橋本屋吉次郎電子日誌

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鞠智城

2022-04-29 | お城巡り(続日本100名城)
九州遠征も最終日の5日目になりました。
阿蘇くまもと空港発の午後便に乗るために、福岡県から熊本県にレンタカーで南下しました。

鞠智(きくち)城は今から約1300年前に、大和朝廷が築いた山城です。


当時、日本は、友好国である百済を復興するため援軍を送りましたが、663年の白村江の戦いで、唐・新羅の連合軍に敗北してしまいました。
このため、今度は日本が攻め込まれるおそれがあると考え、金田城(長崎県),大野城(福岡県),基肄城(佐賀県)などを設営し防衛に務めました。
鞠智城は、これらの城に食糧や武器、兵士などを補給する支援基地でした。


現在は、国指定史跡になっており、無料の駐車場も用意されています。


長者館
地元の物産品やレストランが入っているようですが、営業を停止していました。


温故創生館
所在地:熊本県山鹿市菊鹿町米原443-1
開館時間:9:30〜17:00
休館日:月曜日,12/25~1/4
料金:無料

出土品の展示や解説ビデオ上映されています。
続日本100名城スタンプは入口で押すことができます。


温故創生之碑
防人とその家族、巫女、百済からの亡命貴族、そして鳳凰の群像


九州の古代山城はいずれもかなり大規模ですが、この鞠智城もかなり大きなものだったようです。


八角形鼓櫓
国内の古代山城(中世山城でも)では似かよった例を見ない、4基の八角形建物跡が見つかっています。
韓国の二聖(イーソン)山城でも同じようなものがあり、注目されます。

内部は多くの柱からできています。






米倉
高床式で校倉造りです。


兵舎復元建物
防人の宿泊用の施設です。


知覧で見た特攻隊員用の三角兵舎を思い出しました。
時代はまったく変わりませんが、多くの若者を犠牲にするような戦いは避けなければいけません。


板倉復元建物


武器庫だったと予想されます。


とにかく広い


展望広場休憩所


さらに下って、




登って、


灰塚展望所

展望所からの眺め




史蹟は広いのですがゴルフ場のようにキレイに整備されています。


ゴルフ場よりも高低差があるのでこれは大変です。




展望台まで往復+施設観覧で、1時間20分かかりました。

歴史は繰り返します。
東アジアが緊張していますが、関与の仕方を間違えると大変な代償を負う可能性があることを肝に銘じておかないと行けないです。



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與止日女(よどひめ)神社

2022-04-27 | 一の宮巡り
與止日女(よどひめ)神社は、肥前国一宮です。



二の鳥居
九州北部の神社には柱の太い鳥居がよく見られます。


二の鳥居の北側が駐車場になっています。


感染症対策のための一方通行は解除されていますが、再び貼り紙の剥がされる日が来ないことを祈ります。


境内


三の鳥居
肥前鳥居といわれる、笠木と島木(一番上にある二層の横木)が一体化し、笠木のかけだし(先端にかけて反り返る部分)が大きな反りをみせて外方に跳ね上がる独特のものです。
佐賀初代藩主鍋島勝茂が1608(慶長13)年に寄進しました。


略記
主祭神の與止日女命は、神功皇后の妹なんですね。


手水舎
石櫃のような水タンクがあります。


拝殿


古い狛犬と新しい狛犬が並んでいます。
新しい狛犬も台座は古そうなので、最近作り替えたのでしょうか。



さらにもっと古い狛犬もありました。




そして、お賽銭箱も古い!



本殿



すぐ東にある川上峡には多くの鯉のぼりが掲げられていました。





西門
室町時代後期の創建されたものとされています。


城まわりをしているとこういった石垣が気になります。
建築物の土台ではなく、巨大なご神木を守るためにつくられたそうです。
残念ながら、そのご神木は枯れてしまいました。


與止日女天満宮


金精さん
この形から、 子宝の神、縁結びの神、性病平癒祈願の神さらには生産神とななっています。


九州遠征4日目は、福岡県の甘木に宿泊しました。
写真は刺身の三種盛り(馬刺し・せんまい・ホルモン刺し)

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小倉城

2022-04-25 | お城巡り(続日本100名城)
北九州市の小倉にやってきました。
まずは、腹ごしらえ


地元チェーンである資さんうどんで肉ごぼ天うどんをいただきました。
いやぁ驚きました。
初日の昼にもSAで肉ごぼ天うどんをいただきましたが、全くの別物でした。
こうしている間にも、思い出して、思わずお取り寄せをポチっちゃいました。

