橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

開田高原ツーリング

2010-08-29 | ツーリング

いよいよ夏休みも残すことわずかになりました。
生徒諸君は宿題の追い込みに忙しいことと思いますが、彼らが忙しいときはなぜか私は暇となります。
FSOC関西メンバーも仕事・家族サービス・水浴びと何かと忙しいようで、今回は私がむにゃあ隊長の面倒を見ることにあいなりました。

希望に沿い、①涼しい開田高原を快走するコース,②中津川の酷道・田園道を経てハヤシの恵ちゃんを楽しむコースを提示しました。
隊長が選んだコースは①、これは正解です。②の中津川・恵那あたりは日本でも有数の猛暑都市多治見の近くですから・・・
ただし、②の場合、岸和田からだと日帰りの限界に近い(常識ある人はしない)コースなので、時間節約のためほとんど走りっぱなしになってしまいました。

【コース】中央道 屏風山PA(第1集合場所)→伊那IC→国道361号→道の駅「日義木曽駒高原」(第2集合場所)→国道361号→(木曽大橋)→国道361号→開田高原・昼食→国道361号→道の駅「飛騨たかね工房」→(高山)→せせらぎ街道→国道257号→道の駅「パスカル清見」→国道472号→飛騨美濃道路→国道472号→郡上八幡IC→東海北陸道

第1集合場所は屏風山PAです。

むにゃあ隊長。今夏はシールがないようです。ザムザは鳥にやられて、カエラは産休なのでしょうか。


たんぽぽさん。カッコイイバイクですね!


これ気になりました。

シルバーウイングのハンドルはパイプでできて、カバーが付いています。
カバーをはずすとポスト部分がみすぼらしくなるのです、そのポスト部分だけのカバーが付けてありました。
これにより、パイプ部分を活かすことができ、ナビやドリンクホルダーの取り付けが可能となります。
帰宅してから調べてみましたけど該当パーツがわかりません。フォルツァのものが使えるみたいなのですがどうなんでしょうか。

しかし、この日の中央道は交通量が多くスピードが出せません。結局30分ほど遅れてしまいました(そもそも時間を読みちがえているという説もありますが)。

伊那インターを降りて、権兵衛トンネルに向けて走ります。
涼しくさわやかで、道もすいていて実に気持ちがいい。今思うと権兵衛トンネルを抜けたあたりまでが一番爽快でした。

第2集合場所である道の駅「日義木曽駒高原」に到着。

遠路はるばる来られた(でも、むにゃあ氏の方が遠いみたい)東の隊長の「ガス山」さん


富山から逆コースを走って来た「たかしー」さん


静民さんはW650で参加です。ピカピカでカッコイイ!


あれれ!「ひえぴた」さん!

道の駅巡りのついでにわざわざここまでお見送りに来てくださいました。どうもありがとうございます。

挨拶もそこそこに開田高原へ、ちょうど12時になり、昼食です。


ここは、けっこう有名な蕎麦屋なんですよ。

残念ながら御嶽山は雲に隠れていました。

この日は暑かった。直射日光が強いから、標高1000mを超える開田高原でも暑いかったです。

ただ、道沿いに植えられたコスモスはすでに花を咲かせ見た目さわやかさを伝えてくれます。
さわやかといえば、このような暑さ対策アイテム「霧吹き」をつかう方も・・・!

高山までワイングディングの連続です。
休憩に立ち寄った道の駅「飛騨たかね工房」

ひえぴたさんが差し入れてくださったかりんとうを皆でいただきました。
「東京にはこんな上品なものがあるんだなぁ~」(むにゃあ氏談)

高山に宿泊される静民さんとはこの後お別れし、むにゃあさんともせせらぎ街道入口で別れました。

飛騨せせらぎ街道は、高山市清見町から、郡上市市八幡に至るまでは国道257号・472号である。約70kmの道路の愛称です。
高原の川沿いを通る緩やかなワインディングロードで景色よく、すずしく、それでいて交通量も少ない絶好のツーリングロードなんですが・・・・・
この日は通行量も多く、やっぱり暖かい!
平地の暑さとは違いますが、ポカポカの中ゆっくり走っていると眠気が今度は襲ってきます。

