![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/fc/1f2906c3b10574dcbf28e3d28a1907cc.jpg)
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桶狭間古戦場公園
所在地: 名古屋市緑区桶狭間北3丁目
一見、住宅地の中のよくある公園です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/c2/c3b69f127e24c625b47ca4e52fa3a701.jpg)
中に入ると多くの案内板が目につきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/4b/8dce4ae6da3f28a2c49ce00fb3b73eab.jpg)
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今川義元の馬を繋いだといわれる木がこちらにも残っていました。
しかも、豊明側と同じように枯れています。
なお、触れると熱病に罹るとの伝承があるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/af/8b39da94dff7316e2d0f91d1fd81c273.jpg)
石碑も
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/51/ceb8936048663a099e63c5e3b86ad309.jpg)
案内板もあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/0b/b5824cf9778703064731e81d222fb82c.jpg)
義元の墓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/43/c2d8ab4ae06a25cdf7f3506dd8a443a0.jpg)
1933(昭和8)年に建立された墓碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/e8/371ea5b6c5de400ac81d1e0dd9851c79.jpg)
こちらは建立年不明で、「駿公墓碣」と刻まれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/28/d2f87c089e4f7089f82246de47bd2b8d.jpg)
今川義元戦死之地の碑
尾張から見れば侵略者ですが、仏様になられたわけですから「公」ぐらいつけてもと思ったりもします。
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信長と義元の像
どちらも「公」がつけられています。
こうじゃなくっちゃ。
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義元像
海道一の弓取りといわれた義元らしく弓をもっています。
ただ、この場合の弓取りとは武士のことを指しており、弓の名人だったかは疑問です。
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信長像
あんまり若そうには見えません。
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守護大名であり中世貴族的な雰囲気も持つ義元と下克上によってのし上がり積極的に新しいものを取り入れた信長との交代劇は、まさに近世の曙といっても良いかと思います。
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江戸時代中期の儒学者 太田錦城による漢詩
「今、荒れ果てた原野の古墳の前にたたずみ、当時を弔う。
ここで、今川の軍勢は、勝利に酔い、武将たちは驕りたかぶっていたので、どして戦いを全うすることが出来ようか。
折から、怪しい風が吹き出して、一天にわかに掻き曇り、日中であるのに暗くなった。それに乗じて、織田の奇兵が攻め、今川の軍はあたかも天から兵が降ってきたかと驚いて、ついに敗北してしまったのである。」
という意味です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/38/3de223a5496f2031c0c36800cab8dc37.jpg)
なんとジオラマAR劇場なるものがありました。
信長、義元双方の足取りをイメージした庭園をまわり、要所に置かれたQRコードをスマホにかざすとその解説映像が見ることができるというものです。
残念ながら、この日に限ってスマホを忘れてきてしまい、試すことはできませんでした。
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義元公首洗いの泉
義元の首級をこの泉で洗い清めたと言われています。
1986(昭和61)年の区画整理まで清水が豊富に湧き出ていたそうです。
もともと、このあたりは湧き出る水の勢いで水汲み用の桶がくるくる廻っている様子に興味を誘われた旅人が、桶が廻る間の一服とて「桶廻間(おけはざま)」と呼ぶようになったとの言い伝えがあります。
