橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

米子城

2022-07-30 | お城巡り(続日本100名城)
近世城郭としての米子城は、戦国時代末期の1591(天正19)年頃、吉川広家が湊山を中心に築城したのが始まりといわれています。
関ケ原の戦の後、駿府から入った中村一忠によって1602(慶長7)年完成しました。
米子藩は江戸時代初期に廃藩になってしまいますが、鳥取藩主席家老の荒尾氏が米子城預かりとなり、以後明治まで管理しました。


一番低いところが三の丸、一段高い石垣の上が二の丸、標高90m の湊山の頂上が本丸です。


三の丸駐車場
無料です。


三の丸
最近まで、野球場として使われていました。


二の丸枡形入口


小原家の長屋門が移築してあります。

本丸へは場所を変えて、


湊川公園駐車場


城山登り口


森林の中を登って行きます。




登り石垣
伐採された枝や株で分かりにくいです。


虎口


番屋跡


重なった石垣が美しいです。


鉄御門跡


本丸


少し前まで、この東屋に続日本100名城のスタンプが置かれていたのですが、
不埒者のいたずらにより撤去されてしまいました。


本丸西の門を抜けても


郭があり、多聞櫓や二重櫓が置かれていたようです。


水手御門跡


中海が見えます。


米子市内も一望


天守台
四重五階の天守がありました。


飯山
戦国期は、こちらに砦が築かれていました。
江戸時代になってからは、出丸として使われていました。


内膳丸
本丸に登る途中右手に分かれて登ったところにあります。
丸山と呼ばれ、標高52メートル。中村一忠の家老である横田内膳正村詮が担当して構築したため「内膳丸」と呼ばれます。
二重櫓数棟と武器庫が設置されてました。





内膳丸からみた本丸

所要時間:1時間

この後、続日本100名城スタンプを押すために寄ったのが、


米子市立山陰歴史館
·所在地:鳥取県米子市中町20
·開館時間: 10:00~18:00
·休館日:毎週火曜
入館料:無料
まだ開館時間前でしたが、入口にスタンプは置いてありました。
米子市役所の旧庁舎を利用したこの歴史館は覗いてみたかったのですが、この日は遅くなるに従って雨天の確立が高く、晴れている間に若桜鬼ヶ城まで生きたかったので残念ながら、スタンプを押しただけで去りました。

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浜田城

2022-07-28 | お城巡り(続日本100名城)
山口から、津和野を経て日本海側へやってきました。
途切れ途切れの山陰自動車道(無料区間)を使ったりもしたのですが、浜田までクルマで3時間15分かかりました。

まずは、続日本100名城スタンプをもらいに、


浜田市浜田城資料館
所在地: 浜田市殿町83番地246
開館時間: 09:00~17:00
休館日: 月曜日(祝日の場合は翌日),祝日の翌日,年末年始(12/29~1/3)
入館料: 無料

2019(令和元)年に開館したと聞いていたのですが、なんだか古い建物・・・
実は、御便殿といって、明治40(1907)年、皇太子(後の大正天皇)が山陰を行啓された際、浜田での宿泊施設として、建築されたものです。
近代和風建築物で、御殿と呼んでも差し支えのない規模と構造をもっており、建物自体が大変価値ある上に、展示物もしっかりしており、入場無料には思えない資料館でした。

浜田城に関するVTRも大変参考になりましたが、これはYou Tubeでも見ることができます。




浜田護国神社の駐車場まで車で登りました。


浜田護国神社
かつては、浜田城の二の丸でした。


木口小平之像
日清戦争で亡くなられましたが、「死んでもラッパを離しませんでした」と戦前の修身の教科書にとりあげられました。


護国神社脇から本丸に向かいます。



ちなみに復元CGだと・・・


浜田城は、1619(元和5)年、古田重治が浜田藩成立にともない、築城しました。
焔硝蔵があった郭



もともとは津和野藩庁の門でしたが、1870(明治3)年の浜田県設置にともない、その県庁正門として使われ、1967(昭和42)年に移築されました。


もちろん枡形になっています。





出丸



二の門








一の門


排水溝の跡




本丸


三重櫓がここに建っていました。


報国忠勇の碑が置かれ、その上に砲身と弾丸が設置されていたが、1943(昭和18)年に供出されたてしまいました。


本丸から見える外ノ浦
いろいろ城をまわってきましたが一二を争う美しさでした。


港の様子

1866(慶応2)年、第二次長州征伐がおこり、浜田藩は長州藩側の大村益次郎が指揮する軍にことごとく撃破されました。
藩主松平武聰は浜田城を放棄して浜田藩の飛地だった美作国鶴田へ逃れ、浜田は長州藩軍に占領されて廃藩となりました。

