橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

YOKOHAMA BluEarth-A AE50インプレ?

2013-06-23 | トヨタ プリウス

プリウスのタイヤをYOKOHAMA BluEarth-A AE50に履き替えて2ヶ月過ぎました。

インプレを報告すると言いながら、本日まで遅れたことをお詫びします。

遅れた理由は3つあります。

まず、「パンク」です。

忌々しいそのときの記事

修理して1週間ほどは注意して丁寧に運転していましたし、念のために空気圧を上げていましたので、インプレというわけにはなりませんでした。
幸いにも無事パンク修理できて、履き続けることできました。

なお、知人や皆さんのコメントより、新品タイヤでのパンクがけっこうあると伺いました。
なぜだろうか、不思議に思っていたのですが・・・自分なりにひとつの仮説が浮かびました。

それは、小石を挟み込むためだと思うのです。

新品タイヤは溝が深くエッジも角張っています。
このため、小石が入り込みやすく、また、外れにくいのではないでしょうか。

新タイヤでいきなり砂利道を走ったのはよくなかったのでしょうね。
みなさん、新タイヤで悪路を走るのは避けましょう。


さて、インプレの遅れた理由の2つめですが、
正直「よくわからない」からです。

ここ半年の間、エコタイヤであるGOODYEAR GT3、スタッドレスタイヤ TOYO GARIT G5、そして新しいエコタイヤの BluEarth-A AE50と3種のタイヤを履き替えました。
しかし、この3つ、あまり違いがわかんないのです。
乗り心地も静粛性もグリップも大して変わらなく感じます。
私が鈍感だからでしょうか?少々自己嫌悪気味・・・・

でも、仮に大差ないのならば、スタッドレスタイヤであるTOYO GARIT G5が優秀であることになります。
なにしろ、大雪の木曽路でも何の不安も感じさせない凍結路走破性を持っていますから。

逆にBluEarth-A AE50は設計が新しいことを鑑みれば、物足りなく感じます。
しかし、不思議なことに乗っている間に、だんだん良くなってきているように思えてきたのです。
これは、表面の保存用ワックスが着いている部分一皮むけてタイヤ本来の性能が出てきたため?それともただ単に私が慣らされたため?・・・よくわかりません。


3つめの理由はグリップ力試す機会がなかったからです。
一般道や高速道路を走る機会はありましたが、峠道は走ってませんでした。

そこで、でかけたのが


鈴鹿スカイライン
滋賀県甲賀市と三重県菰野町を結ぶ峠道です。

名古屋では、ここのところ最高気温が30℃前後だというのに・・・

少し登ると気温はさらに下がり、

武平峠では15℃でした。


プリウスは1500ccエンジンですが、積極的に踏み込めばモーターがターボのように後押しをし、登り坂は結構速いです。
その分、燃費はどんどん悪くなり・・・23km/Lからなんと8km/Lまで悪化!

ちなみに下りはグングン燃費が伸びてグラフを振り切ってしまいました。

バッテリーもビンビンだぜぇ♪

あっそうそう、タイヤのインプレでしたね。

峠道でもしっかりグリップしてくれていました。
以前履いていたGOODYEAR GT3よりも限界性能は高いように思います。
といっても、エコタイヤとしてのレベルですが・・・
少なくともプリウスのプアなサスには十二分です。

タイヤのトレッド面は・・・・地味ですねぇ


転がり抵抗を減らすためには直線の溝がいいのでしょうねぇ。
排水性は良さそうです。

 BluEarth-A AE50にして、ステアリングがずいぶん軽くなりました。
クルクルクル良くまわります。
もっともプリウスのパワステはトヨタ車では平均的なんでしょうが、私はもう少し重いぐらいがよいと思っています。
ですからありがたみは感じませんが、昨日の鈴鹿スカイレインでは小気味良かったです。
運転に不慣れで、切り返しの多い人にはいいかもしれませんね。

あと気になる燃費性能ですが・・・
プリウスは走行条件によって、燃費が著しく変わってきます。
エアコンのON・OFFも影響しますが、外気温や走行距離によって大きく異なってきます。したがって、1年を通じて比較しないと結論は出せませんが、いまのところGOODYEAR GT3と大差ないように思います。

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まさか!オイル漏れ?

