橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

大野城(尾張国知多郡)

2010-04-29 | お城巡り(その他)

所要で常滑市内の国道155号を走っていました。
ナビに「大野城」とあるのに気づきました。
ほどなく国道脇に「←城山公園」との表示板を見つけました。

用事を済ませた帰路再びこの場所にさしかかると天守閣っぽい建物がちらっと見えました。
これは行かなければいけません。

こうして衝動的に訪問したので今回はケイタイで写真を撮りました。
設定が写メサイズになってしまって、小さくて見にくいをおわびします。

小高い丘の麓に駐車場があります。

ここから、ひたすら登っていきますが、階段の段差が小さくて長くてけっこう辛い。

頂上へ着き門をくぐると、

不自然な天守閣らしき建物がありました。


でもよく見ると、

天守閣型の展望台なのです。

確かに見晴らしは良く、伊勢湾が一望できます。

この写真ではわかりにくいですが、中部国際空港も見えました。

大野城は一色氏が築いた後、尾張守護の土岐氏家臣の佐治氏が入城し以後治めました。
しかし、四代目の一成は小牧長久手の戦いの際に徳川方に付いたため、羽柴秀吉と敵対して追放されてしまいました。
その後、織田長益(信長の弟)が入りましたが、水利の悪さから、すぐ真向かいに大草城を築城して移り、大野城は廃城となったそうです。
やはり、水は城の生命線なのです。

おそらく、この展望台のような天守閣は存在しなかったはずです。

天守閣のすぐ南に佐治神社があります。

裏(北側)から見ると櫓の跡に建てられているのがわかります。

丘の南側を降りてみると、空堀の跡や

土塁の跡が見られました。

この門は復元されたものですね。


大野城(常滑市城山公園)
常滑市金山字城山地内

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本證寺

2010-04-25 | お城巡り(その他)


安城市の本證寺へ行ってきました。

鎌倉時代に創建された真宗大谷派の寺院で、三河三か寺の一つに数えられる名刹であります。

で、どうしてこれを「お城巡り」のカテゴリーに入れたかと言いますと、

これを見てください。



太鼓楼といいますが、いかにも城の櫓の感があります。

境内の周りは堀で巡らされています。





このような境内のつくりを城郭伽藍といいますが、これほど見事に保存されているものは全国的にも珍しいです。

三河一向一揆(1563年~1964年)の時にはここを拠点として徳川家康と戦っています。もちろん、負けましたけどね。

現在では、至極閑静なお寺となっています。





ところどころにこうしたありがたいお言葉が掲示してあります。



奥にあった立派な建物は何だったのでしょうか。

庫裏にしては大きすぎます。集会所とか宿坊とかの役目をしているのでしょうか。



本證寺
愛知県安城市野寺町野寺26

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さらなるトホホの話

2010-04-24 | パソコン

先日、帰宅すると小さな小包がとどいていました。
中身はパソコンのメモリー(OCZ DDR3 PC3-10666 2GB 2枚組)でした。

某コンピューター雑誌2月号の読者プレゼントが当選したのでした。

ひところ懸賞の類に凝っていたときがありまして、けっこうもらっています。
ただし、当たるのはバイク・クルマ関係で女性読者が多い雑誌では、からきしダメです。
コンピューター関係誌もけっこうよく当たりますよ。意外にもヲタクさん達はマメに応募しないみたいです。

これを応募していた当時、我が家では長男用PCの増設が課題でした。
そこで、Core i5を使ったWindows7マシンを計画しました。
このメモリーがGETできればNEWマシンに使えると考えたわけです。

もっとも、長男用PCは職場PCが引退することにより、これの小規模改造で補うこととなり、Windows7マシン計画は幻に終わってしまいました。
http://blog.goo.ne.jp/pf11/e/5df92468e9eac8483cc7388c6b189331

さて、このメモリーをどうしましょうか?
DDR3という規格は最新のもので、我が家で起動中の4台のPCいずれも対応できません。これでは宝の持ち腐れです。
いずれは新規に製作するだろうからそれまで保存しようか。
しかし、メモリーの進歩は著しく、数年後には格安でもっと高性能なものが手にはいるでしょう。
暫時悩んだ結果、パーツ買い取り店に売りに出すことにしました。

