橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

月山富田城

2012-08-29 | お城巡り(日本100名城)

月山富田城(がっさんとだじょう)は歴代の出雲国守護職の居城で、戦国時代には山陰全域に勢力を拡大した尼子氏の本拠地でした。
しかし最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となります。
関ヶ原の合戦以降は堀尾氏が城主となるが、1611(慶長16)年、松江城に移り廃城となりました。

まずは全貌を見るために飯梨川をはさんで、城の対岸にある三日月公園にいってみました。


尼子経久像
一度は浪人になりながらも毛利氏・大内氏と肩を並べる大大名になった名将です。


正面に見える山が城跡です。


歴史民族資料館(ホントは歴史資料館)裏から登り始め、太鼓壇を通って月山と書いてあるところまで行きます。
この日の松江の最高気温は34℃、しかし私の足は昨日の散策で少し疲れています。はたして、大丈夫でしょうか不安です。

まず、道の駅「広瀬・富田城」に移動し、歴史資料館を見学しました。
日本百名城のスタンプはここの受付で押すことができます。

                   安来市立歴史資料館

            住所;島根県安来市広瀬町町帳752
                電話番号;0854-32-2767  
      入館料;200円(大学・高校生100円,中学・小学生30円)
                 開館時間;9:30~17:00 
           休館日:水曜日,12月29日~1月3日


現地案内図
特に後半が厳しそうです。

ここから先は本格的な登山です。
トレッキングシューズまたは底の厚いスニーカーを履くべきです。
長袖・長ズボンを着用して、なるべく肌の露出は避けましょう。
杖も必需品です。もっていない人は資料館に置いてあるので借りましょう。


資料館裏から登城です。


千畳平


一つ上の郭の太鼓壇に立つ山中鹿助の像
尼子家の忠臣で月山富田城落城後も御家再興のために何度も尽力をつくしましたが、思いはかないませんでした。
像は三日月に向かって「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」祈っている場面です。


さらに登ったところにある奥書院の跡
現在は戦没者の慰霊碑が建てられています。


ようやく花ノ壇に到着です。
ここは山中御殿に隣接する郭で有力武将の住まいだったと推定されています。
当時、花がたくさん植えられていたことから花ノ壇と名付けられたそうです。

施設としては城は中央に位置していますが、めざす本丸は奥の山の頂上です。


現地張り紙
念のため杖で足下をつつきながら歩きました。
ハチには出会いませんでしたが、蚊・アブ・小バエが寄ってきてうっとうしいです。
また至る所に蜘蛛の巣トラップが仕掛けてあります。
まあ、夏場の山城はどこでも同じですが、これらをふり払うため杖は必需品なのです。


うおお~美しい石垣群だ!
疲れも吹っ飛びます。


山中御殿
城主の御殿が設けられており、城の中の軍事・政治的拠点です。


多聞櫓跡
多聞=多門とは長屋状の建物のこと、すなわち横に長い櫓です。


井戸


櫓跡


七曲り
山中御殿から三の丸へは急峻な上り坂を登っていく必要があります。
足下の石畳が濡れているところが多くさらに苔や枯葉もあり、たいへん滑りやすいです。
この日も前日も好天でしたが、幾度か滑りました。
何度も言いますが、杖は必須です。


一歩一歩気をつけて登ったのですが、13分で到着しちゃいました(もっとも感覚的には30分以上かかったような気分です)。

三の丸

三の丸の奥に二の丸があります。


いったん石垣を降りて奥に進むと本丸です。


ついに本丸に着きました。
これだけの山城ですから毛利軍も簡単に攻めることができず、兵糧攻めで落としたのでした。


広瀬町を見下ろしてほっと一息。


山中幸盛(鹿助)塔

全部まわって2時間かかりました。
熱中症予防にこまめに水分をとったこともあり、もう汗でぐっしょり、長袖代わりに着用していたアームカバーをさえ、絞るとぼたぼたと汗がしたたる始末でした。
夏場の山城訪問には着替えは必須です(春秋でも?)。


さて、安来市といえば、安来節すなわちどじょうすくいです。
どじょう亭で昼食をとりました。

激しい運動をして、大汗かいて、ビールを飲みたいところですが・・・これから500km弱運転しなければいけないし・・・・
と、思っていたら、いいものがありました。

齢五十にして初めてのどじょうです。
そういった人のための「ちょこっと体験どじょう定食」1,000円

中央がどじょうの唐揚げ、その左の玉子とじにもどじょうが入っています。
どじょうはワカサギに似た感じであっさりして、ほんの少し苦みがありますが、とても食べやすかったです。

