5月27日午後の羽田空港、四国松山空港へのフライトを待ちながら放映されたTV、オバマ大統領の広島平和公園でのメッセージにくぎ付けになった。
翌28日9時半から行われる松山から車で走ってほぼ1時間半かかる鬼北町の、「鬼北町合併10周年記念」と、A・レーモンドの設計した町役場、「庁舎(町役場)再生記念の式典」に参加するために、フライトの1時間ちょっと前に羽田に着いた。
ところが滑走路での事故によりゲートが閉鎖されていて、掲示板でも出発できるかどうかは未定とされている。さてどうなることかと様子をうかがっていたら、すでに待合場は長蛇の列、これはいかんとともかく並ぶことにした。その長さ数百メートル、すぐの僕の後ろにも大勢の人の列が繋がっていく。
掲示板には次々と欠航の文字。僕の後ろに並んだ函館に行くというおばちゃんがスマホを見て、どうやら大韓航空機が滑走路で炎上したようだと僕に伝えてくれた。
友人と函館で待ち合わせていたが欠航なので千歳で会おうということになったようだ。でも掲示板に千歳の名が出てこないと困惑しているので、千歳空港は「札幌」ですよ!と教えると仰天。初の北海道の旅だそうな! なんとなく仲良しになった。
さて、掲示板の松山行きは欠航だが、その後の便は就航未定だが満席と表示、最終便の掲示がない。ダメもとでと思って2時間並んでやっとフロントにたどり着き、可愛い女性の担当者に相談したら、最終便は満席だが、その前便には3席ある、でも出立できるか欠航になるかは確定していないとのこと。ダメもとでとチケットを受け取り、取りあえず機械で入力してみて待機してほしいと言われて機械操作。そして15分ほど待っていたら就航の文字。出発はさらに1時間半ほど遅れるが、何よりも松山に行ける。
ゲートを通って待合の場へ。そこでTVにくぎ付けになった。 <やっと冒頭の一文に・・・戻る>
広島の平和公園で、オバマ大統領と阿倍首相が慰霊の献花をしメッセージを述べる。
欠航が多いせいか待合スペースの椅子は閑散とはしているものの、皆身を乗り出してTVに見入っている。ところが僕の座っている列の若者は、スマホでゲームに取り組んでいて見向きもしない。そしてついと立ってどこかへ行ってしまった。今時の若者は! と僕は憮然 (苦笑!)。
さて大統領として初めての広島訪問、記念公園での17分にもわたる演説(メッセージ)、同時通訳なので通訳の声もテッロップも断片的だが、オバマ氏の想いが伝わってきた。
翌日の新聞評、ことに若き気鋭とされる研究者の論考は`大統領の訪問歓迎一色に違和感`とされ、研究者としてはそう論考しないと立場が成り立たないのかもしれないとは思うものの、彼への違和感を覚えた。
むしろ被曝したが91歳まで生き延びた坪井氏が涙ぐみ、オバマ氏がそっと肩を抱き寄せる姿に溜息が出た。
気になっていたオバマ大統領の一言、最後に女学生時代の僕の叔母が爆心地近くの工場で被災した長崎の名が!
日本は第2次大戦を引き起こした加害者、長崎で生まれた父がフィリピンで戦死し僕たち家族は彼方此方転居したが、朝日新聞での坪井氏の一言、「憎しみが消えたわけではない、オバマさんが原爆を落としたわけではない、責めても仕方がない、人類のために手を取り合って、核廃絶に取り組む方がええけえ、そう思えるようになった」という一言が耳に残った。
それにしても安倍首相の、誰かに起稿させたとも言いたくなったメッセージの棒読み。
どうしたもんじゃろう!
<写真 羽田空港でのテレビ>
翌28日9時半から行われる松山から車で走ってほぼ1時間半かかる鬼北町の、「鬼北町合併10周年記念」と、A・レーモンドの設計した町役場、「庁舎(町役場)再生記念の式典」に参加するために、フライトの1時間ちょっと前に羽田に着いた。
ところが滑走路での事故によりゲートが閉鎖されていて、掲示板でも出発できるかどうかは未定とされている。さてどうなることかと様子をうかがっていたら、すでに待合場は長蛇の列、これはいかんとともかく並ぶことにした。その長さ数百メートル、すぐの僕の後ろにも大勢の人の列が繋がっていく。
掲示板には次々と欠航の文字。僕の後ろに並んだ函館に行くというおばちゃんがスマホを見て、どうやら大韓航空機が滑走路で炎上したようだと僕に伝えてくれた。
友人と函館で待ち合わせていたが欠航なので千歳で会おうということになったようだ。でも掲示板に千歳の名が出てこないと困惑しているので、千歳空港は「札幌」ですよ!と教えると仰天。初の北海道の旅だそうな! なんとなく仲良しになった。
さて、掲示板の松山行きは欠航だが、その後の便は就航未定だが満席と表示、最終便の掲示がない。ダメもとでと思って2時間並んでやっとフロントにたどり着き、可愛い女性の担当者に相談したら、最終便は満席だが、その前便には3席ある、でも出立できるか欠航になるかは確定していないとのこと。ダメもとでとチケットを受け取り、取りあえず機械で入力してみて待機してほしいと言われて機械操作。そして15分ほど待っていたら就航の文字。出発はさらに1時間半ほど遅れるが、何よりも松山に行ける。
ゲートを通って待合の場へ。そこでTVにくぎ付けになった。 <やっと冒頭の一文に・・・戻る>
広島の平和公園で、オバマ大統領と阿倍首相が慰霊の献花をしメッセージを述べる。
欠航が多いせいか待合スペースの椅子は閑散とはしているものの、皆身を乗り出してTVに見入っている。ところが僕の座っている列の若者は、スマホでゲームに取り組んでいて見向きもしない。そしてついと立ってどこかへ行ってしまった。今時の若者は! と僕は憮然 (苦笑!)。
さて大統領として初めての広島訪問、記念公園での17分にもわたる演説(メッセージ)、同時通訳なので通訳の声もテッロップも断片的だが、オバマ氏の想いが伝わってきた。
翌日の新聞評、ことに若き気鋭とされる研究者の論考は`大統領の訪問歓迎一色に違和感`とされ、研究者としてはそう論考しないと立場が成り立たないのかもしれないとは思うものの、彼への違和感を覚えた。
むしろ被曝したが91歳まで生き延びた坪井氏が涙ぐみ、オバマ氏がそっと肩を抱き寄せる姿に溜息が出た。
気になっていたオバマ大統領の一言、最後に女学生時代の僕の叔母が爆心地近くの工場で被災した長崎の名が!
日本は第2次大戦を引き起こした加害者、長崎で生まれた父がフィリピンで戦死し僕たち家族は彼方此方転居したが、朝日新聞での坪井氏の一言、「憎しみが消えたわけではない、オバマさんが原爆を落としたわけではない、責めても仕方がない、人類のために手を取り合って、核廃絶に取り組む方がええけえ、そう思えるようになった」という一言が耳に残った。
それにしても安倍首相の、誰かに起稿させたとも言いたくなったメッセージの棒読み。
どうしたもんじゃろう!
<写真 羽田空港でのテレビ>