道の駅「パスカル清見」です。
ここで、タンポポさんとお別れ、ガス山隊長・たかしーさんとは郡上八幡ICで別れました。
ツーリングコースとしては充分ワインディングを堪能できたと思いますが、いかんせんもう半月遅ければと言ったところでしょうか。
おつきあいいただいた皆様ありがとうございました。

[今回の反省]
・世の中には、宿題を済ませたよい子もいっぱいいるので夏休み最後の土日でも交通量は多い。
・下界が暑いときは高原も暑い。天気が良ければ紫外線は強い。


本日の走行距離 440.4km

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出石城(いずしじょう)

2010-08-28 | お城巡り(日本100名城)

そもそも出石という地名を知ったのは今から1年半ほど前のことです。
11-11という方のブログ「フォーサイト日?記」に皿そばが紹介されていたことが始まります。
今や、そばで日本中名をはせた出石ですが、もともとは出石城を中心とする城下町でした。


戦国時代は後方の有子山に山城が設けられていましたが、1604年(慶長9)、小出吉英により有子山城が廃され、有子山山麓に出石城が築城されました。
江戸時代は、出石藩の藩庁となりました。


端を渡り、門をくぐると、下の丸です。


石段を上がると二の丸、さらに一段上がった櫓があるところが本丸です。


なぜか、石段には多くの鳥居が並んでいました。
この日は非常に暑かったのですが鳥居に下げられた多くの風鈴が涼感をかもしだしておりました。

本丸跡です。

東隅櫓です。下から見ると迫力ありますが裏から見ると意外に小さな建物であることがわかります。


出石で忘れてはならないのが、辰鼓楼です。

辰鼓楼は1871(明治4年)に建設されました。

当時は1時間ごとに太鼓で時を告げましたが、明治14年より大時計に付け替えられています。
かつては辰鼓楼横に大手門があり、その内側に三の丸がありました。
現在は商店や駐車場が設けられています。

暑かったことと時間の関係で有子山城や城下町をゆっくり散策することができませんでしたが、風情あるところです。

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竹田城(但馬国)

2010-08-22 | お城巡り(日本100名城)

竹田城は、嘉吉3年(1443年)に山名持豊(宗全)が築城し、家臣太田垣光景に守らせたのが始まりです。
天正元年(1573年)、播磨龍野城主赤松広秀はここを攻め、自ら城主となりました。
天正5年(1577年)、豊臣秀吉がによる播磨侵攻により、竹田城も攻められ落城しました。
しばらく城主はいろいろ代わりましたが、天正13年(1585年)再び赤松広秀が城主に任じられ、現在残る石垣群が築かれました。
しかし、赤松広秀は関ヶ原の役では西軍に加担して自刃し、竹田城も廃城となりました。

 
JR竹田駅です。公共交通機関を利用するならば、この駅から徒歩(と言っても山道ですが)約30分です。
ちなみに、日本百名城のスタンプはこの駅に置いてあります。
 
猛暑日であることに加え、タケさんとの待ち合わせを控えていたので、この日は本丸そばの駐車場までバイクで行きました。
駐車場は整備され、広いのですが、道は狭く極めて急坂であるため、初心者や運転に自信のないドライバーは避けた方がいいかと思います。