隣には安来節演芸館がありましたが、そうゆっくりもしてられないので今回はパスしました。
ところが、帰路、神戸の手前あたりでものすごい雷雨で1時間ほど足止めされてしまいました。
それがわっかてりゃ見物していたものの残念。

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熊野大社

2012-08-27 | 一の宮巡り

島根ツーリング2日目です。
松江しんじ湖温泉のホテルで朝食を取った後、熊野大社に向かいました。

出雲國一之宮はもともと熊野大社でしたが、いつのころか出雲大社に遷りました。
現在は制度として存在しないため、双方が一之宮を名乗っています。
出雲大社の祭神は大国主大神であるのに対し、熊野大社は父神である素戔嗚尊(スサノオ)であるので、どちらもぞんざいにはできませんね。

なお紀伊国の熊野三山との関係ですが、熊野大社から紀伊国に勧請されたという説と、全くの別系統とする説があります。


一の鳥居
松江市街から20分ほどのところにあります。


狛犬


二の鳥居
一の鳥居から松林を100mほど歩いたところにあります。


朱色の神橋


その下を穏やかに流れる意宇川


随神門


出雲大社と同じような大しめ縄
結び方も同じです。


拝殿


祭神は伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命
「伊邪那伎日真名子」とはイザナギの可愛がられる御子の意
「加夫呂伎」とは神聖なる祖なる神様
「熊野大神櫛御気野命」とは、この熊野に坐します尊い神の櫛御気野命という意で素戔嗚尊の別神名です。


鑚火殿
熊野大社の祭神は火の神様でもあり、火をおこす道具である燧臼(ひきりうす)、燧杵(ひきりきね)が奉安されています。


舞殿


稲田神社 
祭神は櫛名田比売(くしなだひめ)すなわち素戔嗚尊の妻


荒神社
祭神は素戔嗚尊
熊野大社の祭神と同一でありながら、別に祠を設けているのは、明治時代の一村一社制により熊野村内にあった荒神を合祀したためです。


稲荷神社
祭神は稲荷神ですが、
稲荷神=宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)すなわち素戔嗚尊の子神というとらえかたもあるそうです。


                          熊野大社
                島根県松江市八雲町熊野2451番


さて、いよいよ今回の最終でかつ最難関目的地の月山富田城へ向かいます。

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松江城(後編)

2012-08-25 | お城巡り(日本100名城)

松江城は、内堀だけでなく外堀もほとんど綺麗に残されています。
堀が当時のまま現存する城下町は全国でも珍しく、この堀を小舟でめぐる「堀川めぐり」がおこなわれています。

足が疲れてきたこともあり、乗ってみることにしました。


松江堀川ふれあい広場を出発、約3.7Kmの船旅です。
このとき松江の空は真っ暗で夕立寸前でした。遠くで雷も鳴っていました。
ただ、船には屋根も付いているので、不安はありません。


三の丸跡です。
現在は島根県庁が置かれています。

天守閣が見えるとなぜかうれしくなりますね。

木製の北惣門橋

低い視線からの城見学は新鮮です。


また、鳥や亀などの動物もけっこう見られました。

発着場は計三か所あり、1,200円(大人)でどこからでも、また、その日であれば何回でも乗り降りできます。

堀川ふれあい広場にもどってきました。
約1時間の間に夕立雲もすっかり影を潜めてくれました。


その分、誘惑を振りきりのが・・・・つらい・・・松江堀川地ビール館

バイクですから、ここはガマン、ガマン


塩見縄手
城下町では、縄のようにひとすじにのびた道路のことを縄手といいます。
松江は武士と町人の住む場所を分けて町がつくられており、この塩見縄手には、二百石から六百石程度の中級武士の家中屋敷がならんでいました。

松江城は、二十数年前に来たことがあります。
当時の私は城に関しても、歴史に関しても全くの素人でした(もともと理系ですし・・・)。
しかしながら、この一帯は鮮烈に印象に残っており、松江という土地のイメージを高めております。

