橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

帰路

2023-05-31 | ツーリング
宇都宮城訪問を終え、鹿沼ICから高速道路を使って帰ります。

事前調査によれば、祝日であるこの日は、東名経由でも、中央道経由でも、30分ほど余分に時間がかかるようでした。

あらためて、朝確認してみると、状況は変わってないようでした。


となると、行きと同じように上信越道経由になります。

ところが、めざましテレビで「中央道は下り方向でも渋滞が予想されます。」とアナウンスしています。
上信越道経由でも岡谷JCT以降は中央道を走行しなければいけません。

渋滞予想を見ると恵那ICから小牧JCTの間で断続的に渋滞が起きるようです。


さて、どうしたものかバイクに乗りながら考えました。
これは私特有の現象かどうか解りませんが、バイクに乗っていると複雑な思考が出来なくなります。
(だから仕事上の悩みとかも忘れることが出来て良いのですが・・・)
とくに、数理的分野は低下するようで、どのコースで替えるべきか最適解を計算できない、いや計算するのが面倒になってきました。

そんなとき、ナビが「交通状況が変化したのでコースを変更します」なんて言い出し、中央道経由から上信越道経由にコースを替えてきました。
中央道経由は現時点で渋滞が発生しているのに対し、上信越道経由はまだ渋滞してないからだと思われます。
Googleナビは渋滞状況も把握してくれるのでありがたいですが、それは現時点の状況だけであって将来的な予想は加味されないようです。
考えるのが面倒になっていた私は何の躊躇もなくナビにしたがって走ることにします。

まぁこの日は、最高気温が30℃を超える暑い日だったので、山岳路である上信越道を選んで良かったと思っています。

予想はあくまで予想なので、ハズレてくれと祈りながら走りましたが、松本あたりから混み始め速度は低下していき、やはり恵那ぐらいから渋滞していました。

それでも、午後6時ぐらいに帰宅できました。

とにかく無茶苦茶疲れました。
そもそも福島までバイクで一気に行くなんて、還暦過ぎのジジイがすることじゃないのかな?


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宇都宮城

2023-05-29 | お城巡り(その他)
最終日、高速に乗る前に宇都宮城に寄ることにしました。

宇都宮城は平安時代に藤原秀郷もしくは藤原宗円(宇都宮氏の祖)が築城したと言われています。
その後、宇都宮氏,蒲生秀行,奥平家昌,本多正純と城主が変わりました。
本多正純は近世城郭とする一方、宇都宮を城下町、門前町、宿場町の各機能を持つ都市に再編しました。
その後、奥平氏、奥平松平氏、本多氏、奥平氏、阿部氏、戸田氏、深溝松平氏と譜代大名が城主としてこまめに入れ替わりましたが、1868(慶応4)戊辰戦争の戦地となり、宇都宮の町並み共々焼失してしまいました(宇都宮戦争)。


宇都宮市役所の本庁舎東駐車場を観光客も無料で使用できるとのことでしたが、
バイクで入ろうとすると入り口のバーが反応しません。
周囲を見てみましたが、バイクの駐輪方法が解りませんでした。
自転車用の駐輪場はありましたが、狭いのでバイクをとめると迷惑だろうと感じました。

よくみるとバー横にコーンが置かれていますが、この間が通れるようになっており、ここを通れという意味だと理解しました・・・が、これで良かったでしょうか?



城跡は公園として整備されています。

西側から入城すると、中央におほり橋


南北に櫓が見られます。






おほり橋の南側



おほり橋の北側には水がありませんでした。


大きな土塁の中にガイダンス施設があります。


宇都宮城ものしり館
所在地: 栃木県宇都宮市本丸町1
開館時間: 9:00~19:00(入館は18:30まで)
休館日: 12/29~1/3,臨時休館有
入館料: 無料


本丸の復元模型
現在の宇都宮城址公園は西側のおよそ1/3しか復元されていません。
また、西側の橋(おほり橋)はなかったようです。


さらに二重、三重の堀に囲まれた総構えになっていたようで、関東七名城のひとつに数えられています。


ものしり館からエレベーターで上がると、なんと土塁上に出ます。


北にある櫓である清明台


内部


清明台からの眺め


土塀も精緻に再現されています。


南にある富士見櫓




富士見櫓からの眺望
右に見える高いビルは宇都宮市役所です。


御本丸広場


清明館
歴史展示室や文化活動に密着した多目的スペースがあります。



開館時間: 9:00~19:00
休館日: 年末年始
こちらは宇都宮市に関する資料が展示されていました。


清水門
宇都宮城には将軍が日光参拝の際に宿泊する御成御殿がありました。
そちらへの出入りに使われた門がありました。

遺構はありませんが、建物の跡が印されていました。



大きな土塁
復元されたもので、実は内部は空洞で災害備蓄品などが収納されているそうです。


ベストアングルかな?


所要時間:50分


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東館温泉 ユーパル矢祭

2023-05-27 | ツーリング
石都都古和気神社の参拝を終えて、三社目の「つつこわけじんじゃ」である都々古別神社(八槻都々古別神社)をナビにセットして向かったものの、御朱印受け付け終了時間の16:00までには着きそうもありませんでした。

まぁ無理をして、事故を起こすことは一番つまらないので、
ここはまたの機会と言うことであきらめます。

この日は福島県南部をぐるっと回る形で240kmほどバイクで走りました。
その中には森林の中あり、ワインディングあり、高速道路あり、市街地、集落、田園いたるところ走りました。(海沿いはなかったかな)
連休中であるにもかかわらず、渋滞もなく、すべて快走できて、充分ツーリングを満喫できました。

ですから、この日は早めに投宿することにしました。


東館温泉 ユーパル矢祭
所在地: 福島県東白川郡矢祭町大字東舘字蔵屋敷108-1

この日は、いつものビジネスホテルではなく、温泉にでも入ってゆっくりしたいと思っていました。
さらに、翌日、宇都宮経由で帰宅することを考え、なるべく南の宿ということで選びました。


入り口脇に駐輪

山に囲まれた田園の中にぽつんとある公営温泉施設で、日帰り入浴客もたくさん訪れていました。

付近に繁華街もないようなので、夕食もお願いしました。










還暦過ぎですから、これで充分です。


デザートのゆずシャーベットは美味しかった。

温泉はぬるっとしていてなかなか良かったです。
着いてすぐと翌朝、二回入っちゃいました。


朝食はこんな感じ


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石都々古和気神社・石川城(三芦城)

2023-05-25 | 一の宮巡り
福島県の続日本100名城は、向羽黒山城と三春城ですから、これで第一目標は完了です。

次は第二の目標である一の宮参拝です。

3社ある「つつこわけ」神社のうち、都都古和氣神社(馬場都々古別神社)は昨日参拝したので、この日は石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)と都々古別神社(八槻都々古別神社)へ訪れたいと思っていました。

まずは、石都々古和気神社ですが、昨日、都都古和氣神社(馬場都々古別神社)に訪れた際に宮司さんが気になることを言っておられました。
「ナビどおりに向かうと本殿裏にたどり着くが、未舗装路であるので大きいクルマやバイクはやめた方が良い。」
ホテルに着いてからネットで調べたところ、宮司さんの言われたとおりでした。
さらに長い石段があり、その下に大きな駐車場があること、その近くに社務所があるので本殿裏に駐車しても石段を降りて登ることになることがわかりました。


石段脇にあるまちなか駐車場


神社入り口
かつて、ここには石川城(三芦城)とよばれた石川氏の城がありました。


したがって、本殿は丘の上にあり、そこまで山道を登っていかなければいけません。


長い石段
向羽黒城一の丸の石段と異なり段差が小さいので、見た目ほどはキツくなかったです。

カッコイイ狛犬






鳥居


なだらかな道に変わります。

参道脇には不思議な形をした巨石が見られます。
天狗石



また石段があらわれました。


屏風岩


石門(鳥居)と表示してありました。
まさに城跡ですね。


神籬岩(ひもろぎいわ)
神籬とは、神社や神棚以外の場所で祭祀を行う場合、臨時に神を迎えるための依り代となるもののことだそうです。


勾玉岩


最後の石段です。


鳥居
ここまで9分かかりました。


扁額


拝殿


本殿
味秬高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を主祭神とし、
大国主命(おおくにぬしのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと。八幡神)を配祀します。




額殿


祖霊社


多賀神社


諏訪神社


五重の塔


石川城の史蹟碑
後ろに土塁が見られます。


狼煙台跡


見晴台跡


城の遺構はよくわかりませんでした。


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三春城

2023-05-23 | お城巡り(続日本100名城)
向羽黒山城から約1時間30分、三春町へやってきました。

まず、観光案内所兼お土産屋で、


三春なかまち蔵「花かご」
所在地: 福島県田村郡三春町字中町4番地
営業時間: 10:00~17:00
定休日: 毎週月曜日,年末年始


お土産に三春駒を購入しました。
その昔、坂上田村麻呂が蝦夷征伐のおり、ある僧から百頭の木彫りの馬を受け取った。
旅と戦の疲れから馬がばたばたと倒れたが、どこからともなく百頭の馬がやってきて戦いに勝つことが出来た。
馬は一晩で消え去ってしまったが、なぜか木彫りの馬がびっしょり汗をかいていた。
という伝説があります。

登城前に昼食をいただきます。


三條屋
所在地: 福島県田村郡三春町大町79
営業時間: 11:00~19:30
定休日: 水曜日


三春そば
ぶっかけでいただきました。


三春城は、三春町の中心部、標高407mの丘陵地にあり、戦国時代は田村氏、江戸時代は松下氏、加藤氏、秋田氏の居城でした。
伊達政宗の正室である愛姫はここから嫁いでいます。


まずは、向かいの丘にある三春町歴史民俗資料館に寄ってみました。
ここには三春城に関する展示や資料があり、とくにVRによる説明は大変わかりやすいです。
続日本100名城のスタンプも入口で押すことができます。


資料館脇に置かれた手水鉢
三春藩江戸屋敷の近くの神社に奉納されていたものだそうですが、こんな重いものわざわざ持ち帰ってくるとは驚きです。


三春町保健センターの脇の急な坂道をバイクで登り、二の丸駐車場にとめました。




左は二の丸、右は本丸です。


二の丸


現在は児童公園になっています、

本丸に向かって坂を登ります。


矢倉跡

下から見るとよくわかりませんが、高いところから見るとなんとなく矢倉があったかなぁ想像できます。



石垣跡


本丸下駐車場
こちらの駐車場の方が本丸に近いです。
といっても数分歩くだけの差ですが・・・


史蹟碑


江戸時代の本丸下段(戦国時代の二の丸跡)
現地の案内板では二の丸となっていますが、それは戦国時代の話です。
江戸時代には、現在の児童公園の一に二の丸がつくられたので、ここは本丸下段というべきです。
パンフレットや歴史民俗資料館の展示資料が江戸時代の城郭をもとにしているので、こちらに統一した方が良いかと思いました。


これは現地案内板ですが、江戸時代の縄張りが書かれています。
三階櫓,長屋,表門があるところが本丸下段、
御座間,台所,広間があるところが本丸上段です。


三階櫓跡

三階櫓跡からの眺望





風呂場跡
当時は蒸し風呂でしたが、しっかりした風呂を持っている城は珍しいです。


本丸跡(本丸上段)虎口


本丸跡(本丸上段)


大広間跡


奥跡
櫓台のようなものは忠魂碑の為に近年作られたものらしいです。


本丸上段からの眺望


1868(明治元)年7月、三春城下に官軍が来ました。
三春藩の進退は前日まで決まっておらず、ようやくこの日に降伏することが決定します。
したがって、奥羽越列藩同盟に参加しながら裏切ったと言われてしまいました。



所要時間:1時間25分



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向羽黒山城

2023-05-21 | お城巡り(続日本100名城)
白河のホテルを出発して、会津美里町へやってきました。


本郷インフォメーションセンター
所在地: 福島県大沼郡会津美里町字瀬戸町甲3161-1
会館時間: 8:30~17:30
休館日: 12月~3月末まで火曜定休

こちらには向羽黒山城に関する資料・パンフレットが置いてあります。


インフォメーションセンターの正面が城跡入口です。

向羽黒山城は1561(永禄4)年に蘆名盛氏によって築城されました。
その後会津領主となった伊達政宗や蒲生氏郷、上杉景勝も詰の城として使用しましたが、
上杉氏が所領を転封されることに伴い、廃城となりました。
とにかく巨大な城だったようです。