小倉城は13世紀中ごろ、紫川河口西岸にあった丘に築かれたと云われ、豊臣秀吉の九州平定前後に、毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築きました。


紫川が天然の堀となっています。


月曜日でしたが、桜のシーズンということもあり、大変賑わっていました。


大手門跡


松の丸
小倉北区藍島の西方約2キロ、若松の沖合約5キロの岩礁(白洲)に立っていた白洲灯台の模型が置かれていました。


槻門(けやきもん)跡
藩主・上級藩士・幕府役人等が通行を許されていました。


鉄門(くろがねもん)跡
一般の藩士はこの鉄門を通行しました。
赤茶けた石は第二次長州征討の際に焼かれた跡です。
白い石は、その後修復された部分です。


井戸


ちょうど桜が見頃の本丸跡


明治時代、小倉に置かれていた旧第十二師団司令部の正門


四年式十五珊榴弾砲


佐々木小次郎と宮本武蔵
勝負の舞台となった巌流島はこの近く、また宮本武蔵はこの地とゆかりが深いようです。


天守と続櫓
小倉城天守は1837(天保8)年に失火のためし、残る建築物も1866(慶応元)年、第二次長州征討の混乱の中で小倉藩が自ら城を焼却しました。

所在地:福岡県北九州市小倉北区城内2番1号
開館時間:9:00~18:00(4月~10月),9:00~17:00(11月~3月)
休館日:年中無休
料金:一般 350円,中高生 200円,小学生 100円


1959(昭和34)年に天守は再建されましたが、建設資金を捻出した地元商工会の要望によって、本来ないはずの大入母屋破風や千鳥破風・唐破風などの破風が追加されてしまったため、外観は史実と大きく異なってしまいました。


復元模型
本来の天守は、最上階だけが黒壁のほかは、四方を白壁で取りまいた層塔型という姿でした。
島原城をみてもわかりますが、破風なんかつけなくても個性的で美しかったのに・・・残念なことをしました。


天守最上階からの眺め
小倉の街はいつ来ても活気があります。


しかし、へんてこな建物に視界をふさがれるのはいかがなものでしょうか?


着見櫓
湾内の航行船を監視するための櫓です。
現在、「漬物処糠蔵ぬかぐら」の販売所となっています。


多聞口門跡
本丸から北の丸への通り道の門がありました。


北の丸跡
現在は、小倉祇園八坂神社の境内となっています。


楼門


楼門のまわりの復元櫓群は、八坂神社の施設として使われています。




虎ノ門跡
城の北東に位置する虎ノ門周辺の石垣は、とびきり大きくて見ばえが良い石を使用しています。

この先に北九州市立小倉城庭園があるのですが、残念ながら改修工事のために入ることはできませんでした。
今回は、天守から眺めて我慢です。



西側の二の丸跡に建つ北九州市立松本清張記念館
ここも月曜なので休館・・・残念


二の丸と本丸の間の西ノ口門跡


大手門脇につくられた、しろテラス
ラウンジ,お土産,観光案内,飲食の4つの機能を持った施設です。
続日本100名城のスタンプもここで押すことができます。


なんか人だかりができて、ちびっこ大騒ぎ
猿回しが実演されていました。


所要時間、1時間20分

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中津城

2022-04-23 | お城巡り(続日本100名城)
九州遠征3日目、大分を出発して、レンタカーで中津へ来ました。


中津城第一駐車は無料で本丸内に止めることができます。


門の両脇を扇形に石垣が積まれていましたが、一部残っている程度です。





奥平神社
中津藩奥平家中興の祖である奥平貞能,信昌,昌家が祀られています。




模擬天守
萩城天守をモデルに1964(昭和39)年鉄筋コンクリートで、つくられました。
内部は、奥平家歴史資料館として一般開放されています。

奥平家歴史資料館
所在地:大分県中津市二ノ丁1273-2
開館時間:9:00~17:00
休館日:年中無休
入館料:大人(高校生以上) 400円,こども 200円

続日本100名城スタンプは1階で押すことができます。


太鼓櫓

天守最上階から本丸を見下ろしてみました。


すぐ北には、中津川があり、



海に流れこんでいます。
このため、高松城・今治城とともに日本三大水城と言われています。


中津城は、1587(天正15)年、黒田高孝(如水)によって築かれました。
その後、細川氏、小笠原氏、奥平氏と城主を代え、江戸時代には、中津藩の藩庁が置かれました(一時、小倉に移された )。


黒田官兵衛資料館
模擬天守内の展示は、奥平色の強いものでしたが、大河ドラマで軍師官兵衛放映されるとこちらの施設もつくられました。
内容的には、今さら感がぬぐえません。