駐車場から登城コースは、2つあります。

私は、亀さんコースを選択しましたが、それなりの坂道が続き、猛暑日だったこともあり汗が噴き出て、息が乱れてきます。



到着しました。道は階段状になりますますきつくなります。でも、疲労感は吹っ飛びます。なぜなら、


このような見事な石垣が目に飛び込んでくるからです。


大手門
このような山城にあって迫力ある立派なものです。


北千畳


さらに登っても、まだまだ三の丸です。

ただし、こんな光景が眼下に広がり、

見上げると、目指す本丸が目に入ります。

武の門を通ると、

二の丸です。



さらに登ると、本丸です。
端には天守台があります。


天守閣の跡です。

ここに立って南部分を見下ろすと、

充分美しいですが、
ときおり城下の円山川の川霧が周囲を包むとそれはそれは神秘的な光景となります。

本丸を降りて、高石垣を振り返ってみました。

空とのコントラストもいいですね。
 
竹田城は、中央の一番高いところに本丸を置き、南北に階段状にいくつかの曲輪を配しています。
南側へ一段下がると平殿です。


ここを降りていくと、


南二の丸

その下に正門があります。

南千畳です。

ここから、振り返って石垣群を撮影しました。


一般的には、「三大山城」は岩村城(美濃),高取城(大和),松山城(備中)を指します。
また、「日本五大山岳城」として月山富田城(出雲),七尾城(能登),観音寺城(近江),春日山城(越後),八王子城(武蔵)を挙げる意見があります。
五大山岳城のうち八王子城の替わりに小谷城(近江)を入れて「日本五大山城」とする主張もあります。
上記の城のすべてへ行ったわけではないのですが(青字の城は未訪問です)、いずれにも竹田城が入っていないのが不思議です(おそらく早い時代に廃城になったからだと思います)。
建物こそありませんが、規模といい迫力といい景色といいきわめてすばらしい山城でした。

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伊和神社(いわじんじゃ)

2010-08-20 | 一の宮巡り

播磨国の一の宮は伊和神社です。
国道29号線沿いにある道の駅「播磨いちのみや」の道を挟んで向かいにあり、駐車場も共有しています。

まずはうっそうとした木立に包まれた参道を西へ進みます。

鳥居をくぐりぬけると

神門があり、ここで参道は90度曲がり南向きになります。

拝殿です。その奥には、

弊殿があり、さらに

本殿があります。

伊和神社の祭神は、大己貴神(おほなむち)であり、伊和大神とも大汝命ともよばれ、実は大国主神(おおくにぬしのみこと)の別名です。
このように多くの別名を持つのは神徳の高さを現すと説明されますが、元々別の神であった神々を統合したためともされています。

本殿裏には鶴石とよばれる石が祀られています。


伝承によると、564年、豪族・伊和恒郷に大己貴神から「我を祀れ」との神託がありました。
そして、一夜にして木々が群生し、大きな白鶴二羽が石の上で北向きに眠っていたそうです。
伊和恒郷はそこを鎮座地と決め、社殿を北向きに造営したとされています。

そう言えば、北向きの社殿は大変珍しいですね。


                                           伊和神社
                             兵庫県宍粟市一宮町須行名407

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津山城

2010-08-15 | お城巡り(日本100名城)

慶長8年(1603年)信濃川中島藩より森忠政(森蘭丸の弟)が入封し津山藩が立藩しました。
忠政は、従来、「鶴山」と呼ばれていたこの地を「津山」と改め、津山城の築城に着手し、元和2年(1616年)に完成しました。

さらに城下町も整備し、藩政の基礎が築きました。
その後、森氏は断絶され、越後国高田藩より松平宣富入封、以後、明治4年(1871年)の廃藩置県まで城主となりました。

津山観光センター駐車場にバイクをとめ、石段を登って城へ向かいました。


平山城ですが石段をいくつの登らなければならないので、杖を借りるといいでしょう。


石段を登ると、


三の丸です。

表中門を過ぎると、


平成17年に復元された備中櫓を仰ぎ見ることができます。

切手門です。


どこの城でも石段はわざと登りにくくなっています。現代人の体格でも高さも幅も大きめになっていますので、このような対処はとてもありがたいです。


表鉄門を通ると、


いよいよ本丸です。

もともとは門の上に玄関がある特殊な構造になっていたそうです。

往事の津山城の図です。


4重5階の天守閣も明治時代に破却されてしまいました。


現在ある建築物は、復元された備中櫓のみです。

内部に入ることもでき、津山城のCG復元VTRを見ることができ、城下町を見下ろすこともできます。

夏休み中の日曜日でしたが、15:00過ぎだったせいか見学者も少なく落ち着いて見学することができました。


                鶴山公園 (かくざんこうえん)
                 岡山県津山市山下135
          開園;8:40~19:00(~17:00 10月~3月)
               休園;12月29日~12月31日
              入園料;大人210円,子供105円

