橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

大垣城

2018-07-28 | お城巡り(続日本100名城)

猛暑の中、大垣へ行ってきました。

大垣城は2008年に一度訪れていますが、続日本百名城に認定されたため再度訪問してみました。
2008年の訪問記事はこちら → 大垣城

10年前には多く見られた路上駐車は、全くなくなりました。

バイクの駐輪場の整備され、400ccでも200円/日とお手軽な値段なのでここにとめることにしました。


大垣駅西自転車駐車場

大垣は来るたびに観光整備されていることに気づかされます。
それでも、このような


一昔前の名残が見られる建物の点在します。

コーラの値段も一昔前のまま?


艮(うしとら)櫓


東門
かつての柳口門を移築したものです。


天守
所在地: 岐阜県大垣市郭町2丁目52
開館時間: 9:00~17:00
休館日: 火曜日・祝日の翌日・年末年始
料金 : 大人 100円

続日本百名城スタンプは受付で押すことができます。
1873(明治6)年に発布された廃城令以降も破却を免れ、旧国宝にも指定されていました。しかし1945(昭和20)年7月29日の大垣空襲により焼失してしまいました。
現在の天守は1959(昭和34)年に、外観復元したものです。
一時、観光用に窓を大きくするなどの改変がなされましたが、2011年外壁改修工事の際、史料を基に焼失前の外観に近くなるように改修されています。

天守最上階から西を見てみました。
矢印の山脈の切れ目の部分が関ヶ原です。

東側の風景
矢印の部分が岐阜城がある金華山です。


麋城(びじょう)の滝
麋城とは大垣城の別名です。
天守を南におりたところにある人造滝です。


金森吉次郎像
金森吉次郎は、1864(元治元)年大垣市で生まれ、治山治水に対して熱心に取組んだ方だそうです。


鉄門跡


このあたりに埋門があったようです。


西門
本来、本丸の門は南側の鉄門(くろがねもん)と北側の水之手門だけだったが、1985(昭和60)年に行われた修景整備の際に模擬門が造られました。


戸田氏鉄像
江戸時代になっても大垣藩主は安定せず、短期間に4家も移り変わった。
しかし、1635(寛永12)年、摂津尼崎藩より戸田氏鉄が10万石で入って、以後は戸田氏の支配で安定しました。


大垣市郷土館
所在地: 岐阜県大垣市丸の内2丁目4番地
開館時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日: 毎週火曜日(火曜日が祝日の場合はその翌日),祝日の翌日,年末・年始(12/29~1/3)
入館料: 一般 100円 , 18歳未満 無料

大垣城のある大垣公園脇にある博物館です。
歴代大垣藩主(戸田氏)の肖像、武具の展示の他、江戸時代から昭和の大垣市出身、ゆかりの画家、書道家、書人の絵画、掛け軸などの美術品を展示されています。
最後の家老、戸田鋭之助の屋敷跡である。正門と塀(附船板塀)は当時のものです。


庭も立派ですね。

往時の大垣城は、本丸と二ノ丸の周囲を三ノ丸で囲い、更に外周に城下町を配置し外側を堀で囲む惣構としていました。
この外堀には七つの門があったとされ、これを見て歩こうと思いました。


辰之口門跡
城の北にありました。


大垣藩の藩校にあった孔子像

時計回りに進むことにします。


清水口門跡
城の西にありました。


竹橋口門跡


西総門(京口門)跡

南側の水量は普段は少ないようです。


東総門(名古屋口門)跡

清流を湛える東側の堀

猛暑日の中、総構えまわりはきつかったですが、
そこで、大垣名物の水まんじゅうをいただいて生き返ったしだいです。

コメント (6)
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エンジン警告灯が点灯した

2018-07-15 | マツダ デミオ

デミオのエンジン警告灯が点灯しました。

蒸し暑い日の昼、クルマで出張先に向かう際に気がつきました。

四輪運転歴34年ですが、このランプが点灯するのを見たのは初めての経験です。
とりあえず、バグであることを祈りつつ、信号待ちの際にいったんエンジンを停止させて、再び始動。

レーダー探知機の電源をODBⅡコネクターからとっていますが、これによって誤表示されることがあると聞いたことがあることを思いだしました。
レーダー探知機の電源を外し、エンジン再始動してみましたが、警告灯は消えません。

とりあえず、出張先に向かうために運転することにしましたが、
違和感なく走行でき、特に不調を感じることはありませんでした。

出張業務は二時間半ほどで終了し、帰路につくべく再びエンジン始動しました。
相変わらず、エンジン警告灯は点灯したままです。

途中、コンビニによりました。
すると、エンジン警告灯は消えていました。
点灯してから、40kmぐらい走ったと思います。

その後、警告灯が点灯することはなく、エンジンの調子も良い状態が続いてました。

ところが、22日後のことです。
奇しくもまたしても出張の帰り、エンジン警告灯が点灯してしまいました。

今度も別段不調を感じることもなく、約20km走行したところで警告灯は消えました。

2回に共通した特徴をまとめてみました。
・DPF再生が終わってしばらくしたときに発生した。
 (DPFとはディーゼル微粒子捕集フィルターのことで、走行しているとここに燃えかすが付着してしまいます。このため、デミオディーゼルはときどき燃えかすを燃やしてしまう作業を行います。)
・エンジン始動時に警告灯点灯を確認
・エンジンをいったん停止してみて、再度始動してみたが警告灯は点灯したままだった。
・しばらくした後(20~40km走行)、エンジンを始動すると警告灯は消えていた。
・2回ともエアコン稼働中であった(ディーラーによるとエンジン警告灯とエアコンは無関係だそうです)。

さすがに2回目点灯したときに、これはまずいと思いディーラーに連絡しました。

週末、チェックしてもらったところ、排気ガスをマフラーに送るバルブがおかしいのではないかと判断されました。
DPF再生の際は、排ガスの熱を利用するため、このバルブを閉じ、通常時は開いているのですが、この開き具合が不十分であるとのことです。

対策としてはマフラーのミドルパイプを新品に交換するとのこと。

部品は翌日には手に入ったのですが、ここのところ仕事が混んで平日にディーラーに行くことはできず、次の週末まで待たなければいけませんでした。

すると、その1週の間になんと2回もエンジン警告灯が点灯しました。
確実に悪化していたようです。

交換作業は1時間ほどで済み、その後、警告灯が点灯することはなくなりました。
あれから一週間たちましたが、異常は感じられず調子よく走ることができます。
とりあえずなおったようです。

マツダのSKYACTIV-Dはすばらしい技術ですが、まだまだ歴史が浅く、耐久性では疑問が残ります。
今回は保証期間中であるので無料で交換してもらえましたが、長く乗るつもりですから今後延長保証にも加入しなければいけないとおもっています。

コメント (4)
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