橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

美濃路を歩く その5(七間道~浅間町)

2015-01-29 | 街道を歩く

昼食を終え、重い腰を上げました。

美濃路は七間道を北上し、外堀通りを超えた後、幅下小学校南で西に折れ曲がります。

そして、江川線を越えて、
 

1本目の小さな道を北上します。

熱田神宮のあたりの美濃路は現在も幹線道として使われており幅広い大きな道路でしたが、西区あたりでは新しく作られた道が幹線道となり、住宅地の中の生活道路に埋もれて見えます。

それでも、沿道の家屋に昔の名残を感じますし、
 

なにより、このあたりに多くある寺院を結んでいくと昔の道が見えてきます。
そんな寺院のいくつかを訪問してみました。


【西願寺】

 


本堂


【法蔵寺】



本堂

 
 

鴫塚
 


 

何て彫られているのかわかりません。


【宝周寺】
 


山門

 


本堂


【林貞寺】


山門
ナマコ壁が特徴的ですね。

 


本堂

 


【海福寺】



知多四国八十八カ所では本堂の扉を開け、ご本尊を拝顔しながら般若心経を読みました。
このあたりのお寺の本堂は鍵がかかっています。
それどころか、門が閉まっていて境内にも入れないところもあります。

いまどき、仏像であろうがなんだろうか盗みに入る輩がいますので、自衛手段として致し方ないことなのでしょうか。寂しい気がします。


海福寺前の小さな公園


新道とは美濃路に対するあたらしい道のことです。

それが国道22号線(名岐バイパス)です。
 

さて、このあたりから再び西へ向かうのですが、すると地下鉄沿線から名鉄沿線に代わるので、本日はここで終了したいと思います。
地下鉄「浅間町」駅から帰路につきました。
 

        (この日は終了です)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美濃路を歩く その4(大須~四間道)

2015-01-27 | 街道を歩く

万松寺を後にして、北に向かいました。


若宮大通りを横切ります。
ただの4車線道路ではありません。
奥の公園の向こうに反対側4車線があり、その幅から通称100m道路とよばれています。


【若宮八幡社】


若宮大通の名はこの神社が由来です。

 


狛犬


本殿


【白川公園】


かつて、このあたりは南寺町とよばれ、多くの寺院が軒を連ねていましたが、戦争が近づくにつれ防火のために順次移転されました。
戦後、進駐軍のキャンプとして使われた後、返還後は公園として整備され、名古屋市科学館や名古屋市美術館も併設されています。



本町通り
名古屋城に向かう南北の通りで、オフィス街となっています。
かつては最も賑やかな通りでしたが、反対を受けて隣の大津通に市電敷設するとそちらへ、さらに南北の100m道路である久屋大通りへと東へ東へと商業の中心は移動してしまいました。


近年、四輪用のコインパーキングや自転車用の駐輪場は整備されてきましたが、バイク用はまだまだ不十分です。
ですから、歩道に駐車されているものを見かけます。
こうした事情により、駐車監視員は目こぼししてくれているようです。
名古屋以外の地方都市でもこういった光景を見かけますが、如何なものでしょうか。
もちろん、インフラを整備すべきですが、それが不十分の間は駐輪を猶予し、それを表示してほしいわけです。
遵法精神はあればあるほど、駐輪するところがありません。

広小路通り・錦通りと東西の通りを横切り北上します。


伝馬町本町交差点
美濃路と本町通は分岐します。
美濃路は伝馬町筋を西に清須へ向かい、本町通は北上し名古屋城へと通じます。
このあたりは「札の辻」と呼ばれ名古屋宿の中心となっていました。
また木曽街道、下街道、岡崎街道、東海道、美濃路に分岐する交通の要衝でもあったのです。

西に向かいます。
繊維関係の会社がたくさんあります。
 


堀川にかかる伝馬橋


堀川は名古屋城築城の際に、福島正則によって開削された運河です。

伝馬橋を渡ったところで、美濃路は右折し、再び北に向かいます。
 


【四間道】

桜通りを横切ると古い街並みに変わります。
 


四間道(しけみち)です。
1700(元禄13)年、大火で1649軒の町屋と15の寺社が焼失してしまいました。
4代藩主の徳川吉通は、火災から町を守るため堀川沿いにある商家の裏道幅を4間(約7m)に拡張しました。
道幅から四間道と呼ばれるようにまりました。

左手に商家の建物が、
 

右手の堀川沿いには蔵が建ち並んでいます。
 


屋根神様
屋根の上に神様を祀るこの地方独特のものでしたが、めっきり見かけられなくなりました。

四間道周辺の商家や蔵はおしゃれなお店として利用されているようです。

 