天気予報では、ちょうど雨にハマっていたのですが、
幸いにも外れたようです。


所要時間:45分


このあと松江まで移動して、ビジネスホテルに宿泊。
山陰遠征1日目は終了です。


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山口市雑感

2022-07-26 | ドライブ・旅行
今回、山口行きを決定してふと気づいたのは、
山口県には何度も訪れているが、山口市には一度も行ったことがない。
ということです。

47都道府県すべて行ったことがある経県値が高いことが自慢の私です。
山口県にも何度か訪れていますが、下関や萩、秋吉台、岩国などには訪れましたが、山口市は初めてです。

民間調査会社・ブランド総合研究所が2018年に調査した主要都市の「認知度」では、山口市は下関市や萩市を下回り、47都道府県の県庁所在地の中で最下位であったそうです。
私は、歴史好きですから、幕末に萩から山口に藩庁が移ったことも知っており、認知はしていましたが・・・

たしかに大内氏が築いて西の京とよばれたなんてすてきな歴史は存じませんでした。

後の予定が詰まっていたので、高嶺城・大内氏館を見たあと、山口市歴史民俗資料館でスタンプを押しただけで、浜田に向かってしまいました。

時間に余裕があったならば、国宝の五重塔がある瑠璃光寺や山口神宮,山口城跡(県庁)なんかも見てみたかったです。
木戸神社や山口市歴史民俗資料館も拝見できなかったことは心残りです。
現在の様子も見てみたいし・・・

しかし、またそのうち訪れることもあるでしょう。



ところで、気になったので、
行ったことのない県庁所在地を調べてみました。

もうないだろうと思っていましたが、
ありました。




福島市(福島県)
さいたま市(埼玉県)
千葉市(千葉市)


福島県も埼玉県・千葉県も、何度も訪れているので意外でした。

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大内氏館

2022-07-24 | お城巡り(続日本100名城)
南北朝時代の1360(正平15/延文5)年、大内弘世はに本拠を山口へ移転しました。
このときの居館跡が大内氏館で、「西の京」とよばれた山口の街に似つかわしく、城ではなく館として建てられたそうです。


毛利隆元は、山口進行後、大内氏の菩提を弔うために、館跡に龍福寺を移しました。


高嶺城近くの糸米川砂防園の駐車場から、約3km、クルマで10分でした。
「タクシーのお客様はここで下車 参道を歩いてお参りください」と案内板に書かれていました。

本堂脇に駐車場があるので、クルマはそこに駐めればよいのですが、



そうすると参道のこの美しい景観をショートカットしてしまうので、注意喚起するものと思われます。

最盛期の館は堀を含めると東西160m・南北170m以上の規模を誇る方形の居館で、京都の将軍邸を模しているとも言われています。



龍福寺山門
雨は、本降りになってきました。


豊後岩
この館には、当時珍しい蘇鉄が植えられていました。
まわりの岩は豊後国から舟で持ってきたものでしたが、故郷を恋しがって雨の夜は「豊後に帰りたい」といって泣いていたそうです。


龍福寺境内


大内義隆が興隆寺に寄進した梵鐘を再建したそうです。


大内義隆主従之追善供養塔
長門市大寧寺にある義隆の墓を原寸大に複製したものです。 
2000(平成12)年は義隆の450回大遠忌に当たり、それに因んで建立されました。


義隆辞世の句碑
「討つ人も討たるる人ももろともに如露亦如電応作如是観」
殺す人も殺される人も同じだね。露のように雷のようにはかなく消えていくものだよ。観音様が様々に姿を変えて現れなさるように、この世の中は決して定まらずに変化するようなものなのだな。
大内義隆は、戦乱で失われた京の文化を山口に再現しようとしましたが、家臣の陶隆房の謀反にあい、自決することになりました。


本堂


龍福寺資料館
所在地:山口県山口市大殿大路119



内容的に大したことことなく、200円は高いかな?
一番すばらしいのが、この大内義興像だったりします。



発掘、復元された池泉
1400年代末につくられ、1500年代中頃までつかわれました。




建物基壇
池泉の脇には建物があったようです。
ここから、池を眺めながら和歌を詠んだりしたのでしょうか。


石組かまど


塼列建物跡
塼(せん)とは煉瓦のことです。
中世では塼は蔵につかわれることが多かったので、ここに蔵があったと予想されます。


少し前の写真を見ると、このあたりは発掘調査で掘り起こされていましたが、
土をかけと戻されているので、あまりおしろいものは出なかったのでしょうか。


石組井戸


初期は、溝と塀で囲まれている程度だったが、15世紀中頃には空堀と土塁によるある程度の防御力を備えた城館になりました。
堀はさらに南側にも伸びていることから、土塁で囲まれた部分よりさらに南にも関連する施設があったと推定されています。