速攻翌日、売りに出しました。買い取り価格は「2,200円」でした。
なんでも、メモリーの買い取り上限価格は1本1,100円だそうです。
パーツの買い取り時には、正常に起動するかどうか検査してもらいます。
このため約1時間程度の待ち時間が生じます。
今回はパチンコをして1,500円負けました。
あと、駐車料金が300円かかったので、差し引き+400円にしかなりませんでした。

「あ~あ、ヤフオクに出せばよかった~」

とは、後の祭りでした。

 

後日、えのさんから不要PCパーツを譲っていただきました。
私もどなたかに譲ればよかったと今になって思っています。

どうもまだまだ人間が浅いようです。

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続・3号機(お母さん号)大改造 トホホ編

2010-04-18 | パソコン

トラブルとまではいかないにしろ、PC自作に予想外の展開はつきものであるし、これを解決していくのが醍醐味の一つなんです。
まあ、理解できない方の方が多いでしょうし、そちらが正常だと思いますよ。

今回の3号機改造でもいろいろ体験しました。

①「よくできましたで賞」部門
・ATX電源コネクター
ケースは6年前の古い規格のためATX電源が20ピンです。
対するマザーボードは24ピンで合いません。
しかし、前回4号機改造の経験が生き、変換コネクタ(前回の逆パターンの)を同時に購入していましたのでノープロブレムでした。

・データーファイルは無事
今回の故障はマザーボードであり、ハードディスクは無事で、OSも残ってました。
ただ、このまま使っても各種ドライバーを入れ替えなければならず、面倒かつトラブルの元になるので、フォーマトをして再インストールしました。
データ用にパーテションを分けて保存していたので、データは消えずに残っていてそのまま使うことができました。

・Windowsの認証
自作の場合、Windowsはネットを通じて認証を受けなければ行けません。
部品を交換したときも再認証を受ける必要があります(で、なければ複数のPCで使用することが可能となってしまいます)。
今回はCPU,MB,メモリーを交換、HDDを増設といったほぼ別マシーンになってしまったので認証されるか心配でしたが、なんとすんなりパスすることができました。ちなみにOSはWindows XP Home editionでSP3にアップデートしました。

②「まあ、しょうがないで賞」部門
・TVチューナが使えなくなりました
TVチューナー・ビデオキャプチャーカードとして、AopenのVA1000Liteを使用していましたが、付属ソフトWinDVRがなんとディアルコアCPU未対応で使えませんでした。
まあ、9年前の製品だし、アナログなのでどうせ来年の7月には使えなくなるのであきらめはつきます。

・FDDの廃止
今回のマザーボードには、FDDコネクタが付いていませんでした。いままで装備していたFDDは廃止です。使っていなかったので問題はありませんが。

③「トホホで賞」部門
・再度パーツ店へ走る
3号機のケースには前後2つの冷却ファンが付いています。
ところがこのマザーボードのファンコネクタは1つしかありませんでした。
分岐コードを使えば簡単に解決しますが、後から気がついたため、組み立てを中断してパーツ店まで買いに走ることとなりました。

・三たびパーツ店へ走る
マザーボードにはフロント・パネル・コネクタというものがあります。
これは、ケースの電源スイッチやLEDとつなげるのですが、これにはJFP1とJFP2の2つの規格があります(知らなかった)。

古いマザボは両方付いていましたが、新しい方はJFP1しか付いてませんでした。
これによりPOWER LED端子を今までの三又から二又に変換しなければ行けません。
変換自身は簡単ですが、三たびパーツ店へ買いに行くハメになりました。

・モニターが真っ黒なまま
すべての接続を終え、電源スイッチを入れます。緊張の一瞬です。
しかし、モニターには何も表示されません。
落ち着いて確認すると、マザーボードのオンボードLEDは点灯していますし、CPUファンも回っています。
これはCPUの取り付けが悪いときに起こる現象です。
かつてのCPUの裏には何本ものピンが出ていましたが、今はイボ状になっています。
したがって、向きが正しくても微妙に位置がずれることがあるのです。
4号機を制作したときにも同じトラブルを経験しているので、割とよくあることかも知れません。
一度、CPUをはずして、再度取り付けるだけのことですが、CPUファン電源のつなぎ忘れに注意しましょう。
4号機の時にはこれを忘れ、Windowsインスト-ル中に気がつきました。
途中で電源OFFにするわけにもいかず、扇風機を当てながら作動中のPCのファンコネクタを接続するというアクロバット技をしました。
過去の反省を生かして今回は無事クリアです。

