橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

臼杵石仏

2021-04-30 | ドライブ・旅行
平成の初めの話だから、今から30年ほど前ですが、バイクで九州一周を行ったことがあります。
もう記憶が薄れてしまってますが、別府で温泉めぐりをした後、宮崎で泊まりました。
途中、臼杵で石仏を見たかったのですが、時間がなくパスした覚えがあります。


今回、数十年を経てようやく訪れるチャンスがやってきました。

臼杵城からはクルマで10分ほどです。


国宝臼杵石仏
所在地: 大分県臼杵市深田804-1
拝観時間: 6:00~19:00(10月~3月は18:00まで)

30年の間に露出した磨崖仏はかなり傷んでしまいました。
これではいけないということで修復がはじまり、さらに保護する建物が作られたそうです。
おかげで、保存状態のよい様子を見ることできますし、アクセスも容易になりました。


【ホキ石仏第二群】  *ホキとは崖という意味の地名です。


九品(くほん)の弥陀像
9体の阿弥陀如来像が彫られています。


阿弥陀三尊像


【ホキ石仏第一群】


第二龕 三如来坐像
向かって左から、薬師・釈迦・阿弥陀


第三龕 三如来坐像
向かって左から、釈迦・大日如来・阿弥陀


地蔵十王像
地蔵菩薩を中心に十王が五体ずつ左右に配置されています。


第一龕 三如来坐像
向かって左から、薬師・釈迦・阿弥陀


【山王山石仏】


向かって左から、阿弥陀・薬師・釈迦


【古園石仏】


かなり崩れてしまっていますが、左右に金剛力士像が彫られています。



諸尊像の中心に大日如来が置かれています。






見学時間は約30分でした。


九州遠征2日目は別府温泉に泊まりました。

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臼杵城

2021-04-28 | お城巡り(続日本100名城)
臼杵城は、1562(永禄5)年、大友宗麟により「丹生島城」として築かれました。
やがてまわりを干拓し城下町を形成するとともに島全体を城郭化し臼杵城となりました。
江戸時代には臼杵藩の藩庁が置かれました。

西寒多神社からクルマで40分、臼杵市観光交流プラザに到着しました。
ここで、続日本100名城スタンプを押しました。


臼杵市観光交流プラザ
所在地: 大分県臼杵市大字臼杵100-2
開館時間 : 9:00~18:00
休館日: なし


いかにも島を干拓してできた雰囲気がつたわります。


古橋口
3月末でしたが、桜が満開でした。


畳櫓
現存建築物です。


二の丸大門櫓
こちらは、2001(平成13)年の復元です。


角度を変えてみて


時鐘櫓跡


二の丸跡


会所櫓跡


護国神社


今橋門櫓跡


着見櫓跡


北側の眺め


多目的広場
花見に向けた露店が準備されていました。

多くの城跡には桜の木が植えられています。
ですから、「満開の時期にきたらどんなに綺麗なんだろう」とよく思うことがあります。
期せずして今回は満開に出くわし美しい光景を見ることができたのですが、たいへんな人出でもありました。
訪れたのは金曜日でしたが、翌日だったらどうなっていたのだろうかと人酔いしやすい私は思っちゃいます。
桜の季節も良し悪しです。


天守台跡石垣


天守跡


卯寅稲荷神社


井戸丸


建物はただのトイレですが、その下の石垣がかわっています。
何が建っていたのでしょうか。


卯寅口門脇櫓
現存建築物です。


鉄門櫓跡


武具櫓跡


儀太夫前櫓跡


儀太夫前櫓跡からの南側の眺め


井楼櫓跡
かなり多くの櫓が建っていた堅牢な城だったようです。

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西寒多神社

2021-04-26 | 一の宮巡り
角牟礼城をあとにして、豊後国一之宮である西寒多神社(ささむたじんじゃ)へ向かいました。

道中、昼食に蕎麦をいただきました。


鴨ざる
絶品でした。
ご主人が丁寧に作業されている間に、そば茶、そば粥でもてなされました。
そばは、まず塩で味わった後、わさび、ゆず胡椒と薬味を変えて味の変化を楽しみました。鴨の脂ののり具合、炙り具合も申し分ありませんでした。
食後はそば湯とそばクッキーをいただきました。
近所ならば週一で通いたい店でした。

