橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

さらば津和野

2017-04-26 | ドライブ・旅行

【太皷谷稲成神社】
所在地: 島根県鹿足郡津和野町後田409

津和野城跡観光リフトから200mほど登ったところにあります。
 


山地に作られた神社のため、1階に駐車場
階上部分にいろいろな建物が円形に並んでおります。


さだまさしの「案山子」という歌はこの津和野の町がモチーフとなっています。

津和野の町に降りてきました。
 


なかなか趣のある町です。
ここもじっくり見るには1日ぐらいかかりそうです。

しかしながら、このあと590kmの道のりを帰らなければなりません。
帰りを遅らせることにより、高速道路の深夜割引の適応を受ける作戦も考えましたが、翌日仕事を控えていますし、年齢のことを考えると、無理して低調を崩したり、事故を起こす方がずっと高くつくので後ろ髪を引かれる思いで津和野を去ることにしました。

[おまけ]
帰路、中国自動車道の吉和パーキングエリア(広島県廿日市市吉和)で昼食をとりました。


吉和わさび丼とミニきつねそばのセット
このわさび丼、極み海苔とネギに加えて、わさび海苔とわさび味噌がちょこんと載っているだけなのです。
これだけ質素なビジュアルなのに堂々と売り出しているのはさぞかし美味しいに違いないと思い、これを選びました。
あたりでした。わさび海苔はわさびの風味と海苔の佃煮がよくあいます。一方、わさび味噌は強烈な刺激が鼻腔を襲います・・・が癖になるおいしさでした。
いずれも売店に置かれていましたが、要冷蔵ということもあり、購入を見送りました。

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津和野城

2017-04-23 | お城巡り(日本100名城)

朝寝覚めると、萩はすでに雨でした。
 

本日の目的地である津和野城は萩からクルマで1時間ほどですが、山脈を越えた島根県にあるのでひょっとしたら降ってないかもと期待するも・・・なんと本降りでした。

山城ですので、傘だけではもたないと思い、急遽コンビニでレインコートを購入しました。
 

まずは、島根県立津和野高等学校へ向かいます。
かつてここには、藩主亀井家の藩邸がありました。
大部分は、高校の敷地になってしまいましたが、庭園の跡が残されています。
 


物見櫓
藩主が祭礼等の催し物を見物した建物


馬場先櫓
藩邸にあったものだというが江戸時代後期のものらしいです。

さて、いよいよ登城します。
クルマで数分山道を登ったところにリフト乗り場があります。


津和野城跡観光リフト
所在地: 島根県鹿足郡津和野町後田
営業時間: 9:00~16:30
定休日: 12/1~2月末 但し土日祝を除く、臨時休業あり
料金(往復):中学生以上450円,小学生以下400円

道を挟んで駐車場が設けられています。
 

乗り場に隣接したリフト茶屋で日本百名城スタンプを押し、係員と運行開始時刻まで話しをしました。
雨天でしたが、9時ちょうどに運行開始。
リフトも城跡も私しかいません。貸し切りです。


リフト降り場には杖が用意してありましたが、片手は傘、もう一方の手はカメラを持っているため使えません。


熊よけの鈴も持参しました。


このような山道を進みます。
濡れた石や木の根はたいへん滑りやすいくなっているうえ、、一歩踏み外すと谷に滑落する恐れがあるので、小さな歩幅でペンギンのように歩きました。


堀切


まずは出丸の方に行ってみました。


坂道を登ると出丸の石垣が見えてきました。


出丸に到着しました。


天空の城状態です。


次に本丸に向かいます。
部分的に歩道が設けられており、本来は楽なんでしょうが、脚をすべらせるのが怖いためここでもベンギン歩きで進みます。

開けた場所に出てきました。
 

本丸の入り口の下に当たる場所のようです。
 

津和野城の歴史は鎌倉時代までさかのぼります。
1295(永仁3)年、吉見頼行により築城を開始。
以降、津和野城は吉見氏14代の居城となりました。
関ヶ原の戦いにおいて西軍が敗れと吉見氏も津和野を退去して萩に移住し、代わって坂崎直盛が3万石(後に加増され4万3468石)で入城し、石垣を多用した近世城郭へと大改修を行した。
しかし、坂崎氏は改易となり、1617(元和3)年、因幡国鹿野藩より亀井政矩が4万3千石で入城。以後、明治維新まで11代にわたり亀井氏の居城となりました。