太鼓櫓と模擬天守
ベストアングル


右は黒田時代の石垣、左は細川時代に増築されたものです。


ここにも石垣の違いが、手前は随分新しい時代のもののようです。


中津神社
かつては、松の御殿がありましたが、西南戦争で消失してしまいました。
1883(明治16)年、六所神社・丸山神社(義氏社)・稲荷神社・蛭子神社・八幡大江神社の分霊を合祀し、中津神社と称しました。


水門跡
上方まで早舟を使って3日で行けたそうです。


本丸東側の石垣と堀
右は中津市立歴史博物館
残念ながら月曜日だったので休館です。


椎木門跡


薬研堀と二の丸


中津大神宮
1881(明治14)年、伊勢神宮を分霊して建てられました。





金刀比羅宮


坂井神社
江戸時代に中津藩主小笠原長円が宇都宮(坂井)鎮房を城井大権現として、祀ったのがはじまりです。
宇都宮鎮房はこの地を治めていた戦国大名ですが、豊臣秀吉の命により伊予国へ移封されることになりました。
しかし、父祖伝来の地に固執した鎮房はそれに反発し、籠城して豊臣軍を迎え撃つこととなりました。
黒田長政が率いる豊臣軍は苦戦した後、和議を結ぶフリをして鎮房を中津城に招き、酒宴の席で謀殺してしまいました。
この黒田家の黒歴史に、小笠原氏の時代になっても呪縛されていたみたいですね。


扇城神社
こちらには、宇都宮鎮房の家臣が祀られています。

中津城は以前訪れたことがあり、今回は続日本100名城スタンプを押すことを目的で再訪しました。
しかし、以前見落としたところや気がつかなったところが、いろいろあったことを知りました。
やっぱり城跡はいいものですね。
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佐伯城

2022-04-21 | お城巡り(続日本100名城)
大分県の南端にある佐伯市にやってきました。
かつてこの地は、佐伯藩が治めていました。
藩祖、毛利高政は栂牟礼城に入城しましたが、険阻な山城で、平時の統治には不便であったため、1602(慶長7)年から番匠川河口近くの八幡山で新城の築城に取り掛かかりました。


佐伯文化会館下駐車場は無料でしたが、この日はなんやらイベントでたいへんな人出でとめられず、やむを得ず市営第2駐車場駐車場にとめました。
有料ではありますが、100円/30分ですので、助かりました。


佐伯市歴史資料館
所在地:大分県佐伯市大手町1丁目2-25
開館時間:9:00~17:00
休館日:月曜,12/29~1/3
観覧料:一般 300円,小・中・高校生 100円

受付で、続日本100名城スタンプを押すことができます。


資料館に展示されていた佐伯城の復元模型
麓に三の丸が置かれ、


他の曲輪は標高144メートルの八幡山山頂一体に築かれた総石垣の山城です。


登城路は4本あります。
本日、3城目で脚も疲れているので、最もなだらかな独歩碑の道を選びます。


佐伯市立佐伯小学校の門
佐伯藩の藩校四教堂跡にあり、校門はこれを模したものになっています。


三の丸櫓門


三の丸石垣


独歩碑の道入口


捨曲輪


本丸外曲輪石垣


本丸外曲輪虎口
左は独歩碑
国木田独歩は佐伯に10ヶ月滞在しただけですが、この地を舞台にした小説を多く発表しているそうです。


虎口横の櫓台跡


本丸外曲輪からの眺め


階段を上がると本丸


さらに一段高くなったところが天守台


本丸から二の丸へ


廊下橋


有事の際は落としたのでしょう。


二の丸


二の丸虎口


西出丸


西出丸の櫓跡


西出丸からの眺め


井戸の跡


西出丸の虎口


北出丸


帰りも独歩碑の道をとぼとぼとあるいて、所要時間約1時間でした(資料館を除く)。

このあと、クルマで大分市へ移動
とり天で一杯やってこの日は終えました。


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延岡城

2022-04-19 | お城巡り(続日本100名城)
延岡藩は、豊臣秀吉の九州征伐後の1587(天正15)年に高橋元種が延岡南部の松尾城5万石に封ぜられたことに始まります。
1601(慶長6)年、元種は延岡城(県城)を築城して松尾城より移り、以後明治維新までこの城が藩政の中心となりました。