十割蕎麦 円寿
所在地: 大分県大分市田尻583 1F
TEL: 090-7829-7119
営業時間: 月~木 11:00~14:30   金~日 11:00~14:30,17:30~22:00
定休日: 不定休


西寒多神社に着きました。
すぐ前の無料駐車場に駐めました。


萬年橋
1862(文久2)年につくられました。
写真を撮り忘れましたがこの橋と平行するように見事な藤棚がありました。
見頃の季節はきっとすばらしいと思います。


鳥居


手水舎


神社略記


神楽殿


拝殿

狛犬



御朱印


御朱印帳
三色ありましたが、迷わず藤色を選びました。


井戸


神庫


奥宮は6kmほど山道を登ったところにありますので、遙拝所から参拝。


ちゃっかり、御朱印だけは手に入れました。


鬼の歯形岩
昔、巫女の親子を鬼が食おうとしました。
母親は、霊山から本宮山まで、一晩で橋をかけられたら食べられましょうと無理難題の約束をさせました。
ところが鬼たちは、一晩で橋を完成させかけたため、あわてた親子は鶏の鳴きまねをしました。
すると鬼たちは朝が来たと思い残念がって歯で石を噛み投げました。
そして鬼たちは霊山から居なくなってしまいました。
この歯型石は、その時の石とされています。


合併社

西寒多神社
所在地:  大分県大分市大字寒田1644番

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角牟礼城

2021-04-24 | お城巡り(続日本100名城)
九州遠征2日目、博多のビジネスホテルで朝食をとり、レンタカーを借りました。


日産ルークス
前日のワゴンR同様にモーターでアシストするスマートシンプルハイブリッド搭載車で、高速道路で山道で大活躍することになりました。

向かったのは、角牟礼城(つのむれじょう)です。
角牟礼城は1585(天正14)年に起きた、島津氏と大友氏の豊薩戦争の際に落城しなかった要害堅固の城として知られています。
1593(文禄2)年に大友義統にかわって毛利高政が入封した際に城を大幅に改修し、現在残されている遺構は、この時代のものと思われます。
江戸時代に来島康親が入封し森藩が立藩されましたが、1万4千石の小大名で城を持つことは許されなかったため山麓に久留島陣屋を築き、角牟礼城は廃城とされました。
しかしながら、有事に備えて密かに石垣を保護していたという噂もあります。

まずは、豊後森藩資料館へ行き、続日本100城スタンプと資料を入手しました。
わらべの館という建物の2階の奥に豊後森藩資料館はあります。


豊後森藩資料館
所在地: 大分県玖珠郡玖珠町大字森868番地の2 わらべの館2F
開館時間: 9:00~16:30
休館日: 月曜日(休日の場合は翌日), 12/28~1/4
入場料: 100円(玖珠町民・高校生以下又は18歳未満・久留島武彦記念館入館者は無料)


資料館にあった模型


資料館から見た角牟礼城

角牟礼城の三ノ丸には駐車場があり、そこまで自動車で行くことができます。
山道ですから、そこそこ急カーブ急勾配の細い道ですが、前日の金田城や姫神山砲台跡に比べれば楽勝です。
それより、城下町の方が道が狭く、通行するのに気を遣いました。


三ノ丸入口


三ノ丸駐車場


櫓台


南側の石垣


三ノ丸からの眺め
城下町が見えます。


三ノ丸まで自動車で来ましたので、あとはさほど大変ではありません。
とはいえ、山城なのでそれなりの服装と履き物を用意しなければいけません。


穴太積み(あのうづみ)とも呼ばれる野面積みの石垣が見られます。


二ノ丸


大手門跡


さらに登ります。


二ノ丸西曲輪


二ノ丸西曲輪の建物礎石跡


西門



平成5年から町教委により発掘調査が行われました。
その結果、かつて大手門と思われていたところが西門であったりと新しい発見があり、名城も次のように変更されました。
(伝)本丸→本丸
(伝)二ノ丸→二ノ丸西曲輪
(伝)大手門→西門
(伝)搦手門→大手門
要は(伝)とあるのは以前の表記なのですが、現地には双方の案内板が混在しています。