さらに山道を登ります。

石垣が見えてきました。
 


東門の跡
大手門として機能していました。


三段櫓跡


西櫓門跡


天守台


天守台から見た馬立・台所
左に見えるのが馬立、馬をつなぎ止める場所です。
奥が台所でした。

天守の上方にある太鼓丸
 
 

さらにその上に三十間台がそびえ立ちます。
 
 
 

津和野城は、天守よりも高い位置に本丸にあたる三十間台が築かれています。

三十間台から見た人質櫓(手前)、三の丸(後方)
 

三の丸に降りてみてようやく他の見学者と会うことができました。
 

南門櫓
 

小雨になり、ガスも晴れてきました。
 

三の丸から見上げた人質櫓
 

リフト乗り場に戻ってきました。
 


けっこうな急坂です。
登山道もありますが、雨天のためリフトを選びました。
(きっと、晴れていても使ったと思うますが・・・)
一周見て回るのに1時間20分かかりました。

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萩を散策

2017-04-19 | ドライブ・旅行

萩城を後して、再びレンタサイクルで萩の街を散策しました。


【旧厚狭毛利家萩屋敷長屋】
所在地: 萩市堀内85-2
開館時間: [4~10月]8:00~18:30,[11~2月]8:30~16:30,[3月]8:30~18:00
休日: 無休
料金: (萩城跡指月公園との共通券)大人210円,小中学生100円


毛利家一門のひとつである厚狭毛利家の武家屋敷。
屋敷は約15,500㎡の広大な敷地を誇っていましたが、主屋などは明治維新後に解体され、安政3年(1856)に建てられたこの長屋のみが残っています。


5つに区画された内部には土間がなく、特に東の座敷は狭いながらも畳廊下を配した格調高い造りであることから、身分の高い者に対して用意された詰所であったと思われます。


萩城の復元模型が展示されていました。
山城の部分、平城の部分、さらに海城の要素もよく分かります。


【口羽家住宅】
所在地: 萩市堀内
開館時間: 9:00~17:00
休館日: 12/30~1/3、8/13~15
料金: 100円
駐車場はありませんが、自転車なので門に横付けです。
 

口羽家は毛利氏の庶流で、元は石見国邑智郡口羽村を領した用路城主でした。
関ヶ原の戦いの後、毛利氏と共に萩に移っています。
表門は、萩に残っている長屋門としては最も規模が大きく、

門番所まであります。
 

門をくぐると門番所、中間部屋、厩があります。
この表門と主屋が揃って残るものは少なく、かつ現存する屋敷としては古く、全国的にも価値のある武家屋敷だそうです。
 


【鍵曲(かいまがり)】
所在地: 萩市堀内


萩は二十年以上前に一度訪れています。
そのときに、強く印象に残っているのがここの景色です。
左右を高い土塀で囲み、城下町であるため道を鍵の手(直角)に曲げた独特な道筋になっています。
藩政時代の城内三の丸にあたり、藩の諸役所や、毛利一門、永代家老、寄組といった大身の武家屋敷が並んでいた場所です。


白塗りの土塀であったり、石垣を積んだものであったり、塀もいろいろです。
今回気づいたのは、塀の内側にある家が普通の住宅であることです。
江戸時代の建物ではなく、近代的などこにでも見られる住宅です。
さらに、学習塾であったり、空き地や畑になっているところもあり、塀と曲がりくねった道は独特のものなのですが、それに囲まれた内側はごく普通の生きた平成の街なのです。

もうひとつ気づいたことがあります。
至る所に、夏みかんが見られるのです。
 

明治期になり、職を失った武士への救済措置として夏みかんの栽培が奨励されており、当時植えられた夏蜜柑の木が今も萩市内に多く残っているそうです。
以前訪れたのは収穫期後の8月でしたから気づきませんでしたが、今回は街の至る所で黄色い大きな身を見かけました。


【萩博物館】
所在地: 萩市大字堀内355
営業時間: 9:00~17:00 (入館は16:30まで)
休日: 無休(年1日臨時休館日あり)
料金: 大人 510円,高校・大学生 310円,小・中学生 100円