・WindowsがDドライブ
もともとハードディスをC,D二つのパーテーションに分けて使っていました。
今回、1つ増設するので、Eドライブが増えました。
なぜか、OSをクリーンインストールしたら起動ドライブがDドライブになってしまいました。
このまま使っても問題ないのですが、気持ち悪いので再々インストールをしました。ついでに古いHDDは1つのドライブにまとめ、容量の大きい新HDDを2つに切り直しました。結果オーライです。

④今回の最大のトホホは
どういうわけかこの記事用に撮影した写真ファイルを全部消してしまったことでした。

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自作パソコン3号機(お母さん号)大改造

2010-04-16 | パソコン

広島へ旅行へ行く前の話ですが、自作パソコン3号機(通称、お母さん号)の調子がおかしくなりました。
起動すると次のような画面が出て止まってしまいます。

とりあえず、Windows XP インストール CDの回復コンソールを試しました。
これはDOSのようにコマンド プロンプトを入力するのですが、Cドライブを見てみようとしても「ドライブが存在しません」と表示されます。
CDで起動できるLinuxであるKNOPPIXで見ても、BIOSを見てもハードディスクを認識してないようです。

可能性として一番大きいのは、ハードディスクの物理的クラッシュです。
6年間使用したのでそういったこともあるのでしょうか。

しかし、そうならば話は簡単です。
新しいハードディスク(Western Digital WD5000AAKS)を買って交換してみました。
500GBと小さめですが、もともとの容量が200GBなので十二分ですし、価格も\5,005と手頃でした。

交換自体は簡単だったのですが、あいかわらず例の画面が表示されフリーズしてしまいます。

ということは・・・・・・・
ハードディスクが原因ではなくマザーボードのI/Oコントローラー・ハブ の破損だったわけです。

ショック!

しかし、こんなことで落ち込んでいてはいられません。
気持ちを切り替え、格安で機能回復を試みました。

まずマザーボードの交換です。
MSI K8TNEO-FIS2R  → ASUS P5KPL-AM EPU(\5,808) に交換しました。

次に6年前のCPUでは合うわけもなくこれも交換です。
AMD ATHLON64 3200+ 2.2GHz → Intel Celeron Dual-Core E3200 BOX(\4,330)      
メモリーもDDRタイプのものではスロットに入らないので変更です。
HYNIX DDR (PC3200)512MB×2 → トラセンド DDR2(PC2-6400) 1GB ×2 (\4,470)
価格の安かったので、容量も2倍にしました。

結局のところ、ハードディスクそのものには何ら異常が見られなかったので、こちらも3.5倍になりました。

VideoカードはRADEON9600(128MB)を使用していましたが、これを廃してオンボードを使うこととしました。256MB相当なので最新スペックとしてはやや弱いですが、今まで使用していたもの以上には違いません。

総額2万円ほどの出費でデュアルコアCPUに大変身です!

昨年、同僚のノートパソコンが故障しました。
マザーボードの交換で3万円かかったそうです。
もちろん性能は以前のままです。
一方こちらは、6年前のPCでありながらビデオ以外はほぼ最新のスペックを誇っていると思います。

自作バンザイ!

(続く)

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広島城

2010-04-11 | お城巡り(日本100名城)

全国で10番目の人口を抱える広島市にはいろいろな顔があります。
西日本有数の工業都市であり、中国・四国地方を統括する政府機関も集まっています。
もちろん国際平和文化都市として世界的に知名度が高いですが、戦前は軍事都市でもありました。

都市としての広島の歴史は、戦国大名の毛利輝元が1589年に広島城を建設したことに始まります。

したがって、広島城は現在でも市の中心部にあります。

関ヶ原の戦いの後、福島正則が毛利輝元に替わって入城しましたが、幕府に無届けで修築したためそれをとがめられ、改易の憂き目を見たことでも有名です。
ちなみにそれ以降は浅野氏の居城となりました。