五條橋
もともとは清洲城にかかる橋(御城橋)でしたが、清洲越しの際に堀川に移設されました。


【円頓寺商店街】


四間道と交差して東西に伸びる商店街です。
しかし、久しぶりに訪れて驚きました。
閑散としています。
特に江川線以東は壊滅状態じゃないですか・・・
同じ下町商店街の大須とは大違いです。
前記事の撮影から1時間ほどしかたっていないのですよ。

むしろ、路地裏の方が活気があるようでした。
 

江戸時代賑わった四間道に代わって明治以降繁栄した円頓寺商店街
平成になり再び四間道が台頭するとは、盛者必衰です。

商店街の名の由来となった円頓寺

 

真宗高田派愛知別院

 
 


さて、歩き詰めで疲れました。
ここらで昼食休憩です。
センター試験だったこの日はゲンを担いで、とん勝つカレーです。
 


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美濃路を歩く その3(大須)

2015-01-24 | 街道を歩く

7:30、名古屋女子大へクルマで向かいました。
大学入試センター試験の応援です。
受験生全員の無事到着を確認し、試験会場へ見送ったあと、美濃路歩きを開始しました。

地下鉄「大須観音」駅近くのコインパーキングに駐めて歩き始めました。

【西別院】
前記事で紹介した東別院は、地下鉄駅や都市高速道路のインター名にも使われており、名古屋ではなじみの深いものです。
しかし、東があるのなら西もあるぐらいだろうぐらいの認識で、こちらは知名度が低いように思われます。


本願寺派名古屋別院(通称 西別院)
浄土真宗本願寺派の寺院ですから、本山は西本願寺ですね。
東別院は真宗大谷派すなわち東本願寺ですから、名古屋でも東西が一致しています。


本堂


鐘楼


しんらんさま

こんな歴史もあったのですね。
 


少し北に進むと名古屋一の下町商店街の大須です。
 


【七寺】


稲園山長福寺、通称 七寺(ななつでら)
真言宗智山派の準別格本山寺院です。


本堂


神様が合わせて祀られていることは良くありますが、これだけ立派な鳥居はなかなか見かけません。
隣の如来像はかつてのご本尊で名古屋空襲の際に被災して痛々しいお姿になっています。


立派な灯籠ですが、境内を削って作った駐車場の中に埋没し、邪魔者のように見受けられました。
都会の寺院の苦しいところなんでしょうか。


【大須観音】
真言宗智山派で、正式名称は北野山真福寺宝生院


山門
毎月18日は御本尊、聖観音様のご縁日です。


本堂

愛知の骨董品好きにとってはたまらない場所なんです。
 


縁日でなくても賑やかな商店街です。
 

若者に人気の店
 


外国人相手の店


お年寄り向けの店などいろいろあり、懐が広い街です。
そんな商店街の中にある由緒ある寺院に寄り道します。


【総見寺】




織田信長公由緒地というのがウリのようで、


寺院名はサイドに彫られています。
へんなの

熱田神宮に信長が寄進した塀(信長塀)を模しています。
 


【万松寺】



信長が父の葬儀の際、位牌に抹香を投げつけたのはこの寺での出来事です(大須移転前)。


本堂
鉄骨鉄筋コンクリート製地上5階地下1階建てです。

このとき、正午になり、
なんと、からくり人形が動き始めました。
 


身代り不動明王


白雪稲荷


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美濃路を歩く その2(尾頭橋~東別院)

2015-01-21 | 街道を歩く

熱田神宮公園から伏見通りを600mほど北に移動しました。
かつて、ここには熱田神宮一の鳥居がありました。
現在は石柱が残されているのですが、



文字が刻まれた面が片側5車線の交通量の多い道路側にあるので確認しづらいです。
なお、ここから熱田神宮の杜は見えませんでした。


新尾頭橋交差点です。
左折すると佐屋街道に入ります。


現在の愛西市佐屋まで進み、そこから桑名まで三里の渡しがありました。
美濃路はこの交差点を直進します。


金山駅に着きました。
JR,名古屋鉄道,名古屋市営地下鉄が集まる名古屋市南部の総合ターミナルです。

駅前で昼食を取ることにしました。


 一風堂SHIROMARU-BASE金山店
美濃路とも名古屋ともなんの関わりもない博多ラーメンです。
体重を減らす目的で歩いているのに替玉しちゃいました。

さて、金山から北上して真宗大谷派名古屋別院を目指しましたが、地元では東別院とよばれており、交差点名や


インターチェンジ、地下鉄の駅名も東別院となっています。
 


山門


本堂


対面所


名古屋教務所

お隣はメーテレ(名古屋テレビ)です。


 
 