本丸へ向かいます。


切岸


本丸虎口


本丸


本丸からの眺め


何気なく置かれていた毘沙門天
いつから置いてあるのでしょうか。


所要時間は、資料館含めて約1時間でした。
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和多都美神社と姫神山砲台跡

2021-04-22 | ドライブ・旅行
海神神社の次に、海に向けて鳥居が並んでいる和多都美神社へ行ってみました。


和多都美神社
所在地: 長崎県対馬市豊玉町仁位字和宮55


鳥居


手水舎


鳥居と拝殿

主祭神は、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)です。
山幸彦および彼と結婚する竜宮の姫ですね。

狛犬





本殿


磯良恵比須
鱗状の亀裂が見られる岩が三柱鳥居で祀られています。
この岩は、古い祭祀の霊座という説や石という説があり、謎に包まれています。


そして、これが海に並ぶ鳥居
残念ながら一番向こうの鳥居は崩れていました。


もうひとつ鳥居を入れてみようとしたのですが、交通量も観光客も結構多かったです。


さて、あらかじめ予定していた観光地はすべてまわることができましたが、まだ、帰りの飛行機まで時間があります。
そこで、レンタカー営業所で渡された観光案内を見てみると、近くに日露戦争に備え築かれた砲台があることがわかり、行ってみることにしました。

ナビに従って山道に入ります。
道は細く曲がりくねっています。
さらに細くなってきました。
さらにさらに細くなってきました。
金田城への道を彷彿させます。
いや、カーブと勾配がきつい分、こちらの方が怖いです。
いよいよ怖くなり「もうダメ!」と悲鳴を上げたところで、目の前が開けて駐車場に着きました。


5台ほどとめられるようです。


苦労しただけあり、駐車場からの眺めはサイコーでした。


駐車場からは右の山道を少し登ります。
ちなみに左の道はクルマで登ってきた道です。


しばらく山道を進むと、森の中から廃墟が現れてきました。


先ほどの建物は弾薬庫だったみたいです。


砲弾


ここに大砲が設置してあったのでしょうね。


他に観光客はいなくて寂しさを通り越して怖いくらいでした。


司令室


観測所


観測所からの景色

姫神山砲台跡
所在地: 長崎県対馬市美津島町緒方


このあと、ふたたび飛行機にて福岡空港に戻ってきました。
驚いたのは、全員揃ったからって10分くらい早く離陸し、同じくらい早く着いちゃいました。
おおらかです。


このあと福岡空港で夕食をとり、博多駅前のビジネスホテルに泊まりました。

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海神神社

2021-04-20 | 一の宮巡り
海神神社(かいじんじんじゃ)は対馬国一宮です。


一の鳥居


ひっそりとした境内


無人の社務所


御朱印は書き置きでした。
御朱印帳を忘れたので、好都合だったりして・・・




手水舎


二の鳥居

狛犬



参道には磐座を思わせる大きな岩がいくつもありました。


金田城でトレッキングした後なので、石段が堪えます。


三の鳥居


さらに石段


拝殿


本殿


末社


海神神社
所在地: 長崎県対馬市峰町木坂伊豆山鎮座
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金田城

2021-04-18 | お城巡り(続日本100名城)
金田城(かねだじょう,かなたのき,かねたのき)は、対馬国下県郡の城山あった朝鮮式山城です。
663(天智天皇2)年、白村江の戦いで倭軍が唐・新羅連合軍に敗北したため、返り討ちを恐れて防衛態勢を整備するために築城されました。


続日本100名城スタンプは、美津島地区公民館で押すことができます。
対応時間: 8:45 ~ 17:30
休館: 12/29~1/3


登城口には駐車が4台程度置けるスペースがあります。
ただ、県道から登城口までの道が細い!
気を緩めると脱輪しそうで、すれ違えるスペースなどまったくありません。
1.8㎞程の道を「対向車がきませんように!」とお祈りしながら運転しました。


金田城のトレッキングコースは、登山口駐車場を起点に岩峰を登る「山頂コース」、山腹を巡って石塁を見学する「石塁見学コース」、両コースを結ぶ「結合コース」がありますが、時間と体力を考え「石塁見学コース」を選択しました。