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この付近には他にも合戦のいわれがある史蹟や東海道の古い街並み、有松絞りなどみどころもあり、周辺観光については豊明市側より力を入れているようでした。
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史標
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/69/ea3bc25fa27c636db78d3bf5a74f200e.jpg)
桶狭間古戦場公園の西は、高台になっていて「おけはざま山」とよばれていました。
住宅地となった現在でも、見晴らしが良いです。
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公園に戻ると、整備された方から観光案内所があるからと行くことを勧められました。
350m程離れたところに観光案内所がありました。
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桶狭間古戦場観光案内所
所在地: 名古屋市緑区桶狭間巻山2037
電話: 052-755-3593
営業時間: 10:00~16:00
休業日: 無休(年末年始休業)
そして、いよいよ満を持して、桶狭間の合戦地へ向かいました。
ところで、桶狭間の合戦地跡は、2箇所あります。
愛知県豊明市にある桶狭間古戦場伝説地と名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園です。
もっとも、両者は1.2kmしか離れていないので、この辺り一帯で合戦が起きたと考えて間違いないでしょう。
たまたま、現在では2つの自治体に跨がっているので、史蹟が2つになっちゃいました。
まずは、豊明市側の桶狭間古戦場伝説地へ訪れてみました。
国道1号線沿いにある名鉄中京競馬場駅から南へ100m行ったところにあります。
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所在地: 愛知県豊明市栄町南舘11
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回遊式庭園のように整備されており、いろいろな碑が置かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d0/031fa65a467041d4f57079b4e7ed5032.jpg)
史跡指定標柱
1938(昭和13)年4月、豊明村は文部大臣から史跡「桶狭間古戦場伝説地」の管理者に指定されました。
これを受けて1941(昭和16)年10月に史跡指定標柱を建立しました。
国の史蹟というのが豊明側のアピールポイントです。
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七石表
古戦場伝説地の中で一番古い史跡で、義元以下7名の武将が亡くなった場所を記したものです。
1771(明和8)年に尾張藩士 人見弥衛門・赤林孫七郎により建立されました。
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大正天皇の即位を記念して有松町によって建てられた標柱
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桶狭弔古碑
1809(文化6)年、津島の神官氷室豊長が建てた記念碑です。
古戦場が放置され荒れ果てていくのを嘆き、その由来を明らかにするとの趣旨が、裏面の碑陰記に記されています。
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今川治部大輔義元墓
弔古碑を義元の墓と間違えて手を合わせる人がいたため、1876(明治9)年に建てられたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/41/dfd504ead34a2a1dff1c273d948f164a.jpg)
駒つなぎのねず
義元の馬をつないだとされるねずの木
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/60/95a2028bd53ab85754892bbf78dfdeed.jpg)
歌碑
江戸後期の歌人香川景樹は、おのれの歌風を江戸にも広めようと意気込んで出府しましたが、むかえられませんでいた。
失意をいだいての帰途、桶狭間をとおり、義元の気持ちをくみ、自身のこころにひきあてて一首読みました。
「あと問へば昔のときのこゑたてて
松に答ふる風のかなしさ」
道を挟んだ西にある高徳院の境内にも、いくつかの碑が置かれていました。
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今川義元仏式の墓
1860(万延元)年に建てられました。
方形の石柱に笠と蓮花弁を模した台座がつく墓塔型式であり、そのため仏式の墓と呼ばれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/5d/bf967378945c66c8d0b5f26b2857921b.jpg)
お化け地蔵
1853(嘉永6)年、尾張藩士が建立しました。
それまでは亡霊の現れる話が伝えられていましたが、この地蔵尊の建立により現れなくなったそうです。
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徳本の名号
桶狭間の犠牲者を慰霊するため文化文政期の徳本行者が建立したと案内されています。
おまけ
桶狭間古戦場伝説地の近くにある名鉄中京競馬場駅前にあるゴリバーガーにて、ランチをいただきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/7b/9630e1e18755351763ef44f850d428f1.jpg)
このハンバーガーが無茶苦茶大きくて、しかも肉々しておいしかったです。
プラス100円でフライドポテトがつきますが、これは余分でした。
新しいカメラの試し撮りにどこへ行こうか、悩んでいたのですが・・・
どうも休日の天気が不安定なようです。
こういうときは家族マイレージをためることが大事です。
ということで日本一「おいしい紅茶の店」が多い町と言われている尾張旭市に夫婦随伴で出かけてきました。
大の紅茶党である女房殿に対する孝行です。
まず最初に訪れたのが、
カフェ ぼあこ (Cafe boaco)
所在地:愛知県尾張旭市南本地ヶ原町3-85 楠乃木パークハイツ 1F
営業時間:10:00~21:00
休業日:水曜日・木曜日
大通りにウィンドウとテラスが面しています。
紅茶を待つ間、店内を撮影してみました。
フラッシュなしでも良い感じに撮れています。
ダージリン
批評できるような舌をもっていないので、コメントは略します。
さて、昼食はインド料理店でいただきます。
インド料理と紅茶は深いつながりがあるためか、尾張旭にはインド料理の有名店も多いような気がします。
シタール
所在地:愛知県尾張旭市東山町1-1-10
営業時間:11:00~14:30,17:00~22:30
定休日:無休
チャイがセットに入っているディカランチを選択しました。
そのチャイも3種の中から選択できるようです。
サラダ
ナン,チキンティッカ,カレー
アッサムチャイ
背景をぼかすことはできるのですが、その度合いがよくわかりません。
もっとも、取説もよく読んでいないので、すべてオートモードで撮っています。
このあと、城山公園をしばし散策し、三軒目へ
ティーズリンアン 尾張旭本店
所在地:尾張旭市庄中町1-7-2
営業時間:11:57~21:03(LO.18:30)
定休日:月曜日・火曜日
ここの店主が尾張旭市の町おこしのために、おいしい紅茶店を増やすことを思いついたのです。
地道な努力も実って、現在では「おいしい紅茶の店」認定店はなんと18店舗。
ついに、尾張旭市は日本紅茶協会から「日本一紅茶のおいしいまち」として認定されるほどになりました。
駐車場に黄色い旗がたなびいていますので、それを目印にすると分かりやすいです。
ダージリンだけでもこれだけあります。
でも頼んだのは、アールグレイ
落ち着いた良い雰囲気の店内です。
私にしては、良い感じに撮れました。
さすがに3軒はしごするとお腹はたぷたぷになってしまいますね。
最高気温33℃のある暑い日のことです。
仕事で県庁へ向かう途中、カッコイイうどん店を見つけました。
山田屋
所在地: 愛知県名古屋市東区東外堀町10
営業時間: 11:00~15:00,17:00~19:00
定休日: 日曜・祝日
懐かしさを感じる店内で、うどん・きしめん・そば・中華そば・各種丼なんでもありというビンビンに昭和を感じさせる店でした。
そんな中、注文したのが、
きしめんころ(大盛り)
「ころ(香露)」とは冷たいうどん・きしめんのことです。
(名古屋にはころ蕎麦も存在します。)
いわゆる冷やしうどんではなく、他の地方で言う「ぶっかけ」に近いものです。
茹で上がったうどんを氷水で冷やし、浸る程度に鰹だしの濃いつゆが加えられます。
本来はまかない料理だったみたいで、私も就職するまではその存在を知りませんでした。
それどころか、表向きのメニューに書かれたのはここ数年のような気がします。
この「ころ」というメニューは、うどん店としてはあまり出したがらないという話を聞いたことがあります。
麺の味や舌触りが如実に感じられてしまい、暖かいうどんではごまかせるものが、ごまかしきれないそうです。
ですから、「ころ」のメニューがあるかどうかは、店がうどんの麺に自信を持っているかどうかの判断材料になり得るのです。
(ところが、あろうことか大した自信が無いにもかかわらず、ころのメニューを掲げているお店もあります。)
ところで、女将さんからこのようなものをいただきました。
名古屋市内・近郊の老舗きしめん店25店が企画するスタンプラリーです。
きしころ1杯につき1個スタンプされ、、スタンプ5個につき500円の商品券がもらえます。
店舗にもよりますが、きしころは500円前後ですので、5杯食べると6杯目は無料ということですね。
さて、翌日はさらに暑く、最高気温36℃の猛暑日でした。
当然、ひんやりしたきしころをと思いながら、うどん店の暖簾をくぐったのですが・・・・
暑くても、味噌煮込みには目のない愛知県民でした。
こんなことですから、きしころスタンプラリーは私は無理なようです。
[他県の方々へ]
味噌煮込みは写真のようにご飯付きがデフォルトです。
したがって、並みの成人男子の場合、単品では食べ足りないですし、食後にやたらのどが渇くことになります。
ご注意を
中馬のおひなさんとは...?
足助(現豊田市足助町)の古い町並みに並ぶ民家や商家に古くから伝わるおひなさんや土びな(土人形)を玄関先や店内に華やかに飾り、道行く人々に町並み散策を楽しんでいただこうと始まった足助の大きなイベントのひとつです。
女の子の祭りですから、我が家の三人の姫君すなわち、娘・ヨメ・母に声をかけてみました。
ノってきたのは一番古い姫だけでした。
母と一緒ですので今回は車です。
臨時駐車場が設けられている豊田市役所足助支所に駐車しました。
紅葉の名所香嵐渓ですが、この季節ですから・・・
足助には古い街並みが残っています。
有名なマンリン小路
各家の玄関や店のショーウインドウにおひな様が飾られています。
中にはこんなところにも・・・
キューピー雛
ひょうたんの中におひな様
竹雛
昭和初期にはやった御殿造り
私たちの年代はこんな感じが多かったかな。
つるしびな
なんと柳原白蓮の書です。
土びな
西三河において、江戸時代後期から戦後間もない頃まで盛んに作られていたのが、土びなです。
土で作り素焼きした人形を、色鮮やかに絵付けして作られています。
武者ものが多いですが、
翁
明治天皇・昭憲皇后
大石内蔵助
いろいろあって楽しいですね。
絵付けの様子です。
表情が良いですね。
山里ならではの名産品も気になります。
そば定食
味は悪くなかったけど、これで1,000円は・・・観光地価格かな
駐車場に困ったり、歩くのが大変な混み具合ではありません。
といって、閑散としているわけでもなく、ちょうど良い人手です。
職場の皆さんと三河湾に浮かぶ日間賀島へ行きました。
まずは片原漁港に向かいます。
南知多道路終点の豊丘ICを直進しで「新仲根」交差点を左折すれば見えてきます。
あらかじめ予約しておいた海上タクシーが待ってくれていました。
8人まで3,500円、それより1人ますごとに+350円です(日没後は夜間割増料金+1000円)。師崎から高速船も出ています。
こちらは680円ですので6人以上で出かけるのならば、海上タクシーがお得です。
なお、無料駐車場も用意されていました。
5分ほどで日間賀島西港に着きました。
海上タクシー会社が用意してくれたクルマに乗り換え宿に向かいます。
お宿に到着しました。
あさ喜
愛知県知多郡南知多町日間賀島上海19
0569-68-2054
活魚料理旅館とのことで、風呂・部屋は特筆することはありません
が、
夕食が超豪華!
ふぐ刺し
これで4人分です!
ふぐのたたき
いやぁツマミに最高です。
ふぐの白子
こんなに大きいのは初めてです。
ふぐちり
もちろん最後はご飯を入れて、ふぐ雑炊でシメます。
ふぐ唐揚げ
近年、海流が変化したため、愛知・三重・静岡が全国一のトラフグ漁場となっているのです。
たこの丸ゆで
はさみで切りながら豪快にいただきます。
向こう側に見える椀はふぐ皮のサラダ
これも、なかなかの絶品でした。
伊勢海老造り
動いています。
めばるの煮付け
これだけでも充分夕食のおかずとして成立します。
たこ刺し
酔いが回ってきてピントが合わなくなってきました。
たこめし
もう、撮影不可能。
ということで、撮影できませんでしたが、他になまこの酢の物、ふぐのひれ酒、デザートのアイスクリームをいただきました。
ひれ酒もよかったなぁ。
今思い出したも幸せな宴でした。
翌日、朝風呂を浴びて朝食。
まっ、これは普通かな。
とにかくこれで、総額16,000円(だったと思う)ですから、びっくり!