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鬼ノ城

2010-08-12 | お城巡り(日本100名城)

FSOC西日本ミーティングの翌日、メンバーの方々と岡山県総社市にある鬼ノ城へ行ってきました。

岡山道岡山総社ICから3kmほど北西へ行ったところに砂川公園があります。
さらに3kmほど進むと鬼ノ城駐車場になるのですが、この道が急勾配の上、狭いです。自動車だとすれ違う場所が限られるので充分注意していかなければなりません。
ただし駐車場は充分な広さでした。

駐車場の奥に見える建物は、鬼城山ビジターセンターです。
ここは、資料館と休憩所からなる施設です。
登城前の予習と登城後の休憩に利用されるといいと思います。
ただし、飲み物の販売はここを含めて城内にはありませんので、あらかじめ用意して用意しておかなければなりません。

鬼ノ城は、正規の歴史書に登場しないので誰が何のために建てたか謎が多い城です。
一説には、朝鮮半島からの渡来人が居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて鬼ノ城と呼んだと伝えられています。

しばらくは山登りとなりますが、登り口にはこのように杖が用意されております。

  
鬼ノ城は、すり鉢を伏せたような形の山で、この山の八合目から九合目にかけて、城壁が2.8kmにわたって鉢巻状に巡っています。

平成8年の発掘調査で発見された遺跡を元に復元された西門です。

めずらしい、古代の朝鮮式山城です。

城壁は、列石の上に、土を少しづつ入れてつき固めた版築土塁で平均幅約7m、推定高は約6mもあるそうです。

城内の中央部にある礎石群です。

食品貯蔵庫の跡と推定されています。

城内を一周するには90分ほどかかるので、それなりの装備と気力が必要です。


                      鬼城山ビジターセンター
                      総社市黒尾1101-2
                   休館日;月曜日と年末年始(12月29日から翌年1月3日まで)
                                      開館時間;8:30~17:15

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我にふたたび光りあれ

2010-08-09 | SILVER WING 400

ツーリング途中でナビの電源が入らなくなりました。
初めはナビそのものが昇天したかと思っていましたが、ライト(上下とも)も点灯してないことに気づき、ショートを疑いました。

いったんは切れたヒューズを交換し回復したものの、翌日には再発し、その後ヒューズを取り替えても瞬時に切れてしまいました。

そもそも、シルバーウイングにはアクセサリーソケットが装備されていますが、常時通電なのです。これをキー連動でONOFFにすることと、ナビ専用の電源の増設のため、橋吉号は自作回路を取り付けています。

(参考)ACCソケットのキー連動化
http://blog.goo.ne.jp/pf11/c/35f218d65f0247cf9a1a532c4cd81e30/1

これの端子部分が接触して、ショートしていると想像しました。

修理よりも大変なのは外装外しおよび取り付けです。


まずは、スクリーン下のカバーをはずします。


スクリーンを取り外します。


メーター上のカバーをはずします。


アンダーカバーのボルトを取り外します。


これでようやく、フロントカウル内があらわになりました。



手前に見える赤黒のコードが自作回路です。

もともとソケットソケットの間に挟み込む形になっていましたので取り外しは簡単です。

取り外すとこんなにすっきり!


いい加減の絶縁処理(黒ビニルテープで補修してあります)ですが、これが原因ではありませんでした。

なんとナビの電源コードが溶けていました!

ライトの後方にあったので、熱に耐えられなかったのでしょうか?