天守閣です。戦前は他の現存する建造物とともに国宝に指定されていました。
しかし、原子爆弾投下の際には、爆風によって倒壊してしまいました。
現在の天守は1958年(昭和33年)に広島復興大博覧会が開催された際、鉄骨鉄筋コンクリート造で復元されものです。
百名城スタンプは天守閣2階の売店で押すことができます。

鎧かぶとを試着できました。


二の丸です。写真左から御門橋・表御門・多聞櫓・平櫓です。
こちらは、平成元年から6年にかけて復元されました。
最近の復元工事はなるべく史実に基づいて行われます。このため、建築材料も当時同様木材を使います(耐震加工はされますが)。

広島城の二の丸は、出撃の拠点である馬出しの機能を持っていました。

もともとは広大な城でしたが、現在残されているのは天守閣・本丸・二の丸ぐらいです。

広島城の別名は鯉城(りじょう)です。
これは、この地一帯が己斐浦(こいのうら)と呼ばれたからだといわれています。
またこの別名から広島東洋カープのチーム名が付けられました。

広島城から原爆ドーム・平和記念公園までは1kmほどしかありません。
広島観光の際は歩いてまわられたらいかがでしょうか。

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福山城

2010-04-10 | お城巡り(日本100名城)


福山城は、徳川幕府から西国鎮護の拠点として、譜代の水野勝成が領主として、入府し築いた城です。

江戸時代建築の最後の最も完成された名城としてたたえられていましたが、明治時代に廃城になり、さらに 1945年(昭和20年)8月の空襲により焼失してしまいました。

おそらく百名城の中でも最もアクセスが良く、新幹線も止まるJR福山駅の目の前の低い丘にある平山城です。

自家用車の場合は西側に広島県立歴史博物館・ふくやま美術館と共通駐車場があります。。駐車券を受付まで持っていくと、1時間無料の処理をしてもらえます。


西側から登城しました。



二重櫓の跡です。


城に限らず井戸というものは大切な施設で頑丈に作られているため、跡が残っていることが多いですね。


1966年(昭和41年)に再建された天守閣は鉄筋コンクリート製ですが、福山城博物館として、社会・生涯教育の場として使われています。
百名城スタンプは入場券売り場で押すことができます。

天守閣から北側をながめると立派なお屋敷がありました。

それも、敷地内に和風建築と洋館が並んでいます。
きっと元藩主の子孫が住んで見えるのだと思ったのですがハズレでした。
昭和の初めに個人の別荘として建てられたものだそうですが、現在は福寿会館として福山市の市史編纂室及び貸会議室や貸茶室として使われています。


鐘櫓です通常城には時を知らせる太鼓が置いてあるものですが、鐘を用いるのは珍しいです。


南西に位置する伏見櫓は、築城の際に、京都伏見城の松の丸東櫓の遺構を徳川秀忠が移建させたものです。


筋鉄御門(すじがねごもん)は伏見櫓とともに現存する建築物で国の重要文化財に指定されています。 


湯殿です。これも伏見城から移築され国宝に指定されていましたが、昭和20年に戦災で焼けてしまいました。現在のものは天守閣とともに再建されました。


南東にある月見櫓です。この建物も伏見城から移築されましたが、現在は再建されたものです。


本丸跡にあった松です。見事な枝振りだと思いますが特に説明はありませんでした。
この松から天守閣を望みます。なかなかいいですね。今の時期は桜でしょうか。

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備中松山城

2010-04-07 | お城巡り(日本100名城)

備中松山城は岡山県高梁市に存在し、日本三大山城の一つです。
他は、大和高取城と美濃岩村城ですから、これですべて制覇したことになります。
標高430mの臥牛山頂上付近に建つ天守は、国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にあります。
一説には明治になり天守閣の破却を命じられましたが、嘘の完了報告だけして放置しておいたそうです。役所もわざわざ確認することをしなかったようです。
山奥という立地条件が幸いしたのです。
ただし、この地は山陰と山陽を結び、東西の主要街道も交差する要地であるため、激しい争奪戦が絶えず、目まぐるしく城主交代が繰り返されています。