その中にある、小泉八雲記念館

隣接する小泉八雲旧居


さほど広くない日本庭園、これとは別に

北側にもこぢんまりとした庭があり、八雲はここを眺めて過ごすのが好きだったそうです。

数軒離れたところにある武家屋敷

六百石程度の中級藩士が住んでいました。

内にあがることはできず、外側から覗いて見学します。

塩見縄手の北側は少し高くなっており、ここから城を眺めてみました。

城の東へ移動しました。


武家屋敷といってもこちらは家老格です。

もっとも、昨年作られたばかりの松江歴史館です。
もちろん、展示物は一見の価値がありますが、休憩所としても利用できる施設でした。

松江城天守閣,小泉八雲旧居・記念館,武家屋敷は共通入場券で入れて1,160円(大人)でした。
さらに、この入場券で松江歴史館,堀川めぐりも団体料金にしてもらえました。

私には珍しく、この日は温泉宿に宿泊しました。
といっても、城から1kmしか離れていない、松江しんじ湖温泉
しかも、二食付きで7,100円ですけどね。
まあいろいろありましたが、この価格ならばということで納得はできました。
ですから、ホテルに関しては特筆することはありません。

私は常々、暮らすならば地方の県庁所在地クラスの都市が良いかと思っています。
そこそこ便利で、人混みが嫌になれば、山へも海にもすぐに出かけられるような。

たとえば、松山なんか理想的ですね。
海も山もあって、城があって、市内に温泉もあって、それらと繁華街を市電で移動できる。

松江もそれに近いですね。
あとは、市電でしょうか・・・
同様の思いの方は結構いるようで、松江ではライトレール導入の計画があるそうです。

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松江城(前編)

2012-08-23 | お城巡り(日本100名城)

出雲大社より国道431号線を通って松江城へ
右手に宍道湖を眺めつつ、1時間ほどで到着しました。

松江城にはバイク・自転車用の無料駐輪場が用意されていますが、これがわかりにくいです。

まず、市営大手前駐車場に入ってください。
満車でもゆっくり奥へ向かってください。
すると、係員が近づいてきますので「観光です」と伝えれば、案内してくれます。

駐車場奥にある大手門に進みます。

下は土ですし、観光客もいるので、最徐行で進みます。

このあたりはニの丸下の段広場で、
江戸時代には米蔵が置かれていました。

右手に観光案内所と茶屋が並んでありますので、その奥に進みます。


空き地が自転車バイク置き場です。


土の上に停めることになりますが、
ご安心ください。


石段を上がってひとつ高いところが二之丸です。
江戸時代には中央に御殿がありました。

以前訪問したときにはありませんでしたが、3つの櫓が復元されていました。
このため、城全体がより重厚に見えるようになりました。


太鼓櫓


城内に時刻や号令を告げる太鼓が置かれていました。



中櫓
御具足櫓ともよばれ、武具などを保管する倉庫として使われていました。


南櫓
城下町の南東を監視する櫓であったと考えられます。


1903(明治36)年建築の興雲閣
明治天皇をお迎えする際の御宿所とするために建てられたものですが、
まもなく日露戦争が勃発し、行幸は実現しませんでした。
しかし、1907(明治40)年、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が山陰行啓の時の御旅館となり、念願だったその務めを果たすことができたそうです。
なお、このとき鳥取城にも仁風閣という洋館が建てられています。


松江神社
堀尾吉晴公(松江開府の祖)、松平直政公(松江松平藩祖)、松平治郷公(松江松平藩祖七代藩主)を祀り、さらに東照宮を合祀しています。

松江城は1607(慶長12)年から足かけ5年の歳月を費やして、堀尾吉晴によって築かれました。
関ヶ原の恩賞として出雲国をまかせられた吉晴は当初、月山富田城に入りましたが、時代遅れの山城から平地に移動することにし、城下町も建設しました。
しかし、堀尾氏は三代目にして跡継ぎがなく改易、次いで入国した京極家も同様の理由で改易となります。
1638(寛永15)年、徳川家康の孫である松平直政が信濃国松本藩より転封しました。
以後、明治維新を迎えるまで松平氏が松江藩を治めました。


一ノ門
ここを通るといよいよ本丸です。


天守閣
国内に12しかない現存天守閣のひとつです。
日本百名城のスタンプは入口で押すことができます。

天守閣屋根のしゃちほこは、現存するものでは最大です。



石垣は打込ハギという工法で築かれています。
石を槌で叩いて形を整えて、石垣の外側部分だけを平らに加工します。
接触が密でなく、その隙間を小さな石で埋めています。

また、直方体の面積の一番小さい面を正面にして積み上げています。
ゴボウを積み上げるようなので牛蒡積みと言います。
角は算木積みと言って、長辺と短辺が交互になるように積まれています。