原生林が生い茂る道を出発。


東南角石塁




黒瀬湾


掘立柱建物跡


三ノ城戸
他の城戸にくらべ、大きく崩れています。


こちらの掘立柱建物跡は休憩所も兼ねています。


ビングシ土塁
城山の東側、二ノ城戸と三ノ城戸の間には「ビングシ山」と称される小峰があり、その鞍部に土塁が作られています。


二ノ城戸


中央に城門が開いています。


なだらかところもありますが、すぐに登りになり、また下りになるといった、けっこうアップダウンの多いコースです。


一ノ城戸
石塁張り出しが高石垣となっています。




ゴールにたどり着きました。


大吉戸神社
金田城の鎮守として祀られたと推測されます。


疲れましたが、この景色に心癒やされました。


1.8kmのコースの往復に、1時間45分かかりました。

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対馬へ

2021-04-16 | ドライブ・旅行
東四国遠征を終えて、続日本100名城スタンプラリーの達成率は60%になりました。


オレンジ色の部分が「登城済み」です。
愛知を中心にして東西に広げています。
日本100名城スタンプラリーの時は、終盤、遠隔地ばかり残ってしまって、出費がかさんでしまいました。
その反省を活かし、今回は遠隔地の遠征も計画的に行っています。
まずは、一昨年秋に北海道、昨年2月には沖縄に遠征しました。
昨年夏は、東北一周を画策しましたが、新型コロナウイルス感染蔓延のため、中止せざるを得ませんでした。

さて、この冬の非常事態宣言下、次なる遠征計画を練っていました。
そこで目につけたのが対馬です。
まず、季節的に北進策はあり得ないこと。
さらに、この時期ならば台風による影響もないこと。
加えて、現在は隣国からの観光客がいないので空いていること。
以上の理由により、出掛けるならば今だと思ったわけです。

ということで、緊急事態宣言が解除された3月下旬に対馬を含む北九州地方遠征に出掛けることにしました。

まずは、ジェットスターにて中部国際空港から福岡空港へ


LCCですが、サービスに不満はまったくありません。
唯一、中部国際空港の搭乗口が遠いことくらいです。

福岡空港でANAに乗換え、対馬空港に向かいました。


ひさびさのプロペラ機は我が家のエアコンのような異音を立てていました(お互い経営状態が良くないのでしょうか?)。
ジェット機と比較してしまうので窓からの景色は止まっているように見えます。
しかしながら、40分ほどで対馬空港に到着しました。


対馬ではレンタカーを借りました。
最初はバイクを借りてまわろうかと思っていたのですが、なんとレンタルバイクが休止中。どうせレンタカーを借りるのならと、妻を誘ってみると二つ返事でノって来たので、今回は二人で旅行となります。

なお、借りた車はワゴンR、狭い道も通る予定だったので軽自動車を選びましたが、この選択は結果的に大正解になりました。
また、マイルドハイブリッド車でしたが、アップダウンの多い島の道では大活躍でした。

で、まずは腹ごしらえ。


鶏の六兵衛
六兵衛は長崎県島原半島周辺と対馬に伝わる麺料理です。
サツマイモが主原料で黒っぽい麺とプルプルした食感、ほのかな甘さがあります。
ただ、つなぎを使わないこと、型に入れて押し出してつくる「押し出し麺」であるため、長い麺をつくることが難しく、食べにくいです。

さて、準備を整えて、金田城に出陣!

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洲本城(上の城)

2021-04-14 | お城巡り(続日本100名城)
洲本城の上の城へは、下の城から登っていけます。
自動車の場合は、いったん洲本温泉街までまわって、三熊山ドライブウェーを通って登ります。


大手門を通り、


馬屋(月見台)まで自動車で来られます。


10台ぐらいとめられそうな駐車場があります。


10年前に一度訪れたことがあります。
現存建築物はありませんが、山の上と思えないほど立派な石垣が残されています。
数年前に続日本100名城選定にあたりアンケートがありましたが、真っ先に洲本城に票を入れました。


南の丸 隅櫓跡
温暖な地のため、至る所に巨木が生えています。


本丸大石段
広くゆったりとした石段です。この周辺の石垣は脇坂安治在城時後半の改築とみられます。


本丸虎口


武者走台
本丸を囲む石垣です。


本丸


天守台
現在そびえ立つのは、往時の天守閣とは関係ない模擬天守ですが、1928(昭和3)年の日本最古の模擬天守のため、これはこれで文化財になりつつあります。
ただし、現在模擬天守閣には入れません。