8合目のふいご峠に駐車場はありますが、収容台数が少ないこと、アクセス路が細い山道ですれ違いもままならないのでバイク以外はシャトルバスを利用するのが賢明です。

5合目の城見橋公園駐車場に駐車しました。

ここからシャトルバス(往復300円)に乗り換えました。

竹製の杖が用意されています。借りておきましょう。

ふいご峠からは約20分の登山です。アスファルトの道ではなく、

こちらの山道(右側です)を選びましょう。


ところどころにある城主の言葉が疲れを和らげてくれるでしょう。



中太鼓の丸です。城の前線基地の役割をしていたでしょうが現在は石垣のみ残っています。このあたりで登山は中間点です。


いよいよ、大手門へやってきました。

周囲は、高さ10m以上の巨大で切り立った岩壁がそびえ、昔日のつわものたちが舌を巻いた”難攻不落の名城”の面影をうかがい知ることができます。

大手櫓の跡です。


土塀は現存部分に加え、一部復元されています。

三の平櫓跡です。こうしてみると往事は幾層もの建物が重なって配置した堅牢な城であったことがうかがわれます。


石垣の重なりが美しいです。


黒門を過ぎると、

天守閣はもうすぐです。

入場券販売所で百名城スタンプを押すことができます。

冷たいほうじ茶のサービスがあります。癒されます。

天守閣前の広場は二の丸の跡です。


天守閣に入ります。

装束の間です。籠城時は城主家族が暮らす部屋ですが、最後に城主が切腹する間でもありました。

囲炉裏を持つ天守は、珍しいです。


武者窓です。外からは除かれにくく、中からは見やすい構造になっています。


天守閣後方に位置する二重櫓です。

登城路はけっこうキツイですが、苦労して登った分は充分景観で見返りがありました。

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家族旅行~広島~後編

2010-04-04 | 家族

午後は、宮島を後にして広島市に移動です。

平和記念公園のそばに自動車を止めて、徒歩で広島城へ向かいます。


その後原爆ドームを見学しました。

一周して見渡すことができます。

このような建物が二度と出現されないことを切に望みます。

「原爆の子の像」です。
佐々木禎子さんは2歳で黒い雨により被爆されました。
しかし、特に変調を来すこともなく元気な幼少時代を過ごされていたのですが、10年後の1955年に白血病を患い亡くなりました。
禎子さんを始め原爆で死んだ子の霊を慰めるためにとの同級生達のよびかけは全国、海外にもひろがり、この像が建てられたそうです。
周りには、多くの団体から送られた千羽鶴が献納されています。

原爆死没者慰霊碑です。
中央の石室には、被爆し亡くなられた方の名前を記帳した原爆死没者名簿が納められています。
犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちから埴輪の屋根型の覆いが作られています。碑文には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と書いてあります。そうあって欲しいものです。
ここからちょうど原爆ドームが重なって見えます。


広島平和記念資料館を見学しました。
被爆者の遺品や被爆資料を現在に伝えています。
今回の旅行では外人観光客を多く目にしましたが、とりわけここではいろいろな国々の方が見学されておりました。
広島がオリンピックに立候補するという話があります。
もし、実現できるならばここを各国の要人に見てもらうことができますね。

あちらこちらで花見をしている団体も見られました。このような「平和」な公園であって欲しいと思います。


本日のお宿はビジネス旅館です。
車と荷物を置き、しばし休憩した後、市電にて移動です。
目的地はココ!。

3フロアに27ものお好み店が集まっています。

クレープのように生地をうすーく延ばした上にキャベツ・もやしをてんこ盛りします。
別に炒めた焼きそばを重ねます。

私が注文した品は焼き牡蠣にネギと玉子を絡ませ焼いたものをさらに重ねて焼きます。
もう絶品です!
自宅近くでは、このような広島風お好み焼きを出す店がきわめて少ないのが残念です。


最終日です。
朝一にホテルを出発。途中朝マックして、9:00呉に着きました。
まずは大和ミュージアムを見学しました。


戦艦大和の1/10模型や零戦や回天はともかく、展示資料には深い興味を持たないわが子達でした。
4Fには「船の科学館」的展示施設があり、そこの方を楽しんでいたのは、喜ぶべきことなのでしょうか。