東別院の北にある永国寺です。
かつてこのあたりは千本松原とよばれ尾張藩の刑場がありました。
二代藩主徳川光友は土器野(現・清須市)に移設して、処刑された人の菩提をともらうためにこの寺を作りました。


本堂


千人塚 (別名・切支丹塚)
尾張藩はキリシタンに対して比較的寛容であったが、幕府の度重なる咎めにより多くの教徒を処刑せざるを得ませんでした。


 


切支丹遺蹟資料館
マリア観音、かくし弁天、踏み絵等が展示されていました。


観音堂

もう一方の山門を出て、美濃路に戻りました。
 


このあたりは寺院が多いためか、仏具・仏壇店もたくさん見られます。
 

店名は美濃路に由来しているのでしょうか。
 

美濃路歩き始めのこの日
宮(熱田)宿から名古屋宿までの踏破を予定していました。

しかし、情けないことにこのあたりで脚がかなり痛くなってしまいました。
原因1、出発時にバイクのキーをつけたままであることに気づき、小走りで戻っていったため。
原因2、断夫山に登ったこと。登りでは気になりませんでしたが、降りるとき怖さをおぼえるほど急坂でした。
原因3、靴の紐をしっかり締めていなかったこと。
橋吉は普段からハイカットのトレッキングシューズを履いていますが、着脱が楽なようにおもいっきり緩く紐を結んで、サンダルのように使っています。
このため、脚に負担が大きかったようです。

ということで、上前津駅から地下鉄に乗り、この日は帰路につきました。

この日のさらなる反省点を記しておきます。
・手袋、帽子を着用する。
 →歩くと体は温まるのですが、風にさらされている部分は冷たいです。
・数珠を用意する。
→寺院が多いですから

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美濃路を歩く その1(東海道との追分~熱田神宮公園)

2015-01-18 | 街道を歩く

美濃路は、東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇街道です。

東海道では、宮宿と桑名宿の間が七里の渡しでした。
このため、遠回りであっても海路を避けられる美濃路が好まれたそうです。

かつて私は美濃路の清洲宿近くに勤めており、昔の面影が残る町並みが気になっておりました。
積雪や凍結が心配で遠くへ出かけづらいこの季節、ふとこのことを思い出し、美濃路を訪ねてみることにしました。

加えて、例年のこととはいえ、正月に太ってしまいましたので、バイクではなく徒歩でこの街道を踏破してみようと思い立ったのです。

JR名古屋駅西側にあるコイン駐輪場にバイクを止めました。

 

JR名古屋駅東側にある地下鉄駅に向かう途中、バイクにキーをさしたままであることに気づき早足で戻りました。
さらに、地下鉄を2回も乗り間違えました。
もともと出発時間が遅かったうえ、ロス時間が多くなってしまいました。

なんとか、名古屋市営地下鉄伝馬町駅に着き、
 

スタート地点に立つことができました。


東海道と美濃路の追分です。
東海道は中央三叉路右側へ行くと東海道江戸方面です。
また、手前に進むとほどなく宮の湊に着きます。
美濃路は三叉路を向こう側に進みます。
ちなみに、写真奥に見える緑は熱田神宮の杜です。

 

この日は1月13日でしたが、熱田神宮は多くの参拝客でごった返していました。
 


摂社 上知麻我神社 (かみちかまじんじゃ)
かつては、東海道と美濃路の追分にあったのですが、都市計画のためここに遷されたそうです。

驚きました。
摂社なのにこの参拝者の列!
 

とおもったのですが・・・


特別な日だったようです。



熱田神宮の拝殿です。
尾張国三宮ではありますが、三種の神器の1つである草薙剣が御神体であり、東海地区一の初詣客を誇ります。

熱田神宮の西の国道19号線は本町通りとよばれ名古屋城へ向かう幹線道路であると共に美濃路の一部です。


熱田神宮ほぼ真西で見つけた「白鳥御陵」の碑
白鳥となってこの地に戻った日本武尊の墓と伝えられています。


誓願寺の山門「右大将頼朝公誕生舊地」と彫られています。


源頼朝の母である由良御前は熱田大宮司藤原季範の娘で、ここで頼朝を産んだと伝えられています。

誓願寺から西へ250m行ったところにある法持寺



 

寺に裏に回ってみました。
白鳥古墳すなわち「白鳥御陵」はここにありました。


 