地下1階は食料貯蔵庫になっています。
また、天守閣の中に井戸があるのは珍しいです。
私が見た限りでは、他に名古屋城と伊賀上野城ぐらいでしょうか。


寄木柱
松の一本の柱の外側に、板を揃えて寄せ合わせ、これを金輪で締めて太い柱が作られています。
普通の柱にくらべ力学的に強いそうです。


桐の階段
1階から4階の各階の間に設けてある階段は桐でできています。
理由のひとつは軽いため、有事の際階段を引き上げやすいこと。
加えて、防火防腐のためで、他の城では見られないものです。

最上階からの眺望
宍道湖が見渡せます。
松江城は日本三湖城のひとつとされています。
ちなみに残りの二城は諏訪高島城(諏訪湖)、膳所城(琵琶湖)です。


鉄砲櫓跡


乾隅櫓


北ノ門
ここから北へ向かって降りていきました。

石垣は作られた年代によって積み方も異なり野面積みも見られます。

馬洗池

護国神社から天守閣を顧みました。

小泉八雲も愛したという松江城山稲荷神社

つづいて城下町を散策しました。


(後編につづきます)

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出雲大社

2012-08-19 | 一の宮巡り

シルバーウイングで島根へ行ってきました。
松江城・月山富田城および出雲国一之宮である出雲大社・熊野大社訪問が目的です。

朝3時に自宅を出発し、9時30分に出雲に到着しました。
島根県では現在、古事記編纂1300年を記念して「神話博しまね」を開催しています。
出雲大社はこのメイン会場となっております。
そのため、周囲にはいくつかの臨時駐車場が用意されています。
そのひとつ、道の駅 大社ご縁広場に駐輪しました。

ここから神門通りを歩いて向かいます。


コンクリート製の一の鳥居


木造の二の鳥居


参道の松並木の中にある鉄製の三の鳥居


祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
なぜか密教の大黒天(さらにその元はヒンドゥー経の神)と集合して大黒様とよばれることもあります。
因幡の白兎の場面が像となっています。


銅製の四の鳥居
四つの鳥居をくぐると、「四逢わせ」すなわち「幸せ」となるそうです。


仮殿
出雲大社では60年に一度遷宮をおこないます。
今は平成25年の遷宮に向けて工事中であり、ご神体も仮殿に移されています。


垣間見えた本殿


大国主大神は素戔男尊(スサノオ)の子(6代後の子孫とも)であり地上を収めていましたが、最初から大きな力を持っていたわけではありませんでした。
神としての使命を自覚し、その期待に応えるべき研鎖修養と瞬時も忘れることのない努力をされていました。
ある時、海の彼方から光が飛んで来るのに遭遇し、その光が御身に宿る幸魂・奇魂であることに気づき、その御霊に生かされているという自覚を得ました。

一方、天津神(天の神々)は自分たちの子孫が収めるべきだと考え、使者として建御雷神を派遣します。
紆余曲折の末、大国主神は天津神に国を譲ることに同意します。
その代わり、自分が住む大きな宮殿を造営してもらい、そこに引きこもることとしました。これが出雲大社なのです。

現在でも出雲大社の本殿は格別に大きいのですが、古来はこんなだったとされています。

柱はこんなに太かったようです。

神楽殿


日本一の大しめ縄
なお、結う向きが他の神社のものと逆になっています。
一般の神社では、神域に邪悪が入らないための結界であるのに対し、出雲大社では大国主大神を封じ込めるための結界だとされています。

宝物殿

神社東側の神家通りは人通りも少なく、静かで趣があります。


北島国造館
出雲大社の宮司である国造家は南北朝時代に千家家と北島家に二分しました。
明治15年北島家は出雲教として独立しました。


出雲大社では二礼四拍手一礼が作法です。


古代出雲歴史博物館
たいへん暑い日でしたから、見学を兼ねて涼みました。


神話博しまねのメイン会場
神話映像館が売りのようですが、30分毎の入れ替え制
この暑い中、外で待つのはちょっとね・・・パス


二の門前の売店は工事中
来年の遷宮に間に合わせているのかな、神話博しまねには間に合いませんでしたね。


二の鳥居横の蕎麦屋で昼食
出雲蕎麦は皮ごと実を碾くので黒く薫り高いです。
割子でつゆををかけて食べる形式が多く好まれています。
ただ、つゆが濃いため1杯目の椀に残ったつゆを2杯目に、さらに2敗目に残ったつゆを3杯目にへとリレーしていくのが流儀だそうです。

