橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

はじめての親子ツーリング

2018-11-07 | ツーリング

この夏、バイクに乗り始めた大学生の息子ですが、
出かけるのは、近所の買い物くらいで、まだ愛知県から出たことも一度もないそうです。

これではいけません。

私がバイク(というか原付)にであったのは19歳の時です。
単に自転車に比べ、楽だろうということで乗り始めました。
もちろん、楽でしたし、移動時間も早くなりました。
意外だったのは行動範囲が広がりったことです。
これは自分の世界が広がったように思え。新鮮な驚きです。
ということで、いまだに乗り続けているのです。

だから、バイクの楽しみであるツーリングを知らねば!
ということで、親子ツーリングに出かけることにしました。

初心者の彼からは、「高速道路は自信ない。」「カーブは少ない方が良い。」なんていう情けないリクエストがありました。

そこで考えたのは、琵琶湖北岸に向かうルートです。
我が家から北西に進むと岐阜県の養老公園があります。
さらに北西に進むと関ヶ原があり、これを越えると琵琶湖の北端に達します。


養老公園近くのコンビニでひと休み。

写真を撮っていると次々とハーレーがやってきました。
全部私の息子というわけではありません。

ここでひとつミスに気づきました。
デジカメを忘れたのです。

もちろん、スマホのカメラを使えば事足りるのですが・・・・
最近バッテリーの減りが著しくて・・・
と、いうことで今回は写真は最低限しかありません。

2時間ほどで、道の駅「湖北みずとりステーション」に到着

琵琶湖を見ながら、

昼食をいただきました。


鴨そば定食
そばはそこそこでしたが、鴨肉は柔らかく噛むと旨みがじゅわっと出てとても美味しゅうございました。

このあと琵琶湖西岸を走って、帰宅。
約5時間のツーリングでした。

息子も喜んでいて、機会あればまた行きたいと思っています。
が、その前に、
彼は冬用のジャケットをもっていないことが判明!

貧乏学生ですから、ワークマンのイージスを紹介しておきました。

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郡上八幡城

2018-10-30 | お城巡り

郡上八幡は清流や古い街並み、郡上踊りで有名な観光地です。
その中心にある山の上には郡上八幡城がそびえ立ち、町中いたるところから仰ぎ見ることができます。

近年、麓が川霧で覆われる天空の城としても知られるようになりました。


郡上八幡城のすぐ下には駐車場が用意されていますが、駐車台数は限られています。
したがって観光客が多い休日は通行が制限されてしまいます。

しかたなく登口にバイクを駐め、徒歩で登城しました。



登城口に置かれていた山内一豊夫妻像
一豊の妻千代の出生は諸説あり、郡上もそのひとつです。


城に向かって葛折りの道を登っていきます。
なお、自動車は一方通行となっています。

徒歩用のショートカットも用意されていますが、かなり急で、登りには使わず、下りのみ使用しました。


約10分で到着しました。


石碑のあたりから振り返ると、


美しい天守閣を見渡すことができます。
郡上八幡城は1559(永禄2)年、遠藤盛数によって築かれました。
しかし、賤ヶ岳の戦いで、盛数の子慶隆は、羽柴秀吉に敵対し敗戦したため、城主の座を失ってしまいました。
その後、稲葉貞通が城主となり、今日に伝えられる石垣が築かれたが、関が原の戦いで西軍に属したため移封の憂き目をみてしまいます。
徳川家康は、ここに再び、遠藤慶隆を入封させますが、江戸時代になっても城主は井上氏・金森氏・青山氏と入れ替わることになります。


力石
遠藤慶隆が八幡城復帰後に改修した節に、城下吉田川から人夫が川原石を背負い上げたそうです。
その中で剣村の通称赤髭作兵衛なる者が1m×75cm、約350kgの大石をひとりで背負い上げたそうです。
ところが、普請奉行がその力量を深くほめたたえたとたんに彼はその場で倒れて息たえてしまいました。
普請奉行はこれを哀れんでこの石の使用を禁じたそうです。


およし塚(人柱およしの碑)
 郡上八幡城改修の際に人柱となった、神路村(現大和町神路)の娘”およし”を偲んで建てられた石碑。
「城山の 露と消えゆく 人柱」


このアングルが一番迫力あります。


本丸門


桜の丸隅櫓


およし観音




いよいよ天守閣へ


郡上八幡城は1933(昭和8)年、大垣城を参考にして再建された模擬天守です。
ただ、木造再建城としては日本最古であり、80年も経っているのでこれはこれで立派な文化財なのかもしれません。

天守からの眺め
南と西を流れる吉田川・小駄良川が天然の外堀となっています。




後方には緑濃い連山が飛騨まで続いています。


松の丸隅櫓


凌霜隊の碑
幕末、郡上藩青山家中においても、勤王派、佐幕派に分かれて激論が繰り広げられていたが、藩論は勤王と決しました。
しかし、徳川家譜代の家臣であった青山家では、情宜的に佐幕の雰囲気も強く、特に江戸藩邸においては佐幕派が多数を占め、脱藩して新政府側に抵抗しようと凌霜隊(りょうそうたい)が組織され、会津戦争に加担することとなります。



郡上八幡博覧館
八幡城との共通入場券が650円であり、お得感を感じたので帰路寄ってみました。
大正9年に建てられた旧税務署の建物は趣がありましたが、展示はそこそこでした。

郡上八幡の町はまだまだ見所がありますが、前日午後に激しい雷雨があり、この日も予報されていたので早めに帰宅することにしました。

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エツミ デュアルポイントワイドストラップ E-6508

2018-10-22 | カメラ

4月から始まった続日本百名城スタンプラリーのために購入したCANON PowerShot G9 X Mark II
1型撮像素子をもちながら、ポケットに入るコンパクトなバディでたいへん気に入っています。

欠点は機能をまだ十分使いこなせないこと。
あっ
これはカメラではなく私の欠点ですね。

今までは、写真のように付属のスタラップを取り付けて使用していました。
コンデジはストラップ、一眼は首から下げるといった固定概念があっただけなのですが・・・
私としては、腰にケースをつけて、ホルスターに入った拳銃のように、必要なときにさっと取り出して撮影するつもりでした。

しかし、実際に城まわりをしていると、
カメラは、絶えず手にもっていることがわかりました。
そんな中、滝山城を散策しているときのことです。
関東ローム層の上に立つこの山城は、濡れているとあちこち滑りやすくなります。
気をつけていたものの、足を滑らしてしまいました。
転倒した側の手にはカメラがありましたが、どうすることもできず地面にカメラを押さえつける形で手をついてしまいました。
幸いにも、土は軟らかったのでカメラに何の異常も起きませんでしたが・・・

ストラップで首に掛けて使うようにかえました。

エツミ デュアルポイントワイドストラップ E-6508

ストラップ幅15mm、長さ102cm
ちょうど使いやすい長さです。

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SR400 リコール

2018-10-15 | SR400

バイク屋から連絡がありました。

SR400がリコールの対象になったみたいです。

ネットで調べてみるとありました。




オイルラインの1か所締め付けトルクが不十分で漏れる恐れがあるようです。
もっとも、今までオイルのにじみとかはまったくありませんでした。

さっそく本日、バイク屋へもっていく予定です。

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SR復活

2018-09-22 | SR400

2017年9月1日、SR400は生産を終了しました。
「二輪車平成28年排出ガス規制」に適応できなかったためであり、同時にセローやドラッグスター400など9車種がカタログ落ちとなってしまいました。

ただ、「きっとそのうち復活するだろう」とは思っていました。

1978年生産開始のSRはその長い歴史の中で、以前にも生産終了したことがあるのです。

2008年に同じように排ガス規制の影響を受け、生産終了になりました。
しかし、2010年にはキャブレターを電子制御式燃料噴射装置に換え、環境性能を達成し復活を果たしています。

そして、今回もまた、「二輪車平成28年排出ガス規制」に適合させ11月22日より、発売を再開することになりました。

YAMAHA SR400 〜ヤマハ魂の伝承 〜

まあ、復活することはセローとともにヤマハ自身が広報していたので、心配していなかったのですが、問題はその内容です。

「セルつきになる」とか「リアディスクブレーキになる」という予想を立てたメディアもあったのですが、今回発表されたニューモデルは、

今までとほとんど変わらない姿で一安心です。

SRのキックスタートって慣れるまでは少々時間が掛かりますが、いったんマスターすればほぼキック一発で始動し、セルがついてなくて困ることはないのです。
ただ、ボーとしてキックするとエンジンが掛からないこともあります。
だから、キックスタートはSRに乗るための気合い入れの儀式となるのです。

SRは完璧なバイクではありません。
それどころか、欠点はいくらでもあげることができます。
・パワーがなく、遅い
・魅力である中低速での鼓動は、高速域での不快な振動になる
・今時、チューブタイヤ
・必要充分ではあるが、もう少し聞いてほしいブレーキ
・航続距離ももう少しほしい
・収納スパースなど全くない
などなど

しかし、これらはすべて「SRだからしょうがない」で片付けてしまう、そういった人がSR乗りとなるのです。
1978年生産開始のバイクだから、高性能なんて望んでいないのです。

大事なことは、変わらないことなのです。

よって、今回も、大きな変化がなくて安心した次第です。

また、発売40周年を記念した「SR400 40th Anniversary Edition」も数量限定500台で同日発売そうです。



これ、イイですね。

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津城

2018-09-07 | お城巡り

8月末のある日、津城へ行ってきました。
津城へ訪れるのは8年ぶりです。

以前(2010年)の訪問記録

津城の歴史はかなり古く、城主も色々変わってきたようです。
関ヶ原の合戦後は伊勢・伊賀22万石を任せられた藤堂高虎が入場し、大改修を行います。
藤堂氏は明治維新まで居城としていましたが、廃藩置県により廃城となり建物も破却されてしまいました。


高山神社(こうざんじんじゃ)
所在地:三重県津市丸之内27-16


藤堂高虎が祀られています。
社名は「高山居士」のおくり名に由来しているようです。


鳥居右は月極駐車場になっています。


左側の参拝者用駐車場を利用されると良いかと思います。

数に限りのある参拝者駐車場をバイクでふさいでしまうのは申し訳ないので、鳥居の裏にとめておきました。

なお、参拝者用駐車場奥に社務所があり、ここで続日本100名城のスタンプを押すことができます。

東の丸跡にあった碑


東鉄門跡


東多聞櫓跡


復元された丑寅櫓
本来は写真右にあったようです。



丑寅櫓跡

下を見下ろすと
怖い~


北多門櫓跡



土井聱牙(どいごうが)詩碑
聱牙は、津で土井塾を開き、後に藩校である有造館の五代督学(校長)になった人物です。


「永遠の平和」と題された、ブロンズ製のオブジェ


本丸跡
現在は公園になっています。


埋め門


藤堂高虎像


戌亥櫓
藤堂高虎らしい直線的な高石垣です。


西の丸から見た堀
本丸と西の丸が、お城公園になっています。
堀の外側には二ノ丸がありましたが、現在は市街地となっています。

西の丸跡には日本庭園が設けられています。


入徳門
旧藩校の講堂の正門で西の丸に移築されています。


井戸の跡


二階門跡
左には玉櫓がありました。


天守台

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新府城

2018-08-30 | お城巡り

滝山城見学を終えた後、道の駅「八王子」に寄り、帰路につきました。
帰省ラッシュの渋滞が心配されましたが、中央自動車道は相模湖を過ぎたあたりから流れが良くなり、時間的余裕もできてきました。

そこで、韮山ICで高速を降り、新府城に寄ることにしました。

韮崎市民俗資料館
所在地: 山梨県韮崎市水神一丁目3番1号
開館時間: 9:00~16:30
休館日: 月曜日,木曜日の午前中(※祝日の場合はその翌日),12/29~1/3
入館料: 無料

すみません。写真を撮るのを忘れてしまいました。
なお、受付で続日本100名城のスタンプを押すことができます。


新府城は、1581(天正9)年に武田勝頼によって築城されました。
城は未完成でしたが、12月24日に躑躅ケ崎館からの移転が行われました。
この68日後の天正10年3月3日、勝頼は織田軍侵攻を目前にして自ら城に火を放ち退去し、3月11日に田野(山梨県甲州市大和町)において、夫人と息子信勝ともに自害し、武田氏は滅亡してしまいました。

城跡北西に駐車場があります。


新府城北側には出構(でがまえ)とよばれる独特の構造があります。
湿地帯に飛び出た長方形の土盛り構造ですが、その機能はよくわかっていません。


東出構


西出構


本丸に続く石段
これを登れば県道17号線(七里岩ライン)から一気に本丸に向かうことができます。
しかし、急な石段が250段ほどあります。

ご安心あれ、少し県道を南下すると緩やかな坂が見えます。
そもそも、こちらが本来の大手道なのです。


このような緩やかな坂(これでも汗かきますけど)がカーブしながら本丸まで続いています。


大手門跡


帯曲輪


東三之丸跡
草が生い茂っていて何もわかりません。


丸馬出の跡だと思います。


西三之丸跡
ここも草だらけ


馬出跡


二之丸跡

本丸に到着しました。



藤武神社
築城の節、鎮守として祀れたのがはじまり、
藤井庄と武田庄とを前後に見下す所に在るのでこの名をつけたそうです。

県道からの石段を登ると

拝殿に着きます。

なんと能舞台があります。


武田勝頼公霊社
小さな石祠が祀られています。


甲斐国主武田氏四百年追悼碑


長篠没陣之将士の塚

帰りは石段を降りました。


中腹にある腰曲輪

県道の東は堀だったようです。
堰のようなものがあります。


水の流れを調節するためでしょか、障子堀のように堀中での移動を制限するための構造なのでしょうか。


このあと須玉ICより中央高速に乗って帰路につきました。

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滝山城

2018-08-28 | お城巡り

関東遠征2日目
ホテルで朝食を済ませ、八王子にある滝山城に向かいました。

6年前、八王子城に訪れた際、滝山城も登城しようと周到に調査・準備しておりました。
しかし、この時はかなり強い雨が降っており、八王子城だけ見学をして帰りました。
このたび滝山城が続日本100名城に登録されたこともあり、ようやくリベンジの機会を得ました。


八王子市加住市民センター
所在地: 東京都八王子市加住町1丁目338
利用時間: 9:00~21:30

ここで続日本100名城スタンプを押して、パンフレットをいただきました。
加住市民センターから南に200m行くと立派な駐車場ができていました。


滝山観光駐車場
所在地: 東京都八王子市丹木町3丁目81番地1外
利用時間: 8:00~18:00(3/1~10/31),8:00~16:00(11/1~2/末日)
駐車料金: 無料


駐車場にあった案内板
あれ!何か張ってあるぞ?


スズメバチ発生って?
夏の山城では、昆虫はつきものです。
ヤブ蚊、アブ,クモ・・・けっこううっとうしい存在ですが、スズメバチは特別です。
生命に関わります。
しかも、マムシと異なり、こちらから手を出さなくても襲ってきます。
それも集団でなおかつ、空中戦で来るので、近づかないのが一番です。

住宅地の裏山の入り口って感じの大手口

青いコーンが置いてありますね。


件のスズメバチは退治されたようで、通行止めは解除されていました。


竹林の中を進みます。
ここかなり急勾配です。
整備用の車両が入れるようにコンクリート敷きになっていますが、路面が濡れているときには注意しなければ行けません。

堀切が見えてきました。



三の丸


コノ字形土橋
わざとカーブさせておりいろいろな角度から侵入者を射ることができます。


千畳敷

隣接した角馬出

二の丸下にある馬出



行き止まりの曲輪
「行き止まりの曲輪」とは「ふくろのねずみ」という意味で、両端が狭い土橋になっていて行き止まりのような形になります。
寄せ手側には行き止まりのからくりだが、城兵からすると格好な馬出(出撃用)となり、実に巧妙な防御が施されています。


信濃屋敷
家臣の居住地です。


刑部屋敷
ここも、家臣の居住地跡です。


中の丸に向かいました。


中の丸


この建物は以前ここにあった国民宿舎滝山荘の一部です。

続日本100名城スタンプはここにも設置されています。

滝山城の背後には多摩川が流れ、その流れによって削られた急峻な崖となっています。
つまり、河岸段丘上に築かれているわけです。


木橋
本丸(左)と中の丸(右)を結んでいます。


本丸入り口
滝山城は山城であるため急坂が多いのは当然ですが、さらに土が剥き出しになっている部分がけっこうあり、滑りやすいです。
訪問する際には、杖を持参することをお薦めします。

本丸


滝山城は、武蔵国守護代山内上杉氏の重臣、大石定重が、1521(大永元)年に築城したといわれています。(その子定久の築城とする説もあります。)
やがて、北条に降って傘下となると定久は北条氏康の三男、氏照を養子に迎えて隠居.。
滝山城は氏照に任せられます。
1568(永禄11)年には、武田信玄が侵攻してきましたが、何とか絶えることができ、滝山城をあきらめ、小田原城へと向かったそうです。
ただ、この後、城主氏照はより堅固な要塞を求めて八王子城築城を決意、1584(天正12)年ごろ、八王子に城を移して滝山城は廃城となりました。

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品川台場

2018-08-25 | お城巡り

猛暑の中、石垣山城、寒川神社、鶴岡八幡宮、三笠公園、古机城と見て廻ってきました。

見学地を欲張りすぎたと思っていましたが、ここまでは予定どおりに進めることができました。
しかし、次の目的地である品川台場に向かうために首都高速を走っているとしっかり渋滞にはまってしまいました。
この日は8月10日ですから、帰省ラッシュではなく日常的な渋滞なようです。
首都高を使ったことはありますが、バイクで東京を通過する程度であり、今回のようにクルマで都心を走るのは、思えば初めての経験です。
さらに臨海副都心出口がよくわからずに行き過ぎてしまい、回り道をする羽目となってしまいました。

そんなこんなで、16時40分頃ようやく潮風公園第一駐車場に到着できました。


潮風公園第一駐車場管理棟
所在地: 東京都品川区東八潮1
利用時間: 9:00~16:00

ここの1階受付前で続日本100名城のスタンプを押すことができます。
実は私、大きな勘違いをしていました。
17:00に間に合うように焦ってきたのですが、受付時間は16:00まででこのときすでに時間を過ぎていました。
そうとは知らず、お邪魔してスタンプを押してきてしまいました。
まさに、知らぬが仏でした。

1853(嘉永6)年、ペリー艦隊が来航して幕府に開国を迫りました。
これに脅威を感じた幕府は、江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川英龍に命じて、洋式の海上砲台を建設させました。
品川沖に11基ないし12基の台場を一定の間隔で築造する計画だったそうです。
工事は急ピッチで進められ、およそ8か月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場(品海砲台)と呼ばれるようになりました。

現在、お台場といえば東京港埋立第13号地全体を指し、さらには同埋立第10号地をも加えて東京臨海副都心地区を指します。

海岸沿いは、お台場海浜公園として整備されておりここから台場を臨むことができます。

後ろに見えるレインボーブリッジには、歩道も設けられており、そこから台場を見下ろすことができるそうなので、ここをめざして歩きました。

しかし、まだ数kmあること、さすがに疲れてへとへとになってきたこと、日が暮れてきたこと、予約したホテルは荻窪にありそこまでの道の渋滞が心配だったことなどから、写真だけ撮って近づくことをあきらめちゃいました。




疲れたので、駐車場へは「ゆりかもめ」で帰りました。


何気なく車窓を見ていると赤い自転車がたくさんとめてあるのに気づきました。
後から調べてみると、「江東区コミュニティサイクル」だったようで、これを利用すればレインボーブリッジまで行くことができたかなぁと反省しています。

予想どおりホテルまでの道は渋滞していましたが、無事に到着することができました。

夕飯は、スタミナ丼をいただきました。


これ愛知県にないのです。
出店したら売れると思うは私だけでしょうか?

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小机城

2018-08-23 | お城巡り

旅行に出かけた頃、東海地方は災害的猛暑でしたが、

横浜もまた暑かったです。

JR横浜線小机駅南口近くにある横浜市城郷小机地区センター前のコインパーキングに駐車しました。


横浜市城郷小机地区センター
所在地: 神奈川県横浜市港北区小机町2484−4
開館時間: 9:00~21:00(平日・土曜日),9:00~17:00(日曜日・祝日)
休館日: 第4月曜日(祝日の場合は翌日),12/28~1/4
1階で続日本100名城スタンプを押して、パンフレットをもらいました。

小机城へはここから徒歩10分程度です。


民家の向こうの小山の中にあります。

新横浜から1駅しか離れていないのに、田畑が見られます。

住宅地脇に入り口があります。

小机城は15世紀半ば(室町時代)には築城されたと考えられています。
戦国時代には北条氏の軍事拠点になりましたが、徳川家康の関東入りの後に廃城となったようです。
現在は小机城址市民の森として保存されています。


根古谷
平時の城主や家臣の屋敷がありました。
現在はトイレや水場がある広場となっています。

杉林になっている城跡はよくありますが、ここは竹林になっています。


空堀に土橋がかかっています。

本丸と二の丸の2つの曲輪を中心にそのまわりを土塁と

空堀で囲み、

さらに腰曲輪を配置しています。
そのひとつ

櫓台跡

こちらも櫓台跡


井楼(せいろう)跡
どこに井戸があったかはわかりませんでした。


二の丸跡

少し離れたところにある

本丸跡



この門は最近作ったものでしょう。


本丸南にあった腰曲輪?

残念なことに小机城の西部は第三京浜道路によって分断されています。

第三京浜よりも西は富士仙元とよばれています。
櫓跡と思われる土盛りに「富士仙元大菩薩」と彫られた石碑が建っていました。
これは関東でよく見られる富士塚とよばれるもので、江戸時代になってから櫓跡に富士山信仰のための石碑を設置したようです。

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