
所在地:兵庫県たつの市龍野町大手54-1
開館時間:9:00~17:00(入場は16:30まで)
休館日:月曜日,年末年始
入館料:10円


ヒガシマル醤油会社本社であったレンガ造りの建物は国の登録有形文化財に登録されています。

昭和初期まで蔵人が使っていたこうじむろ・桶・樽などの製造用具、文献などが揃えてあり、醤油造りの今昔を見る事が出来き、なかなか面白かったです。

土産として、愛知県ではなじみない薄口醤油とここでしか手に入らない特別なうどんスープを購入しました(ヒガシマルうどんスープは愛知でも知られています)。

ふたたび、町を散策していると、武家屋敷を見つけました。


たつの市武家屋敷資料館
所在地:兵庫県たつの市龍野町上霞城45
開館時間:10:00~16:00
休館日:月曜日,祝日の翌日,年末年始(12/29~1/3)
入館料:無料

うすくち龍野醤油資料館といい、この向け屋敷といい、入館料がリーズナブルです。


1837(天保8)年前後に建てられた二人扶持の下級武士の住居が復原されています。


昭和の田舎の住宅とそうかわらない?


庭は小さいです。


陽が差すと、

家紋が映し出されます。



井戸


かまど


霞城館・矢野勘治記念館
所在地:兵庫県たつの市龍野町上霞城30-3
開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日のときはその翌日),祝日の翌日(土曜日・日曜日のときは火曜日),毎月末日、年末年始(12/27~1/4)
料金:一般 200円,小学生~大学生 100円,65歳以上100円、障がい者無料


霞城館(かじょうかん)
龍野が生んだ現代の文化人、三木操(露風)、内海信之(泡沫)(青潮)、矢野勘治(興安嶺)、三木清ら4氏に関する文献や資料を収集・展示しています。


矢野勘治記念館
彼が晩年を過ごした自宅を利用して作られたものです。
矢野勘治は正岡子規門下の歌人で、旧制一高の西寮寮歌「春爛漫」、東寮寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」の作詞者として有名です。


たつの市立龍野小学校
門が立派


こちらの門も


さらに、屋内運動場の門に至っては、


家老門


水練場の門は復元したものだそうです。
プールと言わないところが良いいですね。

龍野の名物は、素麺(揖保乃糸)ですが、季節柄、食べる気分でなかったので、
帰り道、明石で卵焼きをテイクアウトして食べました。


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龍野城

2021-12-15 | お城巡り(その他)
1499(明応8)年、赤松氏は、龍野に鶏籠山城(龍野古城)を築きました。
1577(天正5)年、開城して豊臣秀吉の手に渡り、播磨平定後、秀吉は蜂須賀正勝を置きました。
1658(万治元)年には、破却されたが、1672(寛文12)年に脇坂安政によって龍野城が再建されました。
この際山頂の郭は放棄され、山麓居館部のみの陣屋形式の城郭となりました。


龍野城に向かう道
左は検察庁、右はこども園ですが、土壁も建物も景観に合わせてあります。


埋門


右の坂道を登っていくと


歴史文化資料館の駐車場があります。


たつの市立龍野歴史文化資料館
所在地:兵庫県たつの市龍野町上霞城128-3
開館時間:9:00~17:00
休館日:毎週月曜


本丸御殿
1979(昭和54)年に再建されました。




内部も見学できます。


上段の間








隅櫓




西門


鶏籠山城(龍野古城)への登り口
約1時間のウォーキングコースとして整備されていましたが、前日の有子山登山で脚がガタガタなので、今回は見送ることにしました。


御殿東の庭園は、紅葉がきれいでした。


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予定変更

2021-12-13 | ドライブ・旅行
豊岡の旅の初日、天気予報がはずれ雨に降られましたが、そのぐらいは想定範囲内であり、計画通りに任務を遂行することができました。

さて、ホテルでひと風呂浴びた後は、近くの居酒屋で夕食を兼ねて一杯というつもりでした。
日本海側ということもあり、新鮮な魚介類が食べられそうな店を三軒ほどマークしておいたのですが・・・
金曜日の夜だったせいか、どこも満員御礼