以前いった店は感動するほどおいしかったので、この日も楽しみでした。
今回は違う店へ行ってみたのですが・・・
私にはつゆが濃すぎました。

ちなみに我が愛用の長野産七味はこの店でも使われていました。

帰路、一畑電車出雲大社前駅を覗いてみました。


かっこいいですね。


神話はフィクションですが、多くの歴史的事例がもととなり伝承されているようです。
国譲りはいったい何を意味しているのでしょうか。
天孫の子孫が大和朝廷につながるならば、それに我が国を譲った別勢力がこの地にあったのです。
どのような人たちだったのでしょうか。
かつてこの国の中心地だったのですが、今はけっして繁栄しているとは言えません。
でも、だからこそ神話が語り継がれて残されているのでしょうか。
思いは尽きませんね。


さて次は、松江城を目指して移動です。

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知多四国八十八箇所 その11

2012-08-13 | 知多四国八十八箇所巡礼

北から豊明市・大府市・東浦町・半田市・阿久比町・武豊町と進んできましが、
いよいよ7つめの市町村である美浜町に突入です。

開山所【達磨山 葦航寺】知多郡美浜町大字布土
知多四国八十八箇所は1809(文化6)年に、妙楽寺住職亮山阿闍梨が弘法大師の夢告によって発願、岡戸半蔵・武田安兵衛の協力を得て、開創されました。
この3人の故地をそれぞれ開山所として、その遺徳を讃えています。

ここ葦航寺は武田安兵衛の墓所です。


坂の上のこぢんまりした境内に蘇鉄が植えられてる知多四国八十八箇所ではよく見かける外観です。


山門代わりの石柱門


本堂


開山所
隣接して納経所があります。
通常は納経所は庫裏にあるところが多く、インターホンを押すと奥様や若奥様が対応され、御朱印をくださいますが、
この日は平日のためか、ご住職が対応されるところが多かったです。
とりわけ、ここでは私が読経する間ずっと、隣で用意して待っておられました。
プロの方の脇で般若心経を読むわけですから、無茶苦茶緊張しました。


しゃもじは何のためにあるのでしょうか。


一心大師堂


番外霊場【慈雲山 影現寺】知多郡美浜町大字時志

カブでは、スマホを通じてgoogle map ナビを使っています。
このナビの優れているところは、正面ではなく駐車場に誘導してくれることです。

境内を通って正面にまわると

google map のおかげでこの階段をパスできました。ラッキーです。

高台にあるため境内からは三河湾が一望できます。

明るくて広い境内です。


弘法堂


鐘楼

不思議なモニュメント


時志観音
一枚石では日本一観音石像だそうです。


隣接する観音堂も立派です。
中には漁師の網にひっかかって発見されたという十一面観世音菩薩が祀られています。


尾張初代藩主徳川義直公は領内一円を巡察中、この観音堂で安産祈願したところ、無事男子が誕生しました。
それ以来、寺紋に三つ葉葵が許されています。

知多四国八十八箇所といいますが開山所3カ所と番外霊場7カ所あり、全部で札所は98カ所あります。
これまで30カ所参りました。
まだまだ先は長いです。


帰路、南知多道路美浜インター近くのえびせんべいの里に寄ってみました。

えびせんべいは、エビとジャガイモのデンプンを原料とするお菓子で、三河湾周辺の名物です。
エビもすりつぶして入れたり、焼いたり、そのままプレスしたりといろいろな種類があります。

もちろん試食できます。

いろいろ試食して疲れちゃうと言っているあなた、食べ過ぎてのどが渇いたという方のために休憩所があります。

なんとコーヒー・お茶は無料サービスという太っ腹


工場見学もできますから、家族連れで楽しめます。
なんか、宣伝みたいになっちゃったなぁ。

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知多四国八十八箇所 その10

2012-08-11 | 知多四国八十八箇所巡礼

武豊町には4か所の札所がありますが、それぞれが近いところに位置するので移動が楽チンです。


24番【慶亀山 徳正寺】知多郡武豊町字里中


山門


本堂
こういう本堂を見るとなぜか心が安まります。


弘法堂


巡礼の際には納札を用意し、このような箱に入れます。
この札には弘法大師に対する名刺で、住所・氏名・年齢・願意を記入しておきます。
巡礼を始めた頃は自分の名を書いておりましたが、いつしか母の名を書いて長寿を願うようになりました。
この日は出がけに急いで書いたので私の名前の下に74歳なんて書いてしまいました。