向羽黒山城跡整備資料室
入口を少し進むとあります。
ここで、続日本100名城スタンプを押すことができます。


東日本最大級と自称するだけあって、向羽黒城は大きく、全部徒歩でまわると半日ぐらいかかると思います。
ただし、各曲輪付近には駐車スペースがあり、その間も道が整備されているのでバイクで移動させてもらいました。
四輪でも通行可能ですが、道が狭いので充分気をつけると良いかと思います。




出世稲荷神社


三曲輪跡
芝生の広い丘状のエリアで、馬場があったそうです。。


けっこう広いです。


三曲輪からの眺め


源平(げんべ)沼
馬の洗い場と伝えられています。


御茶屋曲輪
蘆名盛氏が茶の湯を楽しんだ所といわれており、会津茶道発祥の地ともいわれております。


会津若松方面を一望でき、天気のよい日には、磐梯山も望むことができます。


現在、福島県では「ツキノワグマ出没注意報」が発令されています。
ご注意を!


一曲輪と二曲輪の間にある駐車場に移動しました。
ここから、一曲輪、二曲輪、弁天曲輪と見て歩きました。


左が二曲輪、右が一曲輪、その間の堀が現在道路に使用されています。


一曲輪登り口


石段が整備されていますが、段差が大きく登りにくいです。


竪堀
ここまで綺麗に残されているのは珍しいです。


こちらの竪堀もわかりやすい。


一曲輪虎口


その先に土橋があります。
なかなか周到な!


一曲輪に着いたと重いきや


さらに石段があり、


そこを登ると、


また、さらなる石段がありました。


ようやく着きました。


一曲輪からの眺め


次は、二曲輪に向かいます。
入口



二曲輪虎口


二曲輪


二曲輪からの眺め


二曲輪から歩いて数分のところにある弁天曲輪


御水神社の祠があります。


所要時間:1時間40分


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ホテルルートイン新白河駅東

2023-05-19 | ツーリング
初日は、9年前と同じホテルに宿泊しました。


ホテルルートイン新白河駅東
所在地: 福島県白河市新白河1丁目34-1

楽天トラベルを使って、駐車場あり、大浴場あり、朝食付きで検索し、
飲食店が近くにあるかどうか確かめて選択する手法は同じですから、結果も同じになります。

このホテル東館と西館と2つの建物があります。
東館は通常のルートインホテルと同じ仕様ですが、西館は室内に浴室がありません。
大浴場はありますし、トイレは各部屋にあるので問題はありません。

朝食も、西館は洋食のみとなっています。


ただ、西館宿泊者も東館の朝食を食べることが出来ます。
ルートインホテルの和食は郷土料理も提供されるので、わざわざ隣まで出掛けるのもイイかもしれません。


駐車場は充分に用意されています。

歩いて1分のところに焼き鳥屋があります。
9年前は開店したばかりでしたが、今でも健在で、手際よく接客してくれて好感が持てました。

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リベンジ白河小峰城

2023-05-17 | お城巡り(日本100名城)
都都古和氣神社(馬場都々古別神社)の参拝にひき続いて、都々古別神社(八槻都々古別神社)にも訪れる予定でしたが、時間がなくなったので明日に変更することにしました。

というのも、もう一か所どうしても訪れたいところがあったのです。
白河小峰城は、2014年に一度訪れています。
しかし、この時は東日本大震災の被害を修復しているところでした。
三重櫓や石垣は工事中で城内に入ることは出来ず、資料館である集古苑は展示物の入れ替えで臨時休館でしたので、不完全燃焼な気持ちでした。

9年ぶりの訪問です。
9年前の記事はコチラ


城山公園駐車場は以前より広くなったかな?
あいかわらず無料です。


時間的にはひととおり見て回れそうです。


太鼓門跡


復活した三重櫓


清水門跡
木造での復元計画が進行しているようです。


綺麗に修復された石垣


前御門


本丸御殿跡


いざ三重櫓へ
何と入場無料です。


石落とし


三重櫓最上階


南側の眺め
目の前の広場が二の丸跡、その向こうにJR白河駅が見えます。


東側


北側
阿武隈川が天然の堀となっています。


西側

三重櫓は1991年に復元されました。
木造復元された城郭建築のうち、天守に相当する建物の復元では最初のもので、現在でも数少ない木造復元天守の1つです。
二階


戊辰戦争の激戦地となった松並稲荷山の杉を使って復元をしています。


一階


ベストアングルかな?