道をはさんで、「てつのくじら館」があります。

退役した潜水艦を陸揚げした海上自衛隊に関する広報施設です。
展示を見る他、潜水艦内部に入って見学もできます。

親亀の上に子亀をのせて、その上にもう一人の子亀をのせて♪


昼食でいただいた鯛飯定食(だったかな?)
左上に見えるおまけ程度の刺身ですが、これが意外にもおいしかったです。
初日の夕食の刺身といい、2日目の牡蠣といい海産物好きにはたまりません。
まだまだ呉の見所はありましたが、13:00になりましたので、家路につくことにしました。この日は平日ではありますがところどころ渋滞があり、帰着したのは20:00でした。
疲れましたが充分満足の3日間でした。

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家族旅行~広島~前編

2010-04-02 | 家族

広島へ家族旅行に行ってきました。

【今回の目的】
① ツーリングへ行くための家族マイレージを一気に貯める。
② 娘は今年受験、息子は中学入学であり、家族旅行できるうちに行っておきたい。
③ 47都道府県制覇と豪語している橋吉だが、広島県と茨城県の主要観光地へは行っていない。
④ しかしながら、マジに原爆ドームと平和資料館は子どもたちに見せてやりたい。
⑤ もちろん、広島の牡蠣とお好み焼きも食べたい。
⑥ JTBの旅行券が手に入ったので、それを使って宿泊する。
⑦ 以上の理由にかこつけて、自分の趣味である城巡りを行う。

【1日目の行程】
蟹江IC→東名阪道→新名神→名神→中国道→山陽道→岡山自動車道→賀陽IC→備中松山城→賀陽IC→岡山自動車道→山陽道→福山東IC→福山城→国道2号線→尾道「千光寺山荘」(泊)

【2日目の行程】
尾道「千光寺山荘」→尾道IC→山陽道→広島岩国道路→廿日市IC→宮島口→(フェリー)→宮島→(フェリー)→宮島口→国道2号線→広島城→原爆ドーム→平和公園→平和資料館→ひばり旅館→(市電)→お好み村

【2日目の行程】
ひばり旅館→国道2号線→国道31号線→広島呉道路→大和ミュージアム→てつのくじら館→国道375号線→東広島呉道→高屋JCT→山陽道→中国道→名神→新名神→東名阪道→蟹江IC

渋滞が心配なので6:00に自宅を出発しました。
途中SAで朝食をとったりしたので、やっぱり宝塚トンネル前で渋滞に引っかかってしまいました。
とはいえ、11:00頃には備中松山城へ到着しました。

詳しくは後日アップしますがけっこう足にきました。

城を降りた後、高梁で昼食をと思っていたのですが、なかなか道沿いに飲食店がなく、結局、中国道の道口PAで尾道ラーメンをいただきました。

PAのラーメンとしては充分良かったとおもいます。

チェックインにはまだ時間があったので急遽、福山城に寄ることにしました。


尾道には17:00に到着、千光寺山荘に逗留しました。

小高い山の上にあるので尾道が一望できました。

夕食は秘伝の出汁で豚をいただく「大宝山鍋」なんですが、鍋ができる前に刺身と鯛のかぶと煮で充分満足するほどでした。

翌日は7:00に朝食を済ませ、一路宮島口を目指します。
宮島へはフェリーで渡ります。

島内の道は狭く観光客が多いので車は宮島口に置いておきます。駐車場はたくさんありますが観光客はそれ以上に多いので休日に行かれる方は早い時間に行かれることをお勧めします。
フェリーは鳥居の近くをとおってくれます。


宮島上陸です。

おとなしい鹿が出迎えてくれます。

まずは、厳島神社を参拝。

宝物殿です。いくつかの国宝や重文を拝見できます。

弁天様が祀ってある大願寺です。


清盛神社は小さなお宮ですが、ここからは、

大鳥居がすごく綺麗に見られます。


場所を変え、五重の塔を眺め、

千畳閣へ行きました。

内部では子どもたちが神楽を奏じていました。


昼食は「あなごめし」です。うなぎよりもあっさりめですね。好みでしょうが、舞阪の山本亭の方に軍配を上げます。

一緒に頼んだ「焼き牡蠣」、これはいいです。身が大きくておいしかったですねぇ。


午後は広島市です。

(続く)

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