2013-06-11 | SILVER WING 400

このところ、土日に仕事が入ることが多く、ツーリングにもなかなかへ行けません。
先週はひさびさにフリーの予定でしたが・・・
土曜日は同僚に頼まれ、代打で出勤。
日曜日は遠い親類が亡くなられて、
ほとんどつきあいはなかったのですが、親父の葬儀の際は香典をいただいているので、これも浮き世の義理で参列しなければいけませんでした。

そんなこんなで、この週末もバイクには乗れずじまい・・・
いやいや、バッテリー上がりが心配なので、ちょっとだけでも動かしましょうか。

と思い立ち、シルバーウイングに目をやると・・・

なにやら黒いシミがあるじゃないですか。

オイル漏れです。

思い当たるふしがあります。

前回、オイルとともにオイルフィルターも交換しました。
交換を終えて、近所を一回りして下回りをのぞき込むと、オイルが付着していました。
ドレインボルトのゆるみを疑いましたが、ちがっていたようです。

シルバーウイングのオイルフィルターを交換するとどうしてもウィーターパイプ(下にある黒いパイプ)にオイルが付いてしまいます。
このときは、裏側までしっかり拭けていなかったのが原因だったようです。

とはいえ、ドレインボルトのゆるみには気をつけていました。
過去に一度、ドレインボルトを閉めすぎ、固着してしまったことがあります。
力ずくで緩めようと思ったら、ボルトをなめてしまいました。
結局、ショップに泣きついて外してもらい、新品ボルトに交換しました。
(まあ、32年間バイクに乗っていて、オイル交換での失敗はこの時ぐらいですが・・・)それ以来、閉めすぎに注意しているので、逆にゆるみに気をつけています。

最近、バイクの下の黒いシミが気になっていたのですが、ドレインボルトにゆるみもなくオイル漏れもないので、「きっと以前付いたシミだ」と言い聞かせていました。

今回はたまたましばらく乗っておらず、同じ位置に駐めてあり、シミが目立つこととなり発見につながりました。
怪我の功名?

しかも、写真を見てわかるように、これ、エンジンオイルじゃないですよね。
ファイナルリダクションオイルが漏れていたようです。

ファイナルリダクションオイルは矢印のボルトをはずして、点検・補充をします。
このボルトを見てみると手で緩められるぐらいにゆるんでおり、周囲はオイルで汚れていました。

このオイルを補充したのは1年以上前ですから、振動で少しずつゆるんできたのでしょうね。

対処は簡単です。
抜けた分のオイルを補充し、ボルトを締めるだけです。
今回は使った新兵器は


「化粧品用スポイド」って、まんま注射器ですが・・・・
化粧品の小分けには便利でしょうが粘土の強いオイルではイマイチでしたね。

どりあえずこれで完了です。

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伏見をゆく その3

2013-06-04 | ツーリング

旅籠・寺田屋と旧跡地【伏見区南浜町263】


しばらく歩くと本日第一の目的地である寺田屋が見えてきました。
長年あこがれていたのですが、正直感動は少なかったです。
と言うのも、前もってグーグル ストリートビューを見ておいたのです。
当然その通りの町並みなので、初めての印象は薄いですね。
ストリートビューで駐車場を確認した際、「自転車・バイク等の絶対に置かないでください」との但し書きを発見しました。
そこで思案した結果、今回の散策となったわけですから結果オーライといったところでしょうか。


表札にも坂本龍馬とありますね。
坂本龍馬は脱藩していたため、藩邸を使用できず、船宿であったこの寺田をしばしば利用していました。

現在でも宿泊可能ですし、見学をすることもできます。
開館時間: 10:00~15:40
休館: 年始1/1~1/3 月曜不定休あり(シーズンオフの場合)
料金: 大人400円(大学・高校生300円,中学生300円,小学生)
 
室内の様子です。

柱には刀傷があります。

龍馬のピストル(レプリカ)
ピントがあいませんでした(汗

1866(慶応2)年、坂本龍馬は薩長同盟の会談を斡旋後に宿泊していたところ伏見奉行の捕り方に包囲されました。

のちに龍馬の妻となる、仲居のおりょうは入浴中でしたが、

いち早く戸外の様子を察知し、

裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり危機を知らせました。

その甲斐もあり、龍馬と護衛の三吉慎蔵は奮闘防戦し、奇跡的に脱出に成功することができました。

児玉清さんは、龍馬の近くへ行ってしまいましたね。

実は幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の寺田屋の建物は明治時代に再建されたものだそうです。

当時の建物跡は小さな公園になっています。

坂本龍馬の碑

坂本龍馬の像

寺田屋とその女将であるお登勢の由来碑

寺田屋騒動の記念碑
寺田屋騒動とは1862(文久2)年に薩摩藩尊皇派が島津久光によって鎮撫されたと言われる事件です。

お登勢明神
坂本龍馬は寺田屋ではたらいていたおりょうと結婚しました。
このため、二人の縁を結んだお登勢が恋愛の神様として祀られています。

維新当時の井戸


伏見口の戦い激戦地の石碑【伏見区表町】
寺田屋から西へ数十mのところにある京橋


その北詰東側に碑はあります。
1868(慶応4)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の先鋒隊約200名が大坂から船でここから上陸しました。
奮戦しましたが、装備を近代化した薩長軍に対し押され気味でした。
さらに、模造品ではありましたが錦の御旗が掲げられたため、負け決定しただけでなく賊軍の汚名まで着せられてしまいました。

江戸時代、京へ向かう高瀬舟、大坂へ向かう三十石船、山城へ向かう淀二十石船、宇治へ行く芝船など、舟運で賑わった伏見港の中心がこのあたりです。
寺田屋も船宿のひとつでした。 
 