和泉國一之宮である大鳥神社にも白鳥になった日本武尊が降り立ったという言い伝えがあります。

北へ200mほど行ったところにある断夫山古墳
周囲が堀のようになっています。
 

 

「かつて立ち入りが禁止されていた」
ということは、現在ではOKなのでしょうか?
古墳は高貴なお方のお墓ですから、登るのは気が引けます。


黄色いテープ内に入らなければ良いみたいです。
けっこうな坂ですが、橋吉は常日頃からトレッキングシューズを履いているのでノープロブレムです。

 

頂上に立ちましたが照葉樹が生い茂っていて海は見えませんでした。
 

現在、断夫山古墳は熱田神宮公園として整備されています。
 

その脇にある熱田神宮公園野球場


かつては、全国高等学校野球選手権愛知大会の決勝が開かれていた聖地です。
現在は、決勝と準決勝はナゴヤドームで開かれるようになりました。
屋根付き球場には勝てないようです。

堀川の向こうには名古屋国際会議場が見えました。


                               (続きます)



 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラッチケーブル給油

2015-01-08 | SR400

昨年末のとても寒い日の話です。

クラッチワイヤーのグリスアップをおこないました。
11年間ビグスクとスーパーカブを乗り継いでいたので、久しぶりの作業です。

改めて、ネットでメンテナンス法で調べたら、
「CRC等の浸透潤滑油は揮発し易く、潤滑性能が長続きしない。また、樹脂を侵す可能性がある。」
そうです。
以前はしっかりCRCを吹き込んでいました(汗

というわけで、ワイヤーグリスを買ってきました。
こんな便利なものがあるのですねぇ、知りませんでした。

 



SRのクラッチレバーの根元は、このようなカバーに覆われています。
XT500というオフロードバイクから派生した名残という人がいますがホントでしょうか?
まずは、この2ピース構造のカバーをはずします。

ロックナットを緩めます。


 

このロックナットの溝とクラッチレバーの溝を合わせるとケーブルをはずすことができます。

 

 

ワイヤーインジェクターを装着して、

 


グリスを穴からスプレーします。
けっこう脇から漏れるので、ウエスで包みこんでおこないました。

エンジン側のケーブル末端からグリスが出てきたら作業終了です。

ところが、なかなか末端からグリスが出てきません。
ワイヤーインジェクターを何度か付け替えたのですがダメです。
ワイヤーをスコスコ動かしたり、横漏れを気にせずにどんどん吹き込んでみたのですがダメです。
なんででしょうか?

そうこうしているうちに、汚れないようにタンクやハンドルまわりに強いた新聞紙が寒風でめくれ、そこにはみ出たグリスが付着して、バターを塗ったようにべとべとになってしまいました。

まてよ・・・バター?

わかりました。
気温が低かったので、グリスが固まってしまうのです。
このため、ケーブル内を流れなかったようです。

結果的に、クラッチが軽くなったように感じられるのでこれでよしとし、暖かくなった頃にまたグリスアップしてみます。


2019年8月10日追記

最高気温35℃を超える猛暑日にチャレンジしてみました。
シュ、シュと2吹きしただけで、クラッチケーブルの末端から霧状のワイヤーグリスが出てきました。
寒い日のあの苦労はなんだったんだ!

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年明けうどん

2015-01-01 | なにげない日常

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします



さて、昨年末の話、
正月用に酒を買いに行くと、粗品がついてきました。

 

年明けうどん?

ひょっとしたら、日本のどこかでそんな風習があるかと思い調べてみました。

年明けうどん(としあけうどん)とは、さぬきうどん振興協議会が新たな麺食行事の普及を目的として提唱している「年明けに縁起を担いで食べるうどん」、およびそれに関する商業的イベントである。
名称の「年明けうどん」は登録商標であり、権利者は香川県の地元麺業界3団体となっている。
年明けうどんは、讃岐うどんをはじめとした日本国内における名産うどんの活性化やうどんの消費拡大に貢献すること、食品業界関係で正月における新たな利益・経済効果を生み出すことを目的として讃岐うどん業界を中心に2009年正月から展開されているもので、年越し蕎麦(年末)や雑煮(正月)のような、日本の正月に伝わる食文化とはもともと異なるものである。(Wikipediaより)

しかし、あと100年ぐらいするとすっかり定着しているかもしれません。
「平成の頃までは、年越し蕎麦しかなかったそうです。」なんて豆知識が紹介されるかも?

そのためには、今、コストをかけても宣伝しておく必要があります。
そのための粗品なんでしょうね。
「損して得取れ」ですね。

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする