橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

中馬のおひなさん

2013-02-24 | ツーリング

「中馬のおひなさん」は、足助(現豊田市足助町)に古くから伝わるおひなさんを飾り、人々に町並みの散策を楽しんでもらうというイベントです。

なお、中馬街道は三河湾でつくられた塩を飯田・伊那へ運ぶための塩の道です。 
足助には塩問屋があり、荷直しされていたそうです。

何年か前からこのイベント気になってはいたのですが、なかなか行けませんでした。

理由は、
①  この時期はいろいろ忙しく、出かけられなかった。
② バイクで出かけるとなると、寒そうだし・・・
   →足助は山の中ですから・・・
③ クルマで出かけると、渋滞が心配・・・だからです。
   →足助には紅葉の名所の香嵐渓がありますが、1本道なので、シーズンは大渋滞します。

しかし、
①に関しては、今年はクリアできそうです。
②と③については、SevenFiftyさんより
「名古屋より1、2度気温が低いですが、バイクでも大丈夫ですよ。」
「紅葉のシーズンを思えば全然混雑は無いですよ。むしろ適度に人出もあれば、通りやお店も華やかです。」
とコメントをいただき、背中を押していただきました。

この日は日曜日でしたが、渋滞は全くありませんでした。
駐車場もたくさんありました。紅葉の季節に対応して余裕があるようです。。
足助支所に駐輪


たしかに1、2度気温が低いだけでしたが、この日の名古屋の最高気温は5度ですから・・・
ただ、山中なので風の影響は少なく体感温度はさほどではありませんでした。
むしろ、知多半島の方が伊勢湾を抜けてきた北風が冷たいくてつらかったなぁ。

とはいえ、とりあえず暖まろうっと、


鉄鍋の味噌煮込み

集落の入り口にある玉屋

ひとつめのおひなさんみっけ!

SevenFiftyさんのコメントどおり適度な人出です。

つるし雛

かぐや姫がモチーフ?


まねきねことコラボ


土人形とコラボ


青い眼の人形とコラボ


七福神とコラボ


草履とコラボ


お酒とコラボ

主役がお米になっている?

大正後期のおひなさん

昭和の初めに流行った御殿造りのおひなさん

棚だけでなく、衣装も屋久杉を編んで作られています。

おひなさんとともに町を飾っていたのがこれ

高山では「花餅」とよんでいましたが、ここでは「餅花」とよぶようです。

マンリン小路にも

麩菓子とコラボ


・・・・・・・・・

「たんころりん」みっけ!
たんころりんとは、竹かごと和紙で作った円筒形の行灯のことで、足助では毎年8月の夜に街道沿いに並べ、夏夜の情緒を演出します。


愛知県ですから、もちろん赤味噌です。
臭みもなく、おいしかったです。
(ちなみに、橋吉のイメージでは赤味噌は「ぶたじる」、白味噌は「とんじる」です。)


zizi工房って、テレビで見たことあるぞ


「うまい、こんなうまいフランクフルト食べたことがない。」


「いなりうどん」って何?
気になりましたが、お腹いっぱいのため次の機会に調査しよっと

さあって、ひと風呂あびて、暖まって帰りましょうか。

たしか、温泉があったはず・・・・


そうそう、岩神之湯・・・・

でも・・・・

なんか変だぞ?


えー!
残念

中馬のおひなさんはいいイベントですね。
温泉に入れませんでしたけど、なんとなく暖かみが感じられました。
適度な賑わいですから、家族連れでも、デートでも楽しめるのではないでしょうか。
食べ歩きも楽しそうです。
また、来年行きたいと思っています。

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新兵器投入?

2013-02-22 | バイク

知多四国八十八箇所めぐりには、スマホを使っています。
無料アプリの「お遍路ーるα」


地図上に霊場が表示され、「お参り済み」の管理もできます。
全国のいろいろな霊場巡りに対応している優れものです。

また、Google Mapと連動させ、ナビになります。

ただ、私のカブはスマホを固定する場所がなかったのです。

マウントシステムを取り付ければいい話ですが、
・カブはパイプハンドルでないので、取り付けの自由度が低い。
・それでも、ミラーステーを利用する手があるのですが、橋吉カブはバイザーのステーやグリップヒーターのコントローラーを挟み込んで忙しい状態である。
・あと、通勤や近場の買い物などが主な使用目的であるカブは、ナビが必要になることが少なく、マウントが空の状態が多くなる。
・それは見た目的にかっこよくない  のです。
そもそも、実用本位で購入したスーパーカブなんですが、意外や意外、女子のみなさんの受けがよいのです。
特に、おしゃれな前カゴをつけてからは、信号待ちのさいにギャルの視線をアツく感じます。
これは思い違いではありません。
なにしろ、シルバーウイングではまったく感じません。たまに感じるのはオッサンや小さな子どもの視線ぐらいです。

そんなこんなで、スマホを前かごに放り込んで使っていたりしていましたが、見にくいは、動き回るは使いにくいったらありゃしない。

しかし

このたび、新兵器を投入しました。

パパパッパパー
「スマートフォン用アームホルダー」

バイクに固定するのではなく、発想を変えてライダーに固定すればいいのです。
そこで、ネットで、腕に取り付けるホルダーを調べてみたら、あるわあるわ・・・

価格は失念しましたが、ボンビー橋吉でもぽんと買える程度だったはずです。
商品のうたい文句は、
「画面が見える 操作ができる」
 →タッチパネル操作が可能な透明フィルム
「イヤホンが使える」
 →背面に差し込み口があります
「腕にフィット」
 →伸縮するストレッチ素材
「ラージサイズ」
 →大型のスマートフォンも収納可能

とありますが、はたして使い心地はどうでしょうか。

で、インプレです。


まず、画面の見やすさはまあまあかなぁ
走行中のチラ見はキツイですが、信号待ちでチェックする分には充分です。

ただし、操作はできません。
「ホルダー」に入れた状態でも指で操作できます。
また、現在使用している「革手袋」ははめたままでもスマホが反応してくれます。
しかし、「ホルダー+革手袋」は反応してくれないのです。
ですから、「ホルダーから取り出す」または「革手袋をはずす」のどちらかを操作が必要となってしまいます。
これは大きな、マイナスでした。

腕につけて重いとか、ハンドル操作がしにくいとか違和感は一切ありませんでした。
運転しているときには・・・・
降りて歩くと、重いのです。
腕時計なんかとは比較にならないのです。慣れの問題かも知れませんが。
また、でかいのでどう見てもかっこわるい。
となると、バイクを乗り降りするたびに着脱するのですが、それは面倒です。これも慣れの問題でしょうかね。

ということで、今回の総合評価は
イマイチ
でした。

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知多四国八十八箇所 その21

2013-02-19 | 知多四国八十八箇所巡礼

43番【大悲山 岩屋寺】知多郡南知多町大字山海字間草109番地
もともと天台宗の寺院でしたが、1949(昭和24)年独立、現在は尾張高野山宗の総本山として末寺20、教会79を擁しているそうです。


山門


立派な水盤舎


本堂
ご本尊の横に大師様が祀られています。
納経所はこの中です。
あせて番外霊場 奥之院の納経印もいただけました。


阿弥陀堂


経蔵


薬師堂


袴腰鐘楼


客殿


稲荷社


境内にはうどん店もありました。


裏山には大師ヶ岳八十八ヶ所霊場という霊場が設けられています。


文化年間(1804~1818年)、中興の祖である豪潮によって開眼された五百羅漢像が斜面にびっしりと置かれています。


しばらくミニ登山です。


山頂には弘法大師37歳のときの大きな立像ありました。


次は番外霊場の奥之院です。
岩屋寺から300mほど山の中に入っていくのですが、途中に「中の院」がああり、そこには

案内板によれば、軍人像のほとんどは昭和12年上海上陸作戦で戦死した名古屋第三師団歩兵第六連隊の兵士達だそうです。
めいめいのご遺族が戦没者の一時金をもって写真を基に造らせ建立したものだそうです。
戦後、進駐軍が取り壊しを命じましたが、僧侶が「国のために死ぬということはアメリカも日本も変わりはない。あれを日本人の手で壊すことはできない。どうしても壊すというなら我々をこの場で銃殺した上であなた方が行って壊せばいいだろう」と頑張り壊されずに済んだということです。
手を合わせざるをえませんでした。


番外霊場【岩屋山 奥之院】知多郡南知多町大字山海字城洲62-2番地


43番霊場「岩屋寺」からは300mほど徒歩で行けますし、大師ヶ岳霊場から向かう道もあります。
山に向かう細い道ですが、駐車場も用意されています。


山門


開山堂を背にして祀られている寿妙上人像


突然目の前にあらわれる朱塗りの三重の塔
じつは、コンクリート製


三重塔の横に建つ納骨堂


本堂
岩山に巌窟があり、それをおおう形になっています。
808年弘法大師は、ここで百カ日の護摩修行をして自身の像を岩窟に納めたそうです。
また、ここは知多四国で唯一のおこもり行所です。
三日三晩参篭して毎朝のお掃除で身を清めるのです。
さすがに、そこまではしませんでしたが・・・


くるま六地蔵
以前、篠島で見かけた「くるま六地蔵」がここにも置かれていました。


女人堂
現在では、本堂も女人禁制ではないようです。



霊感の強い人には近寄りがたい雰囲気が漂っています。

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知多四国八十八箇所 その20

2013-02-17 | 知多四国八十八箇所巡礼

伊勢湾を左手に海沿いの道を走ってきました。


41番【松原山 西方寺】知多郡南知多町大字山海字屋敷51番地


山門


本堂


唐破風造り
天守閣の屋根みたい


弘法堂
めたたき弘法とよばれ、眼病に御利益があるそうです。


魚供養碑
目の前が海の寺にふさわしいですね。



41番より山の方へ移動しました。
知多半島は、少し移動しただけで海辺から山里に風景が一変します。


42番【瑞岸山 天龍寺】知多郡南知多町大字山海字小山100番地山門


山門


本堂


弘法堂


薬師堂
たくさん前掛けがありました。


鐘楼はなく、台座の上に梵鐘が置れたまま


42番札所です。
男姓の本厄は42歳ですから、厄除け大師ともいわれています。


(続きます)

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知多四国八十八箇所 その19

2013-02-15 | 知多四国八十八箇所巡礼

知多半島は愛知県西部(尾張)から真南に伸びています。
知多四国は、その付け根である豊明市から時計回りに札所が設けてありますが、
巡礼の順番は決まっておりません。
好きなように回ればいいのですが、番号順に時計回りに廻ることを「順打ち」、逆順に反時計回りに進む事を「逆打ち」とよび、この2パターンが多いようです。

橋吉は基本的に「順打ち」に回っています。
これは、達成率がわかりやすいこと、
後半戦はだんだん自宅に近づくこと
でモチベーションを保つことができると思ったからです。

さて、今回は時計の6時の位置、すなわち一番自宅から遠い場所からのスタートとなります。

いつものようにカブ110で向かったものの、2時間半もかかってしまいました。
理由は2つ、
まず、この日(2月11日)は祝日でしたが、操業している工場も多かったようで、名古屋港臨海工業地帯を抜ける国道23号線は、普段の土日より混んでいたため、
さらに、風が強いため、いつもより抑えめのスピードで走らざるをえませんでした。

11時半、豊浜に到着。
時間が時間ですから、まずは昼食をとることにしました。

ところが、前夜、中京テレビの人気グルメ番組「PS」で知多特集をしていた影響か、この日の豊浜は大渋滞。
まるは食堂なんか、何百mもの駐車場待ちのクルマの列!
魚広場も大盛況

こんなときのため、あらかじめ下調べしてあった蕎麦屋へ向かいました。


                   そば処 ともゑ庵  
          愛知県知多郡南知多町大字豊浜字半月39-5
               営業時間: 11:30~16:00
                定休日: 火曜・第3水曜

福井で修行した店主が打つ蕎麦は、おろし蕎麦とざる蕎麦の二品のみ
この日は気分で、ざる蕎麦を選択。天麩羅もお願いしました。

いやあ、久々においしい蕎麦をいただきました。
福井の蕎麦は黒くて太い田舎蕎麦、それはそれで好きなんですが、ここのざる蕎麦は更級系に近い上品なものでした。見た目も歯触りも味も。
天ぷらは取り立ての魚を・・・というものでしたが、野菜の天ぷらも素材の香りをよく活かしたおいしいものでした。
こんな店が近所にあったらなあ・・・

さて、身も心も温まったところで、巡礼開始です。


番外霊場【青泰山 浄土寺】知多郡南知多町大字豊浜字小佐郷1番地


山門


本堂


本堂内に大師様は祀られています。


龍亀堂
本尊は薬師如来ですが、明治時代、海岸に打ち上げられた赤海亀を
「龍亀大菩薩」として祀っています。


原寸大の亀の像


亀の石像の近くにある洞穴。
どなたがおまつりされているかわかりません。


お不動さん

「お亀さん」と慕われているお寺です。
漁港の町らしいですね。


40番【普門山 影向寺】知多郡南知多町大字豊浜字中之浦84

山門らしきものがありません。

となりの保育園の玄関に利用されているのでしょうか。



本堂

立川流の建築物であるとかかれていました。


立川流とは、鎌倉時代に仁寛によって開かれ、南北朝時代に文観によって大成されたとされる密教の一派で、江戸時代の弾圧によって断絶。現在には伝わっていないというのが定説だそうです。



弘法堂


子安観音霊場






十二支守御本尊八体

いまさら子宝は関係ないかななんて思ってしまいました。
よく考えれば、二人の子を授かったことに感謝しなければいけませんでした。

本堂屋根葺替旧鬼瓦


(続きます)

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粉瘤始末記(後編)

2013-02-07 | 健康

1・29(火) 
いつもどおり仕事へ行く。
しかし、気になるので、こっそりネットで「粉瘤」摘出手術なんて検索してみる。
費用が15,000円~20,000円なんてある。
まずい、財布の中には17,000円しかない。

夕方、いったん帰宅し財布の中身を補填する。

そして、予約時刻の15分前に到着。
待合室に外来客はなく、すぐに案内されてしまう。

いつものように看護師からベッドにうつぶせに寝るように言われる。
いつもと違うのは、眼鏡を外せと言われたのと、上半身裸になるように指示されたこと。

ただ、さすがにこの季節だから、肩に毛布を掛けてもらった。
ガーゼが取り除かれ、患部が消毒されたところで、先生登場

「まず、これを入れて大きさを測定します」と言って、針金みたいなものを見せられた。
げげぇ~こんなもん差し込まれるの~、とびびりまくる・・・
「ちょっと、チクッとしますよ~」
言葉どおり、ちょっとチクッとしただけですんだ。よかった~

「麻酔を打ちます」
普通に痛い、少しずつ5か所ぐらいに注射を打たれたもよう

「でははじめます」
麻酔注射されて1分もたたないのに、すでに効いている。
幸か不幸か(幸運なんだろう)背中だから、何をされているのかわからない。
感覚的にはセロテープを貼られ、それをはがさない程度に引っ張られているような感じ

ときどき、患部をガーゼで押さえつけられているのがわかる。
おそらく出血しているのだろうが、切開したところをかなり強く押さえられる。
麻酔してなければ、卒倒しているところだろうが、全く痛みはない。
「麻酔が効かない体質の人はたいへんなんだろうなあ」なんて考えてみる。結構余裕がある。

「ようし出た出た」と先生、続いて
「手術は終わりました。あとは縫うだけです。」と看護士さん

不思議なことに糸で引っ張られる感覚はよくわかる。
もちろん、痛みはないのだが

すべて終了し、シャツを着た。
「取り出した組織を見ますか?」と看護士さんに尋ねられ、YESと答える。
理学部生物学科卒の私はこの手のものに対して全く抵抗がない。

摘出された粉瘤は、真っ白な青虫のよう、それも半分ひからびた、いたく貧弱なものであった。
人によっては金柑ぐらいの大きさになることもあるそうだが、私の場合こんなものまで貧乏くさいのか、まったく。
ふと、これは大きくなったり、小さくなったりするのではないだろうかという疑問がわき、「摘出しないで、ほっといたらどうなりますか?」と先生に質問してみた。
「どうにもならない。ただ、腫れたり治ったりを繰り返すだろう。気づいていない人もたくさんいるよ。」とのことであった。

無事手術が終わり、会計を済ませる。
4,270円、20分の事であった
野戦病院は安い、そして速い。

さらに、薬局をへ行き、処方された薬をもらう。
抗生物質と痛み止めと胃薬であった。
朝昼晩、3日間で良いそうだ。

先日の美人薬剤師さんが「今日はどうされたのですか。」と、訊いてきたので、
「手術を受けてきたのです。」と意味もなく自慢げに答えてみた。

帰宅して、夕食を取り、麻酔が効いているうちに寝ることにした。

早く寝たので、当然夜中に目が覚める。
この日は基本横向きに寝たのだが、そのときに痛みはない。
でも疲れて、仰向けになると手術跡がじんわり痛む。
たいしたことはない。眠気の方が勝るくらいであるが、傷口にとって良くない気がしてまた横向きに寝る・・・なんてことを繰り返し、睡眠時間が長いわりにはぐっすり感はなかった。


1・30(水)
わずかに手術跡が傷む。
転んで膝小僧をすりむいた感じに似ている。
その程度なのでいつもどおり仕事へ行く。

水曜日は午前中だけの診療なので、職場を中抜けさせてもらって見せに行った。

経過は順調なようで、入浴の許しを得た。
ここのところ、体をお湯で拭いて済ませていたので、とてもうれしい。

来週の火曜日、抜糸の予定。

この日は仰向けの姿勢でぐっすり寝られた。


2・3(日)
日を追うごとに痛みや患部のつっぱり感が少なくなっていく。
いや、日常生活のほとんどの場面において、手術跡を気にすることはない。
ただ、ときどき、わずかな痛みが生じ、そのときだけ意識してしまうのだが、その頻度もだんだん少なくなっているようだ。
この土日は、ツーリングに行きたくてうずうずしていた。
おそらく、外出しても何の問題もないのだろうが、大事をとって自宅でごろごろしていた。

買い物以外は、ビデオを見たり、ネットを見たりしていたのだが、なぜか不思議と肩がこる。

そう言えば、いつもつけていたピップ マグネループを、手術前に外して、そのままにしていたのに気づいた。
こうして考えると、マグネループは効果があるようである。


2・4(月)
いよいよ抜糸の日
しかし、こんな日に限って、仕事が山積みで、帰られない。

しょうがないので「ちょっくら、抜糸してもらってきます」と言って、しばし職場を中座。

幸い待合室には誰もおらず、すぐに処置室に案内される。

パチンと糸を切る音
つづいて、スッと糸を抜く感触
これが三回繰り返された。

どうやら三針縫われていたらしい。
なにしろ、この日まで怖くて手術跡を見ていないからどうなっていたのかも知らない。

先生曰く「はじけるおそれがあるので、一週間ぐらい乱暴な事はしないでください。」
「特に、あなたははじけそうな体つきだから・・・」
(また、余分な事を・・・)

とはいえ、これで無事終わったようだ。
背中を見ると、まだ赤みはあるが、これはだんだん薄れていくだろう。
よーく注意してみると縫い目跡が見える。
これからどうなるかわからないが、傷跡は、まあ消えなくてもかまわないと思っている。
とにかく、すっきりしてよかった。

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粉瘤始末記(中編)

2013-02-07 | 健康

1・25(金)
仕事を早めに終えて、ガーゼを交換してもらう。
先生によれば、病名は粉瘤(ふんりゅう)というそうだ。
皮膚には皮脂腺といって、脂を分泌する部分があり、このおかげで保湿する事ができる。
ところが、この出口が何らかの原因でふさがり、内部に脂がたまってしまうとふくらんできてしまう。
このこと自体良くある事で、放置してもかまわないのだが、脂は雑菌にとっては栄養なので、感染して腫れる事がよくあるらしい。
したがって、根本的解決としては、つまって袋状になった腺を切除する必要がある。

膿が出なくなったところで、段取りを相談しましょうという事になった。
これだけ、処置・診察してもらって350円なり、安い!

ところで、何もしなければ大丈夫なのだが、患部を押さえるとわずかに痛む。
日常生活でとくに支障はないのだが、車を運転すると痛みを感じる。
背もたれが患部にあたるのだ。
避けようとするが、なかなかうまくいかない。
体重を背中全体にうまく分散させているのだろう。
プリウスのシートなんかダメダメと思っていたが、けっこう考えて設計されている事に気づいた。


1・26(土)
この外科は土曜日の午前中も診察している。
ただし、いつもの軍医殿ではなく青年の先生が担当である。
この日もガーゼを交換してもらう。
切られたところに消毒用の小さなガーゼがあてがわれ、さらにその上から大きなガーゼがテープで固定されている。

小さいガーゼを取り替えるときに、わずかながら痛みを生じる。
いつもの軍医殿にくらべ、今日の先生は痛かった。
やはり、軍医殿は名医であったか。

翌日曜日は休診であるため、自宅で外側のガーゼだけ交換してほしいと言われる。
「ガーゼ・テープ・消毒薬はありますか。」と看護師さん
「消毒薬はない。ガーゼとテープはあった・・・・・かなぁ?」
「んじゃ、消毒薬を出しておきます。恐れ入りますがこちらは実費となります。」
はたして、会計では消毒薬100円分上乗せされ、450円であった。

不必要な薬品などを押しつけないこの姿勢、気に入った。


1・28(月)
本日も診察へ行く。
膿はもう出なくなったので、いよいよ粉瘤摘出手術を受ける事にする。
「手術いつがよいですか」と看護士
「べつにいつでもいい」といったん言いかけたものの、改めて
「早い方がいいです」と答える。
この季節、いつ風邪やインフルエンザを拾うかわからない。健康な今のうちに済ませてしまおう。

「では、明日の19時20分に来てください。この同意書に記名・捺印してもってきてください。」
「え!今日の明日・・・」
しかし、この判断は正しかった。
なぜならば、翌日、手術を受けるまで気持ちが重かったからである。
この、憂鬱な思いが短期間であった事は、今振り返ると幸いであった。

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粉瘤始末記(前編)

2013-02-06 | 健康

(これまでのいきさつ)
昨年、4月末、背中に大きなふくらみのある事に気づきました。
触ると鈍い痛みを感じますが、ほっておく分には何も感じません。
ただ、急な事なので気になり皮膚科で診察を受けました。

病名は「おでき」
皮膚の腺に雑菌が入り、炎症を起こしているようです。

それ以降、何度か皮膚科に足を運びました。
その都度、患部から膿を出し(先生が指でつぶして出すので結構痛い)、化膿止めに抗生物質が出されました。

徐々にできものは小さくなり、1ヶ月でほとんど目立たなくなりました。
先生の説明では、
・皮下に脂肪のかたまりがある。
・放置してもかまわないが、
・再び、今回のように雑菌が入って膿む可能性は高い
・皮膚科ではこれが治療の限界なので、次回は外科で切除してもらうとよい
とのことでした。


はたして、皮膚科の先生の予言は的中し、再び背中にできものができてしまいました。

ここからは、ドキュメントで、

1・16(水)  
ふと気づいたら、背中に腫れ物がある。
スマホのムービーで撮影してみたところ、虫にさされたようになっているが、まちがいなくおできの再発である。
ほっとくぶんには痛みはないが、触ると痛いといった程度
ひょっとしたら、自然にひいてくれるかもと一縷の望みを託し、オロナイン軟膏を塗って様子を見ることにした。


1・17(木)~1・23(水)
いったん、腫れは小さくなったようにも思えたが、数日の事で、またもとどおり。
日によって大きくなったり、小さくなったりしているようだし、朝晩でもちがうようだ。
なかなか医者へ行く気が起きないのは、いままで病院とは無縁な幸運な人生をおくってこられたためで、
「こんなことぐらい、大騒ぎしておおげさだ」とか、逆に
「何で早く見せに来なかったのか、こんなにひどくなってから来て・・・」いわれたら嫌だなぁなんて思ったりして・・・
ただ、医者も商売だから後者はあっても前者はないかぁ
意を決して、外科へ行くことにする。


1・24(木)
決意はしたものの今まで外科というものにいったことがないから、どこへ行ったら良いかわからない。
整形外科ならば二度ほどお世話になっているが、
そこは診てもらうたびに福袋のように湿布や包帯をいっぱい詰め合わせて出すのである。
で、そんな甲斐あって、小さな町医者だったのが、いまやリハビリ+老人ケアホーム+介護ステーションを併設する一大医療グループに成長してしまった。
そんな医術は算術みたいなところへは行きたくない。

結局、通うのが便利ということで通勤路の途中にある開業医を選んだ。
建物は毎日見ているが、中に入るのは初めてである。

午後6時、仕事を終え、いよいよ突入。

初診なので受付で住所・氏名・電話番号などひととおり記入する。
さらに、病状・および経過に関しては的確かつ簡潔に記入した(ただし主観的に見て)。

待合室には5人ほど座っており、小1時間待つことを覚悟したが、10分も立たず名前を呼ばれる。

診察室に向かって歩き出したところ、
「治療室にお願いします」といわれ、隣の部屋へ、
ベッドが3台並んでおり、一番奥に案内される。

うつぶせになり、シャツをめくって背中を出すように看護士より指示される。
直ちに、アルコールで患部を消毒される。

ここで、先生登場
「ここですか」と患部を確認するとすかさず「麻酔注射します」
「えー、もう切るの?」と驚いていると、すかさず、
「腫れているところに注射しますので、痛いですけど我慢してくださいね。」
と恐ろしいことを宣う。
しかし、この先生、注射が上手なようで2カ所打たれたが、さほど痛くない。
年末、打ったインフルエンザ予防接種より痛くないぐらい。
このあとは、感覚がなくなったのと、背中という事で何をされたかよくわからないが、おそらく、メスを入れて、膿を取り出したと思う。
とにかく、数分間の話だった・・・

おきあがって、シャツを着てはじめて、先生の顔を伺う。
医者というと細面でインテリっぽいという固定概念があったが、この人は違う。
坊主頭で髪と同じくらいのひげを生やしている。
小柄だが、がっちりした体格で、眼光鋭く、野武士というか軍医というか?
なんと、立ったままカルテを書いておられる。

「風呂に入ってもよろしいですか。」と質問したところ、
「濡らさないように、こうして・・・・・、がはは無理だなあ。まあ辛抱してください。」と豪快である。

処置を終え、再び待合室へ、このとき気づいたのだが、
ここは診療時間よりも会計の待ち時間の方が長いのである。
いや、けっして会計がのろまなわけではない。標準である。
診療がむちゃくちゃ速いのである。

患者は3台のベッドのうち、あいているところに案内され、準備ができるとすぐ処置を受ける。
看護師が「次は2番です」とか言って、てきぱきと指示を出している。
野戦病院のようなところへきてしまった。

化膿止めの抗生物質が3日分それと痛みがあるときにとんぷくとして痛み止めが処方される。
すぐ、隣の調剤薬局へ行ったのだが、これまた驚いた。
3人ほどいる薬剤師さんが皆きれい、かつ知的なのである。
私の身の回りには、あまりいないタイプである。

結局、この日は風呂も入らず、酒も飲まず、早々に寝る事にした。
麻酔が切れたと思われる時間になっても、痛みはなく、ぐっすり寝る事ができた。

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知多四国八十八箇所 その18

2013-02-02 | 知多四国八十八箇所巡礼

日間賀島に到着しました。

島の名物であるタコがお出迎え

西港付近は、島で一番の繁華街です。

日間賀島には、西港・東港の2つの港がありますが、目的地の37番霊場大光院は、東港の近くです。
フェリーの時刻の関係で西港から上陸しましたので、ここから東港へ向けて移動しなければなりません。


とはいえ、小さな島なので20分ほど歩くだけです。


賑やかな西港に対し、静かな東港


お出迎えのタコさんは同じ・・・・・・・・よく見ると、扇を持つ手が逆


37番【魚養山 大光院】知多郡南知多町日間賀島


東港から少し歩くと通用口と書かれた石柱が目に付きました。


坂を登ると境内なのですが、


なぜか、おみやげ屋もあったりします。


あらためて山門から入り直しました。



本堂

参拝を終えて、東港へ戻ってきました。
ちょうど、高速船が出航するところでした。
走れば間に合いそう・・・・・・・・・
まてよ、10代・20代の私ならば間違いなく間に合うだろう。しかし50のメタボおやじではどうだろうか。そもそも船まで全力疾走できるのか?

なんて考えているうちに、いってしまいました。

またまた、西港まで20分かけて歩きます。

篠島では島の北側を歩くため、北風をもろにうけ、つらかったです。
日間賀島は、南側ですので、穏やかなものです。

西港で海産物を土産として購入し、待つことしばし、
そのあいだに高速船を待つ人々を観察してみました。
50%は釣客、20%は帰省、家族旅行・社員旅行が10%ずつ、デートが5%といったところでしょうか、残りはお遍路およびホステスとシャチョウさんの即席カップルのようでした。

高速船がやってきました。

わずか5分で師崎到着。

バイクに戻ってみると、お友達がいっぱい増えていました。

コメント (12)
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