所要時間:約30分


山口市歴史民俗資料館
所在地:山口県山口市春日町5-1
開館時間:9:00~17:00
休館日:毎週月曜/年末年始

大内氏館・高嶺城の続日本100名城スタンプは入口で押すことができます。


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高嶺城(こうのみねじょう)

2022-07-22 | お城巡り(続日本100名城)
新門司港から、すぐに高速にのり1時間ちょっと、山口に来ました。
山口は、南北朝時代より大内氏によって治められ、その間、大内氏は守護大名さらに戦国大名になっていきました。

高嶺城(こうのみねじょう)は、1556(弘治2)年、戦国大名大内氏最後の当主、大内義長によって築城がはじまりました。
しかし、1557(弘治3)年、毛利氏が山口に侵攻しはじめ、義長は未完成の高嶺城を放棄して長門国の且山城へと逃れ、その地で自害することとなりました。
大内氏滅亡後、高嶺城の築城は毛利氏によって再開され、完成することができました。


木戸神社西から山道を740kmクルマで2分、糸米川砂防園の駐車場にとめました。
三段あり20台くらいとめられそうでした。


高嶺城跡を示す案内板
「山頂まで2000m」とあります。


この内1500mは、緩い登りの舗装路でした。
クルマで行けなくもなさそうでしたが、待避場所はなく、すれ違いができないので歩くべきです。
先ほどの案内板にも「歩くこと」と手書きされていました。

緩いとはいえ、登りが続くので、息が切れ、汗が吹き出ます。


季節外れの紫陽花に癒されます。


途中、見晴らしの良い場所があり、ベンチが置かれていました。


山口市街が一望できます。
主郭からの眺めは、もっとすばらしいだろうとこの時は思っていましたが・・・。


ようやく電波塔に着きました。
ここまで23分かかりました。

もうすでに、城内です。


電波塔下の郭





細い山道を登ります。

足どりが遅くなりましたが、そのぶん心肺的には楽になりました。


東屋がある郭
ガスっていて見晴らしは効きません。




広い郭
ガスが濃くなってきました。


右を登ると主郭、左へ進むと井戸と石垣を見ることができます。



井戸


主郭下の石垣






主郭に向かいます。


主郭

高嶺城は元和一国一城令により廃城となりました。
しかし、幕末に藩庁が萩から山口に変わると城址が山口城の詰めの城として再び使用されました。


霧は雨に変わりました。
もっと早く降りだしていたら心折れていたかもしれません。

主郭からは何も見えませんでした。


雨、赤土、岩場、濡れ落ち葉、急勾配と滑りやすい要素がてんこ盛りです。



東屋がある郭まで戻ってきて雨宿りです。
合羽は、もっていますが‥
着るタイミングが難しいです。
遅れると雨に濡れ、早くても汗でぐしゃぐしゃになったりします。

しばらく様子をみて、小雨に濡れることを選択。
それでも、レインハットの活躍と木々のおかげで、ずぶ濡れ一歩手前でかえってこられました。

所要時間:約1時間30分


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阪九フェリー

2022-07-20 | ドライブ・旅行
九州はもちろん、中国地方への旅行にも阪九フェリーをよく使います。

金曜日の午後、休暇を取り、デミオで泉大津へ向かいました。

予定どおり、2時間30分程で着くことができましたので、いつものように買い出しに寄るます。


オークワ 泉大津店
フェリーの中にはレストランも売店もありますから、それらを利用したらと思われる方もいらっしゃるでしょうが、
割高なのと利用時間が限られるので混むのですよねぇ、これが。


泉大津乗り場に到着
後ろに見えるのが、今回乗船した「いずみ」です。


16時30分より、入庫開始


車両甲板から客室へ移動するときに、こういうカードを受け取ります。
これで、下船時自分の車をとめた場所がわかります。
一度駐車した場所を失念して、走り回って探したことがありますから注意しましょう。


今回の船室は、デラックスシングル
ちなみに、阪九フェリーのスタンダードシングルは、ドライバールームとなっており、繁忙期のみ一般にも開放されます。


洗面台が付き、アメニティも充実しています。


瀬戸内海航路のため、地上波もなんとか視聴できます。
もちろん県を移動すれば、チャンネルは変わるのですが、同じ系列のテレビ局を自動的に探してくれるので助かります。

設備だけ見ると、ビジネスホテルのようですが、床からは振動が伝わりますし。
ベッドに寝転ぶと、微妙に揺れていることがわかります。


したがって、早々に酔い止め薬を飲むことにします。

何と船内自販機にオリオンビールがありました。

なぜか、出港の際、船員や港で働く人を見るのが好きです。


車両出入り口のドアが閉まる様子や


とも綱を巻く様子をビール片手に見ていました。


予定どおり、泉大津を17時30分出港!