登城前に昼食
延岡名物のチキン南蛮定食です。


柔らかくてジューシー、これにコーヒーがついてなんと580円
せめて隣県にあれば、次の週末にでも食べに行けるのでしょうが・・・

延岡城跡は延岡市中心部の小高い丘の上にあり、現在は城山公園として市民に開放されています。


この日は3月末でしたが、季節外れの暖かさにつられ、大勢の花見客で賑わっていました。
したがって、城山公園北駐車場も満車でした。


ただ、市役所駐車場が無料開放されていたので、これを利用しました。
写真後方に見えるのが城山です。


大手口よりいざ登城


旧藩主である内藤家墓所


北大手門
1992(平成4)年に復元されました。


北大手門東側石垣
不規則な形の積石を積み上げていき横目地を揃えない乱積みです。


千人殺しの石垣
北大手門をくぐると立派な石垣が眼に入ります。
一番下の礎石をはずすと石垣が崩れ、一度に千人を殺すことができるといわれています。




二の丸にある管理事務所
ここに続日本100名城のスタンプは置かれています。


二階櫓跡


本丸へ向かいます。


二階門櫓跡


本丸


内藤政擧公像
延岡藩の第8代(最後)の藩主。
慈善事業や教育活動に熱心だったため、偉業を顕彰する銅像が建てられています。


天守台へ


元来の入り口は通行止めになっていました。




天守台
どうも天守閣は作られなかったようです。


城山の鐘


現在でも時を告げています。


天守台からの眺め


三階櫓跡
天守閣代わりをもたなかった延岡城最大の建物だった三階櫓は、1655(明暦元)年に完成しましたが、1682(天和2)年に焼失、以後再建されませんでした。
現在は、日本の航空黎明期の民間パイロットである後藤勇吉の碑が置かれています。


吹上坂


三の丸跡


石御門跡


北櫓跡


初代延岡市長で、延岡名誉市民の仲田又次郎の胸像


若山牧水の歌碑


見学時間:50分


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佐土原城

2022-04-17 | お城巡り(続日本100名城)
九州遠征、3日目は都城を出発し、日向灘を北上するコースです。
まずは、宮崎県佐土原町にある佐土原城(さどわらじょう)に訪れました。


佐土原歴史資料館の駐車場にクルマをとめました。


宮崎市佐土原歴史資料館
所在地:宮崎県宮崎市佐土原町上田島8202-1
開館日:土・日・祝日のみ(12/29~1/3は休館)
特別開館期間:5/15~6/14(この期間中は休館日はありません。)
開館時間:9:00~16:30

ここで続日本100名城のスタンプを押すことができますが、
開館時間前に着いたので、先に城跡を散策することにしました。


資料館裏にある出土文化財管理センター


この間に御代官所跡や反米役所跡がありますが、表示があるだけで、よくわかりませんでした。


登城路のひとつである「中の道」の入口


佐土原城は、伊東氏の城として築かれましたが、やがて島津氏に奪われ、以後、明治まで佐土原藩として佐土原島津家が治めました。


南九州の城らしく深い谷の中を進みます。


この上から攻撃されれば、矢や鉄砲を用いなくても、石・丸太で充分深手を負うことになるでしょう。


こちらの曲輪へは、立ち入り禁止になっていました。


右に行くと本丸、左は南の城、松尾丸


虎口


本丸下の曲輪


本丸が見えます。


本丸の枡形虎口


イラストを用いての説明がわかりやすいです。


本丸


本丸からの眺め


天守台
日本最南端の天守台です。


南の城へは通行止めになっていました。


再び堀切の中を進みます。




もうひとつの登城路である大手道は通行止めになっていました。


第二次世界大戦中につくられた防空壕


火山灰であるシラスは、崩れやすいので、竹を植えておくと良いのかな。


松尾丸


二の丸跡にある佐土原歴史資料館に戻ってきました。


藩主が対面に使った大広間が復元されていました。


所要時間、1時間30分でした。



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都之城

2022-04-15 | お城巡り(その他)
都城は、宮崎県第二の都市です。
この名の由来である都之城跡に行ってみました。


現在の城址は城山公園として整備されています。


駐車場


海軍大将 財部 彪(たからべ たけし)の銅像


大手門
2016(平成6)に建てられました。


門をくぐり、城山を登ります。


写真左が本丸、右が西城の堀切の中を通ります。
間に橋が渡されています。




本丸虎口


都城歴史資料館
所在地:宮崎県都城市都島町803
開館時間:9:30~17:00
休館日:月曜日(祝日の場合翌日が休館日)
料金:大人 210円,高校生 160円,中学生 100円,小学生 100円
(JAF割あり)