撫地蔵
治してほしいところを撫でます。


地蔵堂
子安地蔵尊が祀られています。
子宝はもういいかな・・・

推定樹齢200年のウバメガシ


山門を出ると、

武豊町には装飾に工夫を凝らした11輛の山車が現存します。
各地区の祭で使われるのだが、5年に一度、一堂に集まる武豊ふれあい山車まつりがおこなわれるそうです。
ちなみに次回は2014年の10月です。


25番【法輪山 円観寺】  知多郡武豊町富貴


山門


本堂


仏足石
かつてはお釈迦様の像を作ることは恐れ多いこととされ、足跡を信仰の対象にしていたそうです。


弘法堂


なぜか境内のすみに鳥居が・・・


その奥には金比羅大権現が祀られている護摩堂がありました。
そもそも香川の金刀比羅宮は、神仏習合で神社となっっていますが、明治初期の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の寺院だったそうです。


西国観音、真ん中に鎮座するは「ぼけ封じ観音」です合掌


実はここは富貴城の跡でもあるのです。


隣接する白山社の脇を見ると


土塁に見えなくもない


近づいてみると瓦を入れて補強したあとがあります。
やっぱりね。


つづきます。

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知多四国八十八箇所 その9

2012-08-10 | 知多四国八十八箇所巡礼

この日は半田の南に位置する武豊町からのスタートです。

前回・前々回と現地に昼頃到着し、まず昼食をとってからのスタートでした。
これは、目的地が県内であるため、特にノルマを設定してないことから、ゆっくり身支度して出発が遅れ気味になるためです。
平日であったこの日はさらに渋滞がプラスされてしまいました。
名古屋南部の工業地帯を横切る国道23号線はトラックでいっぱい、休日とは全く様相が違っておりました。

そんなこんなで、半田に到着したのが11:30
先回おじゃました、麺屋 轍で昼食をとりました。


つけ麺(中盛) 850円
これはこれでおいしかったですけど、前回いただいたラーメンほど感動はありませんでした。
炎天下走り続けてバテ気味だったせいかも知れませんね。

元気を取り戻して、本日の巡礼開始です。


22番【御嶽山 大日寺】知多郡武豊町字ヱケ屋敷


山門


本堂


弘法堂


みたけ観音


ぴんころ地蔵


「ぴんころ」と逝きたいものです。


23番【意竜山 蓮花院】知多郡武豊町字ヒジリ田


山門


二階にある本堂


華やかな弘法堂


張子大師
納札を貼ると身代わりになってくださるという大師像


蓮華観音


手水舎の観音様がなまめかしいです。


この日の最高気温は35℃
バイクに乗っている間よりも、降りてからの方が暑いです。
特に般若心経を読経していると、汗がしたたり落ちてきます。
涼みがてら、武豊町歴史民俗資料館に寄ってみました。


                    武豊町歴史民俗資料館 
            住所: 愛知県知多郡武豊町字山ノ神20-1
                   開館時間: 9:00~17:00
                                    休館日: 月曜,祝日
                                      入館料: 無料


資料館をあとにして次の札所に向かう途中、こんな看板を見かけました。

旧国鉄武豊線で蒸気機関車の向きを変えるためにつかわれていた転車台です。
直角二線式というのはたいへん珍しいそうです。

JR武豊線は愛知県でもっとも古い鉄道です。
このようなローカル路線(失礼)がなぜ?と思っていましたが、東海道線建設のための資材を武豊港から陸揚げ運搬するためだったそうです。
現地に来てはじめてわかりました。

信号機も置いてありました。

                    転車台ポケットパーク
     所在地: 愛知県知多郡武豊町 国道247号線沿い里中交差点


この日の巡礼は続きます。

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手に触れないとなぁ

2012-08-05 | 音楽


CDを買ったのは、何年ぶりのことでしょうか。

けっして、音楽に疎いわけではありません。
どんどんたまっていくCDを置くスペースは橋吉の住むウサギ小屋には無く、数年前に思いきって電子化し多くを処分してしまいました。
それ以来、レンタルで済ませてきましたし、ダウンロードを利用することもあります。

電子書籍により紙の本が無くなることを危惧する声を良く聞きます。
インクのにおい、紙の手触り、ここまで読んだという達成感、そういった感覚が失われてしまうと・・・

これは、音楽にも言えるような気がします。
ジャケットの写真眺めたりや歌詞を読んだり・・・

電子書籍や音楽配信ってなんかバーチャルのような気がしてしまうのは、昭和生まれだからでしょうか。

そんなこんなで久々にCDを買ってしまったわけですが、
さて、これからはどうしようか

コメント (12)
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