橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

善照寺砦

2021-02-28 | お城巡り(その他)
丹下砦から徒歩にて、成海神社に寄ったのち、善照寺砦に向かいました。


鳴海小学校
最初に訪れた天神社すなわち鳴海城址の東になります。


小学校東の道路は、鳴海城と善照寺砦の堀切の跡といわれています。


善照寺砦跡に到着
現在は公園になっていますが、


その名は残っています。
砦公園
所在地:愛知県名古屋市緑区鳴海町砦3


現地案内板


どこの公園でも見られる遊具の中に、


物見櫓風の器具があるのがおもしろいです。

もちろん、登って南側


北側を眺めてみました。



鳴海絞りの開祖三浦之碑
ここ鳴海は、隣の有松とともに絞りの生産で有名です。
一説によれば、医師三浦玄忠の妻によって豊後絞りの技法が伝えられたのが発祥と言われています。
もっとも、信長の時代よりも後の話です。

西側から見ると何気ない公園なのですが、南東側は結構急な斜面になっており、




公園の一段下に広場があり、


さらにその下にも、


そのまた下にも兵を配置するような場所がありました。


当時のそのままの形かどうかは疑わしいですが・・・

このあとは中島砦へと歩いて移動しました。

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丹下砦

2021-02-25 | お城巡り(その他)
今川方の鳴海城を取り囲む形で、織田軍は丹下砦、善照寺砦、中島砦を築きました。
鳴海城の後、この3つの砦を徒歩で訪れてみました。

丹下砦は鳴海城の400m程北にありました。


移動途中に見つけた丹下町常夜灯
鳴海は東海道の宿場でもあり、今回訪れた城跡以外にもいろいろな史蹟があるようです。

信長公記によると桶狭間合戦の時、熱田神宮で戦勝祈願をした信長が最初に入った砦が丹下砦になっています。
光明禅寺の裏側が丹下砦といわれています。




寺の東にある民家のガレージに案内板が設置されていました。




砦はこのガレージではなく、物置の奥の高くなっているところにあったのではないでしょうか。


砦跡の西側に移動しました。
右は民家の塀で、遺構は見られませんが、高台になっていることがわかります。


さてこののち、徒歩にて善照寺砦、中島砦と桶狭間の合戦時における、信長の侵攻順に移動しました。

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鳴海城

2021-02-23 | お城巡り(その他)
前回、大高城と対峙する鷲津砦丸根砦と徒歩でまわりました。
今回は、鳴海城とこれをとり囲む丹下砦・善照寺砦・中島砦を周遊してみました。

この日、鳴海城近くのコインパーキングが満車であったため、名鉄鳴海駅南のコイン駐車場に駐めました。


鳴海駅北の旧東海道は、昭和の香りが残されており、それを見て楽しんでいるうちに鳴海城跡に到着しました。


天神社(あまつかみしゃ)
所在地: 名古屋市緑区鳴海町城





鳴海城は、天神社から道路を挟んで西にある鳴海城跡公園にかけて存在したといわれています。

天神社境内には史蹟碑や


案内板が設置されています。


こちらの碑に関しては、



文字が見づらくなっており何が書いてあるかわかりませんでした。
(文字かはっきり見えても読めたかどうかはわかりません。)

鳴海城は今川義元の家臣である岡部元信が城主を務めていた城で、今川氏の重要拠点になっていた城で、別名根古屋城(ねごやじょう)ともよばれました。
もともと、この地には成海神社が建っておりましたが、築城の際、400m程北の現在の位置に移動してもらっています。


枯れたご神木はそのあたりの移り変わりを見てきたのでしょうか。


天神社西側
道路を挟んで西にある城跡公園へ向かいます。


城郭風のコミュニティーセンター


金鯱まであります。


鳴海城跡公園



中は、ふつうの公園で遺構は残っていません。





ただ、周辺より高台となっているくらいです。
ひょっとして、堀切があったかもしれませんね。


南側のようす
当時は海に面した城で、満潮時には城のすぐ下まで潮に浸かったと伝えられています。

桶狭間の戦いにおいて今川義元が敗れると、織田信長との交渉の結果、義元の首級と引き換えに岡部元信は城を明け渡します。
その後は佐久間信盛・信栄父子が城主を務めましたが、天正末期には廃城になったそうです。

公園の北にある東福院の門は、鳴海城の城門だったといわれています。


なお、鳴海城建設に伴い移転した成海神社にも足を伸ばしてみました。



現在でも、りっぱな境内でした。

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大高城

2021-02-20 | お城巡り(その他)
丸根砦から織田軍になったつもりで、大高城めざして進軍しました。
史実は、逆で大高城の松平元康に討ち取られちゃったのですが・・・


東海道新幹線・本線のガードを通り抜けます。


ほどなく、川に進路を塞がれてしまいました。
大高川です。


この川は大高城の堀の役目を果たしていました。
それにしても深い。


もちろん、現在は橋で簡単に渡ることができます。


川を越えたところにある津島社で、進路を西に変えさらに進みました。


りっぱな寺が見えてきました。


城跡は寺の裏に見える森のようです。


北側に回り、坂道を登ります。

大高城に到着






入口の両脇は腰曲輪があったようです。



本丸


本丸から見た鷲津砦


お寺の屋根の向こうには丸根砦が見えます。


本丸には一段高くなっているところがあります。
かつては建物があったのでしょうか。


現在は城山八幡社が置かれています。


本丸と二の丸をつなぐ土橋
土橋の両脇にはけっこう深い堀切がありますが、樹木が生い茂る遠目にはよくわかりません。


近付いて撮影したのですが、樹木の茂る堀切は撮影が難しいです。


二ノ丸


周囲は土塁に囲まれているように見えます。


南側の入口


城の北には城下町らしい細くて折れた通りがありました。


再び、JR大高駅に戻ってきました。


大高駅を出発して、徒歩で鷲津砦、丸根砦、大高城とめぐって、大高駅に戻ってきました。全行程5.1km、1時間40分でした。

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丸根砦

2021-02-17 | お城巡り(その他)
丸根砦は鷲津砦と同じく、桶狭間合戦時に今川方だった大高城を包囲していた織田方の砦のひとつです。守将は佐久間盛重でしたが、松平元康により攻め落とされました。