瀬戸山 三男像
国会議員を務められた方ですね。


土が持ってあるところが門の跡です。


歴史資料館から見た本丸跡


建物跡


茶室


橋を渡って西城へ


西城は、神武天皇を祭る狭野神社が建立されています。





都城は宮崎県ではありますが、島津氏の分家が治めていたこともあり、鹿児島の影響を大きく受けている印象でした。


ですから、夜は、鹿児島名物の鶏の刺身をいただきました。
九州独特の甘めのさしみ醤油も、ポン酢もどっちもイケるので、交互に試しました。


こちらは、宮崎名物地鶏の炭火焼き
見た目はイマイチですが、ゆず胡椒をつけていただくとたまりません。

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松山城(大隅国)

2022-04-13 | お城巡り(その他)
あいにくの雨で、鹿児島県の続日本100名城は、現地を歩いてまわることができませんでした。
しかし、この天気は週間予報どおりであり、想定内でした。
ですから、対応策も練ってありました。

この日は、宮崎県の都城に宿泊する予定でしたから、志布志から都城への道中にある、雨天でも見て歩ける城跡2か所に、訪れることにしました。

そのひとつが、志布志市松山町にある松山城です。

松山城は平清盛の弟、頼盛の孫である重頼によって築かれた城です。
戦国時代には島津氏や肝付氏などによって激しい戦乱の舞台となりました。

城跡に道の駅が建てられていると聞いて行って見ました。


道の駅 松山
所在地:鹿児島県志布志市松山町新橋1526-1
営業時間:09:00~18:00
定休日:毎週火曜日

城郭風の建物です。


ディキャンプできそうな広場がありましたが、城の遺跡は見当たりませんでした。





谷を挟んで隣にある運動公園に移動してみました。


体育館

このまわりなんて城跡っぽい


ここは二の丸跡のようです。



櫓の跡かな?
残念ながら通行止めになっていて、登ることはできませんでした。


ようやく見つけた遺構
堀切の跡だと思うのですが・・・

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志布志城

2022-04-11 | お城巡り(続日本100名城)
薩摩半島の知覧から、クルマで2時間20分ほど、大隅半島の志布志へやってきました。

まずは昼食、


うなぎの駅
所在地:鹿児島県志布志市志布志町志布志1286-8
営業時間:11:00~15:00
定休日:月曜日

鹿児島県はうなぎの養殖日本一です。
ここは、うなぎ加工工場に併設された鰻料理のレストランおよび売店です。


ねぎ玉鰻丼 1,650円
小市民橋吉は昼食に2,000円以上支払う度胸はないので、鰻丼・鰻重は見送ってこれにしました。
とはいえ、うなぎはたっぷり乗っていましたし、たれと温泉卵とご飯を搦めるとこれがおいしい!
お吸い物にも、ちゃんとひとつ肝が入っていました。

お腹を満たしたところで、向かったのが、


志布志市埋蔵文化財センター
所在地:鹿児島県志布志市志布志町安楽41-6
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30分まで)
休館日:月曜日(国民の祝日の時は翌日),12/29~1/3
入館料:無料

入り口で続日本100名城のスタンプを押すことができる。


志布志城(内城)の復元模型
志布志城の築城年代は不明であるが、南北朝時代からこの地が戦乱に巻き込まれたことに伴い次第に拡充されていったと考えられています。
12世紀から救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、肝付氏と次々と城主が変わり、守護大名・島津氏久が本拠としたこともありました。
1577(天正5)年、志布志は島津氏の直轄地となり、初代の地頭として鎌田政近が任命されました。
その後も外城として重要な役割を果たしたものの、一国一城令で廃城、ただし建物が無くなっただけで破壊はされなかったらしいです。

雨天につき、模型上で散策してみます。


現在の志布志小学校の裏が入り口です。


深い堀切の中を進みます。


シラス台地上にいくつかの郭があり、その間は深い堀がつくられています。


本丸


(左)中ノ久尾,(右)本丸


中ノ久尾


(左)大ノ久尾,(右)中ノ久尾


大ノ久尾


東側も数段の郭になっています。

小降りになったので、城跡に行ってみました。
志布志小学校隣にある無料の観光駐車場



現地案内図
埋蔵文化財センターに模型のあった内城に加えて、松尾城,高城,新城の4つの城を総称して志布志城と呼ばれています。


松尾城


平山氏庭園
武家屋敷と庭園が保存されているはずですが、






改修中なのでしょうか?


小学校の裏山から入ってみます。


本丸登り口




鋭い岩肌は人工的に削られた切岸だと思います。

ここまで来たところで、再び雨が強くなってきたので、撤収!

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