桜之門




そそり立つ石垣が美しいです。







二の丸と三の丸の間の堀跡
あっそうか、ここでボール遊びしても遠くまでころがっていかないんだ。


白河集古苑は2019(平成31)年リニューアルされ、小峰城歴史館になりました。


「入館は16:00までであるか。」
このとき16:26、かくして今回も入城できず、またまた課題を残してしまいました。


JR白河駅のホームが見えます。
ということはホームからもお城がキレイに見えるということですね。

見学時間: 45分


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都都古和氣神社(馬場都々古別神社)

2023-05-15 | 一の宮巡り
福島県東白川郡棚倉町には「つつこわけじんじゃ」が二社あります。
棚倉町棚倉字馬場にある都都古和氣神社(馬場都々古別神社)と棚倉町八槻字大宮にある都々古別神社(八槻都々古別神社)です。
両社はともに味耜高彦根命・日本武尊を祭神とし、それぞれ古社として知られ中世以降は陸奥国の一宮とも称されています。
いずれが延喜式に載る神社であるかや本社・分社の関係などについては古来論争ありますが、現在までに明らかとはなっていないそうです。

さらに、福島県石川郡石川町には石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)があり、やはり陸奥国一宮を称しています。
こちらは棚倉町の都都古別神社から分祀されたものであるという説もありますが明確な裏附けはありません。

3つの「つつこわけじんじゃ」のうち、棚倉町の二社を初日に、石川町の一社は翌日に訪れる予定です。

白河ICから約40分、都都古和氣神社(馬場都々古別神社)へやってきました。


ナビにしたがってきたところ、三の鳥居脇の駐車場に到着しました。


三の鳥居


拝殿
主祭神は味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)で相殿神は日本武尊(やまとたけるのみこと)です。


本殿


絵馬


摂末社
神明宮


熊野神社


鹿島神社


厳島神社


稲荷神社


甲山天満宮


随神門


二の鳥居


御朱印は社務所ではなく、二の鳥居脇の宮自宅で受け付けています。

宮司さんによると、石川町の石都々古和気神社は山の上にあり、ナビに従うとその本殿近くに誘導されるそうです。
そこまでの道は未舗装路で、大きいクルマやバイクはやめた方がよいとのこと。
麓に駐車し、石段を登って参拝するのが賢明だそうです。




歴代の宮司の中にはこんな方も見えたそうです。


かつては神社の周囲は堀で囲まれていたそうですが、現在では一部しか跡が残っていませんでした。


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白河へ

2023-05-13 | ツーリング
ツーリングの日がやってきました。
スムーズに朝4時に起きられたものの、グダグダ準備していたら出発予定の5時を少し過ぎてしまいました。

5月に入ってから夏日が続いていますが、さすがに午前5時ではひんやりしています。

もっとも、気温差に対しては充分対策済みです。
このため、2泊3日の旅行ですが、荷物はこんなになっちゃいました。


一宮JCTから名神高速に入ると、早朝にもかかわらずけっこう混んでいます。
80km/hで何とか流れている車列に続いて小牧JCTまで行くと、ほとんどのクルマが中央道方面に進んでいきます。

この状態が松本あたりまで、続いていました。

中央道は愛知、岐阜、長野と県をまたぐとともにどんどん標高を上がっていきます。
それに反して、気温は下がってきます。

ここで大活躍したのが、


電熱グローブです。


駒ヶ根SAで、舞茸そばを食べ、内側からも温めます。
この時点で、予定よりも30分遅れており、この後、さらに遅れは広がることになります。



更埴JCTから上信越道に入ると、いつもよりは交通量は多いですが、それでも快調に進むことが出来ました。
長野県から群馬県に入ると緑の山々から灰色の岩肌がのぞくようになります。
午前11時になりました。
これから混むことが予想されるので、すこし早いですけど横川SAで昼食にしました。


久しぶりに、峠の釜めしを楽しみたかったこともありますけどね。


う~、たまりません。

暖かくなってきたので、トレーナーを脱ぎ、再びバイクを走らせます。


関越道、北関東道まではなんとか順調に来られましたが、東北道に入ると鹿沼ICあたりから本格的な渋滞にはまってしまいました。
まぁ、事前の渋滞予想どおりではありましたが、
よってハイウェイナビよりも2時間遅れのこれも想定内の午後2時に白河に到着しました。

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