天守台からの洲本市街地の眺望


本丸搦手虎口


搦手口
初期の頃はこちらが大手口だったそうです。


籾蔵
食料貯蔵庫が建っていました。


残念石
切り出しのため穴が掘られているのですが、掘り出されなかった石。
西の丸手前にあります。


岩盤があちらこちらに剥き出しになっており、石垣の調達は比較的容易だったと思われます。


西の丸
城の西方を守る出城です。


西の丸の半分はうっそうとした森になっています。


南の丸
本丸の南側にあり本丸を防御しています。


十二支神社がずらりと並んでいます。


八王子神社
場の空気がガラっと変わりました。
霊感とかパワースポットに鈍い私でもよくわかります。


八王子神社

御祭神は 「国狭鎚尊(くにさつちのみこと)」や「大山積尊(おおやまつみのみこと)」ともいわれているようですが、詳しいことははっきりしていないようです。


東の丸


東二の門跡


武者溜
城の東端に位置する面積の広い曲輪。


東一の門
ここから下の城へとつながる道があります。


東の丸の高石垣


登り石垣
下の城からから上の城までつながる石垣です。


日月池谷地の湧き水を溜池にしています。近くに掘られた井戸の底に日月の彫り物があるといいます。


上の城の見学時間は1時間5分でした。


帰路、ハイウェイオアシス淡路で食べたメンチカツカレー


ちょっと甘めでした。

このあと、神戸で渋滞にはまったものの、夕方帰宅できました。

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洲本城(下の城)

2021-04-12 | お城巡り(続日本100名城)
岡豊城・引田城・勝瑞城・一宮城の訪問を無事終え、帰路、淡路島をにある洲本城に寄ることにしました。

洲本城は、三熊山の山頂に築いた「上の城」と山麓に居館を置いた「下の城」とで構成されています。
下の城では御殿が設けられ、藩の政治を執り行う場でもありました。

まずは、下の城を見て回りました。


史蹟碑が置かれた場所には、現在、洲本市立淡路文化資料館があります。




洲本市立淡路文化資料館
所在地: 兵庫県洲本市山手1-1-27
開館時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日: 月曜日(月曜日が祝休日のときは、翌平日が休館),年末年始(12/2~1/4)
入館料: 大人 500円,高校生・大学生 300円,小学生・中学生 100円

無料駐車場があります。
また、続日本100名城スタンプは受付で押すことができます。

下の城跡は官公庁として使われてるようで、検察庁


税務署



裁判所の庁舎が置かれています。
この裁判所の写真ですが、後ろの山に模擬天守が見えます。


つまり、この頂上に上の城があったわけです。


足湯・潮騒の湯


感染防止のため休業中かと思いきや、調べてみるとコロナ禍以前から営業していないみたいです。


3月20日でしたが、桜が咲いていました。
もっとも、愛知に戻ったら、同様に咲いていました。
今年は、全国的に開花が早いですね。


お登勢の像
「お登勢の町すもと」と売り込みをしていました。
なお、このお登勢は寺田屋の女将ではなく、船山馨の小説「お登勢」の主人公です。
知りませんでした。


お登勢は、庚子事変に巻き込まれてしまいます。
ここで庚子事変について簡単に触れたいと思います。
関ヶ原の合戦が、蜂須賀正勝(小六)は、阿波国・淡路国に加増されましたがこれを固辞。
息子の蜂須賀家政に阿波を、また正勝と義兄弟の契りを結んだ稲田植元を客将として招き淡路国を知行地として任せました。
しかし蜂須賀氏は幕藩体制下で次第に稲田氏を家臣として扱うようになり軋轢が生じるようになります。
さらに、稲田家は明治維新で新政府側に協力したにも関わらず平民とされたために淡路を阿波藩から分藩独立することを画策します。
それに動きに対しで蜂須賀氏側が一方的に稲田氏側を殺害したのが庚子事変であり、蜂須賀家と稲田家の確執は決定的なものとなりました。
結局、1876年に淡路は阿波と再び分裂し、兵庫県に編入されることになりました。


櫓台



すぐ近くに海岸があります。


このあと、車で上の城へ移動しました。

下の城の見学時間は資料館と合わせて約40分でした。
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