しかたなく、餃子専門店で、餃子を肴に生ビールを飲み、ラーメンを食べることにしました。

明日は、朝イチで山を越えて鳥取県八頭郡若桜町へ、続日本100名城である若桜鬼ヶ城登城の予定でしたが、ラーメンを待っている間に、天気予報を確認すると


もともと、土曜日の予報は、曇りときどき雨でした。
それでも、若桜鬼ヶ城本丸近くの駐車場まで車で行けるので、小雨でも登城するつもりでした。

しかし、ずっと雨、明日の早朝に至っては雪の予報です。

さて、どうするべきか。
ホテルに戻ってから、ずいぶん悩みました。

まず、登城は断念することにしました。
山城ですから、たとえ、足元はかなり滑りやすくなっていると思いますし、カッパを着て動き回れば、全身蒸れること間違いないです。
また、万が一、事故や怪我をしたときに、いろいろな方に迷惑をかけることになります。有子山登山では、誰ひとり出くわすことがありませんでした。
そんなところで何かあっても・・・

とりあえず、観光協会まで行って、スタンプを押して帰ろうかとも思いましたが、いずれリベンジするならば、その時でイイかと思いました。

別の続日本100名城へ行くことも考えました。
近くで未踏となると備中高松城ですが、隣の県といっても距離があります。
また、充分下調べしてないと大事なものを見落としたりすることもよくあるので、気まぐれで変更するのはやめた方が良さそうです。

計画では、若桜鬼ヶ城登城のあとは、天気が良ければ宍粟の山城である波賀城、悪ければ龍野城へ行くつもりでした。
したがって、明日は、朝から龍野城へ向かい、城だけではなく街並みもゆっくりみて過ごすことにしました。

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豊岡グリーンホテルモーリス

2021-12-11 | ドライブ・旅行
出石神社参拝後、玄武洞ミュージアムへ移動、珍しい鉱物や化石を見てきました。


玄武洞ミュージアム
所在地:兵庫県豊岡市赤石1362
開館時間:9:00~17:00
休館日:年中無休
入館料:大人(中学生以上)800円,小人(小学生)500円,幼児(4歳以上未就学)400円

この日は豊岡駅前のホテルに宿泊しました。


豊岡グリーンホテルモーリス
所在地:兵庫県豊岡市千代田町6-32
電話番号:0796-23-5551

ホテル裏側に自走式に立体駐車場があります。
もっとも、24時間駐車で800円(バイクは330円)かかります。

新しい施設のようで、館内はきれいです。


シングルルームでしたが、ベッドもデスクも広くて使いやすかったです。
また、ユニットバスも大きかったです(使いませんでしたが・・・)。

セキュリティーに力を入れているようで、エレベータで宿泊階へ行くときにはルームキーをかざす必要があります。
宿泊階以外を押しても泊まりません。
大浴場の入口も、同様にルームキーをかざしては入れるようになります。

大浴場には、宿泊室のバスタオルをもっていくスタイルですが、フェィスタオルは備え付けてありました。
それも山積みだったので、リッチな気分になります。
また、マッサージ機を無料で使用できます。
よくある温泉のローラー式の古いものではなく、最新型です。

新聞は、朝日と日経と、読売だったか毎日だったかが無料で置いてありました。
なんとなく日経を一部手にしましたが、読まずに持って帰り、いまだに読んでいません。サーセン。

朝食は、バイキングで、6:30からです。
旅行では、早めに出発したいときもあるので、朝食時間が早めだとうれしいです。
(準備する方は大変でしょうが・・・)
煮物もけっこう多くうれしかったです。
(若い頃は、煮物なんかスルーしていたのに・・・)


16時間断食ダイエットのため、普段は朝食を食べませんが、旅行のと気は特別です。
それにしても、取り過ぎたかな?


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出石神社

2021-12-09 | 一の宮巡り
出石総合支所駐車場から、クルマで7分、出石神社へやってきました。
有子山城登山の時はポツリポツリと降っていた雨が、出石の町に降りてくるとポツポツとなり、ついにはシトシトに変わってしまいました。


一の鳥居
鳥居前に数台駐められる駐車場があります。


二の鳥居
二の鳥居前にも駐車場があります。


扁額には「一宮」とあります。
粟鹿神社とともに但馬国一宮とされています。

狛犬





手水舎


神門


拝殿


本殿
ご祭神は
 伊豆志八前大神(いづしやまえのおおかみ、出石八前大神)
 天日槍命(あめのひぼこのみこと)
天日槍命は、新羅王子であり日本に渡来したと言われています。
古代において、渡来人による勢力がこの地にあったのでしょうか。