建物や外観は、敷地が旧萩城三の丸にあたる堀内伝統的建造物群保存地区内にあることから、かつてこの地区内にあった規模の大きい武家屋敷の特徴にならっています。
萩の歴史・文化発信拠点として、吉田松陰、高杉晋作をはじめ幕末維新関連の実物資料を展示のほか、萩の文化、自然を模型映像を駆使して紹介しています。


博物館敷地内に復元された隅櫓
かつてはここに建っていたそうです。

午前10時に萩入りをしましたから、見学時間は充分にあると思っていましたが、見所はいっぱいあり、計画していたところを全部回れそうもありません。
城下町を後にして、どうしても行きたかったところへ移動しました。


【松陰神社】
所在地: 萩市椿東1537
吉田松陰を祀って建てられた神社。
驚いたのは以前訪れたときに比べ、ふたまわりぐらい大きな大神宮に変身していたのです。
門前には大駐車場があるし、凄い観光客の数でした。



例によって自転車にまたがったまま、一の鳥居を通過しようとすると警備員が走り寄ってきました。
さすがに、自転車での突破はヤバかったかな・・・と思いましたが、さもあらず、
「そのまま進んでください。もう少しいくと右手に駐輪場がありますのでそこに駐めて下さい。」とのこと、萩はおそろしいほどまでに、自転車に寛容でした。
 


松下村塾
吉田松陰が1857(安政4)年主宰した私塾。
ここで、明治維新を成し遂げた、数多くの人材が育ちました。
おどろくことに、この建物、移築ではなく、当時からこの位置に建っていたのです。
平成27年7月5日、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
見学していると、どこからともなく「松陰先生」という話し声が聞こえてきます。
山口県民はいまでも、「松陰先生」とよび、呼び捨てにすることはないと聞いておりましたが、事実のようです。


松蔭の生家
出獄を許された松蔭は実家である杉家に幽閉の処分となりました。
その庭先にて開かれたのが松下村塾です。


松陰神社 本社
祭神は吉田寅次郎藤原矩方命、すなわち吉田松陰です。


末社 松門神社
松陰神社社殿の旧社殿ですが、現在では、松陰の塾生・門下生を祭神として祀られています。
恥ずかしながら、若い頃の私は現存した人物を神格化することに抵抗があり、手を合わせようとはしませんでした。
現在ではまったくそんな考えはなくなりましたので、素直に手を合わせます。
きっと、自分が仏に近づいているからだと思います。


吉田松陰歴史館
営業時間: 9:00~17:00
休日: 無休
入館料: 大人500円,中高生250円,小学生100円
松陰の生涯を20シーン70余体の等身大の蝋人形で再現、説明版と音声ガイドで、分かりやすく紹介されています。


松陰神社宝物殿 至誠館
営業時間: 9:00~17:00
休日: 無休
入館料: 大人500円,中高生250円,小学生100円
こちらは松蔭の遺墨や遺品類など展示されていますが、書簡類が多く、家族連れなどは歴史館の方がわかりやすいかと思います。


【護国山 東光寺】
所在地: 萩市椿東1647
拝観時間: 8:30~17:00
休日: 無休
拝観料: 高校生以上 300円,小・中学生 150円

東光寺は、1691(元禄4)年に3代藩主毛利吉就が創建した黄檗宗の寺院で、毛利家の菩提寺です。


総門


三門


鐘楼


大雄宝院
本堂にあたる建物です。
以上4つの建築物はみな国の重要文化財に指定されています。


毛利家墓所


3代吉就から11代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があります。
(偶数代の藩主は大照院にあります。)

墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並び、張り詰めた空気感を漂わせています。

 

「紅唐子(べにからこ)」という珍しい椿
 

さて、陽も傾いてきたので、自転車を返し、ホテルへ向かいました。
私がホテルを選ぶ基準は、
・駐車場(駐輪場)があること
・大浴場があること
・安いこと
・飲食店が近くにあること
です。