今度は家族旅行で行きたいと思っています。
蓮を見に愛知県愛西市へ行ってきました。
といっても職場からクルマで10分もかかりませんから、ちょっと寄り道をしただけです。
蓮は早朝に花が開くので出勤前に道草です。
愛西市は名の通り愛知県の西端にあります。
このあたりは海抜0m地帯です。
濃尾平野は東高西低であり、このあたりが一番低く木曽川・長良川・揖斐川が流れ込んでいます。
なお、もう少し西へ行くと大きな活断層があり、それに沿って養老山脈が形成され居ています。
低湿地帯ですの昔から蓮根の栽培が盛んです。
地元の人間である私は知っておりましたが、先日、同僚からいろいろな蓮の花が集めてあるところがあることを聞き、この日、見に行ったわけです。
場所は愛西市立立田中学校を南へ200mほど行ったところにあります。
蓮にもこんなに多くの品種があるのですね。
まず、こちらが「立田赤蓮」という、この地方特産の種です。
蓮田内に作られた通路を歩きながらいろいろな品種を撮ってみました。
蓮の花は早朝に開花しますが午前10時くらいまでは鑑賞できます。
時期的には少々遅かった気がしますが、いろいろな品種があるのでこれからもしばらくは楽しめると思います。
ずっと続いていた夏がようやく終わったと思ったら、すぐに冬。
秋はどうしたのといった2012年でしたが、その分、紅葉が綺麗だと誰かが言っていました。
でも、紅葉スポットって混むのですよねえ
見頃の日は限られているし、細い山中の一本道で、駐車場もすぐ一杯に・・・というイメージで、バイクでさえついつい敬遠したくなります。
しかし!
すぐ身近に穴場があることを忘れていました。
愛知県稲沢市祖父江町、銀杏の生産日本一であるこの町では、この時期、あちらこちらに黄色い樹を見かけます。
自宅からは30分ほどです。
黄色い光線
黄色い絨毯
とくに山崎地区は、まるで黄色い雲に包まれているようです。
畑にも植えられていますが、
民家の庭にも植えられています。
落葉が多く独特の臭いので通常は庭樹にしないですが、ここでは防風林として植えられてきたと聞いたことがあります。
いまでは、特に世話しなくても、業者がやってきて銀杏を収穫して、代金を置いていく金のなる木になっているとか。
ミカンの黄色も影が薄くなってしまっています。
名鉄尾西線
車窓から黄葉が見物ができます。
祐専寺
銀杏にもいろいろな品種があるようですね。
まだまだ、これからが見頃だそうです。
3月にミラーレス一眼を購入して以来、うれしくてコレばかり使って
すっかり、出番のなくなったコンデジ
しかしながら、冷静になって考えてみると、いかに小さいとはいえ、レンズを含めると厚みは2倍以上あり、携帯性はコンデジの圧勝。
したがって、これからは両者を使い分けていくのが吉ですね。
先日の出張では、かさばらないコンデジをもっていたのですが、そのとき気づいた撮りっぱなしの写真です。
7月7日(土)に半田赤レンガ建物の内部公開があり行ってきたのでした。
当日はあいにくの雨天であり、お気に入りの一眼を濡らすのが気が引けたので、コンデジを使ったのでした。
5月17日に当ブログでも紹介しましたが、この建物はビール工場として1898年(明治31年)作られたものです。
外壁も部屋を仕切る壁も随分厚く作られており、梅雨時特有の蒸し暑い日だったにもかかわらず、内部はさわやかでした。
明治時代に、キリン・アサヒ・サッポロ・エビスといった大都市をひかえた既存四大ビールメーカー(サントリーがビールをつくるようになったのはもっと後の話です)に挑戦した一地方都市のビール会社がありました。
それカブトビールです。
2005年、このビールを復刻することに成功し、以来、公開日などには販売されているのです。
で、ここから先、このビールのことで頭がいっぱいになってしまい、写真も取り忘れ、気がついたら、家に帰って、母やヨメと乾杯していました。
ということで、写真はありません。
おぼろげな記憶をたどると350mlで500円
黒ビールのように黒く、スタウトビールのようにコクがありました。
あっそうそう
7/28(土),29(日)は生ビールが飲めるそうですよ・・・・・って明日じゃん。
わたしゃ終日炎天下でお仕事のため、いけません。
残念。