鷲津砦から、JR東海道線と平行の県道を南へ向かって進みます。


鷲津砦すぐ南にある、鷲頭山長寿寺
知多四国霊場第87番札所になっており、7年前に巡礼で訪れていました。


交差点名が「西丸根」ですから、目的地は近いと思われます。

建築業者の資材置き場の裏山が怪しい。砦跡でしょうか。


南に回ってみたら神明社の杜でした。


気を取り直して坂道を上がると、「丸根砦50m」の案内板発見。


丸根砦あとに到着。


森の中に入って


小さな丘を登ると


頂上付近は平らになっており、


りっぱな「戦殉難烈士之碑」が置かれていました。


さらに、少し離れたところに史跡碑もありました。


かつてはこんな感じだったようですが、遺跡はあまり残っていません。


鷲津砦同様、照葉樹林に取り囲まれています。


今でも大高城の森がよく見えます。




名古屋市内にありながら、こんな小さな砦の跡が残されていることに感謝しつつ、
いよいよ大高城に向けて進軍開始しました。

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鷲津砦

2021-02-14 | お城巡り(その他)
大高城はかつての尾張国と三河国の国境近くにあった城で、桶狭間合戦の時には今川方でした。
織田軍は鷲津砦と丸根砦を築いて、大高城の補給を遮断しますが、この大高城を救おうと今川義元が尾張にやってきたのが桶狭間合戦の発端になった訳です。

今回、大高城へ訪れるために下調べしたのですが、城跡には駐車場がなく、少し離れたJR大高駅東側のコインパーキングに駐めざるを得ないようです。
地図で見ると、大高駅は大高城,鷲津砦,丸根砦のほぼ中心にあり、さらに、この3箇所は徒歩で行ける距離にあるので、車をとめて散策を楽しむことにしました。


大高駅の東には、コイン駐車場が多くありました。


車から降りると小高い森が見えます。
これが鷲津砦です。


登り坂を登りながら、ふと思いつきました。
「今日は、GPSを使わずに勘を頼りに歩いてみよう。」
前もって位置関係は確認してあり、Google Mapにマークしてありますし、スマホももってきましたが・・・。
当時を忍ぶにはなんとなくこれを使わない方がよいように思えました。
目的地のだいたいの位置が頭に入っていたことと、現在でも小高く見晴らしの良いところにあるので、GPSなしで行けそうな気がしたのです。


鷲津砦150mの表示を見つけました。
やっぱり、この道で合っているようです。

しばらく坂を登ると、右手に小さな公園がありました。




この公園は、鷲津砦跡の一部のようです。


名古屋市内の住宅街であることを忘れてしまうような、照葉樹の森です。


史蹟碑


表忠碑



丘の上は、少し広くなっていました。
桶狭間合戦時の守将は織田秀敏,飯尾定宗そして息子の尚清でした。
松平元康(後の徳川家康)が大高城に兵糧を入れた後、今川方の朝比奈泰朝によって攻め落とされました。

堀切の跡





土塁のようにも見えますが、雨水が流れて自然にできたものでしょうか?

次は丸根砦でをめざして歩きます。
散策路としてちょうど良いみたいです。



鷲津砦西側の道は交通量が多く、静かな森の中から出ると、現実世界に舞い戻った感じを受けました。

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SR400 バッテリー交換

2021-02-06 | SR400
SR400のバッテリーを交換しました。


キック始動のSRですが、2009年以降はFIとなり、バッテリーが無いと走りません。
しかも、燃料ポンプに場所を取られて、シート下に追いやられたあげく横にして格納されています。
特に問題はありませんでしたが、SR購入6年を過ぎたのにかかわらず、一度も換えていなかったので、ここらで交換したいと思います。

実は昨年、特別定額給付金10万円で買おうと決めていたのですが、どうせならバッテリーの弱まる冬場の方が良いかなと思って延び延びになっていました。

型番を確認して、ネットにてバッテリーを購入しました。



てっきり、特殊開発された小型モデルなので高価だろうと思っていましたが、実は原付によく使われているタイプで7,070円でした。


バッテリーの取り外しは簡単です。
ベルトをはずして、端子ソケットをはずすだけです。


左が今まで使用していたもの、右が新しく購入したもの。
デフォルトと同じ、GSユアサ製です。

逆の手順で、取り付けも簡単です。


ネットでバッテリーを購入する場合、問題になるのは不意バッテリーの廃棄です。
バッテリーは産業廃棄物なので、一般家庭ゴミを捨て捨てるわけには生きません。
よって、回収サービスのある業者を私は選びます。

送られてきた箱に同じように梱包するだけだから手間はかかりません。


バッテリーとともに送られてきた荷札に必要事項を記入し、宅配業者に手渡せばOKです。

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