今回宿泊した萩ロイヤルインテリジェントホテルは、無料駐車場に駐めたまま隣接するレンタサイクルで自転車を借りて観光できるので、とてもよかったです。
萩の繁華街とは離れているのですが、同じビルの二階に評判の良い鮮魚料理店があり、そこで日本海の新鮮な魚をつまみながら一杯やる計画でしたので、これは問題視しませんでした。
ところが、評判が良いだけあって予約客で満員、やむなく焼き鳥屋に変更です。
 

この店が悪いわけではありません。
しかし、萩に来て、「博多」もないでしょ・・・
気分を取り直して地酒でもと思ったのですが、メニューにあるのは某大手メーカー1銘柄のみ、しょうがないから注文しましたが・・・
程よく酔ったところで別のメニュー表を発見、そこには「山口県の地酒」と何種類か紹介されているではありませんか。

こうして、酒と肴という課題を次回に残してしまったのでした。

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萩城

2017-04-16 | お城巡り(日本100名城)

自転車で萩城に向かいました。


生活用水路にしか見えませんが、これも萩城の堀の跡です。
萩城は三角州の先端に位置していますので、開削して海水を流し込めば、比較的簡単に堀ができ、幾重もの堀に囲まれています。


萩八景遊覧船の乗り場
海に囲まれ、水路が発達している萩を観光船で見て回るのも面白いかと思います。


毛利輝元公像
豊臣政権五大老の一人であり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として擁立された。
長州藩の藩祖です。


二の丸南門です。


本丸が見えてきました。
萩城の本丸・二の丸は平坦な三角州上にあり、平城であるが、
後方に見える指月(しづき)山頂には詰丸が築かれており山城でもあります。


天守台


城内は自転車で移動できます。
ここでも、レンタサイクルが大活躍

萩城跡指月公園
所在地: 萩市堀内1-1
開園時間: 【4~10月】8:00~18:30,【11~2月】8:30~16:30,【3月】8:30~18:00休園日: 無休
料金(旧厚狭毛利家萩屋敷長屋共通): 大人 210円,小中学生 100円
ここで、日本百名城スタンプを押すことがとができます。

天守台に登ってみました。
 

本丸門付近の様子
 

詰丸のある指月山
 

さあて、ここに登ろうとすると・・・


やる気を失わせるような表示が・・・
たしかに、ほぼほぼ登山になるので、それ相応の靴や服装をしている必要はあると思います。
ちなみに、私は山頂まで18分で到達しました。


重建大祖神廟記の碑
かつて、このあたりに萩城鎮守の社として仰徳神社が置かれ、毛利氏の始祖天穂日命(あめのほひのみこと)と元就・隆元・輝元・初代藩主秀就が祀られていました。
現在では、志都岐山神社の隣に祀られています。

この碑はまだまだ序の口で、山頂へは山道をさらに登っていかなければいけません。
 


ようやく石垣が見えてきました。


詰丸矢倉門跡


あ~あ、せっかくの文化財を理解できない輩達が・・・
悔い改めよ!

鉄則どおり、枡形となっています。
 

山城の部分(詰丸)には、本丸と二の丸の2つの郭がありました。
 

上段が本丸です。
 

本丸の様子
 

中心部に巨石があり、加工の跡が見られた。
おそらく、小さく分解して取り除こうとしたのではないでしょうか。
 

下へも掘り下げていったが、ことのほか地中部分が大きく、あきらめて、貯水池として利用していたと推理しました。
 


山を降り、平城本丸にもどってきました。


花江茶亭
藩主の別邸にあった茶室を明治20年頃移築したもの。
幕末の頃、13代藩主毛利敬親が茶事にことよせて、家臣とともに国事の密議をこらした場所で有名だそうです。


萩城址碑
長州藩最後の藩主であった毛利元徳の長男である元昭氏によって、1919(大正8)年に建てられました。
萩城の来歴が記されています。


志都岐山神社


右側の狛犬の奥にある桜


ここでしか見られない桜「ミドリヨシノ」です。


純白の花と緑色のガクが特徴で、遠目に見ると淡い緑色に見える珍しい桜です。ソメイヨシノに似ていますが、ガクが緑色であることからミドリヨシノと名付けられました。




志都岐山神社の本殿
祭神は、毛利元就・毛利隆元・毛利輝元・毛利敬親・毛利元徳の5柱です。


井戸

よくみると、群馬県令従五位香楫取素彦とあります。
 


東園(とうえん)跡
二の丸にあった回遊式庭園です。


櫓の跡


銃眼土塀
海側からの防御用につくられています。


土塀の外側には浜が広がっています。
かつて、ここにはキャンプ場があり、利用したことがあります。
標高が高くないので、蒸し暑く。
バカ者共が花火をやって騒ぎ、その後怪談話を始める始末。
テント泊なので、聞こえてきてしまい、たいへん寝づらかった思い出があります。


けっきょく、閉鎖されちゃったのですね。


潮入門跡

萩城は海に面した海城でもあるのですね。

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萩へ

2017-04-11 | ドライブ・旅行

泉大津港からフェリーにのって西進し、6:20に門司港に上陸。
九州に進軍すると見せかけ、反転して東に向かいます。


関門トンネルです。
結局、九州滞在は20分でした(汗

ほどなく、下関に到着
本州と九州の狭間である関門海峡は3つのトンネルと1つの橋で繋がれています。
在来線(山陽本線)の関門鉄道トンネル、新幹線の新関門トンネル、一般国道(国道2号)の関門国道トンネル、なんとこの海底トンネルを歩いて渡ることもできるのです。
 

さらに、高速道路(関門自動車道)がとおっている関門橋・・・あれれ?
 

なんと、みもすそ川公園には大砲が並んでいました。
1863(文久3年)、長州藩は尊皇攘夷を実行すべく、関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃しました。
しかし、翌年8月、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの四国連合艦隊17隻が報復のため下関にやってきて、これに大敗し、すべての砲台が占領・破壊されました。
外国の進んだ軍備にめざめた長州藩は、開国・倒幕へと転換し、明治維新を実現する原動力となります。

みもすそ川公園
所在地: 山口県下関市みもすそ川町1


長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は青銅製の大砲で、球形の弾丸を発射し、目標を打ち抜いて損害を与えるものでしたが、連合艦隊の新しい大砲は距離.威力ともはるかにすぐれたものでした。


源義経と平知盛像
ここは、源平最後の戦いである壇ノ浦の合戦の舞台でもあります。
義経(左)は八艘跳び、知盛(右)は錨を担いで入水自殺する姿を現しています。

みもすそ川公園を後にして、日本海側を海沿いにクルマで走ること1時間
着いたのがここ


角島大橋
所在地: 山口県下関市豊北町神田~角島

あいにくの曇天でしたが、充分綺麗な海の色を堪能することができました。
 

さらに、40分ほど東へ移動して、


元乃隅稲荷神社
所在地: 山口県長門市油谷津黄498
参拝時間: 日の出から日没まで ※夜間の立入禁止

北東の風が吹き荒れるとここに打ち寄せる波が最大30mも吹き上がることもあるそうで、
「龍宮の潮吹き」とよばれています。
 

幸か不幸か、この日は穏やかな波で潮吹きはみられませんでしたが、ダイナミックな景色に感動です。


 
 

本殿はこぢんまりとしています。
 

無人ですので、御朱印もあらかじめ押してあるものをいただくシステムです。
 


本来はこの鳥居の上部にお賽銭箱が設置されており、日本一入れにくい賽銭箱として知られているようですが、工事中のためおろされていました。

このあと、萩市内に入ったところで、はやい昼食を取ることにしました。


どんどん 土原店
所在地: 山口県萩市土原377
営業時間: 09:00 〜 21:00
まだ、10時だというのに駐車場はいっぱいで、いやがうえにも期待しちゃいます。


肉うどんに、わかめのトッピング
テーブルの上には刻みネギがどんぶりいっぱい用意されています。
福岡のうどんのように柔らかめの麺ですが、中はしっかりコシがあります。
こんぶ出汁に肉の煮汁がたっぷり入って、甘めになったつゆがサイコーでした。
山口県によることがあったら、ぜひとも再訪してみたい店です。


東萩駅前にある萩ロイヤルインテリジェントホテル
本日宿泊するこのホテルの駐車場にクルマを置いて、
 

ホテル横の貸し自転車店でレンタサイクルを借ります。
萩にかかわらず、城下町は狭くて曲がった道が多いですが、こぢんまりとしたところに見所も多いので、自転車でまわるのが良いかと思います。
 


東萩駅前にある萩城天守の1/6復元模型を見て、スタート

最初に訪れたのが、


萩反射炉
所在地: 山口県萩市椿東4897-7
海防強化の必要性を感じた長州藩は、西洋式の鉄製大砲を鋳造するために金属溶解炉として反射炉を築造しました。
日本に現存する近世の反射炉は、この萩反射炉と韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)のみであるため貴重な遺構とされています。
2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産(文化遺産)に正式登録されました。
よくもまあ今まで残っていましたねぇ。

萩反射炉から海側へ約0.6㎞移動しました。


恵美須ヶ鼻造船所跡
所在地: 萩市椿東5159-1

1853(嘉永6)年、幕府は各藩の軍備・海防力の強化を目的に大船建造を解禁し、のちに萩藩に対しても大船の建造を要請し、この造船所がつくられました。
かつては多くの建物があり、木材を加工するところ、原寸大の図面を起こすところ、製剤した部品を組み立てるところ、船のロープをつくるところなどが分かれて建っていました。ロープはそれぞれの建物の跡を示しています。


スクーネル打建木屋跡
船の組み立てを行う施設=ドッグですね。
黄色の枠と赤の枠はそれぞれここでつくられた洋式帆船の大きさを表しています。
陸上で建設し、海まで曳いて浸水する方式だったので、これ以上大きな船を作るのは無理だったそうです。


石積みの防波堤
よくこのアングルの写真が紹介されていますが、


この燈台はコンクリート製で上部に電灯を持ち、幕末のものではありません。
(とはいえ、かなりの年代物には違いないです。)


突き出ている白い石は、船のロープをつなぎ止めるためのものです。

ボランティアガイドの方にいろいろ説明いただきました。
その中で印象に残っている話をひとつ紹介します。
毛利領は江戸時代になり、かなり縮小されました。
関ヶ原の戦いで西軍についたのでしかたないことなのですが、せめて藩庁は山陽に置きたかったそうです。
しかしながら、幕府はこれを認めず、山陰で方を山、一方を海に囲まれた萩に押し込まれてしまいます。
世が世ですから、表だって文句を言うことはできませんでしたが、このときの不満は幕末まで続いたそうで、せめて山陽のどこかに藩庁を置くことを認めてくれたなら討幕派にならなかったかも・・・とガイドさんは話してくれました。


道の駅 萩しーまーと
所在地: 山口県萩市椿東北前小畑4160-61
営業時間: 9:30~18:00

貸し自転車屋のおじさんのすすめにより寄ってみました。
日本海の新鮮な魚が販売され、食べることもできます。
たしかに、レストランは3店舗あり、いずれも鮮魚をウリにしたメニューがいろいろあるのですが、価格は観光客向けでした。
さきほど、うどんを食べたので、鮮魚は夜まで我慢することにして、城下町に向かいました。


野山獄跡
所在地: 萩市今古萩町35-6
1854(嘉永7)年、ペリーが再航した際に、吉田松陰は旗艦ポーハタン号に小舟で近づき、乗船し、密航を願い出ました。
しかし、渡航は拒否されて、投獄されてしまいました。
その後、国許蟄居となり、長州へ檻送された後にここに幽囚されました。


岩倉獄
野山獄跡と道路を隔てて向かい合わせになっています。
士分の者を収容する上牢が野山獄で、士分以外の者を収容する下牢が岩倉獄でした。
1645(正保2)年、岩倉孫兵衛が酒に酔って野山六右衛門の屋敷に押し入り、家族を殺傷する事件を起こしました。
しかし、喧嘩両成敗により両家は取りつぶしとなり、屋敷が没収され、跡は牢獄に立て替えられますが、切り込んだ岩倉家側に非があるとして、岩倉獄は下牢とされたそうです。
吉田松陰と共に黒船で密航を企てた金子重之輔はここに入れられますが、野山獄とは異なり環境が劣悪で、着物や食べ物が満足に与えられなかったため、獄中で病死しています。

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旅立ち

2017-04-08 | ドライブ・旅行

新年度が始まる前に遠征に行きたい!
2月ぐらいから、その気持ちはつのるものの、なかなかまとまった休みがとれないでいました。
ようやく休めたのが3月31日。
世間は2回目のプレミアムフライデーとか言っていますが・・・
私は朝から休んでやったぞ!さまぁみろ。

お昼に名古屋を出たものの、すでに雨が降り出してしまいました。
 

まあ、この季節の荒天は想定内であり、はなからデミオで出撃するつもりだったので大丈夫です。

時間にゆとりを持って出発し、安全速度を保ったこと、雨によりタイヤの摩擦係数が減ったことにより、名古屋-大阪間の燃費は驚異の30km/L越えです!
 

余裕があったので、フェリー港近くのスーパーマーケットで買い出しをしました。
 

到着しました。阪九フェリー泉大津乗り場
 

これに乗って旅立ちます。
 

ネット予約しておいたので、乗船手続きは簡単、車検証を見せるぐらいで済みます。

いよいよ乗船です。
 

いざ船内へ
 

係員の指示に従って、ぎゅう詰め駐車
 

このあと客室に向かうのですが、駐車した場所を忘れてしまうと下船時に探すのがたいへんです。
とくにフロアが分からないと苦労するので、何階か記録しておきましょう。
 


客室に到着
阪九フェリーの客室と料金の設定はなかなか巧妙です。
一番安価はスタンダード・和室、大部屋で雑魚寝ですね。運賃料金は6,170円(大人,通常期間、以下同じ)です。
1,030円高いスタンダード・和室になりますと2段ベッドになります。カーテンの備え付けてあるのである程度プライバシーは確保できます。
さらに、1,540円高いスタンダード・シングルは大部屋を仕切られた構造ですが、一応個室となりロックもできます。また、テレビもついています。
スタンダード・シングルに2,064円上乗せすると、デラックス・シングルになります。完全個室になり、鍵はカードキーになります。浴衣,茶器セット,電気ケトルも置かれますし、タオル,歯ブラシ,ひげそり,ヘアブラシ,ティッシュ,石けんも用意されます。部屋の中には洗面台もあり、ユニットバスがないこと以外はビジネスホテルと同じ装備になります。
なお、これより上級の部屋には泊まったことがないので分かりません。
若いときには、とにかく一番安い部屋に泊まっていましたが、だんだん快適性を重視し、今回はデラックス・シングルを選択しだいです。


大浴場です。
乗船したら、まず入浴して、とりあえずビール、デッキで涼みながら出港の様子を眺めて、あとはそのまま飲んだくれる。それが私のルーティンです。


雨天のため、残念ながらデッキに出ることはできませんでした。
それでは船内を散策。


客室は3フロアからなっています。


給湯室


売店
おみやげも酒のつまみも調達できます。


ステージでは音楽ライブの準備がおこなわれていました。


レストランです。
メニューは豊富ですが、営業時間が限られていることもあり混みがちです。
また、料金は高めであり、「せっかくの旅行だから」と贅沢するとけっこうな出費になることもあります。
ですから、出航前にスーパーで買い出しを行ったのです。
なお、フェリー内には子レンジも用意されています。


そしてこの日のメインディッシュは「キャベツ焼き」
「キャベツ焼き」とは、
一般的なお好み焼きとは異なり、戦前の洋食焼きや現在の広島焼きなどと同じ重ね焼きの手法によって作られる。
大正~昭和初期に流行した洋食焼き(一銭洋食)をルーツとし、ネギではなくキャベツを中心に用いるようになった戦中戦後のスタイルをモチーフとして懐古的に復活した料理である。 大阪市を中心として1990年代後半より流行りだした。流行に至った経緯は定かでないが、東成区の今里新道筋商店街を発端とする説がある。
同様の調理法による料理は、単に「お好み焼き」という名称で、従前より大阪周縁の一部地域(兵庫、京都、泉南など)や縁日の屋台などで提供され続けていた。古いレシピのリバイバルで決して新しい料理ではないが、戦後に広まった混ぜ焼きのお好み焼き以外知らなかった大阪の若年層には新鮮に受け止められ、またデフレ世相もあり一枚100円という安価で提供されたことから、地域的なヒット商品となった。
~Wikipediaより~

大阪には、知らない粉もんがまだまだたくさんあります。

一晩経ちました。
朝6:00到着するも、下船の順番がなかなかまわってこず、6:20にようやく門司港に降りることができました。
 

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