ともかく原因はわかったので、ヒューズを交換し、キーをONにすると、

無事点灯しました。

電源コードを失ってしまったナビを、自動車のレーダーの電源コードを寸借してテストしてみました。

よかった、こわれてなかった!(このナビは衛星を捕捉するまでは以前の画面を表示しますので、画面が岡山ですが大丈夫です。)

ナビの電源コードは作り直し、今度はもともとのアクセサリーソケットからとろうと思っています。

とにもかくにも、これで復活です!

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西日本ミーティングの翌日(怒濤の後編)

2010-08-07 | ツーリング

ツーリング2日目にトラブルがありました。
津山城見学を終えて、ナビを起動してしばらくすると電源が切れてしまいました。
このナビは古い上に酷使しているせいか、最近どうも電源部分の接触が悪くなっていました。
で、とうとう天寿を全うしてしまったかとそのときは思っていたのですが・・・

高速を走行中にライトが点灯していないことに気がつきました。ハイビームも点灯していません。
ということはヒューズが切れたのでは?

実は津山城で、にわか雨に遭いました、ナビはしまってあり濡れていないのですが、電源端子は剥き出しのままでありショートしたのではないかと思いました。

とりあえずキャンプ場へ行き、ヒューズを見てみると見事に切れていました。
予備のヒューズに変えたところ、ナビは動きませんがライトは無事つくようになりひとまず安心したわけです。

しかし、なぜか不安感は消えません。

これは的中し、帰路でまたライトがついていないことに気がつきました。
木之本ICのホームセンターでヒューズを買い付け替えたのですが、今度はすぐにとんでしまいます。
おそらく、ライトの電源コードから分岐した、ナビ電源コードがショートしているものと推察されます。

心当たりがあります。自分でこの回路を取り付けたとき端子部分の絶縁が不十分で金属部分に触れてショートしました。
このときはビニールテープをまいて補修しておいたのですが、立ちゴケで外れてしまったのでしょうか。

修理そのものは簡単です。問題はそのために外装をはがすことです。
シルバーウイングは大変手間がかかります。
場所は木之本IC、時間は18:00、さあどうする?

えい!ままよ!
走れるまで走ろうと高速に乗りました。
日が落ちないうちに高速を走りきろうと、名神の羽島ICまで飛ばしました。
ここから、自宅まで一般道で40分です。
周囲がだんだん暗くなってきたので、今度は逆にスピードを落とし、自動車の後ろにコバンザメのようにくっついて走りました。
シルバーウイングはウインカー部分がポジションライトになっておりこれも良かったです。
こうして、19:15なんとか自宅にたどり着けることができました。

(余裕がなかったので今回は写真なしです。)


三日目の走行距離 393.4km

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西日本ミーティングの翌日(前編)

2010-08-06 | ツーリング

【三日目(8/1)の行程】
書写アウトドアパーク タロリン村→(県道413号)→(県道80号)→(国道29号)→道の駅「播磨いちのみや」→伊和神社→(国道29号)→道の駅「みなみ波賀」→(国道29号)→(国道429号)→(国道312号)→道の駅「あさご」→竹田城→(国道312号)→(迷走)→道の駅「但馬のまほろば」→(迷走)→道の駅「但馬楽座」→(国道312号)→(県道2号)→出石城→(国道426号)→(国道9号)→福知山IC→(舞鶴若狭自動車道)→小浜西IC→(国道27号)→(国道303号)→木之本IC→(北陸道)→米原JCT→(名神)→羽島IC


朝食を食べた後、朝の涼しいうちに撤収します。しかし、そうした間もぐんぐん気温は上がって汗をかいてしまいました。
出発間際、タケさんより用事が済み次第合流するとのメールが入りました。まったく心強いことです。

委時間ぐらい走って道の駅「播磨いちのみや」で休憩、なんと播磨国の一宮は国道を挟んだ向かいにありました。

一の宮マニアでもあるので、当然参拝しました。

タケさんの薦めで国道29号→429号と走ったのですが、この429号が凄い!