コロナのためか、大浴場の入り口に混み具合を示すランプが設置されていました。
残念ながら赤ランプだったので、


本格的にやり始め(ちなみにミニボトルです)、
しばらくすると寝落ち・・・

気がつくと10:00過ぎていて入浴時間が終了していました。

本日のメインディッシュ




翌日、6:00に新門司港到着

心配していた雨も、どうやら上がってくれたみたいです。


ここから、山口に向かいました。

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山陰遠征

2022-07-18 | お城巡り(続日本100名城)
8月に、続日本100名城の東北遠征を計画しております。
2年前に計画したものの、コロナ禍で幻に終わったツーリングのリベンジです。
ただ、ここにきてまた新規感染者数が増加しているのが心配です。

6月中旬頃、計画を再度見直していました。
なにしろ、この2年の間、ツーリングに対する体力も根性もすっかり鈍ってしまったので、無理のない余裕を持った計画に練り換える必要がありました。

ひととおり作業が済んで、ふと気がつきました。
「7月に三連休があるじゃん。ここで、中国地方の続日本100名城へ行けるんじゃないの?」
幸いなことに、泉大津発新門司行きの阪九フェリーを予約することもできました。
ということで、急遽、中国地方の続日本100名城巡りに出掛けることにしました。



中国地方の続日本100名城は、若桜鬼ケ城・米子城(鳥取県),浜田城(島根県),備中高松城(岡山県),三原城・新高山城 (広島県),大内氏館・高嶺城(山口県)があります。
これらを一度にまわるのは、現在の気力・体力では少々無理があるので、山陰方面と山陽方面の二部に分けることにしました。
今回はフェリーで新門司までで行き、一気に山口まで移動し高嶺城登城後大内氏館へ、、午後、浜田城に訪れ、松山に宿泊。
翌日、米子城、若桜鬼ケ城と移動し帰宅する経路を考えました。

なお、今回は天気が心配なことと、体力的に心配なので、移動中に涼むことのできるデミオでを旅の相棒に選びました。

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ネッククーラー

2022-07-11 | なにげない日常
3年前に購入した首掛け扇風機


充電式で、2つのファンの角度を調節して使います。
真夏の山城訪問の際に使っていました。

熱風を浴びるだけと効果を否定する人もいますが、それなりですが涼しさは感じられました。
さらに、森の中で顔のまわりを飛び回る虫がいなくなるという、意外な作用もありました。
欠点としては、カメラや双眼鏡の首掛けストラップがファンと干渉することがあること。
まぁストラップ だからたいしたことないけど、長髪の人では大問題になるかもしれません。
あと、バイク運転中は試したことないですが、まあ調節が面倒な割に効果は期待できないと思います。

この夏に向けて、ネッククーラーを新調してみました。

じゃーん
‎Boleye ネッククーラー首掛け扇風機  




この部分で首筋の血管を冷やします。


USB タイプCで充電します。


折りたためば、それなりにコンパクト


冷却プレートもファンも、三段階で調節可能です。
バッテリー残量も表示できるのが便利です。


試しに室内で使ってみました。
冷却プレートは数秒で冷え、弱または中で充分効果が感じられました。
ファンは冷風ではありませんし、音が気になり、弱でしか使う気になりませんでした。
重量はさほど気になりませんでしたが、さすがに寝転んで使うと邪魔に感じました。
屋外だとどうだか気になるところです。


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はじめてのシニア割引

2022-07-02 | 映画
仕事がひと区切りついたので、早引けをして映画を見に行きました。
ちなみに、見た映画は「峠 最後のサムライ」です。

さて、このときふと気がつきました。
4月に誕生日を過ぎて、ワタクシ還暦になったのです。
ということは、シニア割引適応じゃないの?

さっそく、映画館のウェブページで確認してみました。


やっぱりあるじゃないの!
それも、700円も引いてくれる!

初めてのシニア割引なので、少々緊張して映画館に向かいました。
年齢を証明するため、運転免許証も忘れずに持参します。

チケット売り場に着くと、券売機があるだけで無人でした。
シニア割引を選択すると、何の確認もないまま、シニアと印字されたチケットが購入できてしまいました。
なんか、拍子抜けです。

シネコンですから、スクリーンの前の係員がチケットをチェックします。
あ!そうか、この係員が年齢確認するのか?
ですが、チケットを見せると今までのように「どうぞ」とスルーです。
半券をもぎることさえなく、ましてや年齢確認もありません。

これって、どうみてもシニアにしか見えないってこと?
まだ、シニア2ヶ月目ですから、ちょっと複雑な気分です。

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