御朱印は直書きをしていただけました。


夢見稲荷神社


比売神社

出石神社
所在地:兵庫県豊岡市出石町宮内99

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有子山城

2021-12-07 | お城巡り(続日本100名城)
有子山城は、織田信長派配下の羽柴秀吉の攻撃を受け落城した山名祐豊が1574(天正2)年、築城しました。
1604(慶長9)年、小出吉英は、山麓の館および郭のみを出石城として建築し、山頂部分の有子山城を廃城にしたと幕府に届けを出しています。



豊岡市役所出石総合支所駐車場(出石城三の丸跡)から見た有子山
山頂の本丸跡の石垣、および吹き流しが見えました。


出石城稲荷曲輪の東隅に登山口があります。
出石に着いたときから小雨がパラついていましたが、雨雲が切れ切れになっていたので天気は回復すると思い、登ることにしました。


熊鈴を着用します。


いざ出立
本丸まで980mですが・・・。


前半は登りの連続です。
竹を階段状に配置してあるのですが、
ガレ石も多いです。


小雨が降っていましたが、木々のお陰で足元はさほど濡れていません。


勾配が急なところにはロープが渡してあります。
片手でロープを握り、もう片方の手で杖(登山口に置いてあります)をついて登りました。


堀切と土橋


北第六曲輪


北第五曲輪


登山口より33分、中間地点へやってきました。
ここまでは厳しい勾配でしたが、以降はなだらかな山道です。
心肺はずいぶん楽になりましたが、足はかなり疲れがたまり、引きずるような感じで登り続けました。




井戸曲輪


石垣が見えてきました。


第六曲輪


第五曲輪


雨が強くなってきたので、ここで雨合羽を着用しました。
今回、レインハットが大活躍しました。


主郭に向かいます。


左主郭へ、右千畳敷へ


左第二曲輪、右第三曲輪


第三曲輪




第二曲輪


主郭虎口
登山口から1時間かかりました。


主郭
山頂に主郭が置かれ、階段状に曲輪がつくられています。


主郭からみた出石の町


千畳敷
主郭と堀切を隔ててつくられています。

帰路は、登りと同じ経路で降りてきました。
中間地点以降の部分にさしかかりましたが、下りですので心肺はさほどキツくありません。しかし、急勾配であることに加え、浮き石があること、それが落ち葉に隠れて見えないことで、ズルッ、ズルッと滑りまくりです。
その都度、ロープと杖を使って踏ん張るのですが、足がパンパンになってしまいました。スキー初心者が始めてゲレンデに出た時みたいです。


所要時間は、1時間50分でした。

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出石城

2021-12-05 | お城巡り(続日本100名城)
1604(慶長9)年、小出吉英は、有子山城の山上の丸および天守部分が廃し、山麓の郭および館のみを出石城と命名し幕府に居城として届けました。
同時に、城下町も整備され、現在に至る出石の町並みが形成されました。

江戸時代は、出石藩の藩庁となり、1706(宝永3)年以降廃藩置県まで、仙石氏の居城でした。

大手門跡に建つ辰鼓楼(しんころう)




1871(明治4)年設立、1881(明治14)年に時を告げていた太鼓から時計に付け替えられました。
札幌の時計台の27日後に立てられた日本国内で二番目に古い時計台です。


三の丸
出石城の御殿は、もともと本丸にありましたが、1702(元禄15)年に藩主に着任した松平忠総は、この場所に対面所を建てて移り住みました。
以後の藩主もここに居住し,政務を執りました。
これは、出石城がすぐ南側に山を背負い、陰湿であったためだといわれています。


登城橋


堀のようす


登城門


登城門くぐると西の曲輪
一段高いところが二の丸、さらにその上の櫓があるところが本丸です。


西隅櫓


二の丸

出かけたのは平日でしたが、大変な人手に驚きました。
実は、出石は紅葉の名所でもあったのです。







有子橋から登城すると


二の丸下曲輪


多くの鳥居がある石段を登ることになります。


鮮やかな朱色が美しい。

以前訪れた際は、各鳥居に風鈴が吊してありました。
今回は紅葉とのコラボです。


山里丸
二の丸の東に位置します。




庭園の跡でしょうか?


本丸




東隅櫓




西隅櫓
表から見ると立派ですが、裏から見るとそうでないのは、お城あるあるです。


土塀


感応殿
出石藩主仙石氏の祖である仙石秀久を祀っています。
1706(宝永3)年、秀久の子、忠政は信州上田から出石に移封されました。
その際、蕎麦職人も連れてきたのが、今日の出石蕎麦の始まりといわれています。


庭園の跡


本丸の上部にある稲荷曲輪の石垣


最上段にある稲荷曲輪

このあと有子山城に登りました。

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