伏見長州屋敷跡の石碑【伏見区表町】
京橋から南へ50mほど行ったところになる伏見土木事務所脇に

石碑が建っています。

さてここでターンして北に向かって歩くことにしました。


坂本龍馬、避難の材木小屋跡の石碑【伏見区過書町】

伏見長州屋敷跡から徒歩10分、大手橋にきました。

伏見奉行所に急襲されながらも、奇跡的に脱出した坂本龍馬でしたが、親指を切られ負傷しました(一説には両手とも・・・)。

ともに逃走した三吉慎蔵は川岸になった材木小屋に龍馬を隠し、単身助けを求め薩摩藩邸へ駆け込んだのでした。

現在、材木小屋は、倉庫?廃屋?でもアンテナが立っていますね。民家だったらごめんなさい。


薩摩島津伏見屋敷跡の石碑【伏見区東堺町】
材木小屋跡から北へ500mほど行ったところに、三吉慎蔵が助けを求めた薩摩島津伏見屋敷がありました、


現在は、月桂冠の関連会社である松山酒造となっています。


石碑の側面には「坂本龍馬 寺田屋脱出後 避難の地」と記され、もう一方の側面には「天璋院篤姫 洛中洛外滞在時の宿泊地」とあります。


伏見は整備された水路が縦横に走っており、満々と水を蓄えています。
水運業で栄えた街であることがよくわかります。

さてここから西に向かい丹波橋駅の駐輪場に戻り、帰宅しました。
往路は、名神のリフレッシュ工事で渋滞していたので、復路では京滋バイパスを使いました。
これが大正解で全く渋滞に遭遇することもなかったです。
こんなことならば、観光船である十石船に乗船すれば良かったと少々悔いていますが、まあそれは次の機会でと思っています。

(おしまい)

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伏見をゆく その2

2013-06-01 | ツーリング

会津藩駐屯地跡の石碑(伏見御堂)【伏見区大坂町】
伏見奉行所跡から西へ向かいました。
近鉄・京阪をこえるとまもなく東本願寺伏見別院(伏見御堂)の山門が見えてきました。

現在は幼稚園になっています。

南へ向かい少し歩くと、平日なのに人々が列を作って並んでおりました。


伏見は良い水がわき出るため、酒所になったと聞いたことがありますが、
少し歩いただけでこんなところにもすぐ出くわすのですね。


伏見土佐藩邸跡の石碑【伏見区南浜町】
会津藩駐屯地跡から徒歩4分でした。

月桂冠社宅脇に伏見土佐藩邸があった石碑が建てられていました。


近くの住宅で見つけた毛虫
鳥よけなんでしょうか?



伏見夢百衆
【伏見区南浜町】
1919(大正8)年建造の月桂冠旧本社です。
現在は、観光案内・喫茶・お土産販売店を、しています。
門前の街路は、伏見奉行所防衛のためここでL字型に曲がっています。


酒蔵が並び絵になる町並みです。
多くの方がシャッターを切っておられました。



月桂冠大倉記念館
【伏見区本材木町】
開館時間: 9:30~16:30
休館日: 盆,正月
入館料: 300円
明治時代に建てられた月桂冠の酒蔵を改装したお酒の博物館です。


試飲コーナー
おばちゃんたち大盛況
くぅ~私も御相伴にあがりたい~・・・でもダメですね。バイクできましたから・・・・

受付でこんなワッペンをもらっちゃいました・・・


とりあえず、こちらで我慢
酒造りに使われる、井戸水です。
これはこれで、まろやかでおいしゅうございました。

さて、館内には、酒造りに用いられた用具類や昔の広告ポスター、酒瓶などが展示されています。
それはそれでおもしろかったのですが、よく考えると月桂冠の宣伝であり、それを見るのに入場料を支払うのはいかなるものかという疑問がわいてきました。

もっとも、入場する際に記念品としてミニボトルが手渡されていて、この価格300円でしたので損したわけではありません。


とはいえ、試飲できなかったのは残念
皆さんここへ行かれるときは公共交通機関を使いましょう。

大倉記念館にはお土産販売所も併設されています。
こちらは、入場料を払わずとも入れます。
今回は徒歩での移動でしたので、全行程終了後バイクで乗り付け、土産を購入しました。



十石舟
月桂冠大倉記念館南西側、川辺の舟着場から出航し約55分のコースの観光船です。
4月1日から12月1日まで運航しています。
料金は大人(中学生以上)1000円、小人(小学生以下)500円。

橋を渡って、川沿いを北へ向かって歩きました。
新緑の中、対岸に月桂冠の酒蔵が並び風景に、思わず見とれてしまいました。

いやあ、何気なくこんな石碑が立って居るんですよね。やっぱり、京都は歩いてみるのが一番です。

 
(伏見をゆく その3に続きます)

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