橋本屋吉次郎電子日誌

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小谷城(おだにじょう)

2010-05-31 | お城巡り(日本100名城)

小谷城(おだにじょう)は、滋賀県長浜市湖北町伊部にあった浅井氏の城です。
三代目城主の長政の妻は、信長の妹の市であり、友好関係を保っていたのだが、越前の朝倉氏と連合して反旗を翻してしまいました。
怒った信長はこの城を攻め、落城させました。
このとき、城から救い出された長政夫妻の三姉妹は、長女茶々(後の豊臣秀吉側室の淀殿)、次女初(同京極高次の正室)、三女江(同徳川秀忠の正室)となり歴史に翻弄されることとなります。

まずは、小谷城戦国歴史資料館によって予習をしました。

ここで百名城スタンプを押すことができます。


麓の駐車場にバイクを止めました。
ここから本丸までは1.5kmの登山になります。

初めはこのようななだらかな道ですが、


じきにこのような登山道になりますので、山登りに適した靴・服装をする必要があります。

勾配がきつく息が上がりますが、間柄峠から見える琵琶湖で心癒されます。

籠城して秀吉と対峙していた浅井長政はどんな思いで眺めていたのでしょうか。


ここには金吾丸の跡があります。

しばらく登ると番所跡にたどり着きます。ここからが小谷城の主郭です。


この番所跡までは車やバイクで来ることもできます。


御茶屋跡です。番所跡のすぐ上にある曲輪で優雅な名とは似つかない軍事施設です。


馬洗池跡、名のとおり馬を洗うのに使われていたらしいです。



近くには御馬屋跡があります。


首据石と言います。京極氏の被官だった今井秀信を殺害し首をここにさらしたのでこの名が付いています。


桜馬場跡、曲輪の跡で小さな広場になっておりお弁当を広げるのにちょうどいいところです。


黒金門を通ると、


大広間の跡です。その名の通り、大きな広場となっています。

北東隅には井戸の跡があります。


一段高い石組みの遺構の上が本丸跡です。

石垣のアップ


ようやく本丸到着です。

番所跡下まで車できたとしても、けっこう歩きます。少なくともスニーカーは履いておかなければなりません。


【おまけ】
小谷城の近くには、一軒宿の須賀谷温泉があります。
黄金色のお湯はいかにも効用がありそうなのですが、日帰り入浴1,000円というのは少々高いです。
近所を探してみたら、新しい温泉をつくっておりました。

あねがわ温泉、6月21日オープンだそうです。

とりあえず、この日は長浜市野瀬町のバーデあざいに寄ってきました。

入浴料500円でなかなか良かったのですが、須賀谷温泉とはちがい透明な泉質でした。

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1泊お城巡りツ-リング

2010-05-29 | ツーリング
金曜日は職場自体が代休でしたのでこのチャンスを活かすべく1泊お城巡りツーに行ってきました。

平日なので高速1,000円はなく代わりに深夜割引の恩恵を受けるため、なんと朝3時に自宅を出発しました。
風が強かったため伊勢湾岸道ではなく東名阪を経由して東名を走ります。

上郷SAのあたりではまだこんな感じでした。
暗くて静かでトラックばっかりなので速度感がなく、120km/hでもゆっくり走っているような妙な感覚でした。


牧之原SAあたりでようやく明るくなると、

徐々に富士山が大きく綺麗に見えてきました。

御殿場ICで降り、国道138号を快走します。

箱根裏街道とよばれるこの道は変化に富んで楽しいです。


まずは秀吉が小田原征伐のために築城した石垣山城を訪問。


ついで小田原城を見学しました。


なお、これは小田原城ではなく「ういろう」の店です。
店主の外郎(ういろう)氏はここで薬を販売していたが、接待用に開発したお菓子が評判となったのが広がったそうです。
いまでも、薬のういろうとお菓子のういろうが販売されています。


早めの昼食としてサンマー麺を食べました。
神奈川県民には一般的であるが、決して広がらず多摩川さえも越えられない謎の麺なのです。
要はもやしのあんかけラーメンなのですが・・・
スープだけ飲んでみたら酸味があってとがった味わいでしたが、食べていくうちにあんの中の野菜のうまみと混ざってまろやかな味わいとなりました。
サンマー麺あなどりがたし・・・。

小田原をあとにして、箱根新道を西へ向かいます。

道の駅「箱根峠」からは、

芦ノ湖を見下ろすことができました。

で、その近くにあるのが山中城です。
北条の山城なのですが、この独特の堀が美しい。


詳細はまた後日ということで。


伊豆の国の一の宮である三島大社に参拝し、


静岡市清水区の駿河健康ランドに宿泊しました。


翌日はうってかわって朝風呂に浸かりのんびり朝食をとっての出発です。


駿府城を見学した後、

大井川にかかる蓬莱橋へ行きました。

木造の橋としては世界一でギネスブックにも載っています。

往復するのに40分もかかります。
ちょうど、ぼんぼり祭りとのことでした。

なお、この橋は有料で往復で100円かかります。

料金所です。

最後は掛川城です。この城は天守閣こそ再建ですがなんと現存する御殿をもつ、きわめてめずらしい城なのです。

詳しい、城の説明は別途報告しますが、だいぶため込んでしまったこの頃です
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一乗谷城

2010-05-23 | お城巡り(日本100名城)


一乗谷は、福井市の東南10kmに位置し、朝倉隆景が、文明3年(1471年)に築いた山城、その麓には朝倉氏の館、さらに城下町が形成されていました。
山中ではありますが、戦乱の続く京都を逃れて多くの貴族や学者・僧侶達が訪れ、朝倉文化が開花し、三代100年以上にもわたって栄えたのですが、天正元年(1573年)織田信長によって朝倉氏は滅ぼされ、一乗谷は城内に押し入った信長軍により灰燼に帰してしまいました。
その後、越前を所領た柴田勝家は本拠を北ノ庄(福井)に構えたため、辺境である一乗谷は田畑の下に埋もれてしまいました。

しかし、これが功を奏して一乗谷の遺構は綺麗に残ることができ、大規模な発掘調査も行われました。


一乗谷川の西側には、発掘された石垣や礎石を元に城下町が当時の工法で実物大に復元されています。(入場料、大人210円。販売所で百名城のスタンプを押すことができます。)



庶民の家並です。小さなシンプルな間取りです。



武家屋敷です。、周囲に土塀を巡らし、庶民の数倍の広い敷地ですが、建物自体は質素な作りです。


一乗谷川の西側には堀に囲まれた朝倉氏の館跡があります。


入り口の唐門です。江戸時代中期に再建されました。


山側から整然とした礎石の全景を見ることができ、常御殿・主殿・会所・遠侍・武者溜・厩舎・蔵などの間取りを判別することができます。

庭園の跡も何カ所かあります。



ここから約1時間山登りすると山城なんですが・・・

なぜか道がなくなっていました。

復元町並みまで戻って表示板を見ると、


気を取り直して別経路でチャレンジしてみました。

一乗谷史跡公園センターにバイクを止め、裏手の八幡社脇から登山しました。


こんな山道を1時間ほど登っていくのです。

最初のうちは山菜採りの人がいましたが、やがて人の気配は全くなくなりました。
道はますます歩きづらくなります。
熊出没注意の表示も見かけたのですが、熊対策などしておらず1/3ほど行ったところで残念ながら撤収することにしました。
しかし、こんな山奥につくった城が機能していたのでしょうか。
朝倉館や城下町に攻められても直ちに降りてこられませんし、武器の輸送も大変です。

【おまけ】
福井の名物はおろしそばです。
冷水にさらした黒い田舎そばに大根おろしをのせ、つゆをぶっかけにし、刻みネギ・鰹節をトッピングしてあるのが通例です。
一乗谷到着すぐ、復元街並み南駐車場でさっそくいただきました。

うーん、これこれ!これからの季節お勧めです。

さらに

山登りをして疲れたので、史跡公園センターに隣接した朝倉亭でもう一杯。
もう、食品というより嗜好品であります。

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そうだ京都、行こう

2010-05-20 | ドライブ・旅行

平日の休暇を取ることができました。(突発性腹痛ではありません)
そこで、いくつかの目的を持って京都へ向かうことにしました。
この日はあいにく朝から雨でしたので相棒はプリウスです。

東名阪・新名神と進み、土山PAで休憩。

地元でつくられたお茶を購入。
赤ちゃんからお年寄りまで安心して飲めるということでのネーミングだそうですが、味の方はまあ特には・・・。

名神はリフレッシュ工事で渋滞中との表示でしたが、それはそれ、平日ですから40km/hで進んでおり、たいしたストレスとはならず京都に到着です。

まずは、2番目の目的である二条城へ。

高速1000円+観光立国+歴史ブームで、このところ有名な城は大変な賑わいです。
休日に来ようものならば入場制限を受けることもあるくらいですから、超有名どころは平日ねらいと思っていたのですが・・・。
これがなかなか・・・、修学旅行生と外国人観光客であふれておりました。
まあ、日祝日はもっとすごいと思いますが・・・。

そう言えば、二の丸御殿に入って写真を撮ろうとしたら、ガイドをしていた方に「No!No photo!」と言われました。
撮影禁止の看板が読めない外国人観光客と思われたようで「Oh yeah! Sorry!」とすかさず謝りました。
4月から続けている英会話の練習が早くも役だって窮地を脱することができました。

次は3番目の目的である東寺です。

東寺は正式名を「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」および「弥勒八幡山総持普賢院」と2つもしかもややこしい名を持つそれはそれは立派なお寺なのです。
国宝や文化財の建築物・仏像が多数ある貴重な世界遺産でもあります。

したがって内部は写真撮影禁止なのです。
それに関しては異議はありませんが、拝観料が宝物殿・観智院含めて1,300円というのはいかなものでしょうか。
イルカがショーをやってくれるわけでもないのに・・・。
境内には多くの建物がありますが、その一つ一つの中にしっかり売店が設けられています。お守りやお札だけでなくオリジナルTシャツとか売っているのですが、そんなの国宝の建物の中に要るの?1カ所にまとめたらダメなの?そんなにまでして金をカセがなアカンの?あんたら税金優遇されてんのじゃない? いろいろ疑問がわいてきました。
かつて、徒然草で吉田兼好は仁和寺の法師を皮肉いましたが、なんとなく思い出されました。
とはいえ観智院などは落ち着いた良い雰囲気でおすすめです。


祇園に移動しました。
まずは、昼食をと思い商店街を散策してみましたが、どこもかしこも高い。
○○ランチが軒並み1,000円を超えています。中には2,000円、3,000超えも少なくありません。
一方、通りを歩いているのは修学旅行の中高生とバックパッカーの外国人ばかりですから客の入りは悪いようで、店主が呼び込みをしています。ウエイトレスではなく板前さんやコックが13:00ちょっと過ぎたぐらいにですよ。なんかおかしいのじゃないでしょうか。修学旅行生が集まっている一銭洋食屋は近寄りがたく、王将や天下一品は(いかに本場とはいえ)今更と悩んだ末、蕎麦屋ののれんをくぐりました。

にしんそば(1,100円)
なかなかおいしかったですし、店の雰囲気も良かったから紹介しちゃいます。
                    やぐ羅
      京都市東山区今熊北日吉町61番地 075-551-3840

おなかを満たしたところでいよいよ本日1番の目的地に到着。

七味きらしちゃったんですよ。で、京都までお買い物なんておしゃれでしょ。

新発売の黒八味(七味プラス黒胡椒)を店頭でポテトチップに付けて試食・・・買っちゃいました。


その後、八坂神社に参拝しました。よく考えたら我が家には受験生がいるので今度は北野天満宮へ行かなアカンですね。

ミッションを済ませ滋賀県の水口まで一般道で帰り、水口城を見て帰りました。

どこか二条城に似ていますがそれには理由があります。
二条城と水口城にはいずれまたということで、今回はこのくらいで失礼します。

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福井城・北之庄城

2010-05-18 | お城巡り(日本100名城)

福井城は家康の次男である結城秀康(後の松平秀康)によって築城されました。

完成した城は2km四方におよび、5重の水堀が囲む本丸には4重5階の天守が建てられていたそうです。
軍事的な目的というよりは徳川家の親藩の威光をしめす建物といえますね。

外堀は現在、埋められていますが、内堀は残っており、その中の本丸跡に福井県庁、県警察本部、県会議事堂が設置されています。

立派な御本城橋です。

西側には復元された御廊下橋があります。

御廊下橋を渡ると、山里口御門です。このように石垣の下にもうけられた門を一般に埋め門といいます。

築城が新しいため、石垣は切りそろえられた石が使ってあります。



天守台です。


このような立派な天守閣があったのですが、1669年の大火で消失してからは再建されませんでした。

1948年(昭和23年)に発生した福井地震は天守台の一部を崩壊させました。そのときの爪跡が残されています。



「福の井」と呼ばれる井戸です。もともと北之庄と呼ばれていたこの地でしたが、北は縁起が悪いとされ、この井戸にちなんで福井と改名されました。

福井城の前身である北之庄城は柴田勝家が築き、お市の方と非業の最期を遂げたことで有名ですが、結城秀康が築城した頃にはほぼ跡形なく全く別物と考えられているようです。

福井城址から南へ10分ぐらい歩くと勝家を祀った柴田神社があります。



ここの境内は発掘調査の跡を見られる様になっています。

比較的浅いところには福井城の石垣が出土しています。


深いところからは北之庄城の石垣が見られます。

休憩所を兼ねた資料館もありました。


日本百名城の丸岡城から一乗谷城へ移動する途中ついでに寄ったのですが、なかなか見所があり面白かったです。


                         福井城
                   福井県福井市大手三丁目

                         柴田神社
                                      福井県福井市中央一丁目21-17

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丸岡城

2010-05-15 | お城巡り(日本100名城)


現存天守閣は12城ありますが、もっとも古いものが丸岡城です。

丸岡は福井市の北にある町で現在は合併されて坂井市となっています。
北陸道丸岡ICより2kmであり、平地の中の小高い丘の上に立てられた平山城であるので高速道路からも見えます。
城の北には無料駐車場があり、バイクもその端に止めることができます。

天守閣に向かって歩くと道が2つに分かれています。

左へ進むと歴史民俗資料館へ、天守閣へは右の階段を上っていきます。
天守閣に向かう石段の中程に入場券売り場があります。


料金は歴史民俗資料館と共通券で大人300円、小人(小中学生)150円、開館時間はAM8:30~PM5:00、なんと8:30から入れるので城廻のはしごにはありがたいかも。
なお、ここで百名城のスタンプを押すことができます。



北陸地方では唯一の現存天守閣です。

天守閣の内部です。


階段は、はしごに近いかなり急ななものです。


丸岡の町が一望できます。


笏谷石の瓦は、この城だけの珍しいものです。

丸岡城は柴田勝家の甥である勝豊によって築かれましたが、石垣が何度も崩れてうまく積めませんでした。
そこで、人柱を進言するものが現れました。
このとき目を付けられたのが二人の子を抱えて苦しい生活をしているお静という女です。彼女は息子の一人を侍に取り立てるという条件で申し出を承諾し埋められました。
ほどなく天守閣は完成しましたが勝豊が移封されてしまったため約束は守られませんでした。
それからというもの堀の藻刈りを行う頃になるときまって大雨が降り水があふれるようになり、「お静の涙雨」と呼ばれるようになりました。
これを鎮めるためにこのお墓を建てたそうです。



この城ができた頃、一向一揆の残党に攻撃を仕掛けられることがしばしばあったが、そのたびにこの井戸から大蛇が出てきて霞をかけて城を守ったそうで、別名「霞ヶ城」と呼ばれるゆえんだそうです。

石垣は野面積みと呼ばれる原始的なものですが、大きさが不揃いの手目登りにくく、排水性も優れた積み方です。

石垣は天守閣の下、何段にも積まれています。


歴史民俗資料館です。

ここに展示してあった往事の丸岡城の模型です。ガラスが反射してうまく撮れません。

堀のあったところは埋められて公園になっていました。


                   丸岡城
            福井県坂井市丸岡町霞町1-59

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大野城(尾張国海東郡)

2010-05-11 | お城巡り(その他)


先日、尾張国知多郡(現常滑市)の大野城を訪問しましが、
大野城は、日本中のあちらこちらにあります。
その中でも越前大野城(福井県大野市)の城下町は、美しく落ち着いたたたずまいで大好きなところでもあります。

わが愛知県だけでも、大野城は3カ所あるのです。
その1つは自宅近所のはずなので行ってみることにしました。

事前にグーグル・マップで位置を調べてみて、びっくり!
なんと、高校時代このすぐ横の道を使って通学していたではありませんか。
当時は全く城など興味がなかったいえ、おどろきです。

明智光秀・柴田勝家を破った羽柴秀吉でしたが、織田信雄(信長の次男)・徳川家康と対立し、小牧・長久手の戦いが発生してしまいます。
この戦いの最終局面がこの近辺の蟹江城(海部郡蟹江町)を中心にして、おこった蟹江合戦と呼ばれるものです。

もともと大野城は蟹江城の支城としてつくられ、徳川側の城でした。
しかし、秀吉は蟹江城を味方に付けてしまいました。
大野城主の山口重政は母親を人質に取られましたたが城を守りきり、蟹江城も取り返すことができました。
この戦いが小牧・長久手の戦いの決着をつけ、和議となったといわれています。
ゆえに秀吉は、この後に天下統一を成し遂げるのですが、家康に一定の地位と力を授けざるを得ませんでした。
この地での戦いが江戸幕府成立につながると思うと感慨が深いです。

蟹江合戦の翌年の天正十三年(1585)大地震により大野城は崩れ落ち、その大部分は地中に埋まってしまい、廃城になりました。

このあたりは水郷地帯であり、河川が堀の役割をしていたことが容易に推定できます。

現在では、田んぼの中に記念碑が建っているだけです。

大野城
愛知県愛西市大野町郷前218

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映画を見て思ったこと

2010-05-07 | 映画

GW中に二回映画を見に行きました。

1つは「タイタンの戦い」です。
5/1は映画の日いうことで1000円で見てきました。

感想はというと・・・う~ん、どうかな、3D版はきっと迫力があったと思いますが、それを意識しすぎているように思います(私が見たのは通常版です)。

それよりも映画半ばあたりからトイレに行きたくなりました。
ひたすらエンドロールまでこらえていたので、集中して楽しめませんでした。

加齢に伴いトイレが近くなったのでしょうか。
でも、こんなことがたびたびあっては困ります。
帰宅してから、「映画 トイレ」でネット検索してみました。
すると、ヒットするわヒットするわ、悩んでいる方がいっぱい見えるようです。

それで、わかったこと。
私なんか、随分軽症であること。
映画を見る前に気をつけなければならないことがあること。
今回はことごとくそれに反していたこと・・・です。

トイレが近い人が映画を見る前に注意すべきこと。

① 水分をとりすぎない。利尿作用があるコーヒーは飲まない。
→この日、家を出る前にコーヒーを1杯、さらに映画を見ながら1杯飲んでいました。

② 暖かい格好をする。
→暖かくなったとはいえ、朝イチはまだ涼しく、バイクできたので下半身が冷えてしまいました。
さらに、室内もやや寒く、となりに座った女性が相方の男性に「さむいね。毛布かりてきた。あなたも借りてきたら?」と話していました。
「そうしようかな?」と思いましたが、他人の会話を聞いて動き出すのもなんだか変であるし、そのうち暖かくなるからっと思っていました。

③ 事前にトイレへ行く。
→これはしました。しかし、きつめのジーンズをはいていたので、締め付けられていたのもいけなかったと思っています。


次に5/5、家族で「アリス・イン・ワンダーランド(3D版)」を見に行きました。
今度は、
① 朝から一切コーヒーを飲んでいません。
② 少し動くと汗が出そうなくらい厚着をしました。
③ ゆとりのあるズボンをはいていきました。

結果、全くノープロブレムでした。
結局、頻尿というほどではなかったみたいです。
心配して損した、というか精神的なものも大きいみたいです。

ところで、3Dといえば例の眼鏡をかけるわけなのですが、もともと眼鏡をかけている人はさらに重ねてかけねばならずこれがとても煩わしい。
そこで、考えた方法がこれです!

試してみたら、コレがなかなかいい!
どうせ映画館内でくらくてわかんないからこの際見た目は気にしないです。

で、映画の感想ですが、この作品と3Dはよく合っていました。
スピード感もあり大人も子どもも楽しめる作品です。
ジョニー・デップは名演ではありましたが「チャーリーとチョコレート工場」の役とかなりかぶっていたような気がしました。

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英語5分間トレーニング

2010-05-03 | なにげない日常


4月より英語を勉強しています。
きっかけは、この春中学に入学した長男はNHKラジオの「基礎英語Ⅰ」を勧めたことにあります。
私も一発奮起してテレビかラジオの語学講座を始めようと思った次第です。

別にたいした話ではありません。
やり始めるだけならば、

大変なのは続けることなのです。
過去に私は4度も挫折したのです。

最初は、中学1年の時の「基礎英語」です。
早朝の放送は同じ部屋で寝ていた弟がいやがり、夜の放送は部活で疲れて寝てしまい、満足に聞くことができませんでした。

時を経て、井川遥がアシスタントをしているということだけで「テレビ フランス語講座」に挑戦したことがありました。
しかし、フランス語って文字と発音がイマイチ重ねて覚えられず挫折しました。

その翌年、今度は吉岡美穂がアシスタントをすると聞き、「テレビ フランス語講座」に再挑戦しました。
フランス語講座よりは長続きしましたが、やはり途中挫折です。
このとき考えたのは、第一外国語である英語が満足にできないのに他の言語の習得はできないということでした(ちなみに大学ではドイツ語を履修していました)。

で、「100語でスタート!英会話」という番組にチャレンジしました。
これは月~木、10分間テレビで放送されていました。
ビデオに録画して時間があるときに勉強しよう手思っていたら、どんどんビデオテープがたまるばかりでこれもギブアップしてしまいました。


ところがところが、今回は1回も欠かさずに1ヶ月続けることができています。
これには理由があります。

理由1;ホームページ
NHKの語学講座は先週の放送分をホームページで聞くことが可能です。
これにより、いかなる時刻でも学習することが可能となりました。
しかし、毎週月曜日には翌週分に入れ替えられてしまうので、どんどんため込むことはできません。
この奔放と切迫感が私に合っていたようです。

理由2;講座の時間と内容
今回選択したのは「英語5分間トレーニング」です。
予習を含めても10分かかりません。したがって、毎日時間を見つけてできます。
15分番組ですと予習とあわせて約30分かかります。そうなると忙しい平日はついつい後回しにしてしまうのです。
また、1週間毎日あるのもいいです。フランス語会話・イタリア語会話は1週間に一度でしたからなかなか身につきませんでした(しっかり復習していればそうでなかったのでしょうが)。
また、今回の内容は高校1年程度のものであり、テキストの内容もおおむね理解できていますので予習といっても時間が関わらず、これも良かったと思います。

橋吉の英語は、典型的な日本人のパターンで、読み書きはある程度できた(あくまで過去形です)のですが、話す聞くはからきしダメです。
1ヶ月では劇的な進化はありませんが、若干慣れてきたように思います。
舌も回るようになりましたし、少しは聞き取ることができるようになりました。

そろそろ、中だるみしそうなのでブログに書き込んで喝を入れたいと思っています。

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探すのをやめたとき、見つかることはよくある話で・・・(井上陽水氏談)

2010-05-01 | なにげない日常


ない!ない!ない!
USBメモリーがない!

探す!探す!
机の引き出しを探す!
カバンの中を、服のポケットを、パソコンの周りを探す!

見つからない!見つからない!
落としたのかな?見つからない!
個人データは入ってないけど、職場で支給されたものだから始末書もんかな?


よかった!よかった!
半ばあきらめかけていた数日後、ひょこり出てきました。よかった!
ズボンのポケットの中からです。
ハンカチの中に挟まっていて気がつかなかったようです。

 

ギャルの携帯みたいにでかいマスコット付きストラップを付けなアカンですね。

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