日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

ウード奏者常味裕司の演奏と語り口に酔いしれる

2017-02-07 19:01:11 | 自然
武庫川女子大学教授岡崎甚幸教授の企画・構成による`日本工業倶楽部会館大会堂`での講演会を拝聴すると、どの企画も僕の問題意識と重なることがあったり、思いがけない視点での論考に眼を見張らせられたりすることもあって興味が尽きない。とりわけ「シルクロードのキリスト教文化」のシリーズは、見果てぬ夢への刺激を受け、思わず瞑目したくなることが度々おこる。

この2月4日(土)の、篠野士郎東京工大教授の「東アナトリアのキリスト教建築」と杉本智俊慶応義塾大学教授の「聖地イスラエルのビザンツ教会」というテーマと論考に好奇心が刺激されたものの、現在の生々しい迫害・戦地の様相などには全く触れられなかったことに、ある意味ショックを受けた。
学者・研究者とはそういうものかと瞬時思ったものの、この一文を書きながら、とりわけ本智教授の柔らかい語り口に人柄が感じ取れたことを思い起こし、僕も含めて聴講者の常識として、あの地域の厳しい状況をある程度知っていることを前提としての講義、つまり僕の知識不足が問題なのかもしれないとついつい考え込むことにもなった。

ところで伝えておきたいのは、お二人の講義の前と、講義が終わった後に登場されたウード奏者常味裕司氏の演奏と語り口に酔いしれることになったことだ。ウードと言う楽器の説明をうまく出来るとは思えないので割愛したいが、そうもいかないだろう。
形態はマンドリンやギターの様相、琵琶にも類似している。11弦なのはアラブ・トルコなどの微妙な音階を奏でることによって生まれたのだろう。

それはそれとして、微妙な音階と常味氏のお人柄とが一体となって、得も言われぬ見果てぬアラブの空気を味わうことができた。同行したわが娘もこの常味氏の演奏と、伝わってくるアラブ・トルコの自然と人々のその姿を感じ取った様相で、親子で、得も言われぬ一時を過ごすことができたことを伝えたくなったものです。

<会場での写真撮影は遠慮してほしいとのことで写真がありません。案内チラシの一部を紹介しておきます>