29号から入るとすぐの高野峠は、林道が舗装してあるだけの国道ですが、しばらくすると妙にいい道になったり、また狭路になったり、はたまた明延鉱山の廃墟が突然出てきたりと変化があり飽きない山岳道路でした。

本日の第1の目的地の竹田城です。見応え抜群、

ド素人の私にもこんな迫力のある写真が撮れちゃうのです(詳しくはまた後日)。

この後、道の駅「但馬楽座」でタケさん待ち合わせていましたが、ここで痛恨のミス!

なんと、別の道の駅「但馬のまほろば」へ行ってしまいました。

前日からナビが使えなくなったため、その後も道を間違えたりして随分待たせてしまいました。タケさんごめんなさい。

合流後、暑い日に兵庫県一暑い豊岡市の出石へ行ってきました。
まず、出石城を見て、

いよいよ本日第2の目的の出石の皿そばです。

小皿に分けてあって、つゆだけで食べたり、薬味を入れたり、玉子やとろろも入れたりと変化を楽しんで食べるそうです。
一人前5皿では並の成人男子では足りません。私たちは10皿ずついただきました。

正直言って、期待したほどではなかったと思っていたのですが、
食事した店で買った土産用そばを後日家族でいただいたところ、大好評!ちんまい皿に少しずつ乗せるより大きさらにどんと盛る(出石には大皿盛りというのがある)方がおいしいようです。つゆも最初から玉子を入れて食べた方がおいしいようで子供達も喜んでいました。

出石からは福知山を抜けて、舞鶴若狭自動車道→鯖街道→木之本から北陸自動車道→名神という経路です。
一見遠回りのようですが、渋滞の心配はほとんどなく、海沿い・山の中を気持ちよく走ることができます。

しかし・・・・怒濤の後編に続きます。

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FSOC西日本ミーティング(2日目)

2010-08-05 | ツーリング

【2日目(8/1)の行程】
国民休暇村 蒜山高原キャンプ場 → 蒜山IC→(米子道)→ 落合JCT →(中国道)→ 北房JCT →(岡山道)→ 岡山総社IC → 鬼ノ城 →(国道429号)→ 道の駅「かもがわ円城」 →(国道429号)→ 津山城→ (中国道) → 山崎IC →(国道29号)→(なんか適当な道)→ 書写アウトドアパーク タロリン村


4時30分に目が覚めました。橋吉の朝は早い、キャンプとならばなおさらです。
しかし、隣のテントの11-11翁はすでに起きてごそごそしておりました。「年寄りが早起きなのは古今東西を問わないのだなあ」とそのときは思っておりました。
なにしろ、クワガタを見てこんなに喜んでおられたくらいですから。

一人また一人とサナギから抜け出す我のごとく、おじさん達が羽化をして出てきました。
各自が朝食を用意しているところです。

やがて、宿泊連組のみなさんも到着して、みんなで集合写真を撮りました。こうしてみると壮観ですね。

空豆さんに案内していただき、総社市の鬼ノ城へ行ってきました。

めずらしい、古代朝鮮式の山城です。

このあと、11-11さん・シルバーさん・Qさんで津山へ向かったのですが、しきりに11-11さんが眠気を訴えます。

昨晩よく寝られなかったようで体調が思わしくないようでした。
もう回復されているでしょうか。心配です。

津山の新名物のホルモンうどん

まあ、こんなもんかなといったところ・・・

ここで3人とお別れですが、私も疲れていたのでしょうか。駐車場で踏ん張りきれずに立ちゴケをしてしまいました。
幸い11-11さんが手伝ってくださりすぐに起こせましたし、本人もバイクも傷らしい傷もありませんでした。
しかし、この件が後々影響をもたらします(それは続編で)。

予定通り津山城を訪問し、

姫路の山中にあるタロリン村にキャンプしましたが、なんとテントは私一人!


管理人さんも「なんかあったら電話下さい」と電話番号を書いた紙を渡して帰宅する始末。
したがって、やりたい放題でした・・・・・・・・といっても、大きな音でおならするくらいですけど。

本日の走行距離 282.9km

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